思わず友達に話したくなる、ハロウィンの由来

皆さんハロウィン盛り上がってますか?私は普通にかぼちゃ煮っ転がして終わりです。それじゃ冬至と同じですね

でもハロウィンはなぜ10月31日?

11月1日のカトリックのハロウhallow(万聖日)のイヴeen, eve(前夜)だから。かぼちゃの収穫祭ではありません。

昔々、アイルランドではSamhainの祭日がありました。サムハインじゃありません。サーウィンと言うんです。この神さま、死神です。

https://thenewpagan.wordpress.com/wheel-of-the-year/samhain/より拝借
https://thenewpagan.wordpress.com/wheel-of-the-year/samhain/より拝借

秋分と冬至の間の頃、いよいよ最後の刈り取りを迎えます。もうすっかり夏は遠くなり、あたりには冬の気配。牛も夏山の放牧地から下りてきます。その牛たちのゆく先は…屠殺場。

人間だって真剣です。次の春まで十分な食べ物がなければ命の危機。ベジタリアンなんて言っている場合じゃありません。すまないけれどあの世に送らざるをえない牛たちをサーウィンが迎えに来てくれる、と考えたのです。そのとき、サーウィンにくっついてご先祖様が帰ってくる。あの世とこの世の間の扉が開いてまた会える、と思ったのです。つまりお盆ですね。

でも蜩が鳴く日本のお盆とはちょっと風情が違います。私にはAnunaのWinter, Fire and Snowが思い出されます。二人の息子の魂が家に帰ってくる、という情景です。

カトリックはこのサーウィン祭を禁じるのではなく、こりゃせっかくの盛り上がり、と万聖日の前夜祭に利用したようです。

キリスト教が厳格な一神教だなんて、まさか。神様はそのつもりかもしれませんが、先遣セールス部隊は土着の信仰を取り込むのが実に上手です。

今は子どもが「いたずら嫌ならごちそうして」(お菓子呉れなきゃいたずらするぞ、という訳は好かんのです。情報の順番がおかしい。)なんて行儀の悪いことを言ってウロウロしています。これはアメリカに渡ってからのこと。あそこはろくなことがありませんな。

日本では「十日夜(とおかんや)」といって新米収穫を祝い、子どもたちが棒で地面をたたき、畑にもぐらが入らないようにするというお祭りがあります。こういうの、忘れてほしくないですね。

せっかく日本でハロウィンやるならナマハゲさんや安達ケ原の鬼婆さん、鬼女紅葉さんあたりにお出まし願いたいところです。昨年は本能寺の変の帰りらしい織田信長さんお見かけしました。痛そうで悔しそうでした。

外国語のプロは文化の歩哨。センチネルのセンスを―

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通訳トレーニングが認知症予防になる理由

と書いて…棚の上から失礼します。

「通訳を介して」という表現にふれるたび、申し訳ないような、悔しいような気持ちがします。きっと凡庸な通訳に隔靴掻痒の思いをなさったのでしょう。本来の通訳なら「よほど通訳を入れた方がのびのび自分らしく日本語で話せて、英語でも伝わったという実感がある」と喜んで頂けるはずなんです。そう信じて大学に加え、横浜で社会人対象の通訳養成を始めました。

中心に据えているのが「言語の数学・音楽性」と「通訳養成の身体性」です。

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外国語学習や通訳に身体性、というと意外な顔をされることもあります。でも言語はアタマだけで処理するもの、とは思えません。脳機能局在論もどうも古い…あれはスポーツで言えば野球、ポジション固定型。生き物はもっとサッカーのように柔軟なのでは?各パートからそのときどきの適者どうしが連携するのでは?と体験から感じているのです。

私のユニークな実感に理論的な裏付けをもとめて、夏休みに岡崎の大学共同研究機構に生理研を訪ねました。そこで教えて頂いたのは、私の背側線条体(尾状核と被殻)が大きくなっているand/or機能が高まっているらしいということ。以来、わらしべ長者のように「ビジョウカク、ヒカク」と唱えていたら、こんな面白い論文が!

