【英詩講座レポート⑨】史上初の「いいね」 The Genesis (創世記)1:1-5

通訳藝術道場の冠木友紀子です。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座も第9回となりました。たった9回ですが、なぜかもう100回くらいのような気がします。みずからの問いを手掛かりにたったひとつの詩に2時間向き合う時間はとても密度が濃いのです。

これまでの詩は、一見『めだかの学校』みたいにあどけないものばかりでした。ところが、子どもの心にすっと届くよう選び抜かれた言葉たちは、かえって奥深い綾を織りなしていたのですねえ。

それが今回は「一見『めだかの学校』」どころじゃございません。

「旧約聖書 創世記 1章1-5節」

うう…。

講座でも話題になりました。「なぜこれが英詩として小学4年生に?」

この問いをもとにかいつまんでご報告します。

この英語、いつごろのものと感じますか?

THE CREATION
GENESIS 1:1-5
In the beginning God created the heaven and earth.
And the earth was without form, and void;
and darkness was upon the face of the deep.
And the Spirit of God moved upon the face of the waters.
And God said, Let there be light: and there was light,
And God saw the light, that it was good:
and God divided the light from the darkness.
And God called the light Day,
and the darkness he called Night.
And the evening and the morning were the first day

1900年ごろ?1850年ごろ?それとも1800年?

実は、1611年に出版されたものです。江戸初期の日本語よりずっと現代に近く感じませんか?

これは欽定訳聖書。欽の字は金欠と書くのに王様のことなのが不思議ですが、ジェームズ1世(スコットランドではジェームズ6世)の命により進められ、初めて全巻翻訳が完成した英訳聖書です。

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いまでこそどこの本屋さんでも聖書を売っています。キリスト教主義学校では新入生に入学祝いとして聖書を贈り、毎朝の礼拝でほんの少しずつ精読、講話を聴きます。(このスタイルが私の詩の読みに大いに影響しています。)

でも、昔、カトリックの世界では聖書は専門職のものだったのです。一般ピーポーが読むと間違うから無理、ダメとされていたのです。

よく凝りに凝ったキンキラキンの写本が博物館に展示されているでしょう?あれが本屋さんに並んでいるわけがありません。修道院や教会の外に出ることのない1点ものです。

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なので、ルターが「聖書と信仰のみ」と言い出したのは大変なことでした。

イギリスでもウィクリフ(1320頃―1384)、ティンダル(1494(5)-1536)が、ギリシャ語、ヘブライ語の聖書原典を英訳しようとつとめました。(この前にもすごい人たちがいますが、長くなるので割愛します。)

ところが、ウィクリフはカトリックに死後異端と決めつけられ、遺体を掘り起こされ著書と共に火あぶりにされるという何とも恐ろしいことに。

ティンダルは離婚再婚しまくりのヘンリー8世と対立し、国外逃避行の最中ベルギーでこれまた火あぶりにされます。

気の毒な最期を迎えたティンダルですが、子どもにもすっと伝わるような翻訳を心がけたとされ、のちの欽定訳の土台になりました。

ウィクリフやティンダルにしてみれば、王様が「俺が責任取るからとにかくやれ」と命じ、一般ピーポーも読める英語聖書が生まれるなんて、夢のような話でしょう。

さて、聖書は何のためにあるのでしょう?

民族の歴史を記し…預言者の声を残し…とさまざまですが、なによりひとの心を動かし、信仰を抱かせることでしょう。

ならば、心に響くような工夫を凝らさないはずがありません。

おのずと、始めから終わりまで工夫を凝らした一大文学作品となったのです。散文の部分まで、ありきたりの論文やジャーナリズムのような散文とは次元が違います。

だから、英詩としてWaldorf Book of Poetryに収録されているのでしょう。

英語と縁のある日本の皆さんも、信仰は別として、英語聖書をひもとくことを強くおすすめします。

それに、ちょっと面白いこともあります。

今回の部分には「神の霊が水のおもてを被って」とあります。でも、ちょっと先まで読んでみると「大地は乾いていた。でも地下から水が湧いた」のようなことが書いてあります。

さらに、「神は人を男と女に創造された」と書いてあるのに、その後でアダムのあばらからエバが造られる話が出てきます。

ん?おーい、編集者!

