その通訳が伝わらない理由

「違う!それは文化の違いじゃない。」カナダと日本のディスカッションを訪問し、振り返りに参加したときのことです。

カナダ側が「日本のみなさんは思いがけないところで他人事のような返事をする。」とこぼしました。日本人通訳者の方も「そうですね。日本人は変化に慎重ですからね。」と同調しています。

違うでしょ!

私はずっと気になっていました。私より一回りほど上らしいこの男性は、標準語書き言葉で話し、shouldをことごとく「べき」と訳していたのです。

たとえば、日本側が費用を理由に変更を渋った時、カナダ側が少々苛立ってIt shouldn’t be so expensive.と言いました。「そんなに高いはずがないでしょう・高いわけじゃないでしょう・高いはずがない」=そこはケチる所じゃないだろう!!!と感情チャージはフォルテッシモ。

その日本語訳が…「そのことはそれほど高価であるべきではありません。」

え?なんだその通訳口調は。どこの誰に言ってるの?何のことを?

日本側の返答はこうです。「まったく、おっしゃるとおりです。」

おいおい。生硬な通訳のせいで「日本人はにやにや同意していながらちっとも行動をとらない。わけがわからない。」という不満や誤解につながりかねません。

もし「そんなの高いわけがないだろ。」と伝わっていたら…

「高いとは言っていません。ただ、ほかにも緊急で費用が必要なところがあるんです。タイミングの違いです。優先順位はこっちで決めさせてもらいたいですね。」

「じゃ、いつごろ…」

こんなやり取りもありえたのでは、と思います。

「should=べき」のように単語を1対1対応させる昔の学校英文和訳は脇へ置きましょう。語は文脈のなかで色合い、ニュアンスが決まります。文脈を把握したうえで適切な訳語を選ぶのはAIでもなかなか苦労するところ。

音楽でいえば、同じ音高のオタマジャクシでも、フレーズによって響きが違うはずです。自動演奏が演奏家に適わないのはそこでしょう。

生人間、生きているうちにがんばりましょう。楽しみましょう。

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通訳者の仕事が加齢で劣化しないコツ

えっ!ビックリ。そんなこと考えたこともない。「通訳さんも年とともに仕事がつらそうで。」声の主はメディア関係の30代の男性。「私のこと?」「いえいえ!」

なんでもベテランの通訳さんを手配したものの、安心して任せることができなかったそう。何が気になったのでしょう?記憶力?理解力?訳語の選択?発声?持続時間?いろいろ聞いてみても首をひねるばかり。ああ、こんな専門的な訊き方をした私が悪い。どんな感じだったか話してもらいました。

「なんだか、よくわからないんですよ。たぶん、訳としては正しいのだけれど、伝わってこないんですよ。」

あ、わかった。

この青年、「劣化した」ベテランさんとのおつきあいはここ2年とのこと。ということは、彼女が30代の頃どんな仕事をしていたかは知る由もありません。だってまだ幼稚園生のはず。

もしかしたら、劣化、と言ってくれた彼の方が優しいかもしれません。

私はちょっと厳しいことを言います。でも、その方がこの先が明るいんです。

このベテランさん、はじめからその調子だったのだと思います。

ちょっと五線譜と演奏のたとえを使ってみます。

こりゃ老眼には厳しい…

昔は五線譜を読める人が珍しかった。だからおたじゃまくしの通りに歌えるだけで、周りはおーっとびっくりしてくれた。誰も曲想どころじゃなかった。

でもそのおたまじゃくし出力は作曲家の頭の中にあった音楽とは違いますよね。音楽の骸骨くらいかもしれないけれど。

英語も昔はそんな感じだったのでしょう。daisyが雛菊と化けるだけでおおーっと感心された。

でもね、今は「音楽表現、演奏」が求められているのです。「雛菊」といっても誰がどんな思いをこめて見ている雛菊なのか伝わって当たり前なのです。しょぼい安物の花なのか、ワーズワースが見ていた、けなげな努力を頑固に続ける花なのか。

時代が進んで、英語を使う人が増えたので仕事が高度になったわけではありません。

本来の姿が現れるだけのこと。

劣化ではなく、本来の姿に到達していないだけです。

本来、言語表現にも音楽と同じようにクレッシェンドやらスフォルツァンドやらスタッカートやら…いろいろな音楽記号がついています。

それを切り捨てておたまじゃくしだけ鳴らして良しとする権利は通訳者にはありません。音楽の世界では許されないことが、通訳の世界では許されるなんてことはありません。言語は音楽です。

