お手本の英語音声よりこだわって欲しいのは…

留学帰りのもと同級生の英語を聴いておおっ!と思ったことはありませんか。発音が見違えるようにかっこよくなったのに、本人はなんともないような顔。そう、あれはかっこよくなったというより自然になったのです。だから楽。それが耳、カラダのなせるわざ。 

あれれ?日本で日々刻苦勉励したのに…どうも…それはあなたの認知力の問題ではありません。日本にいる限り、物理環境から生理的影響をうけます。それをアタマでカバーしようとする人もいますが、I am much too lazy to do so. Let Nature be your teacher.

ではどうしましょう。 

自分の声を聴くことです。「お客様の声」というように、声はひとの心、ひととなりそのもの。声は身体という楽器を通して響きます。頭と口だけの舌先三寸は「まこと/真言」でない。

着替えることも、人と取り換えることもできない、アイデンティティそのものである声。

人は自分の声がとても気になるのです。

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以前も紹介しましたが、イギリスのコリン・レイン博士は元聾学校の先生。聾のある生徒たちの観察から、通常学級の子どもたちにも通用するシステムを70年代に作り上げました。

そのシステムではお手本をリピートするだけではなく、リピートした自分の声を録音、聴き、気に入るまで聴いて録りなおすのです。相手は機械ですから何度繰り返しても文句を言いません。自分で素敵、と思えたら先にすすみます。終わるころには皆ご機嫌です。そりゃそうでしょう。

これがセルフモニターの力。単独アクティブラーニングです。単独、が大事です。

最近、面白い論文を見つけました。ボローニャ大学心理学部のカンディーニ教授グループが自分の声への認知を研究したものです。

実験はシンプル。同じフレーズを自分の声+親しい人の声or知らない人の声で続けて聞きます。問いを2パターン用意します。「二つとも自分ですか?」「二つとも同じですか?」

後者の方が答えの精度が高いのだそうです。他者の声を、そうとわからないまま「自分かも?」とアタマで考え出すと混乱するのですね。

レイン先生の調査レポート集。
レイン先生の調査レポート集。

レイン先生だったらこの録音を聴いている被験者の唇に注目したことでしょう。人間は自分の声を聴いているときは、おのずと唇がわずかに動くことが多いそうです。カラダはわかっているんですよ。

録音はスマホでもICレコーダーでもできます。語学専用機器で少しずつリピートしては録音、を繰り返すならこちらがおすすめです。エデック社のSDリピーター。とにかく堅牢で、気が散りません。FBなんか見られません。ワンツール、ワンミッションです。

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録音が目的ではありませんから、リアルタイムでセルフモニターできるとなお便利。握りこぶしを口に近づけてマイク代わりにしてもよいでしょう。帽子をかぶってもいいですね。英語子音の高周波をサポートできるツールはなおよいです。

人間は自分が発する声と言葉がとても気になるのです。「間違ってもいいから言ってごらん」なんて不自然で失礼。だいたい、間違っているかどうかなんてわかりません。 

まず憧れるに足るモデルでべらぼうにインプット、そしてべらぼうに模倣を。

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もうクリスマス?!いえいえまだ。

えーっ!こないだハロウィンだと思ったのにもうクリスマス。なんてこと、あっという間でいやになっちゃう…

いつからこんな風になったのでしょう。

もともとクリスマスはひたすら待ち遠しいもの。いつ生まれるともしれないメシアを待ち続けたユダヤの人々にとって。冬の暗闇のなか、春を待ちこがれたヨーロッパの人々にとって。

のちにクリスマスに先立つ4週間をアドヴェント “Advent”と呼ぶようになりました。アドヴェントリースのろうそくは1週ごとに火を灯していきます。おのずとクリスマスの日曜に4本すべてが灯るのを思い浮かべずにはいられません。

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さて、ADVENTはラテン語由来。ラテン語は偏と旁にわけると絵姿、しぐさが現れます。

AD「~に近づいて」+VENT「来る、行く」

メシアが「こちらに近づいてくる」のを想う時、ということです。かつては祈りと断食で身を浄めて過ごしたそうです。レストランを予約し損ねた諸君、今年はこの手でいきたまえ。