これ、別々の資料のつなぎ合わせという説が有力です。前者はP(Priest祭司)資料と呼ばれ、神こそ創り主、と念押しします。後者はJ(ヤハウィスト)資料と呼ばれ、あまり神話的ではなく、社会的、歴史的な記述が目につきます。

昔はモーセが旧約聖書最初の5巻、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はひとりで書いたということになっていましたが、本当ならちょっとアウトプット過剰では?

さて、今回の部分に戻りますと…

①プレグナントな瞬間

さて、P資料部分の欽定訳、音読してみると、心拍のように心地よいリズムが感じられます。まるで胎児の身体に血が巡り、心臓が脈を打ち始めるときのようです。

赤ちゃんつながりで思い出されるのは高橋巌先生著の「デュオニソスの美学」です。この本のなかで高橋先生は繰り返し「プレグナントな瞬間」と書かれます。プレグナントは語源的には「誕生gnantに先立つpre」という意味です。誕生の一瞬前に生まれ来るものを想い、胸高鳴るときです。

4.5年生ともなれば、絵を描くにも、文章を書くにも、この胸の高鳴りを知るのではないでしょうか。まだ世と一体の幼子は知らない緊張と興奮を。

In the beginning…と声に出す前に、このプレグナントな一瞬を想いたいものです。

②光にまかせ?

日本語では「光あれ」の部分、なんだか光が「親分、お呼びですかい」と飛んでくるよう…と妄想するのは私だけでしょうか。

ここ、英語ではLet there be light.です。Let S VはSがそうしたいと願うままにさせる、というニュアンスです。光自身が「世に在りたい」と願い、神様は「いいよ」と認めたということでしょうか。And God sawa the light, that it was good.そして神は「いいね」した。史上初の「いいね」です。このあとずっと「いいよ」「いいね」が続きます。

今日の世界を神様が眺めたら「いいね」できる?なんてことを問う子どももいるかもしれません。

③エロヒム?

しばしば日本のひとたちが一神教のことを単純化し過ぎているのが気になります。これについては別稿にて。

「私以外を神としてはならない」なんて、「私」以外に誰もいなかったら言うもんですか。

さて、Waldorf Book of Poetryでは欽定訳の左隣にヘブライ語のアルファベット音写があります。フリガナ(?)どおり音読すると、真言のような迫力がありますがさっぱり分かりません。一言を除いては。エロヒムです。

(シュタイナーによるエロヒム説も講座では触れましたが、ここでは「語」に注目します。)

英語では神はずっとGodですが、ヘブライ語ではElohimと書かれています。
この語はアッラーをはじめ、中近東のさまざまな神の名と語源を共有しています。ときに単数扱いされたり、複数扱いされたり、はたまた動詞の形も単複揺れがあったり…ととても複雑です。

とかく私たちは海外というと欧米ばかり想像したり、その源をギリシャ・ローマまでしか認識しなかったりします。

まだその奥があるのです。

そして今週土曜、7月17日はなんと詩篇23篇「主はわが羊飼い」です。
お申し込みはこちらからどうぞ。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 第10回 The 23rd Psalm

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【英詩講座レポート⑤】一見ちゃらい詩こそ侮れない!”Grasshopper Green” by George Cooper

こんにちは!通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

GWの最中、しかも週末だというのに、無粋にも「シュタイナー学校の先生のための英詩講座、第5回」を開きました。それくらい、英詩を皆さんと読むひとときは、深い喜びに満たされるんです。「楽しい」「わくわく」なんて言葉では表せないほどです。この喜びが「いまを生きる」のキーティング先生を支えてもいたのでしょう。