じゃあどうしたら?という皆さん。老若にかかわらずおすすめがあります。

感情(曲想、音楽記号)をたっぷり含む英語映画、ドラマをよく聴いてインプット、シャドウイング、アテレコでアウトプットしてみましょう。

そして、日本語も磨くことです。標準語ならNHKの森田美由紀さん(チコちゃんのあのブラックなナレーション。20年前から彼女は通訳学校でも称賛されていました)。できれば振れ幅の広い話芸に耳をならしてください。なんといってもおすすめは落語です。

通訳道場では「外郎売の口上」まる暗誦が必須です。全員、クリアーしています。寿限無も加えようかしら。→【通訳道場★横浜CATS第5期】

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自分にありがとう?!

昨年度のある日、あろうことか、私はお気に入りのストーリーテリング本をテキストにしているクラスでとんだ読み間違いをしました。

こう見えたんです。”Have you ever said “thank you” to yourself?”

え?自分にありがとう?

びっくりして見直してもそう見えました。

あとで見直したらyourself じゃなくてyour beloved ones。おやおや。

それでも何か意味がある気がして、ちょっと試すことにしたのです。

「打ち合わせに余裕をもって登場したね、ありがとう。
「遅いから、お惣菜を買ったね。夕飯が余裕だ。ありがとう。」
「無理に楽器の練習をしなかった。ありがとう。」

そしたら…

「それも電車が順調だったおかげです。JRさん、ありがとう。」
「駅前のスーパーさん、ありがとう。昔は大変でした!」
「楽器さんはおとなしく待っていてくれるよね。ありがとう。」

ありがとうを独り占めする気がしなかったのです。あちこち紅白饅頭配る気持ちでした。

自分にありがとうって言うのは甘やかすのと違うよ。ありがとうは紅白饅頭みたいに広がっていく。蒸かしたてのまま。甘やかしはひとりじめ。

自分にありがとう、いくら言っても配っても、お饅頭と違ってタダです。どうぞご遠慮なく。

通訳道場★横浜CATS ご関心おありの方は個別にお目にかかります。

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通訳者も60歳を過ぎると劣化する?

「どうも60歳を過ぎると…」

通訳者探しでご苦労の長かった方に、60歳を過ぎると通訳者のパフォーマンスが落ちる、と伺いました。

なんでも、聴き落とし、訳し落としが多くなる。その訂正に頑固になる。

なるほど。

ちょっとここで気になったのは通訳のアタマの具合でなく、カラダ、特に耳の具合です。

人間は年齢と共に高周波音が聞きづらくなります。低周波の母豊かな日本語にはあまり響かないものの、特に高周波音が響きやすいイギリス(まあ、ほかの英語圏も多少)の英語の聴き取りに大いに影響します。

しかも、人間は聴きとれた音のみ再生し、その地域の共同体の一員として生きていくようにできている。聴き取りが鈍れば発音も不明瞭になる。

ずっと日本という低周波優先地帯で高周波優先の英語の仕事をしているのは耳と口に負担をかけ続けることなんです。

長年続ければなおさらのこと。

多少の不調は加齢でも老化、劣化でもなく、メンテナンスが必要ですよ、のサイン。日本でも英語らしく自然で美しい聴き取りと発音を維持するなら、こちらがおすすめです。

自然で美しい英語発音を自分の声で維持することもできるんですよ。
プロナウンスはこちら。

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そのポジティブ、ネガティブは違う

「ポジティブ」という言葉はとてもいいイメージで使われているようです。「前向き、肯定的、楽観的」とも通じるのでしょうね。

落ち込んだり、悲しんだりしている人を「ほら、そんなにネガティブにならないで。気を取り直してポジティブに!」なんて励ましている声も耳に入ります。

でも…怒り、悲しみ、落胆がネガティブで、喜び、楽しみ、笑い、希望がポジティブなのでしょうか。

私は違うと思っています。

positiveの語源はpositionと同じでラテン語「posit=定める」に語尾iveがついたもの。negativeはラテン語「neg=否定」です。

私は、ポジティブは在るものを在ると認めること。ネガティブは在るものを在ると認めないこと、と考えています。

哀しむことがふさわしいときには哀しめばいい。
喜ぶのがふさわしいときには喜べばいい。

泣くのがふさわしいときに笑おうとしなくていい。

ただ、ひとつの心情に「居着く」のはちょっと気がかりです。

ずっと哀しんでばかりなのも、年がら年中超ゴキゲンな便所の100ワット電球も等しく心配です。(アメリカの自己啓発は後者が好きみたい)