 

シャドウイングと同時通訳のfMRI実験でわかったこと

ジュネーヴ大学のエルヴェ=アデルマン教授たちは50人のイタリア語、ルーマニア語などを話す主にヨーロッパのバイリンガルに英仏語のシャドウイング、英仏語からの同時通訳をさせて、同時にfMRIをとりました。ほぼ同じところが活性化していたそうです。それが尾状核と被殻。しかも左右両側です。

これは右耳利きが言語処理に有利とする説に一石を投じそうです。

この実験のちょっとおかしなところはこのバイリンガルさんたち、全く通訳のトレーニングをしていないアマだというのです。シャドウイングと同通で同じ部位が活性化している、という報告なのですが、文中にあるとおりトレーニングを経たプロの同時通訳者なら同通で活性化する部位は小さくなるそうです。

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バイリンガルがアルツハイマー予防に?

Bilingualism confers a variety of cognitive advantages (Abutalebi et al. 2009; Diamond 2010), including improve non-linguistic executive skills (Bialystok et al.2012), and delaying the appearance of symptoms of Alzheimer’s disease. More recently, it has been proposed that the bilingual advantage arises from increased use of a more general “conflit monitoring” system in bilinguals compared with monolinguals (Costa et al. 2009; Hilchey and Klein 2011; Abutalebi et al. 2012b)

バイリンガルにはさまざまな認知的利点がある。たとえば非言語執行スキルが向上する、アルツハイマー型認知症の発現を遅らせる、など。さらに最近提示されたことには、こうした利点はバイリンガルはモノリンガルに比べてより頻繁に全般的な「衝突監視」システムを用いることに起因するというのだ。

英語を学ぶなら日常英会話より、はじめから通訳トレーニングでやるほうがいい。感覚がさえて、頭もしゃっきりすると思っていたところです!

The existing neuroimaging literature on SI is very sparse; only 1 PET study on 8 professional interpreters revealed activation in the left inferior frontal gyrus and the SMA during interpretation (Rinne et al. 2000; Tommola et al.2000)

同時通訳に関する神経画像は非常に乏しい。8人のプロの同時通訳を対象にしたPETが1点あるのみで、通訳中は左下前頭回と補充運動野が活性化することが明らかになっている。

All the regions involved in SH are also involved in SI, reflecting the common linguistic and executive demands of the tasks. Left inferior frontal gyrus regions additionally recruited during interpretation over SH include pars triangularis, known for its role in semantic processing (Dapretto and Bookheimer 1999; Bookheimer 2002), and pars orbitalis, implicated in semantic memory and cognitive control of memory (Badre and Wagner 2007)

シャドウイングにかかわる領域はすべて同時通訳にもかかわいる。これは両方のタスクに共通する言語・執行に関する要求を反映している。左下前頭回は同時通訳中はシャドウイング時より漸増するが、ここには三角部という意味処理を担うことで知られている部分、眼窩部という意味記憶と記憶の認知的コントロールにかかわる部分がある。

シャドウイングといっても日本の教室ではテキストを見たままスピーカー放送を聴いて「読経集団」状態のことも。テキストは伏せて、イヤホンで11の設定で聴きましょう。そうでないと同通につながる道になりません。念のため。

バイリンガル、認知全般にうれしい影響

A striking aspect of these results is the recruitment of the dorsal striatum (the caudate nucleus and the putamen).…Although the basal ganglia are often discussed in terms of their role in motor behavior, they play a central role in circuits known to subserve multiple, non-motoric aspects of cognition such as attention, learning and memory, and executive functions (Saint-Cyr 2003).

