【英詩講座レポート⑨】史上初の「いいね」 The Genesis (創世記)1:1-5

通訳藝術道場の冠木友紀子です。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座も第9回となりました。たった9回ですが、なぜかもう100回くらいのような気がします。みずからの問いを手掛かりにたったひとつの詩に2時間向き合う時間はとても密度が濃いのです。

これまでの詩は、一見『めだかの学校』みたいにあどけないものばかりでした。ところが、子どもの心にすっと届くよう選び抜かれた言葉たちは、かえって奥深い綾を織りなしていたのですねえ。

それが今回は「一見『めだかの学校』」どころじゃございません。

「旧約聖書 創世記 1章1-5節」

うう…。

講座でも話題になりました。「なぜこれが英詩として小学4年生に?」

この問いをもとにかいつまんでご報告します。

この英語、いつごろのものと感じますか?

THE CREATION
GENESIS 1:1-5
In the beginning God created the heaven and earth.
And the earth was without form, and void;
and darkness was upon the face of the deep.
And the Spirit of God moved upon the face of the waters.
And God said, Let there be light: and there was light,
And God saw the light, that it was good:
and God divided the light from the darkness.
And God called the light Day,
and the darkness he called Night.
And the evening and the morning were the first day

1900年ごろ?1850年ごろ?それとも1800年?

実は、1611年に出版されたものです。江戸初期の日本語よりずっと現代に近く感じませんか?

これは欽定訳聖書。欽の字は金欠と書くのに王様のことなのが不思議ですが、ジェームズ1世(スコットランドではジェームズ6世)の命により進められ、初めて全巻翻訳が完成した英訳聖書です。

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いまでこそどこの本屋さんでも聖書を売っています。キリスト教主義学校では新入生に入学祝いとして聖書を贈り、毎朝の礼拝でほんの少しずつ精読、講話を聴きます。(このスタイルが私の詩の読みに大いに影響しています。)

でも、昔、カトリックの世界では聖書は専門職のものだったのです。一般ピーポーが読むと間違うから無理、ダメとされていたのです。

よく凝りに凝ったキンキラキンの写本が博物館に展示されているでしょう?あれが本屋さんに並んでいるわけがありません。修道院や教会の外に出ることのない1点ものです。

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なので、ルターが「聖書と信仰のみ」と言い出したのは大変なことでした。

イギリスでもウィクリフ(1320頃―1384)、ティンダル(1494(5)-1536)が、ギリシャ語、ヘブライ語の聖書原典を英訳しようとつとめました。(この前にもすごい人たちがいますが、長くなるので割愛します。)

ところが、ウィクリフはカトリックに死後異端と決めつけられ、遺体を掘り起こされ著書と共に火あぶりにされるという何とも恐ろしいことに。

ティンダルは離婚再婚しまくりのヘンリー8世と対立し、国外逃避行の最中ベルギーでこれまた火あぶりにされます。

気の毒な最期を迎えたティンダルですが、子どもにもすっと伝わるような翻訳を心がけたとされ、のちの欽定訳の土台になりました。

ウィクリフやティンダルにしてみれば、王様が「俺が責任取るからとにかくやれ」と命じ、一般ピーポーも読める英語聖書が生まれるなんて、夢のような話でしょう。

さて、聖書は何のためにあるのでしょう?

民族の歴史を記し…預言者の声を残し…とさまざまですが、なによりひとの心を動かし、信仰を抱かせることでしょう。

ならば、心に響くような工夫を凝らさないはずがありません。

おのずと、始めから終わりまで工夫を凝らした一大文学作品となったのです。散文の部分まで、ありきたりの論文やジャーナリズムのような散文とは次元が違います。

だから、英詩としてWaldorf Book of Poetryに収録されているのでしょう。

英語と縁のある日本の皆さんも、信仰は別として、英語聖書をひもとくことを強くおすすめします。

それに、ちょっと面白いこともあります。

今回の部分には「神の霊が水のおもてを被って」とあります。でも、ちょっと先まで読んでみると「大地は乾いていた。でも地下から水が湧いた」のようなことが書いてあります。

さらに、「神は人を男と女に創造された」と書いてあるのに、その後でアダムのあばらからエバが造られる話が出てきます。

ん?おーい、編集者!

