新型コロナ騒動のさなか、嬉しいこと

持続可能な社会のための通訳者、冠木友紀子です。

新コロ騒動、メディアの街頭インタビューに登場する人たちは、異口同音に「不安」を唱えます。

それはそうだろうけれど、私はちょっと違うことを感じています。

私は「自粛」以降、皆さんの「優しさ」に感じ入っています。

オンラインで通訳練習をする大人も、遠隔授業の大学生も、たまに出かけるお店の人も…

皆さん、優しいのです。苛立った声は自分の声以外聞いたことがありません!!!とほほ…

この感覚は前に体験したことが…そう、父が急逝したときのことでした。それまで母と妹と私の会話はそれぞれが言いたいことをぶつけ合う乱暴なもの。それが、急に3人とも優しくなったのです。父の急逝という悲しみを共にして、「○○(相手)も悲しいに違いない。大丈夫か様子が知りたい」と相手本位に、静かに聴き、話すようになったのです。それまではそれぞれに別々の人生を歩んでいて、別々だからこそわーわーしゃべって分かってもらいたい、でも聞いてくれない、とわめいていたのです。

いま、新型コロナウィルスという課題を共にして、私たちは互いに「きっと大変でしょう。お疲れではないですか?」と言葉にしなくても心で思っているのではないでしょうか。

「私、優しくなった!」なんて思っている人はそうそういないと思いますが、きっと皆さんちょっとずつ優しくなっています。ちょっとずつでも皆さんなんですから、これは相当なこと。私は今の地元の町の空気はなかなかいいと思っています。

私たちが優しくなれるのは、自分に余裕があるときよりも、誰かと痛み、悲しみを共にしているときではないでしょうか。 優しさが友を想う行動につながりますように。

ロッシーニの「3つの聖歌」のひとつ、「愛」も「苦しみゆえに人はつながる」と歌います。この歌には観音様が思われてなりません?!フェリス中高OG合唱団では次のコンサートに向けて、この愛唱歌を今頃練習しているはずだったのですが…練習再開の見込みがたちません。海外の動画でお楽しみください。

愛にみてるわが主よ
ながみ手にいだかれて
ともとなりしわれらは
くるしみをわかちあわん

愛にやどる主なるかみ
まずしきものにのぞみをあとう
愛にみてるこころは
よにひかりをもたらさん

ながひかりおおうところ
にくみあらそいあとをたちて
とわにしらす主のあい
たたかいをうちしずめん
にくみあらそいあとをたたん
(訳 鈴木一郎)

Please follow and like us:
error

日本軍傷病兵を見た英連邦俘虜が咄嗟に行ったのは…?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

戦争はいつ始まり、終わるのでしょう。

表向きはいがみ合う国家の指導者たちの号令とともに始まり、彼らの宣言をもって終わるように見えます。

でも、細かく見れば、そうした号令を受け入れる素地を人々が用意したときにすでに始まっているとも見えます。いまも戦場を農場、人々の財布、胃袋に変えながら戦争は続いているとも見えます。

また、戦いのさなかに一瞬の平和の光が差すこともあります。国籍、立場から自由に、ひとがひとに戻る瞬間があります。

第二次大戦のさなか、タイのカンチャナブリからバンコクへ向かう鉄路で、日本軍の捕虜となった英連邦の兵士たちの車両と日本軍の傷病兵の車両が近くに居合わせた時がありました。

このときの出来事を想うと、戦争も平和も毎日さまざまな形で生まれては消えていくように思われます。戦争はあの頃のことではない。だから今日も明日も平和を創り出し続けるのです。

