私が食事中通訳を引き受ける理由

20年近く前、都内の通訳学校に通っていたころのこと。「食事しながらの通訳は断りなさい。見習いに代わってもらうのがベスト。自分がやらなくてはならないとしても、クライアントの会食の前か後に用意してもらってひとりで済ませなさい。」と言われたものです。

それはそれでエージェント経由の通訳者にはごもっともです。普段の通訳は頭フル回転の真剣勝負。その状態で食事をとることは生理的にも無理があります。エージェントが所属通訳者の健康と仕事の質を守ろうと助言するのは無理からぬことです。

でもね、私はいま通訳をお引き受けしている方々のところでは大いに飲み食いしながら通訳しているんです。

なぜ?

私も仲間の一員だと思っているからです。私をプロジェクトの一員と思ってくれる人たちとしか仕事をしていないからです。

そういう仲間や海外講師とは、仕事の後においしいものを囲む時間も大切。そこに私がいないことは考えられません。

でも、失敗もありました。駆け出しのころはまじめに通訳しながら食べようとして、学校教員時代以上の早食いをしました。そのせいで仕事が終わった後、4日も胃痛に苦しむことになりました。なぜかちっとも痩せなかったけれど。(学校の先生以上に早食いしてはなりませぬ。)

でも、私が「この人たちと一緒に過ごしたい」と思っている限り、なんとか工夫するものです。たとえば…

1.食べるのがめんどくさそうなものは、箸をつける前に食いっぷりのよさそうな若いもんにあげちゃう。喜ばれます。私のお皿は空に見えるので「冠木さんも食べて!」と言われずに済みます。

2.飲む。ご先祖様のおかげで私はもともとお酒に強いんです。そのうえ仕事中は最高に緊張、興奮しているのでちっとも酔っぱらいません。お酒の中でも度数の低いビールを飲んでいれば、おなかはいっぱいになるし、周りも「冠木さんも飲んでいるな」と安心してくれます。

3.講師の隣に座る。講師と私が講座中に個人的な話をすることは決してありません。でも会食の席では講師がいろいろプライベートを訊ねてくることもあります。その会話は英語学習中の参加者のみなさんには面白いようです。そんな話はかいつまんで訳せばOK。

私が食事中通訳より気にしているな講師の食事、時間の使い方の趣向です。夜はひとりでルームサービスにしたい方、ホテルのレストランが好きな方、ほったらかしてもらいたい方(ひとりで赤ちょうちん入りたい方も)…そのあたりをさぐるのもコミュニケーションの忍者(?)、通訳者の仕事です。

あれえ、呑み助限定の話だったかなあ。

通訳道場★横浜CATS 第5期

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プロは英語で「はしゃがない」!

思わず見とれてしいまいました…。ホテルのレストランで采配をふるうチーフウェイターさん(写真ではぼかしてしまいましたが…)

立ち方、「おはようございます」のあいさつの声の張り、お客さんに席を示す手のしぐさ。全身の動きが明確、自然でお茶のお点前のようにきれいです。これぞプロ。

このホテルには海外のお客さんも沢山滞在しています。

おや?彼は「おはようございます」「Good morning.」 のほか余計なおしゃべりはしません。おしゃべりするのはお客さん同士。

彼は笑顔とお点前のようなしぐさできびきびとお客さんを席に案内していく…。

プロだわあ。

どういうわけか日本の方の中には、英語となると張り切って余計なことまで機関銃みたいにしゃべるひとがいます。人の話にまで割り込む人もいます。 わあわあうるさい割にノンバーバルな表現、つまり表情や身のこなし、声のトーンは一気に下品になる。

この傾向、英会話中級者はおろか、B級の通訳者(まもなくサヨナラだろうけど)にまで見受けられます。

なんのコンプレックスでしょう。あるいは学校で「間違ってもいいから発信してみよう」なんてとんでもない阿呆な励まされ方をしたおかげでしょうか。

プロの仕事に自意識過剰なコンプレックスは無用、身体コントロールは必須です。

学びの過程でも「まず静かに聴くこと」「所作を稽古する」機会を持ってほしいものです。

こういうことを言っているから明治の文豪ぽいと言われてしまうんですかねえ。明日から令和ですが。

通訳道場★横浜CATS 第5期 受付中

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朝食ビュッフェ=人生いろいろ

出張中の朝ごはんはホテルのビュッフェ。レストランにはとてもとても自宅では用意しきれない何十種類ものおかずが並びます。ここから、自分が食べる物を選ぶだけで面白い!