何が何に近づくかによって意味も変わります。冒険のadventureなら「未体験のこと」に「近づいていく」でしょう。

クリスマスを待つイギリス中西部、チェスターの古い街並み。2011年撮影
クリスマスを待つイギリス中西部、チェスターの古い街並み。2011年撮影

今年は11月27日から始まっています。この日、私は大好きな人たちと素敵なEVENT=E「外へ」+「来る、行く」を共にしていました。いやいや、寒空の下、お出かけしたわけではありません。内なるイメージを「外に」「出す」=イベントを催すってそういうことですね。それぞれが内的に一歩踏み出しあって、素敵な出会いが生まれたことを感謝しています。

さて、お楽しみはこれからだ。

ラテン語を知っていると語彙が激増するのは当たり前、単語の絵姿が見えるようになり、訳語がクリエイティブになります。だから、野暮な訳をしておいて「辞書に書いてありました」なんて自縄自縛はただのサボり。通訳道場では許しません。自由を無駄にしてはいかん!

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オバマ大統領、広島演説の源流は

トランプ次期米大統領の動向が相変わらず毎日ニュースになります。

でも半年前の話題を覚えていますか?

2016年5月27日、オバマ大統領が広島を訪問、演説したのです。このときの演説、日本ではもっぱら「謝罪」するのかしないのかが話題になりました。でもそれだけにこだわると、この演説を誤解することになりかねません。

広島で呼びかけるオバマ大統領
広島で呼びかけるオバマ大統領

 

広島演説はこう始まります。

“Seventy-one years ago, on a bright cloudless….”
「71年前、晴れ渡った雲一つない…」

これにはリンカーンのゲティスバーグ演説の出だしを思い出します。

“Four score and seven years ago, our fathers…”
「4世代と7年前(87年前)われらが父祖は…」

さらにゲティスバーグを思い出させるフレーズは続きます。

“Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed ….We come to mourn the dead…
「なぜ私たちはこうしてここ広島にやって来るのでしょう?私たちがここに来るのは思いをはせるため。あの恐ろしい力が解き放たれ…私たちがここに来るのは死者を悼むため…」

ゲティスバーグでは

“We have come to dedicate a portion of that battle field as a final resting place…“
「私たちがここに来たのは、その戦場の一片を最後の憩いの場としてささげるため…」

ついに、こんなフレーズも。これはリンカーンも引用した独立宣言の一部ですね。

“My own nation’s story began with simple words: All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.”
「私の国の物語の始まりはシンプルな言葉でした。『すべての人は等しく創られ、奪い分かつことのできない権利、生命、自由、幸福を求めることを創造者に賦与れている。』

独立宣言、ゲティスバーグ演説と重ねて広島演説を聴くと、その特徴が浮かび上がってきます。

  • 現代の暴力の淵源を人間の心の暗闇に求めている点。
  • 一部のエリート層に訴えるのではなく、ひとりひとりの個人に語り掛けている点。

もう国家対国家のわかりやすい戦争の時代は終わったこと(まだあるけど)を思います。

さて、そもそも演説の目的ってなんでしょう?

私は、「聴衆にある行動を共に起こすよう促すこと」と捉えています。

そのために、過去、未来、近く、遠くに文脈を広げ、時には死者とのつながりを示し、とるべき行動に普遍的な価値を与えるのです。敵の悪口など言いません。

英語のスピーチコンテストがイタイのは、この点を知らずに「お年寄りに優しくしよう」「いじめはいけない」のような当然のことを個人の所感として語ってしまうからです。所感報告会ならいいんですけどね。

スピーカーが加害者、聴衆が被害者という場面で演説することには違和感を覚えます。

演説が謝罪に適した表現方法なら、世の中演説だらけになります。

「宿題をやらなかった。」

「収集日の前日にごみを出した。」

「間違っていたおつりを返さなかった。」

「バス待ちの列に横入りした。」

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日本をふりかえると心もとない気持ちがします。

明治維新以降の短い一応議会政治のなかで、私たちはどんな演説を「レガシー」として手にしているのでしょうか。

英語演説には文化遺産のような「型」がある。

日本の武道にも完成された「型」がある。

さて、日本の演説には?

通訳道場 横浜CATSでは今日ここに書いたようなことも踏まえて通訳練習しています。 通訳は特殊な技能…と思われがちですが、実は人間の聴く、話す、考えるの根本を鍛える総合科目。特殊でない部分のほうがよほど大事です。 詳細はこちらです

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【レガシーlegacy=遺産】はもともと勘違い?