これらの結果で目を見張るのは背側線条体(尾状核と被殻)の漸増である。(中略)大脳基底核は運動における役割について議論されることがしばしばだが、基底核は注意、学習、記憶、執行機能といった認知の複合的、非運動的側面を下支えする回路でも中心的な役割を果たしている。

軽々に左脳、右脳にわける見方は疑問。

右脳を万能の魔法使いのように尊重するきらいもありますが、右脳だけではどうにもなりません。左右の連携こそが肝要。通訳の仕事では特に仲良く協力しているようで!

The bilateral nature of the findings we report here expand those of several previous reports cited above, in which the left striatum is principally implicated in tasks requiring multilingual language control (Klein et al. 1994, 1995, 2006; price et al.1999; Lehtonen et al. 2005; Abutalebi and Green 2008; Garbin et al.2010)There is also some indication from direct electrical stimulation that the dominant striatum (typically the left striatum in right-handed individuals) is involved in the control of speech production, with the putamen more implicated in the coordination of speech articulation , and the caudate involved in inhibition and selection, in monolingual patients (Gil Robles et al. 2005).

ここで報告する両側性の発見は、すでに引用したこれまでの報告を敷衍する。これまでは複数言語のコントロールを必要とするタスクには主に左線条体が関わるとされてきた。また、直接電気刺激による示唆として、優位の線条体(たいてい右手利きの人の場合は左線条体)が発話には不可欠で、被殻はより滑舌の協調コントロールに、尾状核は抑制と選択にかかわるとされてきた。ただしこれはモノリンガルの患者に場合である。

Consistent with this, our data indicate that the bilateral caudate nuclei and putamen are implicated in SI.

この指摘とも一致するが、我々のデータは同時通訳の場合、両側の尾状核と被殻が関わることを示している。

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Our results provide new insights into profound overlap between the neural bases of extreme language control and those of domain-general control of cognition and action. Indeed, recent evidence suggests that experienced simultaneous interpreters display enhanced cognitive flexibility compared even with bilingual individuals. (Yudes et al. 2011; Stavrakaki et al. 2012).

我々の調査結果が新たに示すのは、究極の言語コントロールを行うための神経的基盤と、全領域において認知・行動をコントロールする神経的基盤は深く重なり合っているということである。実際、経験豊かな同時通訳者はバイリンガルと比べても認知がより柔軟であることも最近証明された。

The recruitment of similar fronto-subcortical-cerebellar circuits during language and executive control provides powerful evidence that the continuous demands of language control in the multilingual brain, and associated experience-dependent plasticity, could underlie the nonlinguistic, executive advantages that have been observed in bilingual individuals, advantages that may also be protective in defying challenges posed by aging and even disease.

同様の前―皮下―小脳の回路が言語・執行コントロールにおいて活性化するということは次のことを確かに証明している―マルチリンガルな脳に対する継続的な言語コントロールの要求とそれに関連する経験に依存する可塑性が根底にあって、バイリンガルの人々に見られる非言語機能、執行機能の強み、加齢、疾病による困難に抵抗する際の保護になるような強みが成り立つのだ。

外国語を学ぶのは異文化を学ぶこと、と言いますが、それは認知レベルにとどまらず、生理レベルでも起きているということですね。異質に触れることで人間は磨かれる。バベルの塔が壊されてよかった!

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私の通訳、日本語の根っこはあのひと

通訳は日本語のセンスも大事。

でも、通訳にありがちなのが
「しかしながら~しましたけれども、え~、~なわけであります。」調。
ひとりで自然に話したらそんな話し方しない。
そもそも講師はそんな話し方をしていない!

さあ、どうやって日本語を磨きましょ?