それにしても、おおつきあいくださった先生方、ありがとうございます。ご家族のみなさま、すみません。

さて、この講座の準備のごく一部をお裾分けいたします。

今回の詩は「Grasshopper Green」。

Waldorf Book of Poetryには作者名が書かれていませんが、アメリカのGeorge Cooper(1840ー1927)であることがわかっています。

(スマホの縦画面では改行が見にくいかもしれません。)

Grasshopper Green by George Cooper

Grasshopper Green is a comical chap; 
He lives on the best of fare. 
Bright little trousers, jacket and cap, 
These are his summer wear. 
Out in the meadow he loves to go, 
Playing away in the sun; 
It’s hopperty, skipperty, high and low--- 
Summer’s the time for fun.

Grasshopper Green has a quaint little house:
It’s under the hedgerow gay.
Grandmother Spider, as still as a mouse,
Watches him over the way.
Gladly he’s calling the children, I know,
Out in the beautiful sun;
It’s hopperty, skipperty, high and low---
Summer’s the time for fun

青々バッタはおかしな輩、
もっぱら食べるは大御馳走。
派手な短パン、上着に帽子
これが夏のお召し物。
おもての茂みがお気に入り
遊びまくって日向ぼこ。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

青々バッタのイカした庵は
楽しい生垣、その下に。
蜘蛛の婆さん、鼠のようにじっとして
ずっと見守る、やっこさんを。
ご機嫌上々やっこさん、子どもら呼び出す
まことにみごとな日向へと。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。
(訳 冠木友紀子 )

ふむ。

まあ、韻はふんでますね。

Hopperty, Skippertyの強弱弱のパターンが詩全体に通っていて、バッタの動きそのものを反映しているのね…

でも、別に深遠な謎は感じない…

AllinghamGravesの詩はよかった…妖精のことを描いているのに、詩人は妖精と目を合わせないし、言葉も交わさない。それが人間と妖精の距離。すぐ近くにいるのに、別の世界を作っている。人間の常識を超えた異界だから。

なのに!これじゃまるでディズニー。擬人化し放題。まあ、アメリカの方がこの詩をもとに作ったアニメもYouTubeにごっそりあるし。アメリカってそんなもんかしら…

第2連は…あら?突然the childrenって誰?

蜘蛛の婆さんが見守るというのものんきな情景。蜘蛛さん、もうおばあちゃんだから、動けないのかしら。

と思ったところで、Waldorf Book of Poetryでとりあげられているこの詩は、全3連中、元の第2連が抜けた版であることを発見。第1連と第3連だけでもバッタの幸せな「衣食住」というピースは揃うのですが、もとの第2連が気になります。

Grasshopper Green has a dozen wee boys,
And, soon as their legs grow strong,
All of them join in his frolicsome joys,
Humming his merry song.
Under the leaves in a happy row,
Soon as the day has begun,
It's hopperty, skipperty, high and low:
Summer's the time for fun!

青々バッタは十二の子福、
脚が丈夫に育つやいなや
倅揃って親父と遊ぶ、
親父の歌に鼻歌合わせ。
草葉の下に楽しく並び
朝まだきから
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

ほほう、the childrenはここにでてきたa wee dozen boysのことのようです。いきなりtheはぎょっとしました。途中を端折るとこういうところが辻褄合わなくなるのです。

もとの第2連、バッタの息子たちは父から学び、父と共に歌い、育っていきます。なんとものどかな風景です。

ふと、ここで正反対の風景が頭をよぎりました。父は仕事、息子たちは学校。父から息子たちが学ぶことはなく、共に楽しむこともない。戦争になれば皆兵隊にとられていく。

それに比べたら、もとの第2連は平和そのものです。

第3連の蜘蛛の婆さんとも、食うもの、食われるもの、という関係ではありません。そういえば、似たような風景が…

そう、イザヤ書11章「エッサイの根より…」で始まる究極の平和の風景です。

狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
(イザヤ書 11章)