そしてもっと面白いのは…

ひとさまのお皿をちらりと覗くこと。

どの盛り合わせもユニーク。 並べられていた選択肢は同じなのに。、2つとして同じ盛り合わせはありません。


それぞれが自分にちょうどいいものを選んでいる。それを見ていると面白いんです。 どれが優れている、劣っている、多すぎる、足りない、なんていうことはない。

なんだか、私たちの人生に似ていると思うんです。

大阪で2番の大好評のビュッフェ❤

田舎に暮らす?それとも都会?習い事をする?しない?学校は私立?公立?塾へ行く?行かない?

就職する?しない?結婚する?しない?子どもをもつ?もたない?犬を飼う?猫を飼う?戸建に住む?マンション?賃貸?持ち家?親と一緒に住む?住まない?お酒を飲む?飲まない?運動をする?しない?

たいていのことは、どっちでもよくて、どっちも面白い。

どちらかだけを良しとするのは、福祉、財政の制度設計の都合では、と思います。

自分のしたことをしていない他人を責める必要などないし、他人のしたことをしていない自分を責める必要もありません。

今朝は洋風で、と楽しんでいる隣席の人に「こら!納豆を食べなさい」なんて言ったらビュッフェの楽しみも台無しです。野暮もいいところ。

朝食がいろいろであるように、今日一日の過ごし方もいろいろ。

昭和の日、佳き一日をお過ごしください。

冠木友紀子プロフィール

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My thoughts on the fire at the Notre Dame

My dear friends in France, how devastating it must have been to see the Notre Dame on fire. May the world share your sorrow and work together to rebuild it with you.

But the Notre Dame to be rebuilt will be gone someday.
All visible things, including we, human beings,
and what we create, will be gone someday.

We never know when it is and it could be today.

“Misere nobis.”

It is a miracle to see what we have built still exist today.
It is indeed a miracle that our beloved ones are still with us today.
May we appreciate these miracles.

“Dona nobis pacem.”

Even though we and what we create will be gone someday,
our love for our beloved ones and
the spirit to create Notre Dame will go on.
The image of the Notre Dame will live on in our hearts.

“Lux aeterna luceat nobis.”

May we be gone in peace at the right time.
May what we have built be gone at the right time.
May we not fill the earth with what cannot be gone at the right time.

“They are not mere things that appear or disappear.
Nor are they things impure or pure.
Nor do they merely increase or decrease…..

Gone gone across,
you who have gone across,
across to the other shore,

You who have reached the other shore,
Blessed be wisdom.”

(from the Heart Sutra translated by Hideo Levy)

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平板な通訳口調を脱するには

今年も大学での通訳養成が始まりました。たいしたもんです。私、20歳のころ、通訳のクラスをとろうなんて思ってもみませんでした。学生時代はボランティアのチャンスもたくさんあるし、がんばろう!

ん…?

このごろの若い人たちはどこでも同じ話し方?。確かに、お母さんと電話で話すときも、売店で店員さんに質問する時も、先輩に挨拶するときも、同級生と何をお昼に食べるか話すときも、先生と話すときも…似ている。私の学生時代ほど「切り替え」をしないよう。

これを内田樹さんは「身体の言い分」の中でこう書いています。

「今の子どもたちの話を聴いていて、いちばん感じるのは、語彙の貧困というよりも、『ヴォイス』の貧困ということなんです。一つしかないんです、語り口が。…(中略)…同じコンテンツを違うモードで伝えるというのはコミュニケーションの技術の中ではすごく大事なことなんです。それができないと、ほんとに自分の言いたいことも伝えられないし、相手のシグナルの機微も感知できない、コミュニケーション感度の低い人になってしまう。コミュニケーション感度が低いというのは、共同的に生きていくうえで致命的に不利なことなんですけれど、そのことの重要性にまだあまり気づいていないですね。」(「身体の言い分」34-5ページ)

通訳者にもいます。語り口、ヴォイスが1つしかないひとが。誰を訳しても同じ調子になる。それも相当に平板な。スピーカーのノンバーバル(文字化不能)なメッセージがそっくり抜けてしまう。

たしかに、まるっきりスピーカーをまねっこをしてはおかしいです。でも、不自然にならない程度に、ノンバーバルな部分を共鳴させると、とても聞きやすい、疲れない、と喜ばれるんです。喜ばれるからやるのではなくて、当然やるべきことと思っていますが。

豊かなヴォイスをもつには、芸、修行の世界が大いに参考になります。たとえば落語。与太郎、金ちゃん、熊さん、ご隠居さんがみんな同じヴォイスだったらどうです?落語家さんはみ与太郎のときは与太郎に、熊さんのときは熊さんそのものになっているでしょう?