まず、「通訳」という結果、成果に縛られないことです。
だいたい通訳のための日本語なんてありません。

通訳道場では私の通訳録音をお聞きいただくこともしばしば。
たとえば、ある合奏ワークショップの録音は…
講師 ”You were so together and beautiful.”
私の通訳「みなさんひとつになって、きれいで…。」

参加者のNさんがすぐに声を挙げました。
「きれい『でした』『です』ってつけなくてもいいんですね!」

そう。毎回「です、ます、でした、ました」ではリズムがだれるんです。
キーワードの余韻がぼけてしまう。

でも、これって後からつけた説明。現場での私はもっと直観的、反射的。
それはどこから来るのかというと…

間違いなく、根のひとつが太宰治。

出会いは14歳の時でした。

あのリズムと疾走感に虜になった私は、学校図書館の全集を毎日1巻ずつ読破。
夜通し沈黙のまま音に溺れ続けたのです。一晩ですごい量を読んだものです。
あの感覚はその後に出会ったどんな読み方とも違う。速読とも違います…
なんだったんでしょう。

旧仮名遣いと旧字体漢字が10代の私にはデフォルトでした。
旧仮名遣いと旧字体漢字が10代の私にはデフォルトでした。

おまけにミーハーですから…
太宰のすべてを知りたい、写真も一つ残らず見たい…。
(今でも太宰の写真はいつ頃どこで撮ったものかわかります。)
玉川上水の底で抱き合いながら、揺れる水面にぼやける世間をわらってやりましょ、
なんて妄想しました。

ああ、なんて14歳。あのころに使い切ってしまっていたわけだ…

ともかく津軽と三鷹は憧れの聖地となりました。

こうなると、もう作品を対象として読んでいるとはいえません。
ただ作品の向こうにいるはずの太宰に逢いたかっただけなのです。
逢えないから、残された作品がよほど染みたのです。

太宰の作品は、書いてはあるけれど、ただの書き言葉ではなく
話し言葉のようでもあり、でも、ただの話し言葉ではなく…
黄昏どきや夜明け前のような翳りがあって…。

はじめて訪れた津軽はねぶた祭りの真っ最中。
太宰の翳りが「みちのく」のものであることを肌で感じました。

「文末は『です・ます』でなくてもよい」
ちょっと覚えておくと便利ですけど、ルールとは思わないでね。
あくまで私の根っこから育った一枚の葉っぱ。

あなたも自分の日本語の根っこをじっくり辿ってくださいね。
根っこがない?そんなわけない。
今から植える?太宰全集お貸ししましょうか。

高校2年の頃、やっと全集を毎月1巻ずつ買いそろえました。
高校2年の頃、やっと全集を毎月1巻ずつ買いそろえました。

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私の通訳、原点はあの楽器…

「通訳って大変そう。しっかり練習しなきゃ!」 

修行には賛成。

でもまったく新しいことばかりしなくてはならないわけではありません。
訳の練習さえしていれば大丈夫というものでもありません。 

今まで、あなたが大切にしてきたこともあなたの修行の土台になる。

諸事情(?)により無謀にも私がヴァイオリンを手にしたのは中3のとき。稽古代わりというカン違いで入団した学校のオケで、私は第2ヴァイオリンに夢中になりました。

第1ヴァイオリンは確かに聞き覚えのある、弾き映えのするメロディーを奏でます。 

でも、第1だけが弾いても物足りない。なんだか色が足りない。塩を入れずに焼いたパンのようになってしまう。

第2が入ると一気に響きが変わるのです。

でも第2の旋律だけ聴き取ろうとしても聴き取れない。姿は見えないのに、居ると居ないでは大違い。

これ、かっこいい! 

けれど…オーケストラが私の職場になるはずはなく…(笑)

先日、とある弦楽合奏のコンサートを聴きにいきました。

 

コンサートで聴いた曲の楽譜がどうしても欲しくなって!

あ、これは…!!客席から眺めた第2ヴァイオリンの佇まいに息を呑みました…その姿はセミナー通訳者そのもの。聴衆、オケすべてが見えて、聞こえていて…喜んで確かな支えに徹していて…。

セミナー通訳をしている私の中に、第2ヴァイオリン奏者は息づいていたのです。

あなたもゼロから通訳修行を始めるわけではありません。

ここにたどり着く前に、必ず種まきをしている。表面的には「時間の無駄遣い」「見込みのない憧れ」と映ったかもしれないけれど。

あなたはどんな種をまいてきたのでしょう?

