イディオムだからとりあえず覚えなくちゃ、って呑み込んできた。
それはそれでOK。覚えていないものは使えない。覚えていれば使えるようになる日も来る。
でも暗記しようとしたときの違和感を封じないで。「なんでこんな意味になるんだろう」って思ったでしょ。
違和感は大事な問いになる。
「あなたのケータイはガラケー?スマホ?」
「スマホ」
「その前は?PHSってあったね。」
「あー、ガラケーの前にちょっと使いました。」
「その前は?」
「あ、ポケベルってお姉ちゃんの中学の頃。」
「その前は?」
「…? 家の電話?」
「親子電話?」
「はい、親機にファックスがついていて…。」
「その前は?」
「??…田舎のおばあちゃんの家は黒い電話でした。」
「そのもっともっと前は?」
「……あ!」
「なに?」
「トトロに出てきたあれ!」
「壁かけ式で、受話器がラッパみたいで…。あの受話器をhang upするんですね!」
そう!そのとおり。
昔の風景が見えてきた? 言葉の中にはその時々の風景がある。
その風景を見ながら、その言葉を語っていた人たちがいたのよ。
その人たちはもういない。
私たちだっていつか必ずここからいなくなって、昔の人になる。
私たちの見た景色をこめた言葉を遺して。
そのとき、未来のひとたちが「車を『ウンテンする』って意味わかんない」って言いながらただ暗記していたら寂しくない?
あっちから「そうじゃなくって、それはねえ!」って説明したくならない?
霊界交信よりおすすめなのは、語源をしっかり説明している辞書をもつこと。 通翻訳を学びたかったら「ジーニアス」もG3やG4ではなくて「ジーニアス英和大辞典」にすること。
辞書に載っている訳語に甘んじていては自由なプロにはなれない。
アマは辞書にある訳語を使う。プロは訳語を創る。 ひとりよがりにならないためには語源が不可欠。 言葉は文化遺産だからね。
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