この詩はバッタのおおいに結構な日常を描きつつ、じわじわと平和への願いをこめていると言えそうです。

ここからは野暮な調べものです。詩を一言一言じっくり読むことと、調べもののバランスが崩れるほど、野暮なことはありません。そのことを肝に銘じた上で…

クーパーはNY下町のthe Boweryザ・バウワリに生まれます。今は安宿、安居酒屋街のようですが、1840年の頃は緑豊かな遊び場に恵まれていたようです。

13歳のころに実学志向な親の意向で大規模な学校に転校させられます。この学校がどうも合わなかったようで、当時から休み時間に忍び出た校庭で出会った生き物を主題に詩を作り、心なぐさめて過ごしました。(バッタの父子とはだいぶ違います!)

その後も法律を学ぶべし、という親の方針に従い、弁護士事務所に弟子入り、みずからも資格を得ますが、出世欲とは無縁だったようです。この間もあちこちの文芸雑誌に投稿、掲載されます。

そして南北戦争(1861-65)中、クーパーが作詩、14歳年上のスティーブン・C.・ フォスターが作曲し「戦時歌謡」を量産、ヒットを飛ばします。

もう、ゲティスバーグの戦いで撃たれた太鼓兵の少年が、かけつけた母の胸で息絶える歌などは劇的で、日本の「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌」を思わせます。

ところが、1863年1月、ザ・バウワリの安宿を転々としていたフォスターは熱を出してホテルで寝込みます。その数日後、メイドから連絡を受けたクーパーが駆けつけると、フォスターは床に広がる血の海に横たわっていました。

その時のことをクーパーはこう書いています。
“He lay there on the floor, naked, suffering horribly. He had wonderful big brown eyes, and they looked up at me with an appeal I can never forget. He whispered, ‘I’m done for.'”
「フォスターは床に横たわっていた。裸のままでひどく苦しんでいた。その見事な茶色の大きな瞳で私を見上げた。あの訴えるような眼差しを忘れられようか。そして彼はささやいた。『もうだめだ。』」

3日間の加療も空しく、フォスターは37歳で世を去りました。クーパーがフォスターの親族にその死を伝えた電報がこちらです。

(Western Union社サイトより)

フォスターの死が、親族が公表した通り、高熱で倒れた拍子に陶器の洗面台に頭と首をぶつけ切り傷を負ったためなのか、そうでないのかは諸説あり謎のままです。

フォスターとクーパーの関係についても芸能レポートなみに諸説あります。

左がフォスター、右がクーパー

ただ、私は南北戦争を背景に一世を風靡したフォスターとクーパー、そして彼らの蜜月時代の突然の衝撃的な終わりが、この詩の第2連と対照をなしているように感じられるのです。

フォスターは職業作曲家として音楽で身を立て、彗星のごとく現れ、消えてゆきました。

一方、クーパーは作詩を稼業とはしませんでした。「『イーリアス』のような立派な詩よりも、子どもがひとりでも喜ぶような詩を書きたい」と周囲に語り、書き続け、87歳で天寿をまっとうしたそうです。

野暮な調べものでございました。詩を読む前に作者のことをいろいろ調べるのはかえって楽しみを台無しにするように思われます。あくまでも詩を何度も読み、唱え、覚え、口をついて出てくるようになじむ。そして、ふと、何かが気にかかる。調べものはそれからです。そうして、自分の小さな好き嫌いの枠が壊れてゆくように思います。

第6回 シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加もOKです。
次回は“Duck’s Ditty” by Kenneth Grahame を読みましょう。

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【英詩講座レポート④】抵抗勢力を理解するためにこそ悪戦苦闘する

通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

すっかり報告が遅れましたが、シュタイナー学校の先生のための英詩講座も第4回を終えました。

とりあげる詩は、参加者や私の好みは脇におき、ひとまず英語圏の小学4年におすすめとされる詩を読んでいます。

第3回までは感動の深読み、細やかな気づきでパーンと開ける扉がいくつもあったのですが…第4回はこちら。Molly de HavasのSeeds…これが実はなんとも…

アメリカのシュタイナー教育関係のサイトには大人の喜びの声があふれています。
「何度も繰り返し、暗誦できるようになったらリズムがほんとに生き生きしてきて…」
「サステイナブルな家庭菜園での子育てにぴったり…

春待つ心が弾むようではあります、が…

SEEDS
Molly De Havas

After Christmas it’s time to be thinking of Spring,
And the flowers and vegetables springtime will bring.
We must go to a shop and choose packets of seeds
To be sown in the garden to fill all our needs.

