「ーman」は差別的?man・womanの語源を辿る

昭和の子どもだった私は「manはジェンダーにひっかかるので✖」と言われると、 ウルトラマン、ガッチャマン、電線マンが心配です。ウルトラセイバー、チームガッチャはまあまあいけそうです。電線マンも今後の女性参画可能性を考慮して、電線オフィサー?

私はジェンダーフリーな言語表現にはどちらかといえば賛成ですが、ときどき言語の歴史が等閑視されているのが気になります。まあ、いきなり昔には戻れませんが、知らないままでいるのと、知るのとではどこかで違ってくると思うのですよ。

たとえば、「manはジェンダーフリーではない」という考えはmanは男性のみを指す、という考えを前提としているはず。

でも初めからそうだったわけではありません。

古英語(450-1160ごろまで)をはじめ、ゲルマン諸語ではもともと男女両方の「人間」を意味していました。

さらに遡ると、menー(=think、考える)、 manー(= hand、手を使う)のように人間の生きざまを描写する言葉との結びつきが指摘されています。あまりに昔のことなのでどれか一つを定説とするには至っていませんが。(「英語語源事典」寺澤芳雄)

womanも古英語の時代、wifmanと綴っていました。 wif=「女の」 man=「人」、というわけです。wifeはもともと「妻」ではなく「女」という意味でした。

そういえば、ドイツ語では「僕の妻」をmeine Frau 、英語で言えば my woman「僕の女」と表現します。

先日、オーストリアの方が英語でお連れ合いのことをmy womanと言っていましたっけ。妙に色っぽい気がしたのは私の妄想でしょうか…

今日を生きる私たちが言語変化に参加することで、未来へのバトンが作られる。そのためにも渡されたバトンの来し方を振り返るのも悪くない、と思うのですが。

持続可能な未来のための通訳者・冠木友紀子のプロフィール

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