これ、別々の資料のつなぎ合わせという説が有力です。前者はP(Priest祭司)資料と呼ばれ、神こそ創り主、と念押しします。後者はJ(ヤハウィスト)資料と呼ばれ、あまり神話的ではなく、社会的、歴史的な記述が目につきます。

昔はモーセが旧約聖書最初の5巻、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はひとりで書いたということになっていましたが、本当ならちょっとアウトプット過剰では?

さて、今回の部分に戻りますと…

①プレグナントな瞬間

さて、P資料部分の欽定訳、音読してみると、心拍のように心地よいリズムが感じられます。まるで胎児の身体に血が巡り、心臓が脈を打ち始めるときのようです。

赤ちゃんつながりで思い出されるのは高橋巌先生著の「デュオニソスの美学」です。この本のなかで高橋先生は繰り返し「プレグナントな瞬間」と書かれます。プレグナントは語源的には「誕生gnantに先立つpre」という意味です。誕生の一瞬前に生まれ来るものを想い、胸高鳴るときです。

4.5年生ともなれば、絵を描くにも、文章を書くにも、この胸の高鳴りを知るのではないでしょうか。まだ世と一体の幼子は知らない緊張と興奮を。

In the beginning…と声に出す前に、このプレグナントな一瞬を想いたいものです。

②光にまかせ?

日本語では「光あれ」の部分、なんだか光が「親分、お呼びですかい」と飛んでくるよう…と妄想するのは私だけでしょうか。

ここ、英語ではLet there be light.です。Let S VはSがそうしたいと願うままにさせる、というニュアンスです。光自身が「世に在りたい」と願い、神様は「いいよ」と認めたということでしょうか。And God sawa the light, that it was good.そして神は「いいね」した。史上初の「いいね」です。このあとずっと「いいよ」「いいね」が続きます。

今日の世界を神様が眺めたら「いいね」できる?なんてことを問う子どももいるかもしれません。

③エロヒム?

しばしば日本のひとたちが一神教のことを単純化し過ぎているのが気になります。これについては別稿にて。

「私以外を神としてはならない」なんて、「私」以外に誰もいなかったら言うもんですか。

さて、Waldorf Book of Poetryでは欽定訳の左隣にヘブライ語のアルファベット音写があります。フリガナ(?)どおり音読すると、真言のような迫力がありますがさっぱり分かりません。一言を除いては。エロヒムです。

(シュタイナーによるエロヒム説も講座では触れましたが、ここでは「語」に注目します。)

英語では神はずっとGodですが、ヘブライ語ではElohimと書かれています。
この語はアッラーをはじめ、中近東のさまざまな神の名と語源を共有しています。ときに単数扱いされたり、複数扱いされたり、はたまた動詞の形も単複揺れがあったり…ととても複雑です。

とかく私たちは海外というと欧米ばかり想像したり、その源をギリシャ・ローマまでしか認識しなかったりします。

まだその奥があるのです。

そして今週土曜、7月17日はなんと詩篇23篇「主はわが羊飼い」です。
お申し込みはこちらからどうぞ。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 第10回 The 23rd Psalm

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【英詩講座レポート⑧】人間はそんなに偉いか?-“Unstooping” by Walter De La Mare

第1回でとりあげたウォルター・デ・ラ・メア(1873-1956)。
Some Oneでは人間の世界の向こうに広がる、自然の世界の不思議を感じさせてくれましたー夜明け前の森の小屋の扉を叩くノックの音…扉を開けると誰もいなくて、向こうの森からはフクロウの声…

さて、今回は…?

え?なんだか人間中心、動物に優位?

