日本軍傷病兵を見た英連邦俘虜が咄嗟に行ったのは…?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

戦争はいつ始まり、終わるのでしょう。

表向きはいがみ合う国家の指導者たちの号令とともに始まり、彼らの宣言をもって終わるように見えます。

でも、細かく見れば、そうした号令を受け入れる素地を人々が用意したときにすでに始まっているとも見えます。いまも戦場を農場、人々の財布、胃袋に変えながら戦争は続いているとも見えます。

また、戦いのさなかに一瞬の平和の光が差すこともあります。国籍、立場から自由に、ひとがひとに戻る瞬間があります。

第二次大戦のさなか、タイのカンチャナブリからバンコクへ向かう鉄路で、日本軍の捕虜となった英連邦の兵士たちの車両と日本軍の傷病兵の車両が近くに居合わせた時がありました。

このときの出来事を想うと、戦争も平和も毎日さまざまな形で生まれては消えていくように思われます。戦争はあの頃のことではない。だから今日も明日も平和を創り出し続けるのです。

泰緬鉄道で強制労働についた元英連邦戦争捕虜、アーネスト・ゴードンさんの「クワイ河収容所」からご紹介します。英日読書会については投稿末のリンクをご覧ください。

「彼らはビルまでの先頭にもはや役立たなくなり、鉄道列車に積み込まれてバンコクへ戻されるレ途中の傷病兵たちであった。(中略)移送中はいっさい手当てが与えられないにもかかわらず生きなければならなかったのだ。
 彼らの状態は見るに耐えかねた。誰もが愕然として息をのんだ。私はそれまで、いや、いまもって、あれほど汚い人間の姿を見たことがない。戦闘服には、泥、血、大便などが固まってこびりついていた。痛々しい傷口は加納氏、全体が膿で覆われて膿の中からは無数のうじが這い出ていた。しかし、うじが化膿した肉を食うことから、壊疽を起こすのは防止されていた。
 私h達は日本兵が俘虜に対して残酷であることを体験してきた。それが何故にであるかということを、いまはっきり見てとった。日本軍は自軍の兵士に対してもこのように残酷なのである。まったく一片の思い遣りすら持たない軍隊なのである。それならば、どうして私たち俘虜への配慮など持ち得ようか。
 負傷兵は遠くを眺めるようなわびしい目で私たちを見ながら、貨車の壁に頭を寄りかからせて座っていた。彼らは死を待つ人々であった。(中略)
 私たちの班の将校たちは、ほとんどの者が、ひと言も発することなく、自分たちの雑能を開き、配給された食糧、布切れ1,2枚、手に水筒を持って、日本兵の列車へ歩きだした。
 私たちを見張っていた番兵は「ノー・グーダッ!ノー・グーダッ!」と叫んでいた。だが私たちをさえぎることができなかった。私たちは番兵の方を見向きもせず、適性のかたわらにひざまずき、水と食べ物を与えていた。そして海をぬぐいとり傷口に布を巻いてやっていた。やがて私たちが戻ってゆくとき、感謝の叫びである「アラガットウ!」という声が、私たちの背に何度も投げかけられた。」(第10章 最後の旅路 382-383ページ)

「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著 齋藤和明訳 ちくま学芸文庫

「クワイ河収容所」はドキュメンタリー告発本ではありません。心のオデッセイです。新型コロウィルスを敵と呼び、ウィルス以上に不安にまみれる今こそこの本を読みたいと思います。消毒薬もマスクも、食事も服もなかった、強制労働しかない収容所から、どうして彼らの心が甦ったのか、静かに尋ねたいと願います。

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横浜保土ヶ谷の英連邦墓地では日本国内で強制労働などにより死亡した捕虜たち2000名ほどが眠ります。
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