【英詩講座レポート⑤】一見ちゃらい詩こそ侮れない!”Grasshopper Green” by George Cooper

こんにちは!通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

GWの最中、しかも週末だというのに、無粋にも「シュタイナー学校の先生のための英詩講座、第5回」を開きました。それくらい、英詩を皆さんと読むひとときは、深い喜びに満たされるんです。「楽しい」「わくわく」なんて言葉では表せないほどです。この喜びが「いまを生きる」のキーティング先生を支えてもいたのでしょう。

それにしても、おおつきあいくださった先生方、ありがとうございます。ご家族のみなさま、すみません。

さて、この講座の準備のごく一部をお裾分けいたします。

今回の詩は「Grasshopper Green」。

Waldorf Book of Poetryには作者名が書かれていませんが、アメリカのGeorge Cooper(1840ー1927)であることがわかっています。

(スマホの縦画面では改行が見にくいかもしれません。)

Grasshopper Green by George Cooper

Grasshopper Green is a comical chap; 
He lives on the best of fare. 
Bright little trousers, jacket and cap, 
These are his summer wear. 
Out in the meadow he loves to go, 
Playing away in the sun; 
It’s hopperty, skipperty, high and low--- 
Summer’s the time for fun.

Grasshopper Green has a quaint little house:
It’s under the hedgerow gay.
Grandmother Spider, as still as a mouse,
Watches him over the way.
Gladly he’s calling the children, I know,
Out in the beautiful sun;
It’s hopperty, skipperty, high and low---
Summer’s the time for fun

青々バッタはおかしな輩、
もっぱら食べるは大御馳走。
派手な短パン、上着に帽子
これが夏のお召し物。
おもての茂みがお気に入り
遊びまくって日向ぼこ。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

青々バッタのイカした庵は
楽しい生垣、その下に。
蜘蛛の婆さん、鼠のようにじっとして
ずっと見守る、やっこさんを。
ご機嫌上々やっこさん、子どもら呼び出す
まことにみごとな日向へと。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。
(訳 冠木友紀子 )

ふむ。

まあ、韻はふんでますね。

Hopperty, Skippertyの強弱弱のパターンが詩全体に通っていて、バッタの動きそのものを反映しているのね…

でも、別に深遠な謎は感じない…

AllinghamGravesの詩はよかった…妖精のことを描いているのに、詩人は妖精と目を合わせないし、言葉も交わさない。それが人間と妖精の距離。すぐ近くにいるのに、別の世界を作っている。人間の常識を超えた異界だから。

なのに!これじゃまるでディズニー。擬人化し放題。まあ、アメリカの方がこの詩をもとに作ったアニメもYouTubeにごっそりあるし。アメリカってそんなもんかしら…

第2連は…あら?突然the childrenって誰?

蜘蛛の婆さんが見守るというのものんきな情景。蜘蛛さん、もうおばあちゃんだから、動けないのかしら。

と思ったところで、Waldorf Book of Poetryでとりあげられているこの詩は、全3連中、元の第2連が抜けた版であることを発見。第1連と第3連だけでもバッタの幸せな「衣食住」というピースは揃うのですが、もとの第2連が気になります。

Grasshopper Green has a dozen wee boys,
And, soon as their legs grow strong,
All of them join in his frolicsome joys,
Humming his merry song.
Under the leaves in a happy row,
Soon as the day has begun,
It's hopperty, skipperty, high and low:
Summer's the time for fun!

青々バッタは十二の子福、
脚が丈夫に育つやいなや
倅揃って親父と遊ぶ、
親父の歌に鼻歌合わせ。
草葉の下に楽しく並び
朝まだきから
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

ほほう、the childrenはここにでてきたa wee dozen boysのことのようです。いきなりtheはぎょっとしました。途中を端折るとこういうところが辻褄合わなくなるのです。