え、まさかデ・ラ・メアが、そんな…

Unstooping 
                       Walter De La Mare 
 
Low on his fours the Lion 
Treads with the surly Bear;
But Men straight upward from the dust
Walk with their heads in air;
The free sweet winds of heaven,
The sunlight from on high
Beat on their clear bright cheeks and brows
As they go striding by;
The doors of all their houses
They arch so they may go,
Uplifted o’er the four-foot beasts,
Unstooping, to and fro.

1,2行目のLion, Bearは大文字でしかもtheがついています。
初登場でtheがついていると、ライオンのなかのライオン、ライオンたるもの、というふうに本質を体現する代表を示します。「ライオンは百獣の王である」のライオンはthe Lion ですが、「オスのライオンは子育ても狩りもせず昼寝ばかりしている」はthe ではなく、そんじょそこらのa lionです。

さて、のしのしと大地をふみしめる立派なザ・ライオン(ビール?)とザ・熊と対比される人間は…ただのMen。ザ・人間ではなくただの複数形の「人々」。3行目のdust (塵)からまっすぐ立ち上がる、のくだりは、土くれから作られたアダムが神様の息吹に魂をもって人として生き始めた、アダムの創造を想い起こします。

アダムの創造は1回きりではないのでしょう。
ひとりひとりがアダムであり、「人々」はそれぞれ日々創造され続けているのです。

そのことが、第2連の天の風と光という精神の糧を頬に受け続け、晴れやかな面差しでいる、あたりに現れているのではないでしょうか。

strideも大股でさっそうと歩いていて爽快です。

第3連、玄関扉がアーチしているのは直立姿勢を保つため、と聞いた子どもは、アーチ扉を見るたびに思わず姿勢を整えるでしょうね。

close up photography of brown lion
Photo by Pixabay on Pexels.com

直立、とは書きましたが、デ・ら・メアはuprightという言葉は使っていません。upliftedと過去分詞です、受け身です。人がまっすぐ立つのは自分の気合頼みではなく、天から引き上げられてのことなのだ、と思えます。

そして最終行はunstoopingとタイトルにもなっている語で始まります。

unstoopで辞書を引いてみてください。たいていの辞書にはないでしょう?。OEDでも用例は4,5文しか載っていません。そんな言葉、第一印象はきっと「造語」です。しかも否定の接頭辞unがついています。

人間は肯定文を想像し、それをもとに否定文を作ります。いきなり否定文は作れません。

Unstoopingの場合、まずstoop(身をかがめる)が目に浮かびます。これは受け身ではなく、自動詞の現在分詞です。自分でしちゃうんですね。

となると…どうも「人間よ、お前は動物より優位だ。世に君臨せよ」とはだいぶニュアンスが違います。そもそも「人間の皆さん」がそんなつもりになったらSDGsどころではありません。

実は、この詩に描かれている人間はそんな強者ではないように思うのです。

弱い人間が絶望にうなだれ、孤立するのは簡単。

だからこそ、他者と共に、自らのみをより頼むのではなく、天に任せ、望みをもって思うように歩み続けよ、と励ましているのではないでしょうか。

この詩が何年に書かれたのかは不明です。

ただ、1910年ごろから英仏露と独・オスマン・ハンガリーの関係が悪化し、戦争の暗雲が近づきます。

人間がみずからの内なる獣性に屈服し、互いに戦い続ける時代の到来です。
立派なライオン、立派な熊が呆れるようなことを人間が性懲りもなく続けた時代です。

そんな時代に飲み込まれた普通の人々を、この詩は激励しているように思います。

新コロ騒動をデ・ラ・メアだったらどう描くことでしょう。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座、明後日は何と旧約聖書、創世記の出だしです。
英語表現を深く理解するには、キリスト教の知識が不可欠です。一方通行講義はしません(できません)。ご参加の皆さんの疑問、発想を中心に一緒に旅をします。ぜひご参加ください。

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