泰緬鉄道で強制労働についた元英連邦戦争捕虜、アーネスト・ゴードンさんの「クワイ河収容所」からご紹介します。英日読書会については投稿末のリンクをご覧ください。

「彼らはビルまでの先頭にもはや役立たなくなり、鉄道列車に積み込まれてバンコクへ戻されるレ途中の傷病兵たちであった。(中略)移送中はいっさい手当てが与えられないにもかかわらず生きなければならなかったのだ。
 彼らの状態は見るに耐えかねた。誰もが愕然として息をのんだ。私はそれまで、いや、いまもって、あれほど汚い人間の姿を見たことがない。戦闘服には、泥、血、大便などが固まってこびりついていた。痛々しい傷口は加納氏、全体が膿で覆われて膿の中からは無数のうじが這い出ていた。しかし、うじが化膿した肉を食うことから、壊疽を起こすのは防止されていた。
 私h達は日本兵が俘虜に対して残酷であることを体験してきた。それが何故にであるかということを、いまはっきり見てとった。日本軍は自軍の兵士に対してもこのように残酷なのである。まったく一片の思い遣りすら持たない軍隊なのである。それならば、どうして私たち俘虜への配慮など持ち得ようか。
 負傷兵は遠くを眺めるようなわびしい目で私たちを見ながら、貨車の壁に頭を寄りかからせて座っていた。彼らは死を待つ人々であった。(中略)
 私たちの班の将校たちは、ほとんどの者が、ひと言も発することなく、自分たちの雑能を開き、配給された食糧、布切れ1,2枚、手に水筒を持って、日本兵の列車へ歩きだした。
 私たちを見張っていた番兵は「ノー・グーダッ!ノー・グーダッ!」と叫んでいた。だが私たちをさえぎることができなかった。私たちは番兵の方を見向きもせず、適性のかたわらにひざまずき、水と食べ物を与えていた。そして海をぬぐいとり傷口に布を巻いてやっていた。やがて私たちが戻ってゆくとき、感謝の叫びである「アラガットウ!」という声が、私たちの背に何度も投げかけられた。」(第10章 最後の旅路 382-383ページ)

「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著 齋藤和明訳 ちくま学芸文庫

「クワイ河収容所」はドキュメンタリー告発本ではありません。心のオデッセイです。新型コロウィルスを敵と呼び、ウィルス以上に不安にまみれる今こそこの本を読みたいと思います。消毒薬もマスクも、食事も服もなかった、強制労働しかない収容所から、どうして彼らの心が甦ったのか、静かに尋ねたいと願います。

「クワイ河収容所」名訳と英語初版にふれる読書会 無料体験へどうぞ!

横浜保土ヶ谷の英連邦墓地では日本国内で強制労働などにより死亡した捕虜たち2000名ほどが眠ります。
Please follow and like us:
error

新コロ騒動が開花させたチカラとは

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場主宰の冠木友紀子です。

新コロ騒動どうなりますやら。

皆さんそれぞれにこれまで通りでない生活に多少のご苦労がおありのことでしょう。

私はオサンドンと皿洗いが3日続いたときは、ダイニングの一隅に竹藪のパンダよろしく微動だにせず座って食べ続ける家人にキレました。ただ、パンダさんはおサルさんがキレても「???」。おサルさんはビールだか何かのおまけで貰って山ほどたまったダサいガラスコップを2つばかりオシャカにしました。

お耳汚しでございました。

でもね、私はおおっ!と感激していることがあるんです(パンダ氏にではなく)。

それは、セルフモニタリングの力。

大学の短縮授業はオンラインです。驚異の出席率に貢献度。なにがこれまでと違う…?

なるほど…ふだんは授業中に自分ではクラスメートも自分もそれほどよく見ていません。先生は教室をウロウロ。「へ、私のことなんかそんなに見てないでしょ。」

ところがZoomだと先生もみんなも、そしてなんと自分もモニターで同じように見える!

つまり、ずっと鏡を見ている状態になるんです。

ビデオをオンにする効果は絶大です。

人間は自分のことがいちばん気になる。こんなんでいいのか!と思う、修整する。これがセルフモニタリングの力です。先生にやいのやいの言われるより効果絶大。

オンライン授業にはできないことも沢山。でも、このセルフモニタリング着火はリアルよりよほどうまくいく。

というわけで、新コロ騒動も悪いことばかりではありません。それぞれ女優たるべく気が済むまで精進し、せいぜい「ごきげん」でいましょう。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

Please follow and like us:
error

泰緬鉄道、捕虜たちの心を甦らせた「友」は…

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場主宰の冠木友紀子です。

私は大学でも通訳を教えています。なにより面白いのは、ウォーミングアップで学生たちの近況ニュースを聴くこと。誰もが自分の日常は取るに足らないと思っています。でも、それは自分だけ。自分以外の誰にとっても想定外の珍事です。大いに盛り上がります。

ただ、ある学生の近況にクラスが絶句、のち激怒したことがありました。

彼女は留学時代の「友人」と目上の人を訪問する約束をしていたのに、友人は待ち合わせにちっとも現れない。電話も通じない。目上の方に遅れることをわびる電話を入れると、なんと友人はすでに目上の人を別の友人と訪問中。彼女だけ約束をすっぽかしたことになるところでした。で!彼女は友人に怒れない、というのです。この友人がいないと留学時代の友人たちに連絡がとれなくなるから仕方ないのだそうで。

なんだそりゃ!