もとの第2連、バッタの息子たちは父から学び、父と共に歌い、育っていきます。なんとものどかな風景です。

ふと、ここで正反対の風景が頭をよぎりました。父は仕事、息子たちは学校。父から息子たちが学ぶことはなく、共に楽しむこともない。戦争になれば皆兵隊にとられていく。

それに比べたら、もとの第2連は平和そのものです。

第3連の蜘蛛の婆さんとも、食うもの、食われるもの、という関係ではありません。そういえば、似たような風景が…

そう、イザヤ書11章「エッサイの根より…」で始まる究極の平和の風景です。

狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
(イザヤ書 11章)

この詩はバッタのおおいに結構な日常を描きつつ、じわじわと平和への願いをこめていると言えそうです。

ここからは野暮な調べものです。詩を一言一言じっくり読むことと、調べもののバランスが崩れるほど、野暮なことはありません。そのことを肝に銘じた上で…

クーパーはNY下町のthe Boweryザ・バウワリに生まれます。今は安宿、安居酒屋街のようですが、1840年の頃は緑豊かな遊び場に恵まれていたようです。

13歳のころに実学志向な親の意向で大規模な学校に転校させられます。この学校がどうも合わなかったようで、当時から休み時間に忍び出た校庭で出会った生き物を主題に詩を作り、心なぐさめて過ごしました。(バッタの父子とはだいぶ違います!)

その後も法律を学ぶべし、という親の方針に従い、弁護士事務所に弟子入り、みずからも資格を得ますが、出世欲とは無縁だったようです。この間もあちこちの文芸雑誌に投稿、掲載されます。

そして南北戦争(1861-65)中、クーパーが作詩、14歳年上のスティーブン・C.・ フォスターが作曲し「戦時歌謡」を量産、ヒットを飛ばします。

もう、ゲティスバーグの戦いで撃たれた太鼓兵の少年が、かけつけた母の胸で息絶える歌などは劇的で、日本の「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌」を思わせます。

ところが、1863年1月、ザ・バウワリの安宿を転々としていたフォスターは熱を出してホテルで寝込みます。その数日後、メイドから連絡を受けたクーパーが駆けつけると、フォスターは床に広がる血の海に横たわっていました。

その時のことをクーパーはこう書いています。
“He lay there on the floor, naked, suffering horribly. He had wonderful big brown eyes, and they looked up at me with an appeal I can never forget. He whispered, ‘I’m done for.'”
「フォスターは床に横たわっていた。裸のままでひどく苦しんでいた。その見事な茶色の大きな瞳で私を見上げた。あの訴えるような眼差しを忘れられようか。そして彼はささやいた。『もうだめだ。』」

3日間の加療も空しく、フォスターは37歳で世を去りました。クーパーがフォスターの親族にその死を伝えた電報がこちらです。

(Western Union社サイトより)

フォスターの死が、親族が公表した通り、高熱で倒れた拍子に陶器の洗面台に頭と首をぶつけ切り傷を負ったためなのか、そうでないのかは諸説あり謎のままです。

フォスターとクーパーの関係についても芸能レポートなみに諸説あります。

左がフォスター、右がクーパー

ただ、私は南北戦争を背景に一世を風靡したフォスターとクーパー、そして彼らの蜜月時代の突然の衝撃的な終わりが、この詩の第2連と対照をなしているように感じられるのです。

フォスターは職業作曲家として音楽で身を立て、彗星のごとく現れ、消えてゆきました。

一方、クーパーは作詩を稼業とはしませんでした。「『イーリアス』のような立派な詩よりも、子どもがひとりでも喜ぶような詩を書きたい」と周囲に語り、書き続け、87歳で天寿をまっとうしたそうです。

野暮な調べものでございました。詩を読む前に作者のことをいろいろ調べるのはかえって楽しみを台無しにするように思われます。あくまでも詩を何度も読み、唱え、覚え、口をついて出てくるようになじむ。そして、ふと、何かが気にかかる。調べものはそれからです。そうして、自分の小さな好き嫌いの枠が壊れてゆくように思います。

第6回 シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加もOKです。
次回は“Duck’s Ditty” by Kenneth Grahame を読みましょう。

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【英詩講座レポート④】抵抗勢力を理解するためにこそ悪戦苦闘する

