言語が変われば性格変わるというけれど

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子です。

言語は人柄。話す言語によって性格が変わるそうで、こんな研究もあります。確かに英語がある程度身についてくると、こう言い人います。
「私、英語話すと性格変わるの。オープンでポジティブというか自己主張しやすいのよね。」
「そうなんだ…」
英語が苦手なお友達はそう相槌を打つのみ。

何度かこういう場面に出くわしました。そのたび、なんだかいやだなあ、と違和感を覚えました。

何がいやだったのでしょう?ううむ…たぶん…英語話せる人の口調に、「日本語しか話せないあなたが持っていないものを私は持ってるの」と言わんばかりのトーンを感じたのでしょう。そんなつもりじゃないかもしれませんが、英語が苦手な人の方は、そう言われたと感じたような顔つきでした。この図のように。

左は日本語のみ、右は日英バイリンガルさん。

私はこんな風に感じたことはありません。

そして、外国語を習得するとは上のような整数の「足し算」ではなく「割り算」、分数ではないかと思うのです。

ちょっと自分を振り返ってみます。

日本語を話していた子どもの頃から、相手によって自分の声や言葉が変わることが気になっていました。クラスのバカ男子と祖母に同じ話し方をするはずがありません。

言語そのものの違いというより、その言語を使う集団の影響を強く受けた気がします。

英語を習いたての頃は、相手に合わせる、相手の声の個性を聞く余裕なんかありません。誰に対しても同じ話し方でした。

それが、考える前にしゃべってる状態になると、細かく割れてきて…めそめそしがちなインド人の友人の泣き言につき合う時と、押しの強いユダヤ人の先生と議論するときは同じ英語でもまるで気分、態度、言葉遣いが違いました。

まだドイツ語でのご縁は少ないので、このくらい。

外国語を学んで、人の持たない何かを持った気になるとしたら…なんだかちょっと私には違うと思うのです。

足し算ではなく細かく割れてくる。

そのほうが言語中枢の分化などの神経科学にも合うように思います。

足し算発想は直線的経済成長モデルと通じませんか?割り算の方が自由、和に通じるように思います。

私が外国語、文学の達人と尊敬する方々は日本語にも外国語にも感覚が細やかで人に優しく、地に足の着いた方たちです。私もそうありたいのですが!

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