このごろよく耳にするフレーズ、「オリンピックのレガシー」

確かにロンドンオリンピックでもさかんに言ってました。当時のロンドン市長、ボリス・ジョンソン氏も競技場は大事なレガシーだ、室内スキー場にしようと言っていたけど、どうしたのかしら。最近おとなしいですね。

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米大統領選のおかげでご無沙汰な印象。

 

レガシー=後世に渡すに足る財産という意味のようですが、これ、もともとそういう意味ではなかったようです!

legacylegatus=遣わされた者、大使、公司というラテン語がもと。ところがこれに似ているlegantia=遺産というアングロラテン語とごっちゃになったというのです。

混乱はここで止まらず…

leg-といえばlegal, legitimate, loyalのようにlex=法を連想します(Regal, RoyalRex=王様由来です)。Oxford Word Originslegacylex由来としていますが、同じOxfordでも Elementary Latin Dictionaryは別としています。明言できません。

こういうことを一生探求している人もいるんですねえ。 

まるで役に立たない話になってきましたので、ちょっと面白いフレーズを。

  • legacy-hunter 遺産目当ての求婚者
  • legacy duty 相続税

いろいろお持ちの方も大変。

おあとがよろしいようで。

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私がヴァイオリンを手放さないのは…

実は私、ヴァイオリンを習っています。

万年初心者で近所迷惑、人前で弾く気はさらさらございません。
でも無駄と思ったことはないし、一生手放さないと思ってます。

なぜ?

「できてない」をつきつけてくれるから。
できてないのに「できた気に」なんて決してさせてくれないから。

本当に厳しい。鏡より厳しい。楽しい瞬間なんてめったにない。
でも、ちゃちな楽しさが欲しいなら他にある。もっと大事なことがある。

いい歳をして飽きもせず赤ん坊の歩く練習のようなフレーズを弾いています。

これ全部弾くんじゃないんですよ。1小節を何度も何度も、パターンを替えながら…
これ全部弾くんじゃないんですよ。1小節を何度も何度も、パターンを替えながら…

感情のままにわ~っと歌いたい気分のとき、こういうフレーズは本当にイライラするし情けない。

でも何度も繰り返すと、なんだか不思議な「目覚めた瞑想」状態になっていることがあるのです。頭と心は空っぽ、耳と身体だけが動いているような…これがたまりません。やるべきことが沢山あるのにどれにも手を付ける気がしないときは、まずこの練習です。なんか頭がすっきりするんです。

もう「シンプルアレンジで憧れのあのメロディーが弾けます」みたいな楽譜には手を出す気がしません。それ、別物ですから。

楽器との出会いは15のとき。まあいろいろあってやっと先生に出会えたのは28のとき。その間の14年はただ苦しかった。弾けていないのがわかっていたから。楽器にも申し訳なかった。

「弾けば弾くほど下手になる」
「こんなもんじゃない」
「弾ける人が体得している筋がある。私にはそれがない。」
「筋は人から学ぶもの」

ずっとそう感じてはいたのです。

限りなく優しい先生は赤ちゃんの一歩もゆるがせにせず、「弾いてるつもりごっこ」を決して許されない。先生には本当に感謝しています。

あ、これ、私が師と定める先生たちの共通点…!

私も通訳・翻訳の先生としてこの列に連なろうとしている(つもり?)

ごめんね、いいとこ無理やり見つけてほめたりしないよ。私がそれをやると気持ち悪いみたいだし。励ます、受け入れる、ってそんなインスタントなことじゃないだろうしね。

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アタマに自信はないけれど、英語らしい発音で話したい方へ

おめでとうございます。あなたはきっと大丈夫。

語彙や文法に自信はなくても、ちょっと話すと周りが「おっ」と反応するでしょう?話せる、と思われることがあるでしょう?私もそのタイプです。

音は人間の小賢しいアタマ(認知)の産物ではありません。その証拠に、アタマを使って発音をよくしようという試みは…やらないよりましですが、大したことにはなりません。

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「説明」は「アタマ」へのアプローチ。カラダがもったいない…

「口角を前に…」
「口を縦に使って…」
「上唇も使って…」
「手鏡で自分の口を確認して…」
みなアタマでコントロールしようとしています。不可能ではないし、やらないよりはましですけどね。(できるようになってもいまひとつ不自然なんです。)

 

発音記号にも限界があります。口から出てきた「音」は記してあるけれど、音の一瞬前の「息」の違いは書かれていません。birdもburnもeが逆さまになったような同じ記号が書いてあるでしょう?
本当は違うのですよ。
耳に任せれば、聴き分けて言い分けられるようになります。
私たちのカラダはアタマより頭がいいのです。
英語学習でカラダに相当するのが「耳」です。自然な英語習得にはとにかくネイティブの自然な=高周波の子音が自然に含まれている語りをべらぼうに聴くこと。
とはいっても3か月以内にたった100時間程度ですが。
別に素材は政治や経済、ニュースを選ぶことはありません。確かに必要なときもあるでしょう。むしろ「感情」が動く素材をおすすめします。映画でもドラマでも結構です。私はDead Poets Societyが好きで好きで、この27年見続けて、とうとう映画まるごと頭の中にインストールしてしまいました。
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憎まれ役の校長のスピーチまで知らないうちに覚えてる!!