芽が出てから「あっ!そういえば」と驚くのも楽しみですね。実るまで、ご一緒しましょう。 

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なぜ「電話を切る」がhang up the phone?

イディオムだからとりあえず覚えなくちゃ、って呑み込んできた。

それはそれでOK。覚えていないものは使えない。覚えていれば使えるようになる日も来る。

でも暗記しようとしたときの違和感を封じないで。「なんでこんな意味になるんだろう」って思ったでしょ。

違和感は大事な問いになる。

「あなたのケータイはガラケー?スマホ?」

「スマホ」

「その前は?PHSってあったね。」

「あー、ガラケーの前にちょっと使いました。」

「その前は?」

「あ、ポケベルってお姉ちゃんの中学の頃。」

「その前は?」

「…? 家の電話?」

「親子電話?」

「はい、親機にファックスがついていて…。」

「その前は?」

「??…田舎のおばあちゃんの家は黒い電話でした。」

「そのもっともっと前は?」

「……あ!」

「なに?」

「トトロに出てきたあれ!」

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「壁かけ式で、受話器がラッパみたいで…。あの受話器をhang upするんですね!」

そう!そのとおり。

昔の風景が見えてきた? 言葉の中にはその時々の風景がある。

その風景を見ながら、その言葉を語っていた人たちがいたのよ。
その人たちはもういない。

私たちだっていつか必ずここからいなくなって、昔の人になる。
私たちの見た景色をこめた言葉を遺して。

そのとき、未来のひとたちが「車を『ウンテンする』って意味わかんない」って言いながらただ暗記していたら寂しくない?

あっちから「そうじゃなくって、それはねえ!」って説明したくならない?

霊界交信よりおすすめなのは、語源をしっかり説明している辞書をもつこと。 通翻訳を学びたかったら「ジーニアス」もG3やG4ではなくて「ジーニアス英和辞典」にすること。

辞書に載っている訳語に甘んじていては自由なプロにはなれない。

アマは辞書にある訳語を使う。プロは訳語を創る。 ひとりよがりにならないためには語源が不可欠。 言葉は文化遺産だからね。

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ハロウィンの由来。通訳者だったらこれじゃ気持ち悪い

またまたオレンジとパープルのハロウィンカラーが溢れています。

ところでハロウィンってかぼちゃの収穫祭だと思っていない?
じゃあなんであんなおっかない扮装するの?
去年なんか自決した織田信長まで見かけた。あれはよかったけど。

ハロウィンの由来を調べたことある?

流行に乗るのは構わない。でも通訳になりたかったら、
自分がやっていること、口にしている言葉が
どこからやって来たのか、気にしてほしい。

どこから来たかわからない言葉を口にすることに
気持ち悪さを感じてほしい。
それくらい自分の言葉を、声を聴くことを習慣にして。

すべてものに生まれた瞬間がある。

古いものこそ太古の知恵、人間と自然の物語が詰まっている。
お祭りは、共同体が生きるか死ぬかぎりぎりのところで
天を仰ぎ、死を思い、前に一歩進むための節目のとき。

言葉は文化遺産。そして未来資本。
それにプロとして向き合うならそれなりの礼節を尽くしてね。

口にする言葉は大切な文化遺産
口にする言葉は大切な文化遺産にして未来資本

こんなおまけはこれで最後です。ハロウィンの由来。昨年書いたものですが。
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横浜CAT通訳道場(ねこ道場)、今週からいよいよ始まります。
来期以降の参加ご希望、お問合せはこちらからどうぞ。
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25年前のイギリスのスケッチが出てきたよ…

 これ、25年前にそのへの鉛筆で描いたイギリス、ヨークシャーはネアズボロの風景。
日本で言ったらどこでしょうね。米沢あたり?kn

なぜ引っ張り出したのかというと…
昨晩、NHKをつけてみると…。城壁がちらりと映っている…これはヨーク。
(ヨークベニマルじゃありません、イギリスのヨークです)

