学習優位感覚、MI。思わぬ使い方に提唱者が困惑

生徒はお行儀よく座って先生のお話を聞き、板書を写す…そんな授業は情報そのものに稀少価値があった昔のやり方。現代にふさわしい方法はないか…向上心豊かな教育関係者の心をとらえたのが学習スタイル(学習優位感覚)と多重知能理論(MI)。どちらもアタマだけでは学べないことを強調し、学び手ひとりひとりの多様性、可能性に光をあてる視点です。ところが勘違いした実践も多く、当の提唱者自身が当惑しているというのです。

アタマだけでは学べない

そもそも学びとは新しい情報を外から取り入れ、体験とすり合わせ、取捨選択し、自分になじませていくこと。学びの種である新しい情報はいきなり頭には入れません。頭という奥座敷に入るにはまず感覚器官という玄関から入らねばなりません。学びは身体に始まるのです

学習優位感覚(学習スタイル)とは

学習スタイル説にはさまざまなモデルがあり、提唱者もさまざまです。今日よく話題に上るのがVAKモデル。人間の学びには感覚の中でもVision視覚・Audtition聴覚・Kinaesthesia体感覚(触覚・運動感覚)が大きな役割を果たし、場面によって優先的に使う感覚があるという説です。例えば私は通訳するときは聴覚を主に使いますが、車を運転するときは視覚、体感覚を優先的に使う、というふうにです。

この視点には私も教員時代に大いに助けられました。先生たちは聴覚をよく使う人が多いそうですが、私もそうだったのです。ベストを尽くたつもりでも自分と似た生徒たちに有利な授業をしてしまう。視覚や体感覚を使いたい生徒たちが置いてきぼりになってしまう。この子たちが飽きて「自分は集中力がないんだ。頭が悪いんだ」と思い込むとしたら、原因は誰?そこで視覚、聴覚、体感覚をバラエティ豊かに使うアクティビティを揃えたのです。

おかげでもともと大嫌いだった所謂「教案」とは永遠におさらばできました。ふさわしいアクティビティをぱっと選ぶには、その時、その場で生徒のしぐさ、表情をひたすら観察、瞬時に判断しなくてはなりません。これは気が抜けませんでした。でも楽しかった!

多重知能理論(Multiple Intelligences)とは

ハワード・ガードナー教授(ハーバード大学大学院)が提唱する新しい知能モデルです。ある日、知的障がいがあって話すことも歩くことも難しい少年が、教授の研究室から車いすをスイスイ動かして出て行きました。その後姿がきっかけのひとつとなり、ガードナー教授はIQのように単一の尺度で人間の知能を測る方法を疑うようになりました。2004年発行の”Frames of Mind”新刊の章立てには6つの知能が見えます(本文では7つ扱っている)。
Linguistic Intelligence(言語の知能)
Musical Intelligence(音楽の知能)
Logical-Mathematical intelligence(論理と数学の知能),
Spatial Intelligence(空間の知能)
Bodily Kinesthetic Intelligence(身体と運動の知能)
The Personal Intellingences(人間的知能)
よく見かけるのはこれらをさらに8つに分けたフレームワークです。
今日では9つ、12、とさらに細かくわけた説もあります!

提唱者が困っている?!

学習優位感覚もMIも先生が自分を客観視し、生徒を観察する目を磨くのに役立ちます。しかし以前から学習優位感覚は科学的な根拠が脆いと指摘されていました。科学的に証明されていなくてもうまくいく方法はあるものです。そういう方法に手を出すときは節度、うしろめたさを忘れてはなりません。
案の定、最近おかしなことになっているようです。学習優位感覚とMIを混同する人、血液型のように固定的にとらえる人、他人を安易にタイプ分けし、コミュニケーションを操作しようとする人が後を絶たないのです。

そもそも感覚は身体に属するもの。教師が観察するならともかく、生徒が自分で意識しすぎても不自然です。

Urban Myths about Learning and Education「仮題 学習と教育をめぐる都市伝説」 (by De Bruyckere, Kirshnerm, Hulshof/ Elsvier, 2015)では逆効果に警鐘を鳴らしています。

“Frequently, as Clark later explained, so-called mathemathantic effects are found; that is, teaching kills learning when instructional methods match a preferred but unproductive learning style.”
「よくあることだが、クラークが後述する通りいわゆるマテマタンティック(学習の死)効果がみとめられた。教えたばかりに学びが死んでしまったのだ。教え方を、お気に入りだが非生産的な学習スタイルにぴったり合わせたがために。」
「MIと学習スタイルは同じですか?」という問いには20年以上も前にガードナー教授が困惑しています。
“Without doubt, some of the distinctions made in the theory of multiple intelligence resemble those made by educators who speak of different learning styles. Many of them speak of spatial or linguistic styles, for example. But MI theory begins from a different point and ends up at a differnt place from most schemes that emphasize stylistic approaches.”(p.44 Multiple Intelligences theory in Practice /Basic Books)
「間違いなくMIの区分のなかには教育関係者が提唱しているさまざまな学習スタイルに似ているものもある。たとえば彼らの多くが空間タイプ、言語タイプと言っている。しかしMI理論の出発点も到達点も、それらの矢鱈に『スタイル』でアプローチするスキームとは殆ど異なっている。」

学びに魔法はいらない

私も「なんだか変」と思った覚えがあります。初対面の方と喫茶店で待ち合わせて間もなくのこと。「君、擬音語が多いね。話し方も噺家みたいで面白い。きっと聴覚優位だ。僕、分かるんだ。」そしてあからさまに私のしぐさをまねたり、抑揚までそっくりにおうむ返ししたりし始めたのです。私がどう応じたかはご想像にお任せします。

学習スタイルは血液型や星座のように固定的なものではありません。学びの近道や人心操作を可能にする魔法の道具でもありません。学習優位感覚も多重知能理論も、教える者が学び手の内なる多様性を尊び、学び手が自分の豊かさに気づくツールなのではないでしょうか。

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