なぜなら、命あるものは「居着かない」から。
リズムをもって動いているから。

出来事そのものは哀しくても、
時に適った哀しみを心で味わえることを、
ありがたい、と静かに思えたら、と願います。

「天の下ではすべてに時機があり、
すべての出来事に時がある。
生まれるに時があり、死ぬに時がある。
植えるに時があり、抜くに時がある。
殺すに時があり、癒すに時がある。
壊すに時があり、建てるに時がある。
泣くに時があり、笑うに時がある。
嘆くに時があり、踊るに時がある。」
(コヘレトの言葉 第3章)

天では不生不滅、不垢不浄、不増不減なのかしら。

これを書いたのは…筆者プロフィール

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「死」をめぐる、とある英語表現

中2の英語で現在完了(正確には現在時制完了相)なるものを習ったとき、奇妙な文を目にしました。

My grandfather has been dead for three years.

え、おじいちゃん、どうしたの?入院してるとか、老人ホームに入っているとかじゃなくて?生きてるの?死んでるの?いるの?いないの?

ちょっと頭が混乱しました。

隣の席の、成績のよかったクラスメートが「3年前に亡くなったってことよ。」とかなんとか教えてくれたのを思い出します。

じゃあ、My grandfather died three years ago.でいいじゃん。

そんなふうに思ったのも覚えています。

今の私なら、35年前の私にこんなふうに伝えます。

あのね、同じ風景を語る表現が2つだぶって存在することってまずないの。表現が違えば心の風景が違う。心の風景が違うと言うことは気持ちが違うということ。その違いを細やかに受け止めましょう。(なので、クラスメートのような訳は通訳道場ではダメ出しされます。)

My grandfather died three years ago.の時制は過去時制。おじいちゃんが亡くなったというできごとが「ずっと遠くの景色の中の点」のように描かれています。今と直接結びついてはいません。このあと、「以来、おばあちゃんは独り暮らしです。Since then, my grandmother has been living alone.」と現在時制完了相が続きそう。

手のとどく自分空間と届かない非自分空間の2つにわけて考えると時制、人称などなどすっきりして、英語のシンプルな美しさが感じられます。

さて、My grandfather has been deadの時制は?

hasは現在時制。ってことはbe deadが過去からずーっと続いて「今」の一部になっているということ。

さて、beはなかなか奥が深いんだけれど、意味の核心は「在る」「存在している」。ときどき数学のイコールだ、なんていう人がいるけど、それはすぐに行きづまる説明。あくまでも「在る」。どういうふうに「在る」かをつけ加える、アクセサリーのような言葉があとに続きます。

I am a cat /or/ hungry /or/ running / staying in London / dead
私は在る、猫として/or/ 腹ぺこで /or/ 走りながら / ロンドンに滞在して / 死して

…てことは、おじいちゃんはしっかり存在し続けています。deadという状態で。

これは「死んだら居なくなる」という近代的、合理的、物質主義的な気分とはだいぶ違います。

言語表現には、そういった近代的感覚が生まれるはるか以前の人間の心情が残っています。それに近代ローラーをかけてはいかん。自分の心が殺伐としてきます。

Google先生の成果です。
My grandfather died three years ago. 私の祖父は3年前に亡くなりました
My grandfather has been dead for eight years.私の祖父は3年間死んでいます

後者はふだんあまり聞かない日本語ですねえ。変だけれど面白い。

たぶん、おばあちゃんがふと漏らす「じいちゃん、あっちへ行って3年だ。」くらいが近いのではないでしょうか。

人は存在し続ける。肉体があっても、なくても。

そんな感じ方をhave been dead に思うのです。

言語をめぐる皆さんの疑問、リクエストお寄せください。

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「自分に用がある」感覚―内田樹さんに聞いた、レヴィナスとの出会い

