オバマ大統領広島演説⑫-「我々」とは?

オバマ大統領広島演説、ライブ同通もいよいよ最後です。「空から死が堕ち…」と文学的に始まったこの演説。終盤は身近な生活の情景が続きました。さて、しめくくりは…

「我々が未来を選ぶ…」「我々の道徳的目覚めの始まり…」…「我々」が繰り返されます。

リンカーン大統領が地元北軍のゲティスバーグで「我々」と言えば、目の前にずらっと集まった北軍、味方の人々です。言わずもがな、「they あいつら」は南軍でしょう。

でもオバマ大統領の場合、地元どころではありません。広島です。目の前にいたのは米政府関係者ばかりではなく、日本政府、広島県議会関係者、被爆者の方たちです。演説はテレビで世界中に配信されます。こうやってネット上にいつまでも残ります。

どうもゲティスバーグとはだいぶ条件が違います。

そうなると…「我々」の範囲が無限に広がります。聴く人は、アメリカと日本、政治権力を持つ者と持たない者、といった区別を超えて「自分も呼びかけられている」と感じることでしょう。

なるほど、オバマさんの核廃絶への願いと、「謝罪はしない」という米国の方針を両立させる巧みさも感じます。

耳ざわりの良いことばかり言って、という批判も仕方ないかもしれません。

ただ、私が改めて思うのは、戦争に加害者も被害者もないということです。すべての国、人が加害者であり被害者だと思うのです。

ひとつひとつの事象について加害者、被害者を特定して謝罪、和解するのもよいでしょう。(国家間では加害・被害の特定が賠償をめぐるパワーゲームに意味をもつこともあるかもしれませんけど)。でもそうしているうちに次の悲劇が起きてしまうのでは、と思うのです。

なので、私はまず「自分も加害者となる可能性がある」という自覚に立つことにします。「道徳的目覚め」moral awakeningは「善を行おうという決心」のようなナイーブな話ではないでしょう。善をなすこともできるけれど、「とんでもないことをしでかすこともある」性質をまず正直に見つめることではないでしょうか。

そして、同じように加害者となる可能性を持ちつつ権力の座にある人々を注視し続けることにします。まあ、じろじろ見るだけでは足りないのだけれど。

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