「そんなの友達じゃない。貸し借り関係。利用し合っているだけ。」クラスのみんなは一刀両断。よく言った。

さて、私はどう答えたものか。私は心理カウンセラーではないし、人生の諸問題を心理問題化するのには抵抗があります。

そうだ、文学ほどの心理カウンセラーはいない。

次週はカリール・ジブランの「預言者」から「友人について」の章と「クワイ河収容所」から、次の場面を紹介しました。

第二次大戦中、日本軍はイギリス軍が諦めたタイ―ミャンマーインドの鉄路建設に着手、アジア人労務者、英連邦捕虜に強制労働を求め、10万人あまりを死なせます。布のみを腰に巻き、裸足で朝から晩まで工事にあたった捕虜たちが帰ってくると… シャベルが1つ足りません。このままでは隊全員射殺されます。そこでアガーイル隊員がとった行動は…

クワイ河畔。山辺に鉄路が見えます

「その日、一日の仕事が終了した。ただちに工事用具の確認が行われた。確認がすみ宿舎へ帰る寸前というところで日本軍の俘虜監視兵が、シャベルが一本足りないと宣言した。その日本兵は、タイ人に売ろうとして誰かが盗んだのだと主張した。俘虜たちの列の前を彼は大股で歩きつつ、どなりちらしていた。俘虜たちが卑劣で愚かであること、さらに最も許しがたいことには天皇に対する忘恩の不敬をおかしていること、それらをなじった。
 さらに彼は、ブロウクン・イングリッシュの憤怒の声を張りあげて、盗んだものは一歩前へ出て罰を受けろと命令した。だが誰一人動かなかった。監視兵の怒りは一段と強まった。すぐに暴力をふるうだろうと誰もが思った。『全員死ぬ!全員死ぬ!」と、逆上した彼は、金切り声で叫んだ。彼は自分が本気であるのを示すために、銃を取り安全装置をはずし、肩にあてて狙いをつけた。俘虜たちをひと通り眺めたうえで左端の者から射殺しようとした。
 その時、そのアガーイル隊員が列の前に進み出たのだ。彼は直立不動の姿勢をとり、こう言った。穏やかな声だった。

「私がやりました」

監視兵はそれまで熱しつづけていた怒りを一気に爆発させた。彼はその気の毒な俘虜を蹴とばした。こぶしでなぐった。それでもアガーイル部隊の兵士は姿勢をくずさなかった。鮮血が顔に流れた。それでも彼はうめき声を出さなかった。その声1つたてない落ち着きが、監視兵の憤激をよけいに駆りたてた。監視兵はいったん手放した銃の銃身を握って高く頭の上に振りあげた。そしてひと声わめき声をあげて、銃尻をアガーイル兵の頭蓋骨へ振り下ろした。彼の身体は、ぐにゃりと地に倒れて、それきり動かなかった。死んだのは歴然としていた。それなのに、完全に死んでしまっているのにであるが、その監視兵は、幾度も銃尻を振り下ろしてアガーイル部隊の兵士をなぐりつけた。ついに、やっと自分が疲れはてたとき、なぐる手をとめたのである。

 労働班の仲間たちは戦友の遺体を持ちあげ、用具をかついで収容所へ向かって行進した。

収容所の門衛のところでも検査がある。用具はもう一度勘定された。ところがシャベルは、一本足りないはずなのが、全部そろっていたことがわかった。

 この話がくり返し伝えられた。そして、すばらしいことだと言ってよいと思うが、いつ語られても、アガーイル兵に対する俘虜たちの賞讃の念のほうが、日本軍の監視兵への憎悪を超えて強かった。」

(「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著 齋藤和明訳)

