福島県浜通りに出前授業するわけは

先週末、仙台経由、高速バスで相馬入りという初めてのルートで相馬高校におじゃましました。今年度10回を数える相馬高校土曜講座の最終回を担当するためです。バスの窓からは海ばかりが遮られずに見えました。浪江請戸の松

年度初めにお誘いがあったときには、どれだけ応募があるだろうかと勝手に心配し、補欠のつもりで毎月伺えます!とお返事してびっくりされたものです。蓋を開けてみれば関西、首都圏からもベテランの、なぜか男性ばかりの先生方が競うように応募され、私の出番は1回で済むことになりました。

たった2時間でできること…と思いめぐらし、古新瞬監督が震災後の相馬野馬追を撮ったアマチュア動画を編纂した「相馬野馬追 2年の軌跡」に英語ナレーションを入れることを考えました。これにはすでに英語字幕をつけるボランティアをさせていただいています。この字幕を素材に英語の本物の音を体験し、アウトプットすることをねらいとしたのです。

英語といえば、学ぶ割には直接アウトプットする機会が少なく、シャドウワークになりがちです。アウトプットという試金石が少ないために、道具としての英語、などといいつつも、道具として通用しない(ホテルの安歯ブラシのような)ものが教えられることも少なくないと言わざるをえません。

さて、授業の内容は正式レポートを仕上げてから…といたします。

私が浜通りに出前する理由は、20世紀的豊かさの基準と、個人のキャッシュだのみの教育に対するささやかな抵抗です。

浜通りはたいした産業もなく貧しかったので潤うよう原発を置いた、という説明をたびたび耳にします。南相馬に住んでいた親戚の暮らしを思うと、確かに朝早くからの田畑での仕事は大変だったことでしょう。でも、採れた野菜を食べ、自宅で味噌、醤油をしこみ、自分の身体をしっかり使う手作りの暮らしが豊かでないといえるでしょうか。

ところが20世紀の日本では、親のキャッシュで学費を払い、親以上の学歴を手に入れ、なるべく大規模なところに就職し、高い賃金を安定して得続けるのが豊かさだったのではないでしょうか。

今でこそ、付加価値の高い作物や加工技術で前者と後者の間でしぶとくねばる工夫もしやすくなったことでしょう。でも、原発はひょいっと後者の在り方にポイント切り替えを促したように思うのです。

なので、ここでもう一度教育を通してねばってみようと思うのです。

ここで生まれ、形となるものは、どこへ持って行っても確かな価値を生み出す、という手ごたえを感じています。

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