オバマ大統領広島演説⑥-シンボルを壊さないで

大統領演説はプロのスピーチライター集団と大統領本人が推敲を重ねたもの。少しずつ丁寧に「虫の目」で味わうと興味深いもの。でも長さも相当なので、つい「鳥の目」的な受け取り方をしがちです。メディアは競ってすぐに日本語訳を出さねばならないようで、ちょっとお気の毒です。(後日「虫の目」連載記事も可能なはずですが。)

さて今日のところもさすがです。「想像する」はあいまいに使い回されがちな言葉ですが、ここではリアリティがあります。「子どもたちが目にした光景」「声なき叫びに耳をすませる」など具体的に感覚を呼び起こしているのです。(これを某VAK理論だなどと浮かれるのはお門違い。あれはエセ科学です。)

【冠木同通】(原稿読み上げじゃありません。)

That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.

We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

さて、ここでも「あら?ゲティスバーグ演説みたい!」と思う部分があります。
ゲティスバーグでは…
「ここに集まったのはこの戦地の一片を終の憩いの地として奉献するため」=当初のタスク
「でも真の奉献は戦士たちがすでにやっている。我々の出る幕じゃない」=課題の提起
「我々がすべきことは…」=新たなタスク

オバマさんも…
「ここ広島に集まったのはいろいろ想像するため」=当初のタスク
「それだけじゃ声なき叫びに声を与えられない」=課題の提起
「責任を共有して行動を変えることが大切」=新たなタスク

これから英語スピーチコンテストに出る学生さんも参考にしてみてください?!

ハフポストさん、レトリックやシンボルに気づいていますか?

「私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。」(ハフポスト)

声は存在感そのものを象徴する語。せっかく「声なき叫び声」とはじめたのに、「言葉だけではこうした苦しみに「言葉に」表すことはできません。」で終わってはもったいない。それにこの訳では「馬から落馬して落っこちた」みたいに「言葉」が出過ぎです。「言葉に表す」ではなく素直に「声を与える」でよいのです。余計なことはしないに限ります。

産経さんも、「声」をいじっています。熟語を因数分解しすぎるとシンボルがくずれます。silent cryが「無言」になっています。ここでは「言葉」がないのではなく、「声」さえ聞こえない、存在が認識されていないのだと思いますが?give voiceが「苦しみを表す」と意訳されていて、声というシンボルが消えています。

「無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。

単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。」(産経)

スピーチは語られるもの。堅い書き言葉にすることはないと思います。

シンボルに気づく訳は直訳ではありません。レトリックとスタイルを大切に。
通訳はさかしらな「我」を抑え、すなおに受け止める訓練です。

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