「人その友のために己の命を棄つる。これより大いなる愛はなし。(ヨハネ伝 5章13節)」

さきほどの学生は、別人のように力強い眼差しでこう言いました。「だめだ。私たちぜんぜん違う。」

「クワイ河収容所」読書会はじまります。無料体験は6月21・25日です。

Please follow and like us:
error

弱ったら、自分の足で立ち上がらなくてもいい

新コロ騒動も収束への道筋がなかなか見えません。

在宅時間が長くなる…仕事はどうなるのか…就職活動は…子どもの学習は…考えだしたら不安になります。考えたってしょうがないよ、でサッパリしていられる人はおおいに結構ですが、そういう人ばかりではありません。

不安の連鎖を自分で止めることができないほど弱っている人に「心配いらない」「そんなこと考えるのよしなさい」「しっかりしなさい」のような言葉かけは御無用。さらなる重荷にしかならないだろうと思います。

人は弱った時に「自分の力で」再び立ち上がらなくていい。そういうときは、「友」がその人を背負って立ち上がるものだと思っています。

私も2度、友に救われました。

高3のとき、女性の英語の先生が嫌いで嫌いで毎日ウンザリ、成績も急降下。そんなとき、中1のころ一緒にバンドを組んでいた友人がこう言ったのです。「でもさ、なんか私、あなたが自然に英語使ってるとこ目に浮かぶんだわ」これを聞いた瞬間、鎧だか、氷だか、何かが溶けていくのを感じました。

それから12年後、母校から転勤した学校でことごとく否定され(これも今は感謝しています)、突然仕事を失って朝から泣いてばかりいたころのこと。人づてに母校のある先生の言葉が伝わってきました。「彼女はこれで終わるひとじゃない。」突然心に光が差したようでした。

私にとって光のようだった2人の言葉はとても自然で、私を励まそうといろいろ考えたものとも思えませんでした。長い時間を深くかかわって一緒に過ごしたからこそ、私が見失っていた自分の本質を、鏡のように映し出してくれたのでしょう。

みなさんにもそんな瞬間があったのではないでしょうか。みなさんの言葉、行動が誰かを救った瞬間がきっとあったことでしょう。

弱ったときは弱った自分を責めないで。友の言葉を待ってもよいでしょう。

元気な皆さん、みなさんの言葉を待っている誰かがいるかもしれませんよ。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

Please follow and like us:
error

洋楽歌詞、本当はこう歌ってるのでは?―Deacon Blues by Steely Dan

こんにちは。持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

便利な世の中になりました。でも何でも検索できると思ったら大間違い。自分の知らないことは検索できない。知らない音楽は聴けない。だから人に教わるのがありがたい。

訳詞に満足できない、とM姉さんがSteely Danを教えてくれました。以来すっかり気に入っています。今日はDeacon Bluesをとりあげます。

それにしても、かっこいい。洗練されてる。なによりあの半音が心地よい。MUと呼ばれるコード(CソドミをCmuソレミにずらす。ドとミのあわいが際立つ)は12世紀の聖歌からひとの耳になじんだものだそうで。

いろいろな楽器が繊細な音のレイヤー重ねていくようで、ヴェールペインティング(層技法絵画)を想います。すべての楽器が輝いているのに、どれも野暮な主役を主張しない。さらりと主役を交代していく。

Steely Danに参加したプレーヤーが言っていました。「考え尽くす、試し尽くす、完璧にする。さらに完璧の先を行く。それが自然なんだ」と。

フェイゲンはこの曲をベッカーと振り返って、「なんか俺、ジェリー・ルイスみたいな声出している」と言っています。ジェリー・ルイスといえば寄り目のアクションを志村けんが取り入れたとか。我らが志村けん、同じ年ごろのSteely Danを聴いていたのでしょうか…

さて、少しずつご一緒に。原詩の右端の数字は韻の目印です。

 This is the day1
Of the expanding man2
That shape is my shade1
There where I used to stand2
It seems like only yesterday1
I gazed through the glass3
At ramblers4
Wild gamblers4
That's all in the past3

今日こそは
意識拡張者の日
その姿は俺の影だ
そこはかつて俺が立っていたところ
つい昨日のようだ
グラス越しにじっと見た
ごろつきどもを
荒くれ勝負師どもを
すべては過ぎたこと