グーグルで関連キーワードなどを調べてちゃらいタイトル考えても、結局違うことばかり書いてしまうようです。今日は正直なタイトルで参ります。

学びは個別、私的な体験

どうも学びというと同学年集団、テストによる競争というイメージが日本では沁みついています。でも、本来学びは個別、私的な体験で二つと同じ学びはないと思うのです。

いまの「小さいうちから英語」は前者の横並び徒競走的で、へんにプライドをくすぐるけれど、大して魂を育てないだろうと思っています。

むしろ、大人になってから個別、私的な出会いを通して自然と外国語を身につけた人たちはなんだか素敵です。なかでも興味深いのは内田樹さんに伺ったお話。

個別の出会いもひとりになる経験から。

内田樹さんはユダヤ系フランス人哲学者、レヴィナスの著作との出会ったとき、「町で見知らぬ外国人に肩をつかまれてわあわあ怒鳴られた感じ。何を言っているのかさっぱりわからないけれど、この人は『自分に用がある』と感じた。」のだそうです。

この「なんだかわからないけど自分に用がある」直感が大事なんです。「わかりやすくてみんながやっている」のイワシの群れの逆です。

内田さんはレヴィナスに会いに行き、声を聞いたあとは翻訳も楽になったとのこと。そう、声が聞こえるって活字の向こうにいる唯一無二の著者本人をありありと感じているということ。

私も思い当たる経験があります。レヴィナスのような個人との出会いとはちょっと違いますが…イギリスの詩朗唱の英語、トマティス博士のフランス語、オーストリアのバイオマス企業のドイツ語。「用がある」感覚は強烈でした。

英語の教科書一生懸命読んだり、付属の音源CD聴きこむのもいいけれど、こうした出会いの足元にも及ばないでしょう。

「これを書いた人は自分に用がある」

自分に用があると思えない情報はあっさり離れる。発信するときは用がある相手を想定する。

情報過多の時代、用のない情報につきあってまごまごしていたら、外国語どころじゃありません。

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英語教育、いつから始めるー③テストで損をしたくないなら

ん。なんかこのタイトル、自分でもちょっと気が進みません。まあ、気を取り直して…

外国語はラーメンと同じ。それぞれに好みがあります。全員が博多ラーメンを好きなわけではありません。明日から喜多方ラーメン以外は販売禁止、なんてことになったら暴動が起きるでしょう。

ラーメンが多様なように、学校で学べる外国語ももっと多様であってほしいものです。

でも、今日明日に学校がラーメン博物館になるとは思えません。

そこで、3つほどおすすめを紹介します。アドバイスは本当は個別にお伝えすべきものですが、「個別化」の部分は皆さんそれぞれにお好きなようにおやりください。

1.いま、夢中になれるものを

いまは学校の授業、教科書の他に映画、音楽といろいろなメディアに触れられます。これ素敵!と思えるものを見つけてください。私は高校時代にカーペンターズCD12枚分と大学時代に映画「いまを生きる」まるごと覚えてしまいました。覚えようと思ったわけではなく、あんまり好きだったので自然と覚えてしまったのです。結果的にテスト勉強はあんまりせずにすみました。英語圏の作品は趣味が合わない…?英語圏といってもアメリカ、インド、アイルランドは随分違うもの。ディズニーは嫌いでもボリウッドやケルト音楽は楽しめるかもしれませんよ。それでも気が進まなかったら…

2.勝手に好みの外国語を学ぶ

学校が情報伝達の中心だった時代はとっくに終わっています。いまは自分がその気にさえなればびっくりするような情報も手に入る。学校はそういう発見を持ち寄る場です。たとえば、「もののけ姫」ブルーレイには日本語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フィンランド語、韓国語
ドイツ語、広東語、北京語が入っています。これを片っ端から少しずつ聞いて、「お、なんだか聞き心地が良い~。これ、好き。」と思える言語を探してみては?こっそり独学して学校で披露するとクラスのみんながびっくりするはずです。こういうの、ちょっと気分いいんですよね。

で、ほかの言語にチャレンジした後、英語に戻ってくると「なんだー、こんなに自分はわかってるんだ」と気が楽になるんです。

3.岩波新書・ジュニア新書を読む

「大学入試の英語長文が苦手だ」という高校生の声をよく聞きます。でも、細かく分けてみると、英語の長文が苦手なのではありません。日本語でもろくに知らない話題なのです。そりゃ英語で読んでもチンプンカンプン。まず日本語でものを知らないと話になりません。中学に入ったら、まずは岩波ジュニア新書を片っ端から読んではいかが。新書は他にもいろいろあるので、好みのものでよいと思います。ただ、現代政治関係ではあまりにセンセーショナルで真偽疑わしく、おしゃべり調のものは私は敬遠してますけど。

テストで損をしない…といいながら、結構正統派のことしか書けませんでした。学びって個別の体験。自分で自分の面倒を見る覚悟のある人が伸びるように思います。

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英語教育、いつから始める?ー②

あら、英語を始めるベストタイミングを教えてくれるのかしら?
そして、うちの子も英語がちゃんとできるようになってグローバルに活躍できるようになるのね?