一瞬でわかったのです。

「こういう感じの城壁ならいくらでもあるのに、どうしてわかるの?」ってきかれてもねえ。説明がとっても面倒。

空の広さ、樹々の色…見た瞬間にまず自分が「そこにいたときの自分」になってしまうと感じ。

画像の具体情報で理屈つけているわけじゃないから、名物の大聖堂が見えなくても大丈夫。

この記憶、どこに刻まれているんだろう。

それにしても相変わらずイギリスは、あのころと同じ景色が続いている。
立ち止まっているわけではないでしょうに、景色だけは記憶バンクのよう。
あのころ、大学生の私は日本のいろいろな当たり前を呑み込めずに、人一倍「なんで?なんで?」を繰り返してうまく進めずにいました。
そんなこと考えてもしょうがないよ、と言われても目をつぶって進むのはうそだと思った。
でイギリスで遠慮なく疑った、確かめた。
人はなぜ働くの?
働くことって就職と一緒?
健康保険、年金、ローンのために働くの?
毎日満員電車で通勤しなくてはならないの?
私は何をすればいい?
私の直感に呼びかけるこの声は誰?
人の寿命をはるかに超えるイギリスの大樹を見るたびに日本を思いました。
日本は人間は長寿だけれど、風景の寿命はあまりに短い…なんなんだ、この儚さは。伊勢神宮の遷宮ともなんだか違う…
そんなことを思い出しているとテレビにはネアズボロの橋が。25年前のスケッチとまったく変わらない風景。これと同じ風景をNHKの「写真ギャラリー」から探してみて。

ヨークはあちこちの壁に猫のオブジェが。言葉の壁を超えるCAT通訳道場。おやおやご縁があるようで。catwall

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英文和訳とプロ翻訳はどう違う?① In his pocket he had an eggどう訳す?

英語力アップと通訳養成は一直線でつながる

本来それが自然。
そんなトレーニングに断片的な「お教材」はいりません。
おすすめは古今東西の民話、昔話のストーリーテリング。
謎めいたストーリーは微生物ゆたかな土壌のよう。
これで鍛えておけば報道、学会の通訳は簡単なもの。

みんなを利口にするわけのわからない変人、ナスルディン

いま大学で取り組んでいるのが中東のトリックスター、ナスルディンのシリーズ。
ふるさとがいまいちはっきりせず、トルコはじめ中東諸国が「うちだ」と
言い張っているのも面白い。日本でいえば吉四六さんでしょうか。
利口か馬鹿か、親切か意地悪か、さっぱりわからないナスルディン
利口か馬鹿か、親切か意地悪か、さっぱりわからないナスルディン。By Unknown – Topkapi Palace Museum Library Cat. No. 2142

この人、利口か馬鹿か、親切か薄情かさっぱりわかりません。
聴く者を終わりのない「?」のうちにほったらかしてくれます。

そう、優等生な答えを与えて人を考えなくさせるよりよっぽどありがたいんです。

答えは古びても問いは古びませんからね。

今週のストーリー/「まずは覚える」にチャレンジ

A wag met Nasrudin. In his pocket he had an egg.
“Tell me, Mullah; are you any good at guessing games?”
“Not bad,” said Nasrudin.
“Very well, then: Tell me what I have in my pocket.”
“Give me a clue, then.”
“It is shaped like an egg, it is yellow and white inside,
it looks like an egg.”
“Some sort of a cake” said Nasrudin.
すらすらと唱えていたSさん。
A wag met Nasrudin. He had an…と言ったところで声が止まりました。
そしてIn his pocket…と言い直したのです。
「どうして言い直したの?」
「もともとそうじゃなかったし…感じが違うと思ったんです。」
そうそう、いいですねえ!みんな、その「感じ」の正体は?