通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

すっかり報告が遅れましたが、シュタイナー学校の先生のための英詩講座も第4回を終えました。

とりあげる詩は、参加者や私の好みは脇におき、ひとまず英語圏の小学4年におすすめとされる詩を読んでいます。

第3回までは感動の深読み、細やかな気づきでパーンと開ける扉がいくつもあったのですが…第4回はこちら。Molly de HavasのSeeds…これが実はなんとも…

アメリカのシュタイナー教育関係のサイトには大人の喜びの声があふれています。
「何度も繰り返し、暗誦できるようになったらリズムがほんとに生き生きしてきて…」
「サステイナブルな家庭菜園での子育てにぴったり…

春待つ心が弾むようではあります、が…

SEEDS
Molly De Havas

After Christmas it’s time to be thinking of Spring,
And the flowers and vegetables springtime will bring.
We must go to a shop and choose packets of seeds
To be sown in the garden to fill all our needs.

First the weeds must be pulled and the clean earth laid bare.
Then dug over, and broken, and levelled with care;
Next in furrows and holes that we’ve made in the earth
We will plant the brown seeds, and with joy wait their birth.

(The Waldorf Book of Poetry, ed. by David Kennedy, 
Living Arts Books, Wisconsin, 2012, p.100)

うーむ。私たちの頭の上に「?」が立っているのが見えるようでした。

毎年、「お店」に行って「袋に入った種」を「選んで買う」?!
そして自分たちの「ニーズ」を満たさせる?
土を掘っくり返して耕す?
種からの「誕生」を待つ?

私たち、といえばバイオダイナミック農法に詳しく、日本の不耕起栽培、自家採種にも興味津々。

種はその土地に合ったものがその土地で採れるでしょう?
植物の一生から、私たちはお裾分けをいただくのでしょう?
むやみに耕すと表土の微生物が迷惑するでしょう?
植物は死なないでしょう?種は種として生きているでしょう?

もう、詩どころではありません。

ここらで深呼吸。

詩の内容に議論ふっかけるなんて野暮。それでは詩を読んだことにはならないのでは。

ここで思い出されたのが高橋巌さんのお話(2021年3月20日、於:横浜の朝カル)です。表現は正確ではないかもしれませんが…優しいお声にはっとしました。

「シュタイナーは時代とともにあろうと悪戦苦闘しました。ナチスをやっつけようと悪戦苦闘したのではありません。どうして時代がナチスの存在を許しているのか、どうしてナチスはそう考えるのか理解しようと悪戦苦闘したんです。」

そう、仲間内の「わたしたち」を理解するのは心地よいもの。でも、「あのひとたち」を理解するのは楽でない。だからこそ悪戦苦闘して理解しようと願う。

私たちもそれに倣おう、ということになりました。シュタイナーとナチスに比べたら(?)もうほとんど仲間内のような詩です。自分たちの物差しをあてて見下すなんて小さい、小さい。

なにごとにも段階がある。神社だって奥の院だけでは誰も来ません。参道には縁日があり、鳥居をいくつもくぐって本殿、そして奥の院へ。ものごとにはふさわしい居場所がある。

小さい自分は脇に置き、何度も声に出して読み、風景を細やかに思い描きます。

文字で伝えるのはなかなか大変ですが…タンタタ、タンタタ♩♫♩♫♩♫のような
リズムのパターンが心地よく続きます。

2行ずつの脚韻もわかりやすい。

おや、1行が長く、1文も長い。

thinking of A, B and Cやmust be A, B and Cのように畳みかけるよう。

そういえば、must, willが多い!

これはクリスマス節を過ぎて、もう待ちきれない心のなかの予定を描いているのですね。まだ実行していないんです。だからばかに順調に聞こえるんでしょう。

筆者、Molly de Havasは生没年、1904-1952年のほかはわかりません。他にThe Knightが知られていますが、これもちょっとナイーブ…

それが、20世紀前半のアメリカの市民生活ののどかさなのかもしれません。

今日、彼女の詩に出会う子どもたちはどう感じるか興味深いところです。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加 OKです。

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