 

さて、聴きながらスクリプトを読んだり、日本語の本を読んだりして視覚で耳の邪魔をしてはいけません。聞き流しが失敗する理由のひとつはコレです。「ながら学習」のつもりで目を使って別のことをしていませんか?現代人は視覚入力優先。せっかくの聴覚入力が干渉されます。
 
さて、100時間を終えると…感覚が変わっているはずです。ちょうど留学した人たちがい「いきなり聞こえるようになった」というタイミングです。
少し前の見方ですが、浜松医科大元教授の植村研一先生は、このときウェルニッケ野に英語中枢が分化していることをつきとめました。英語を日本語に置き換えることなく聞けている状態です。Well, I believe…と出だしを聴いただけで、この文の長さ、軌跡が「予測」できるようになります。語り手の感情も瞬時に感じられます。
「予測」ができない状態で「リスニング」をテストのために勉強するのも、
「スピーキング」のために頭の中で英作文するのも、そもそも無茶で無駄の多いやり方です。
記憶は予測を生み、予測は記憶を容易にする。
記憶は予測を生み、予測は記憶を容易にする。
さて、人間は聴き取った音を反射的、無意識的に再生できるように作られています。これを耳声ループといいます。このループに小賢しいアタマが入る余地はありません。
とはいえ…日本にいれば湿った空気のなかで日本語を聴き、話す時間が長い。聴き取れた英語をそのまま口で再生するにはハンデがあります。
次回、この環境・生理的ハンデとうまくつきあうコツをご紹介します。
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通訳トレーニングにいいタイミングは?

通訳養成は30歳まで?帰国子女でないと無理?

違いますね。年齢や海外在住歴よりも大切なのは精神状態。

おすすめは大失恋直後。

だめだこりゃ。
だめだこりゃ。

大失恋直後ってどうしようもないでしょう?もう戻ってくるはずのない人のことばかり四六時中考えちゃって。つきあっていたころより、よっぽど考えちゃう。あのときああすればよかった、こうすればよかったって。まだ戻って来るはず、と思いたいのでしょう?戻ってこないけどね。

でももう戻らない彼の姿、声、ありもしない会話を止めるにも強さが要りますよね。その強さもないんでしょう?

それってあなたは今この時に生きていないっていうことですよね。
過去に生きているということですよね。

いつまで過去に生きているつもり?

通訳訓練はどうしようもないエンドレステープをピタッと止めて、あなたを今に引き戻します。

通訳の仕事の8割は聴くこと、準備すること。
通訳の仕事の8割は聴くこと、準備すること。

通訳で大切なのはひたすら聴くこと。そしてひたすら準備すること。

listen to reply(聴きながらなんか言ってやろうと思っている)ー普段の会話
listen to understand
(聴いて理解しようとする)ーリスニングのおべんきょー。
listen to interpret(通訳するために聴く)ー通訳の聴き方

ただ無心、無私に聴かないとプロの通訳なんてできないよ。(関係者アマチュア訳はこのレベルではない)

目の前にいる他者に耳をすませる=今に生きる。

東京のある学校をやめることになって、私の頭のなかはエンドレステープがぐるぐる。藁をもすがる思いで駆け込んだNHKの国際研修室。通訳素材は子ブッシュさんの演説でした。個人的にはまったく賛成できない考えの持ち主だけど、通訳としてlisten to interpretしたときのさわやかさは驚きでした。分厚い雨雲が一瞬で晴れたよう。批判の声どころか、エンドレステープまで止まってくれた。

繰り返しになりますが、ぼろぼろの私がNHKの扉を叩いたのは大失恋がきっかけではありません。残念ながら恋愛相談は専門ではございませんので、ご遠慮申し上げます。ただし、かかり稽古のような通訳養成でさっぱりなさりたい方はご遠慮なくご連絡ください。こちらも遠慮しません。