違和感を説得力にできるのがプロ

その「感じ」が「感じ」のままだと個人の私的な趣味と思われる。
「理性」の言葉で語れるのがプロ。私的な趣味じゃなくて説得力になる。
で、その着眼、説得力がその人の流儀になる。
じゃあ、この訳はどう?
『彼は卵をひとつポケットに入れていました』
『彼はひとつの卵をポケットに持っていました』
「先生、それ悪い例ですよね。」
そう、中学の英文和訳だったらバツにはならないかもね。
そんなことやってるからダメなんだけど、そのことはまた後日。
いずれにしても翻訳としては不合格。
このニュアンスの違いは?
John gave this ticket to me.
John gave me this ticket.
こういうの「同じ」「書き換え可能」ってbullshitですからね。

全く同じ単語、表現は2つとしてない。すべて唯一。

物語の重心を占める卵。そのことは構文に現れています。
物語の重心を占める卵。そのことは構文に現れています。

イメージの順に敏感に

そして人間ってイメージが浮かんだ順に言葉を語るもの。
新しくて、大事なことは後でご登場。
この順番を勝手に変えると主役と脇役が変わってしまう。
聴いている、読んでいる人が船酔いしてしまう。
歌だってイントロがあってからサビ。
落語だって前座、二枚目のあとに真打。
これ、別に文法や構文の約束ではなくて、もっと自然でしょ?
さあ、In his pocket he had an egg.の真打は?
「あ!そういうことですね。卵がこのストーリーの重心!」
そうそう!
いろんな例が出てきました。
『ポケットには卵がひとつ』
『そのポケットには卵がひとつ』
『ポケットの中には卵がひとつ』
『ポケットに入っていたのは卵』
どれもイメージ順を守っています。これこそ同時通訳の土台です。
みんなまずは合格!

こんなに簡単な1文で言葉と人間についてこれだけの気づきがあるんです。

女子大生にはなれないけれど、じっくりやってみたい方はこちらへどうぞ。

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ネイティブの音声や先生の評価より大切なこと

鑑真が難破しかけ、失明してまで日本を目指したのは1400年ほど昔のこと。いまではLCCなら15000円程度で上海―羽田を往復できます。(まあ、飛行機は落ちたらなかなか厳しいものがありますが)

外国語学習ではそれくらい大きな環境の変化がわずかここ40年ほどの間に生じています。
さて、それだけの違いが学習成果に現れているでしょうか。
残念ながら「もちろん!」とは言えません。
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鏡を見ないでお化粧する?

どうしてまたそんなことに?
昔の人を今の環境に置いたら驚いて有難がって勉強しまくる。でも今の人は今が当たり前だからすみずみまで利用しようとはしない。
大衆化も関係がありそうです。道具の進化、教育の普及に伴って本来それを必要としない、動機の弱い層も含まれてゆく。
「憧れて、選んで、覚悟して学び、貢献する」つまり、プロを目指す人たちには却ってホンモノを見つけだしにくい時代になったようです。
その見つけにくい、でも近くにあるホンモノをひとつ指摘します。「自分の声を聴く=セルフモニタリング」です。セルフモニタリングなしに外国語を学ぶのは、ミラーレスメイク=鏡ナシの化粧と同じ。もったいないことをしていると思いませんか。

イギリスの聾学校で発見「人間は自分の声が気になる」

イギリスはサマセット地方にA.R.R.O.Wという耳と声と言葉の小さな研究所を構えるコリン・レイン博士はもと聾学校の先生。全身からあふれる温かさとやさしさが、天性の「先生」であることを物語っています。
全身から人への愛情があふれている生まれついての「先生」
全身から人への愛情があふれている生まれついての「先生」
熱血レイン先生、いくらお手本になって一生懸命語り聞かせても、生徒たちはいやいやリピートしている様子。一向にノッテきませんし上達しません。
「なにか大事なことが欠けている…あっ!」
レイン先生が思い出したのはご自身のフランス語学習体験。そのフランス語学校では生徒にマイクヘッドフォンを用意して自分の声をリアルタイムではっきり聴くようにしていたのです。ときには録音して自宅で復習させることもありました。レイン先生はいい大人になっても自分の声はやたら気になるものだと面白く思ったそうです。
そうだ!この子たちにもあの体験を試してみよう。

