多様性だけでは意味がない (7月24日)

細野さんの立場、菅さん、鳩山さんの処遇をめぐって民主党ではいろいろな話し合いがあったようです。

民主党は多様な意見を持つ人々を集めているのに、これでは…と選挙前から気になっていたことがありました。。

 

それは個々の、「マイノリティの自覚」不足です。

 

それぞれが、「おいらが一番よくわかっている、いつかみんなに言うこと聞かせてやる」という幼稚でナイーブなマジョリティ感覚に酔いしれていた。

 

マイノリティの自覚という洗礼を通ってこそ、多様性のある場から想像力と学びが育つのだと思います。

 

ICUという大学はなかなか強烈な経験をさせてくれました。

ただ多様なだけでなく、個々にマイノリティ自覚の洗礼を通過させられていたのです。

そのことに気付いたのはしばらくたってのことですが。

 

日本育ちの学生は、日本の学校では英語がとてもよくできたのに、

英語をしゃべれない内気な子と思われてる…

一方、自分より英語はできなかった高校時代の同級生は日本の大学で楽しそうにやっている。

帰国子女の学生だって大変。

アメリカの学校ではトップだったのに、池袋ってどんなbag?

役人と官僚はどう違うの?ときいて笑われてしまう。

 

どちらも、人に相談したり、文句を言ったりしているだけではなんにもなりません。

今目の前にいる相手に通じることばを自分が獲得する以外、どうにもならないのです。

自分から、古い物差しを脇へ置いて、新しい物差しをあてて、

自分から変わらなくてはどうにもならないのです。

 

人間社会は多様性だけでは意味がない。

ただ、いろんなのがいるだけでバランスが取れる、新しいものが生まれるわけではない。

多様性、マイノリティ自覚、想像力 セットなのです。

 

 

 

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カゼインが、グルテンが悪いのか、納豆ならなんでもよいのか

いわゆる発達障害が大人たちの不注意による中枢神経汚染であるケースが多いことがわかってきました。
ほんとうに、子どもたちは鏡です。

さて、私が気になるのは物質名でよい、わるい、を唱え、それになびく傾向です。数年前もテレビで納豆さわぎがあったではありませんか。

むしろ「いかに」を大事にしたいと思うのです。

たとえば乳製品の場合、日本では全頭除角といって、角を切り落とすことが奨励されます。しかし、牛の角はケラチンという絶縁体でできていて、牛の神経伝達を漏らさない、という働きがあるといいます。角のついている牝牛のミルクはタンパク質の分子の大きさが安定していて、牛乳アレルギーの方もおいしく飲める、という報告もあります。また、牛乳とチーズではまったく意味が違うのです。

グルテンについても、周辺をとりまく他のアミノ酸や精製方法によってクオリティは千差万別でしょう。

ヨーロッパでは東南アジアのアブラヤシを環境破壊として退ける運動が高まっています。
確かに現地では政府と大企業が結託して一時的な利潤を追求しています。
けれど、東南アジアに根差し、天地人の理に適った加工を目指す人もいるのです。
こういう志ある生産者を善意の消費者が幼い選択で圧迫することがないように、と望みます。

 

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