ということで、通訳の授業を取りたい人は、ぜひ落研にも入るようおすすめします。


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医療通訳の準備に思う、患者は忍者?

通訳は専門用語をきちんと把握していることが必須です。

専門用語という「点」が頭に入るには、点と点をつなぐ線、専門領域という「面」を理解することも必要です。ただの単語暗記では思考の流れについていけません。

なかでも準備にきりがないのは医療の通訳。日進月歩の技術とともに新しい言葉も生まれ続けています。

そんなとき、ふと気になるのがごく当たり前の言葉。

たとえばpatientは「患者」でいいのでしょうか。

話し手の頭の中の景色を聴き手の頭の中で再現するのが通訳

個人的には患者の「患、わずらう」という字がなんだかフナムシみたいで…具合の悪いときには見たくない気がします。

語源によると、patientはまさに「耐え忍ぶ」。(インパチェンスimpatienceという花がありますが、種に触ると弾けて飛ぶ様子が「不」「忍耐」というわけです。)

patientは「患う者」ではなく「忍ぶ者」、なんと「忍者」ではありませんか。身体の状態ではなく、心のありようを表しているように思えます。

と、こんな寄り道も準備の楽しみのひとつです。

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「令和」と二重母音と日本人

新しい元号、みなさんどう感じましたか?


海外では「『命令のもとに和せよ』という意味だ」と推測するメディアが盛り上がったようです。 政府は各国大使館にbeautiful harmonyと説明せよ、と指「令」を出したとのこと。

でも、harmonyで美しくないのってあるんでしょうか。

万葉集のこの文脈では「令」は月の「つやのある美しさ、佳いさま」を表すそうですから、lustre and beauty とかshining beautyでもいいかもしれませんね。

ちなみに「令」の字はひとが集まって、ひざまずき、神の意に耳をすませる様子だそうです。もともとは政治家の命令じゃないのです。海外のメディアも安心してくれるといいのだけれど。

ところで、「れいわ」という音について。

じきに皆さん「れーわ」と言うようになるはずです。(しかも「れ」はLの音で)平成へいせい、もそうでした。へーせー。めーじ、たいしょー、しょーわもそうです。

れいわでもれーわでも日本ではOK。 メインディッシでもメーンディッシュでもおかまいなし。

でも英語を話すときは耳と頭を切り替えましょう。

たとえば、cakeをケークとエーで伸ばすだけではいけません。

先日、大学の恩師、O先生に伺ったところによると、 日本の皆さんには「前の母音8割、後ろの母音2割くらいのつもりで」というと納得してもらいやすいとのこと。

エーを8、イで2、「ケーイク」てな感じでしょうか。

ケークなんてイを忘れると、イチゴの乗っていない のっぺらぼうケーキになって、聞き返されかねません。

通訳者はこうした瞬時の切り替えをとても大切にしています。日本語も英語もわかりやすさの土台は自然な美しさですから。

冠木友紀子のプロフィール

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あなたの生まれた日が…

自分では何とも言えませんよね。やっとこさオギャー!と生まれたばかりですから。でもその日が誰かにとって人生最高の日だとしたら…。

これはある友人に聞いた話です。いまは亡き母方の伯母さんがまだ元気だったころのこと。

「『いままでで最高に幸せだった日はいつ?』って訊いたら、もう、迷いなく『○○と▼▼が生まれた日』って即答したのよ。」

○○と▼▼はもうとっくに30を超えた2人の孫のこと。ずいぶん昔の孫の誕生を最高の瞬間としていまも即答できるなんて…。(自分が結婚した日や子どもが生まれた日ではないのは謎ですが。それほど孫って可愛いのでしょうね。)

きっと○○と▼▼はおばあちゃんがそう即答したなんて知りません。きっと仕事や子どもの教育やら、住宅ローンやら、車の買い替えやら…この世の習いに悩ましい年代でしょう。

でも、おばあちゃんの心の中で30数年前のあの日はちっとも色あせていません。生まれただけで、○○と▼▼はもう十分おばあちゃん孝行したのです。

そう思うと、たまにしか帰れないとか、温泉に連れて行っていないとか、そんなに気にすることじゃないと思いませんか。それより、おばあちゃん、ありがとう!ですよね。

あなたにも、このおばあちゃんみたいな人はいませんか?あなたが生まれただけで、自分は最高に幸せだと思っている人は誰でしょう?

そして、あなたは誰の誕生日を「最高に幸せな日」と思っているのでしょう?

今日も誰かが生まれ、誰かが「最高の日」と感じているのでしょうね。

昼過ぎの間抜けなタイミングに、通訳とは関係ないことですが、書いておきたくなったもので。

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