2行目のthe expanding manはアルフレッド・べスターのSF小説「破壊(分解)された男」に登場する人物。思考と意識を自分を超えて拡張できる能力があるとか。地元の図書館が再開したら日本の文庫版を確認してきます。

3行目まではこれからナニヤラ大きなことが始まる気配ですが、4行目以降で語り手の現在はどうもイマイチ、ブイブイ言わせていたのは昔のことらしいと察せられます。なるほど、この曲はアメリカでは中年の危機にある人々に愛され続けているそうです。

man とstand、 glassと pastで韻と言えるの?と思われるかも知れません。綴りとしては不完全な韻です。でも歌をお聴きください。ばっちりです。歌は母音が長くなって強調されます。おまけにフェイゲンは行末の子音を柔らかく歌ってますから丁度いいです。

You call me a fool1
You say it's a crazy scheme2
This one's for real1?2?
I already bought the dream2
So useless to ask me why3
Throw a kiss and say goodbye3
I'll make it this time4
I'm ready to cross that fine line4

お前は俺をばかという
血迷った企みだという
これは本気だ
もうこの夢は買った
だから無駄だ、なぜと訊いても
投げキスしてさよならだ
今度はきっとやってやる
覚悟してる、あの一線を超えると

おや、Youが登場。誰なんでしょうね。フェイゲンはインタビューでこんな風に言っています。

“‘Deacon Blues’ is about as close to autobiography as our tunes get. We were both kids who grew up in the suburbs, we both felt fairly alienated. Like a lot of kids in the ’50s, we were looking for some kind of alternative culture, an escape from where we found ourselves.”
「Deacon Bluesって僕らの自伝みたいなもの。二人とも子どもの頃は郊外で育ったけど、すごく疎外感があった。50年代、多くの子どもたちと同じように僕らもなんらかのオルタナティブな文化を探してた。実際の居場所からの逃避としてね。」

どうも「夢から覚めろ。現実を見るんだ。それじゃ食えないぞ」てなことを言うドリーム・ブレイカーのようです。

さて、コーラス?サビの部分です。改行がうまく表示されるといいのですが…

I'll learn to work the saxophone1
I'll play just what I feel2
Drink Scotch whisky all night long1
And die behind the wheel2
They got a name for the winners in the world
I want a name when I lose 3
They call Alabama the Crimson Tide4
Call me Deacon Blues3

ものにするんだ、サックスを
ただ感じるままに吹き鳴らす
スコッチ夜通し飲み明かし
死ぬんだ、車運転しながら
世間は勝者に呼び名を与える
俺は名が欲しいのは負けの時
アラバマ大がクリムゾン・タイドなら
俺はディーコン・ブルースと呼んでくれ

ははあ、夢とはサックスを吹くことだったのですね。あら、音楽教室に?いえいえ、3行目から穏やかじゃありません。練習どころか飲んだくれて飲酒運転交通事故死。ちょっとちょっと!!

5,6行目。持つ者はますます名実ともに持つようになり、持たざる者は…の世の中なのですね。アメリカが代表する20世紀後半はことさらにそうなのでしょう。(当時斜陽だったイギリスは昔から勝負によらず王様にもじゃんじゃん渾名つけていますけど。エドワード懺悔王、獅子心王リチャード、ジョン失地王、ヘンリー8世は…)

クリムゾン・タイドとはアラバマ大学を代表するのさまざまなスポーツチームの称号。クリムゾン、深紅は大学のシンボルカラー。それが次々大波のように襲ってくるというイメージです。当時アメフトチームは常勝の強豪でした。

フェイゲンは敗者にこそ称号をと歌います。源義経、天草四郎、浅野内匠守、新選組、出番です!日本人の敗者を想う文化はThe Nobility of Failureに Ivan Morrisがまとめています。

さて、Deacon BluesをWake Forest Universityの弱小フットボールチーム、Demon Deaconsに由来するとする説もありますが、フェイゲン自身が否定しています。これはDeacon Jonesというフットボール選手に由来するそう。攻撃的でぶちゃむくれ(谷啓語)なプレースタイル、人柄で知られました。フェイゲンはDeaconが2音節なのでCrimsonと合うのもいいと思ったそうです。このDeaconを「助祭」としている訳を見かけました。残念、これは固有名詞でした。

