「できません…」って100回試してみましたか?

もう10年以上前、私はドヴォルザークの「ロマンス11番」という
ヴァイオリン曲に、一度で心奪われたことがあります。
(アイザック・スターンの演奏URL後述)
幸福感にあふれるメロディーはどこかなつかしい
中欧の風景が立ち現われるよう。

これを弾いてみたい。
この曲が奏でられたらどんなに嬉しいことか!

ところが楽譜はオタマジャクシのイカダだらけ…
当時、私はやっと先生にめぐりあい、
ゼロから楽器と出会い直したばかり。
「きらきら星」の出だしもおぼつかないほどでした。

ふと、まずこの一番難しい4小節、100回練習してみよう。
なんとなくそう思いました。
100回もやっていないうちは「ダメだこりゃ」という資格すらない。
100回から先のことは100回やってから考えればいいや、と。

romanceアイザック・スターンによるドヴォルザーク「ロマンス11番」はここをクリック

 

交通量調査で見かけるあのカウンターを使って
1回、2回…と続けるうちに予想外の思いを味わいました。
30回頃は「なんだ、まだこんなもんか、先は長いなあ」
45回頃から「ん、先生がおっしゃっていたのは、こういうこと…」
ひとつとして同じ回はないのです。
同じチャレンジでも、発見が違う。
80回が近づくころ、焦りとさみしさと愛おしさがあふれてきました。
あと23回しかない、あと22回しかない…

95,96回目あたりは、「もうこれで最後」という思いがいっぱい。

100回目を弾き終えたとき、確かに楽譜をみなくても
指が動くようになっていました。
けれど、心の中にあったのはそのことではありませんでした。
一度生まれて、また彼岸に戻ったような感覚がありました。

101回目、110,120回を弾いても別にかまわなかったのですが
それは違うような、ゾンビのような気がして、
100回目で楽器をしまいました。

100は人間の寿命にちかい数なのかもしれません。
でも別にこれが300回でも1000回でもよいのだと思います。
ただ、はじめにひとつの全体として自分に約束していることが
鍵であるような気がします。

そして1回ごとに新たに向き合うこと。
次の1回はさっきの1回のコピーではありえないのです。

量が質に転化する、とよく言うけれど、やみくもに
あらぬことを考えつつ繰り返すだけではだめでしょう。
二度とない1回を積み重ねることで質自体が少しずつ
変化しているのでしょう。やがてまとまった変化として
感じられるのも当たり前のことかもしれません。

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今はヴェルディの「スターバト・マーテル」で
ソプラノの最後の音、上のシが楽に出るのを
夢見て…ほんとに暇ですみません。

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