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日本人だからカタカナ英語でいい、なんてもったいない。

カタカナといっても「堀った芋いじるな」は面白い。これは耳に聞こえた音優先で大賛成。でも「ワットタイムイズイットナウ?」には反対です。これは「aはア」というふうに目で置き換えただけのこと。

そもそも音は身体の領域。国籍や民族のように人の頭が拵えたことで線を引く必要はありません。

とはいえ「どうも聞き流しではだめ…壁がある気がする…」という感覚もあるでしょう?その壁の正体を明らかにするため、 翻訳紹介ではなく、3回ほどストレートに書きます。

音声はとても人間が頭で拵えられるものではありません。ひとの身体は楽器、郷土は音楽堂。ひとびとの身体はホールと楽器が響きやすい音を選んでふるさとの言葉を織り上げます。

イギリスは石灰岩が多く、ことに夏は湿度も低く、建物は石造り。高周波が気持ちよく響きます。おのずとs,k,tなどの子音の立ち上がりが高周波豊かでクリアーになります。

27年前にわざわざ17万も払って日本の田舎からイギリスの田舎へ。田舎だから空気の違いを体感!
さて、私はどこだ? 27年前にわざわざ17万も払って日本の田舎からイギリスの田舎へ。田舎だから空気の違いを体感!

 

ところが日本は障子に畳、田んぼには水が張ってってあるし、しめっぽい。ここでイギリスのようなs,k,tは疲れます。でも母音がやわらかく豊かに響きます。最近の若い方ははテッキンコンクリートのマンションで洋楽聞いてお育ちなので、日本語の周波数が変わっている感じはします。まあ、都会の生活はどこでもそうかもしれませんねえ。

母音はどの言語にもありますし、周波数もほぼ共通しています。

ところが違うのが子音の高周波。

言語は風土と人体のコラボ。
言語は風土と人体のコラボ。

子音が意味の決め手です。ごらんください。
「かい」「かき」「かし」「かち」「かに」「かみ」
can, fan, gan, man, pan, ran, tan, van…

子音があいまいだとわからなくなるでしょう?

楽器でも同じことが起こるのですよ。 みなさん、ギターの音、フルートの音、聞き分けられると思っておいででしょう? でも、音の出だし、アタックの部分をカットしてしまうと、なんの楽器だかわからなくなるそうです。

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それぞれの楽器の出だしの音がなかったら…全部同じ!

 

さて、さまざまな言語の子音がきこえるようになるには…頭ではなく体に任せることです。心が喜ぶ好きな素材を通して。 次回はそのお話を。

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アメリカ大統領選、演説の原点ー”people”のジレンマ

アメリカ大統領選、今年は嫌われ者どうしの罵り合いで少々興ざめです。

これまでは大統領候補者の演説、テレビ討論会ともなれば、通訳学校の先生も腕の見せどころ、と張り切って授業で取り上げたものなのに…

そこで通訳道場 横浜CATでは誰もが知っている、知らなければ恥ずかしい原点に戻っています。

つまり…リンカーン大統領のゲティスバーグ演説。この演説は南北戦争の最中に国立墓地封建に際してなされたもの。あの有名な「人民の、人民による、人民のための」が含まれています。

 

 

この演説、検定外教科書、Progress in English 21のBook5、高2向けにちゃんと載っています。

プログレスbook5で高2のとき出会った演説。クラシックってこういうこと。
プログレスbook5で高2のとき出会った演説。クラシックってこういうこと。

さて、通訳道場ですから読んでいるだけではありません。当然全部暗誦、リンカーン役を交代しながら互いに通訳です。 (演説はこちら)

これ、読めば読むほどうなってしまいます。

とにかくリンカーンの視野が大きい。

自分たちは人類史上どうしても必要なことをしているんだ、自由に立脚する民主主義国家が存在しうるかどうか試しているんだ、てなことをおっしゃいます。(we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and dedicated can long endure.)

だから北軍、南軍、アメリカ、なんていうローカルな喧嘩を思わせる固有名詞は一つも出てこない。

この演説を一度聞いて「すごい」と感動できた聴衆も偉い。言葉選び、レトリックも凝っています。

トランプさんは文法レベル小6以下、ヒラリーさんは中1程度だそうで…TV,大衆化、という事情を考えても、どうも別世界です。

さて、終盤。

…that we here highly resolve
that these dead shall not have died in vain;
that this nation under God, shall have a new birth of freedom;
「つまり、私たちがここでしかと心に決めることです。
この方たちの死は犬死になどにならないことを。
この国が神のもとに、新たなる自由の誕生を見ることを」

shallは神の意志により成ることを表します。最近あまり聞かないわけで。willは神以外の主体です。主語やら状況やら。)

暗誦するとフィナーレの直前で熱い思いがこみあげます。そしていよいよ…

and that government of the people, by the people, for the people
shall not perish from the earth.