この先の投稿はそう思われた方々のご期待に添うものではございません。貴重なお時間無駄になさいませんように。

国民全員が英語を必修するのは異常

体育、音楽、美術ではさまざまなジャンルに触れます。

もし体育でサッカーだけが全員必修になったら?
音楽でヴァイオリンだけが全員必修になったら?
美術で彫刻だけが全員必修になったら?

バスケやピアノ、水彩に向いている人たちが伸び損ねますよね。

いまの日本の英語教育はそうなっている、ということです。

「いやいや、誰もが英文学者を目指すわけではない。日常会話程度ができれば世界が広がり、仕事にも役立つ」という人がいます。

そんなことはありません。

不可測、不規則極まる日常会話を目指して学ぶのは遠回りもいいところ。よく使うフレーズを覚えても覚えたフレーズに振り回されるだけ。あくまでもきちんと聴け、読めなくてはおぼつかないのです。外国語の日常会話はパン屑。パン屑が欲しかったらパンを焼くしかありません。

また、寺沢拓敬さんの「『日本人と英語』の社会学」にはリーマンショック以降、日本人が英語を使う機会は減り、年収とも関係ないことがデータで示されています。

「あとで役に立つ」「~のためになる」という間違った未来志向の下心では群れのイワシに留まります。

ドナルド・キーンさんがそんな下心で日本文学に近づいたでしょうか。源氏物語が読めたときのキーンさんの驚きと感激が彼を牽引したのではないでしょうか。

身土不二というけれど、言土不二。言語には風土の匂いが色濃く残っています。ひとそれぞれに好みがあるはず。ラーメンだって好みがあるでしょう。

フランスなどは英語必修はもっと短くて、ドイツ語、スペイン語を必修選択できる時間が長くとられています。

私の友人には大学時代にロシア語、フランス語に出会って夢中になり、いまでは通訳、大学の先生をしている人たちがいます。

それぞれのタイミングで出会い、チャンスをしっかりつかんだのです。

ひとりひとりのお子さんにその力があるはずです。

とはいえ、英語は試験科目でもありますよね。そこを無駄なく切り抜ける方法はまたあらためて。外国語を今の大多数の大学ような形で試験科目にするなんて、民間試験を導入しようがしまいが私は大反対なんですけど。

これを書いたあまのじゃくな同時通訳トレーナーのプロフィール

 

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英語教育、いつから始める?ー①

親御さんには悩ましいテーマですよね。不安を煽られたくはないけれど、お子さんにはより幸せな未来を準備したい。あのときやっぱりあれをやっておけば、と後悔したくない。ごもっともです。

ご参考までに日本では見落とされがちな点を1つご紹介します。

シナプスの刈り込み

幼い子どもはなんでもみごとに吸収します。だから小さい頃から習わせたいと思いがち。

でも歯が生えかわるころと、思春期に入るころの2度、「吸収したけどあんまり続けて使っていない」シナプスが大掃除されます。だから、小さい頃のネイティブの子どもみたいな発音はどこへ…となるのです。(発音にそこまでこだわる必要もありませんし。)大人にNOが言えない小さな子どももちゃんと内側で自分なりの選択を自ずと行っているのです。

中高生になるともうシナプス大掃除は起きません。その代わり、NOをはっきり意思表示するようになります。逆に親や先生が辞めろと言っても、自分でやると決めたらやる力も強くなります。

私はさまざまな年代の英語学習者に出会ってきました。なかでも爆発的に伸びていたのは中学で優れた指導者に出会い、憧れを掻き立てられ、莫大な量のインプットを「勝手」にした人たちです。

日本では臨界期仮説に煽られた人も多いようですが…人間は生涯学び、選び続けていく生き物。タイムリミットを恐れなくてもいいと思うんですけどね。

優れた指導者に会えるかどうかわからないから小さい頃から?
いえいえ、指導者は先生に限りません。映画でも小説でも歌でもいいんです。

(本当はね、そもそも国民全員で英語やっていること自体もったいないと思ってます。)

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