73回目の終戦記念日。終戦時に生まれた子どもたちがもう73歳ということ。
各地で太平洋戦争体験者の語りに若い世代が直接耳をすませる集いが開かれたようです。
太平洋戦争体験者がすべて鬼籍に入るのももう時間の問題。
じかに声を聴ける機会は貴重です。
でもね、ちょっと物足りなく感じることがあるのです。
広島の子どもたちは広島の被爆者の戦災被害継承者。
長崎の子どもたちは長崎の被爆者の戦災被害継承者。
横浜の子どもたちは横浜大空襲の戦争被害継承者。
東京の子どもたちは東京大空襲の戦災被害継承者。
横浜から学校研修で広島を訪れる中高生もちょっと外様な広島継承者。
アジアに対しては日本の子どもすべてが加害責任継承者。
こういう認識も出発点としてはアリでしょう。
でも、こればかりではねえ。
あっちこっちで被害者と加害者のお面をつけかえていてもしょうがないでしょう。
戦争を振り返り、平和を誓う際にあたり、私にとって欠かせないのは
次の2つのことです。
「個々の立場を超えて相手に想像を働かせること。
遠い昔の出来事と本質的に通じる出来事を今日のどこかに見出すこと。」
変なことを大事にしているでしょう?
被害者には加害者の心境を思い、
加害者には被害者の心境を想えと言っているのですから。
戦争は73年前に終わったわけではなく、あのころと同じような
現象が世界中で続いている、と言っているのですから。
(私には、太平洋戦争の死者たちは自分たちのことばかり覚えていて
ほしがっているとは思えないのです。私がその一員だったら
「70年もたって、なんでシリアとか、ロヒンギャとか、同じような
ことになってんの?!学習しろよ。なんとかしろよ。」くらい言うなあ。)
被害者と加害者という立場を自分の意志で乗り越えなくてはなりません。
これは「戦争を始めたり終わらせたりする力」のない市民が戦争から
自由に生きるのに必須と考えています。