ここでpeopleを「人民」と訳すことに私は一抹の違和感を引きずっています。
たしかにpeople’s republicなんて国は日本海の向こうの大陸、半島にもあります。
人民共和国です。実態はどうであれ。 

皆さん、「民」という字の由来をご存知ですか。

草の根の、手塩にかけた暮らしを大切にするイメージがありますよね。

でも、もともとこの字は片目を針で刺して、奴隷として
臣、官のもとで働かされる自由と縁遠い人々を表しています。 

民は片目をつぶした奴隷。
民は片目をつぶした奴隷。漢字の音符さんより

一方、peopleはもとより、元であるラテン語のpopulusにはそのような
ニュアンスはありません。

 よく思うのですよ。日本人は政府をいまだ幕府と思っていると。

英和辞典でgovernmentなんてひくと「お上」なんて出てきます。 

水平移動のように遠い外国の文言を日本語にとりいれるとき、
垂直に伝わってきた日本の言葉がぴったり合わないこともあるんです。

通翻訳のプロにはセンチネルの緊張感が必要。

空間、時間を超えて言葉を見つけなければ。創らねば。

昨日買ったばかりの辞書の少なくとも百年前と百年後を思いましょう。 

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「スカーボロ・フェア」歌い手は何を願う?―深読み③ 

スカーボロ・フェアにかぶせられた「Canticle/聖歌」。よくある賛美歌とは趣が違います。

ちょうど季節は秋から冬に向かう今頃でしょうか。薄雪の上に小鳥の足跡が残るころ。

On the side of a hill in the deep forest green
Tracing of sparrow on snow-crested brown
Blankets and bedclothes the child of the mountain
Sleeps unaware of the clarion call
丘の斜面は 深い緑の森のなか
雀の足跡 雪化粧した茶色の地に
毛布に敷布 山の子は
眠って気付かぬ 呼び出し喇叭

山の子が眠る、ときくと干し草のベッドですやすや眠るハイジを思いだします。

でもこの「山の子」、なんだかハイジとは違います。呼び出し喇叭にも目覚めないのはなぜ?この緑の森や、薄雪をかぶった落ち葉がこの子の寝具だとしたら…

その眠りは永遠のもの。この子はもう自然とひとつに還っているのでは。

薄雪におおわれた土の中は…

 

On the side of a hill in the sprinkling of leaves
Washes the grave with silvery tears
A soldier cleans and polishes a gun
Sleeps unaware of the clarion call 

War bellows blazing in scarlet battalions
Generals order their soldiers to kill
And to fight for a cause they have long ago forgotten

丘の斜面に 木の葉舞い散り
洗うよ お墓を 銀のなみだで
兵卒ひとり、銃を磨く
眠って気付かぬ 呼び出し喇叭 

戦火は猛る 緋色の大隊
大将らは兵卒に命じる、殺せ
戦えと、とうに忘れた大義のために

兵卒は道具を自分で磨いても自由に使うことはできません。大将の「殺せ、戦え」という命令に従うよりありあせん。

理由なんてめちゃくちゃでも。

「聖歌」が「スカーボロ・フェア」に重なると、歌い手が戦場に向かう兵士に見えてきます。

縫い目も刺繍もいらないシャツは帷子、海辺の土地は永遠の眠りにつく場、ヘザーは慰めの供物…。

どうも愛する人に自分の弔いの準備を頼んでいるように聞こえてならないのです。

理不尽にも彼岸と此岸に分かれたとしても想いあっていたい、と歌っているような気がするのです。

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詩や歌の象徴表現は、もとの言葉に忠実に読んでいるつもりでも、その時々でいろいろな景色を見せてくれます。

この歌から弔いのモチーフが浮かび上がってきたのは18年前のこと。ひとまわり以上若いひとたちを続けて見送りました。彼女らの友人たちとただ黙って何度もこの歌を聴いたのでした。

今になって、論理とは違う世界、答えない世界にじっくり付き合うことの大切さを実感します。

通訳の仕事は時間との勝負。やり直しがききません。前に進むしかない。うっかりするとやりっぱなしで逃げる癖がつく。

だから時間のあるときにじっくり詩を読んだり、翻訳したりするんです。

通訳道場 横浜CAT 第2期もやります。

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