堂々巡りの話し合い、あの方はいましたか?

 教師、保護者みんなでつくるというシュタイナー教育。トップダウンの園長・校長はいない。お仕着せのPTAもない。…と喜んで子どもを通わせているはずの友人が浮かない顔。

「こんなに話し合いに時間がかかるなんて…」
「いつも発言する人が決まってる…」
「結局教師の発言が尊重されて…」

私はその場にいなかったので何とも言えません。でも気になる。その話し合いにあの方はいたのかしら。あの方?噂の●ちゃんママ?いえいえ、違います!

それに「みんなでつくる」って?

まさか、一人ずつ順番に誰もがすべてのことに発言し、等しく重んじられるということ?

まさか、お金アレルギーのある理事がイベントの参加費を下げようとしたり…
保護者が授業内容をはじめから色眼鏡で見て批判したり…
教員が生徒の家庭生活を批判したり…
これらを真に受けて互いに釈明したり…
みんなでチラシデザインうんぬんしたり…

それはたいへんだ。

会議で大事なのは「自分の役割」をよりよく分担するために他者の事情に耳をすませること。「ああ、そちらがそういう事情なら、私はこうしよう。」と自分の行動を修整、確認する。あちら立てればこちらが立たぬ、のときは議論する。

会議が不思議に速い学校があります。ファシリの工夫だけじゃない。もっと深い理由があります。

ここからは「ついていけない」という方がいらしてもごもっとも。どうぞご無理なさらず…

参加者は自分たちだけだと思っていませんでしたか。
自分たちだけで正解を決めようとしてはいませんでしたか。

そこにあの方―大いなる存在―はいましたか。

あなたの心の中に大いなる存在はいましたか。

会議が速い学校はなぜかキリスト教の学校でした。誰もが自分の意見の不完全さをわきまえていた。あの大いなる存在ならどう考えるだろうと思いめぐらしていた。人の話に耳をすませる余裕があった。実は早く帰って夕飯にしたかった!(もしかしたらいい加減だった!)

「その方」の名前は神様でも仏様でも、宇宙でも宇宙人様でも結構。(「自分たちを俯瞰する視点、スペース」だっていい。)シュタイナー様はやめたほうがいいと思います。ご本人様に迷惑です。オシラサマもちょっとねえ。

 For where two or three gather in my name, there am I with them.”
Matthew 18:20) New International Version (NIV)

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書 1820節)

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