オバマ大統領、広島演説の源流は

トランプ次期米大統領の動向が相変わらず毎日ニュースになります。

でも半年前の話題を覚えていますか?

2016年5月27日、オバマ大統領が広島を訪問、演説したのです。このときの演説、日本ではもっぱら「謝罪」するのかしないのかが話題になりました。でもそれだけにこだわると、この演説を誤解することになりかねません。

広島で呼びかけるオバマ大統領
広島で呼びかけるオバマ大統領

 

広島演説はこう始まります。

“Seventy-one years ago, on a bright cloudless….”
「71年前、晴れ渡った雲一つない…」

これにはリンカーンのゲティスバーグ演説の出だしを思い出します。

“Four score and seven years ago, our fathers…”
「4世代と7年前(87年前)われらが父祖は…」

さらにゲティスバーグを思い出させるフレーズは続きます。

“Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed ….We come to mourn the dead…
「なぜ私たちはこうしてここ広島にやって来るのでしょう?私たちがここに来るのは思いをはせるため。あの恐ろしい力が解き放たれ…私たちがここに来るのは死者を悼むため…」

ゲティスバーグでは

“We have come to dedicate a portion of that battle field as a final resting place…“
「私たちがここに来たのは、その戦場の一片を最後の憩いの場としてささげるため…」

ついに、こんなフレーズも。これはリンカーンも引用した独立宣言の一部ですね。

“My own nation’s story began with simple words: All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.”
「私の国の物語の始まりはシンプルな言葉でした。『すべての人は等しく創られ、奪い分かつことのできない権利、生命、自由、幸福を求めることを創造者に賦与れている。』

独立宣言、ゲティスバーグ演説と重ねて広島演説を聴くと、その特徴が浮かび上がってきます。

  • 現代の暴力の淵源を人間の心の暗闇に求めている点。
  • 一部のエリート層に訴えるのではなく、ひとりひとりの個人に語り掛けている点。

もう国家対国家のわかりやすい戦争の時代は終わったこと(まだあるけど)を思います。

さて、そもそも演説の目的ってなんでしょう?

私は、「聴衆にある行動を共に起こすよう促すこと」と捉えています。

そのために、過去、未来、近く、遠くに文脈を広げ、時には死者とのつながりを示し、とるべき行動に普遍的な価値を与えるのです。敵の悪口など言いません。

英語のスピーチコンテストがイタイのは、この点を知らずに「お年寄りに優しくしよう」「いじめはいけない」のような当然のことを個人の所感として語ってしまうからです。所感報告会ならいいんですけどね。

スピーカーが加害者、聴衆が被害者という場面で演説することには違和感を覚えます。

演説が謝罪に適した表現方法なら、世の中演説だらけになります。

「宿題をやらなかった。」

「収集日の前日にごみを出した。」

「間違っていたおつりを返さなかった。」

「バス待ちの列に横入りした。」

enzetu

日本をふりかえると心もとない気持ちがします。

明治維新以降の短い一応議会政治のなかで、私たちはどんな演説を「レガシー」として手にしているのでしょうか。

英語演説には文化遺産のような「型」がある。

日本の武道にも完成された「型」がある。

さて、日本の演説には?

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