My back to the wall 1
A victim of laughing chance 2
This is for me
The essence of true romance 2
Sharing the things we know and love 3
With those of my kind
Libations 4
Sensations 4

背水(壁?)の陣
声上げ笑うチャンスの生贄
これは俺のもの
本物の恋のエッセンス
分かちあうんだ 俺たちが知り、愛することを
俺と似たような連中と
献酒と
昂奮が
心によろめく

英語でBack to the wallを背水の陣、とすると耳には心地よくても景色が違うなあ、と悩ましいです。ここでちょっと目立つ言葉はvictimとlibation。後者は要するにお酒ですが、alcohol, drinkでは韻が台無し。それにlibationは生贄を捧げるときに大地に注いだりするお神酒、献げものとしてのお酒をさします。2行目のVictimと響き合うでしょう?それにしてもチャンスがlaughing…って。笑うにもいろいろあります。静かににっこりはsmile,歯をむき出してバカにしたように笑うのはgrin.laughは「声をあげて笑う」。生贄をほふりながら声を挙げて笑う…grinより却って怖いです。力が抜けそう…

I crawl like a viper 1
Through these suburban streets 2
Make love to these women
Languid and bittersweet 2
I'll rise when the sun goes down 3
Cover every game in town 3
A world of my own 4
I'll make it my home sweet home 4

俺はマムシのように這いまわる
町外れのこんな通りをうろうろと
そして愛を交わすのはこんな女たち
けだるく、ほろ苦い
俺は起き出す、日が沈む頃
町中のあらゆるゲームを把握する
俺自身のひとつの世界
楽しい我が家にしてみせる

サックスの練習はどうしたの?そもそも「練習」するつもりはないのかしら。さて、ここで町外れと町中の対比が気になります。語り手は町中の様子は把握しているけれど、そこにはいない。微妙な疎外感が最後の一行でかえって気になります。

蛇と女の組み合わせは、エヴァと誘惑者としての蛇を連想します。ミルトンの「失楽園」ではこの蛇は天使ルシファーの堕ちた化身とされます。ルシファーは天上で自分が一番神に愛されていると思っていたのにもっと愛されている子なる神が登場。これに怒り反逆の戦いを挑むものの敗残、サタンに変えられ、神が愛する人間をたぶらかそうと地上を目指します。このサタン、近代の人間の自由の苦しみとロマンティシズムの原点、と人気があるんです。Deacon Bluesに通じるでしょうか。

 This is the night 1
Of the expanding man 2
I take one last drag
As I approach the stand 2
I cried when I wrote this song 3
Sue me if I play too long 3
This brother is free 4
I'll be what I want to be 4

今夜こそは
意識拡張者の夜
俺は最後の一服吸って
ステージに向かう
俺は泣いた、この曲書きながら
言ってくれ、長くやりすぎたら
この男は自由だ
俺は在りたい俺でいる。

いよいよ演奏のチャンス到来でしょうか。Sue me起訴してくれ、とする訳も見かけました。でもSueはもともと「求めてor手を引くように請う」ことを指します。「おい、いつまで吹いてんだよ。いい加減にしろよ」と言っていいよ、ということでしょう。でも、演奏の途中に伝えるって相当大変…。

さいごのI’ll be what I want to beは「俺はなりたい俺になる」でもいいと思います。ただ、「なりたい自分になる」は自己啓発で使い古されたポジティブ表現。「成る」に10代のようなナイーブさを感じるのは私だけでしょうか。語呂の事情もあるしょうが、ここはbeの「在る」の禅語を思わせるニュアンスを遺したいと思いました。

長文、おつきあいありがとうございます。

ときどき、洋楽の詞なんて適当だという洋楽マニアの日本人を見かけます。そういうアーティストもいるかもしれません。ただ、Steely Danに限って言えば、サウンドをデザインし尽くしているのに、詞が「テキトー」なはずはないと考えます。「酒」ひとつとってもイメージのつながり、韻といった条件からlibation を選ぶという手の込みようです。

洋楽の詞を深く理解するには「言語の技法・作法」という扉を開ける鍵が必要です。鍵を持っていないからと言って扉がないことにしてはなりません。

私たちも完璧の先の自然を求めています
通訳道場★横浜CATS

Please follow and like us:
error