手始めにレイン先生はこんな調査をしました。I see the blue car.という文を使って、生徒ひとりずつ1)文全体 2)文末から単語ぶつ切りで そして 3)短母音iのみという3通りの録音を行いました。これをほかの成人、生徒たちの録音とまぜて再生、生徒たちに5段階で好き嫌いを評価させたのです。もちろん生徒たちはいつ誰の声が再生されるか知りません。(実験の手順は注意深く組み立てられていますが、割愛)

生徒たちは事前のアンケートをもとに3グループに分かれていました。「自分の声を高評価グループ」「自分の声を低評価グループ」「聴力支障グループ」なんと、こんな結果になったのです。グラフは上から順に「高評価グループ」、「低評価グループ」「聴力支障グループ」、中央のとびぬけた棒グラフが「self voice」自分の声への高評価を示しています。
そして生徒自身の声を教材に使うようにするとこんな現象が見られました。
-The students showed they preferred listening to their own replayed voice rather than the tutor’s recording. Some students in fact, turned off the Tutor voice on replay.
-On many occasions, students smiled when first hearing their own replayed voices but never smiled when listening to the tutor’s.
-Some students also gave an indication of some link with the internalising processes by silently mouthing their Self-Voice speech sample when it was presented to them on playback.
(from “Self Voice – A Major Rethink”  by Colin Lane)
―生徒たちは先生より自分の声の録音を好み、なかには先生の声の再生が始まるとスイッチを止める輩まで現れた。
―多くの生徒たちが自分の声が耳に入るやにっこりしたが、先生の声ににっこりしたものは一人もいなかった。
―自分の録音を耳にするやおのずと静かに口を動かす生徒もいた。これは内面化のプロセスとのつながりを示唆しているのだろう。(生徒自身口が動いていることに気がついていない!先生の声では口は動かない!)
1976-77年にかけてブリストル大学ではこんな結果まで!
The boy(severely deaf) was required to make 150 responses centred pon 13 different phonemes. The phonemes were tape-recorded onto ARROW equipment firstly by the teacher secondly by the child. The severely deaf boy was required to repeat the phonemes when listening to either his own or the examiner’s sets of recordings. Results showed that the student achieved 74.5% correct identifications when listening to his own speech samples compared to 62 % when listening to the better articulated words of the tester.
(from “Self Voice – A Major Rethink”  by Colin Lane)
上の英文はずいぶんざっくりした報告です。実際にレイン先生に伺ったのは…
「聴力損失のある男の子に発音のテストをするからね、といって先生のお手本録音で練習させた。仕上げに自分でも録音してみた。テストでは再生を聴いてリピート、録音し提出。先生のお手本を聴いていってみたものは62点の出来。自分の録音を聴いて録音したものは74.5点の出来」ということです。

つまり、記憶している先生の立派なお手本と同じお手本が聞こえてきても、セルフモニターのスイッチはいまいち入らない。けれど、記憶のお手本と違う自分の声が聞こえてくると、がぜん気になる。セルフモニターのスイッチが入って、お手本と自分の声のすり合わせが起こり、次の発話が上達する、という仕組みと考えられます。

レイン先生の調査レポート集。
レイン先生の貴重な調査レポート集。
念のため…大事なのは「録音」ではありません。自分の声をしっかり聴くことです。人体はその場で自分の声を修整できるように作られていますから、慣れてきたらリアルタイム、録音なしの方が自然です。

身近にある、自分の声を活かすコツ

たとえば右手のげんこつを口に近づけて、親指と人差し指の間のすきまに声をあてるようにする、などでも似たような効果が得られます。
昔は小学生が家で教科書を音読している声が外まで聞こえてきたものでした。あれはなかなか理に適っていたようですね。
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