私の通訳、日本語の根っこはあのひと

通訳は日本語のセンスも大事。

でも、通訳にありがちなのが
「しかしながら~しましたけれども、え~、~なわけであります。」調。
ひとりで自然に話したらそんな話し方しない。
そもそも講師はそんな話し方をしていない!

さあ、どうやって日本語を磨きましょ?

まず、「通訳」という結果、成果に縛られないことです。
だいたい通訳のための日本語なんてありません。

通訳道場では私の通訳録音をお聞きいただくこともしばしば。
たとえば、ある合奏ワークショップの録音は…
講師 ”You were so together and beautiful.”
私の通訳「みなさんひとつになって、きれいで…。」

参加者のNさんがすぐに声を挙げました。
「きれい『でした』『です』ってつけなくてもいいんですね!」

そう。毎回「です、ます、でした、ました」ではリズムがだれるんです。
キーワードの余韻がぼけてしまう。

でも、これって後からつけた説明。現場での私はもっと直観的、反射的。
それはどこから来るのかというと…

間違いなく、根のひとつが太宰治。

出会いは14歳の時でした。

あのリズムと疾走感に虜になった私は、学校図書館の全集を毎日1巻ずつ読破。
夜通し沈黙のまま音に溺れ続けたのです。一晩ですごい量を読んだものです。
あの感覚はその後に出会ったどんな読み方とも違う。速読とも違います…
なんだったんでしょう。

旧仮名遣いと旧字体漢字が10代の私にはデフォルトでした。
旧仮名遣いと旧字体漢字が10代の私にはデフォルトでした。

おまけにミーハーですから…
太宰のすべてを知りたい、写真も一つ残らず見たい…。
(今でも太宰の写真はいつ頃どこで撮ったものかわかります。)
玉川上水の底で抱き合いながら、揺れる水面にぼやける世間をわらってやりましょ、
なんて妄想しました。

ああ、なんて14歳。あのころに使い切ってしまっていたわけだ…

ともかく津軽と三鷹は憧れの聖地となりました。

こうなると、もう作品を対象として読んでいるとはいえません。
ただ作品の向こうにいるはずの太宰に逢いたかっただけなのです。
逢えないから、残された作品がよほど染みたのです。

太宰の作品は、書いてはあるけれど、ただの書き言葉ではなく
話し言葉のようでもあり、でも、ただの話し言葉ではなく…
黄昏どきや夜明け前のような翳りがあって…。

はじめて訪れた津軽はねぶた祭りの真っ最中。
太宰の翳りが「みちのく」のものであることを肌で感じました。

「文末は『です・ます』でなくてもよい」
ちょっと覚えておくと便利ですけど、ルールとは思わないでね。
あくまで私の根っこから育った一枚の葉っぱ。

あなたも自分の日本語の根っこをじっくり辿ってくださいね。
根っこがない?そんなわけない。
今から植える?太宰全集お貸ししましょうか。

高校2年の頃、やっと全集を毎月1巻ずつ買いそろえました。
高校2年の頃、やっと全集を毎月1巻ずつ買いそろえました。

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