First the weeds must be pulled and the clean earth laid bare.
Then dug over, and broken, and levelled with care;
Next in furrows and holes that we’ve made in the earth
We will plant the brown seeds, and with joy wait their birth.

(The Waldorf Book of Poetry, ed. by David Kennedy, 
Living Arts Books, Wisconsin, 2012, p.100)

うーむ。私たちの頭の上に「?」が立っているのが見えるようでした。

毎年、「お店」に行って「袋に入った種」を「選んで買う」?!
そして自分たちの「ニーズ」を満たさせる?
土を掘っくり返して耕す?
種からの「誕生」を待つ?

私たち、といえばバイオダイナミック農法に詳しく、日本の不耕起栽培、自家採種にも興味津々。

種はその土地に合ったものがその土地で採れるでしょう?
植物の一生から、私たちはお裾分けをいただくのでしょう?
むやみに耕すと表土の微生物が迷惑するでしょう?
植物は死なないでしょう?種は種として生きているでしょう?

もう、詩どころではありません。

ここらで深呼吸。

詩の内容に議論ふっかけるなんて野暮。それでは詩を読んだことにはならないのでは。

ここで思い出されたのが高橋巌さんのお話(2021年3月20日、於:横浜の朝カル)です。表現は正確ではないかもしれませんが…優しいお声にはっとしました。

「シュタイナーは時代とともにあろうと悪戦苦闘しました。ナチスをやっつけようと悪戦苦闘したのではありません。どうして時代がナチスの存在を許しているのか、どうしてナチスはそう考えるのか理解しようと悪戦苦闘したんです。」

そう、仲間内の「わたしたち」を理解するのは心地よいもの。でも、「あのひとたち」を理解するのは楽でない。だからこそ悪戦苦闘して理解しようと願う。

私たちもそれに倣おう、ということになりました。シュタイナーとナチスに比べたら(?)もうほとんど仲間内のような詩です。自分たちの物差しをあてて見下すなんて小さい、小さい。

なにごとにも段階がある。神社だって奥の院だけでは誰も来ません。参道には縁日があり、鳥居をいくつもくぐって本殿、そして奥の院へ。ものごとにはふさわしい居場所がある。

小さい自分は脇に置き、何度も声に出して読み、風景を細やかに思い描きます。

文字で伝えるのはなかなか大変ですが…タンタタ、タンタタ♩♫♩♫♩♫のような
リズムのパターンが心地よく続きます。

2行ずつの脚韻もわかりやすい。

おや、1行が長く、1文も長い。

thinking of A, B and Cやmust be A, B and Cのように畳みかけるよう。

そういえば、must, willが多い!

これはクリスマス節を過ぎて、もう待ちきれない心のなかの予定を描いているのですね。まだ実行していないんです。だからばかに順調に聞こえるんでしょう。

筆者、Molly de Havasは生没年、1904-1952年のほかはわかりません。他にThe Knightが知られていますが、これもちょっとナイーブ…

それが、20世紀前半のアメリカの市民生活ののどかさなのかもしれません。

今日、彼女の詩に出会う子どもたちはどう感じるか興味深いところです。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加 OKです。

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シュタイナー教育の通りの子育てなんてムリ!というお父さん、お母さんたちへ

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

シュタイナーの視点に出会い、「ああこれだ!」と心が故郷に帰るような喜びに満たされる方も少なくないようです。

ぜひ、我が家の子育てはシュタイナー教育で…
でも、だんだん気になるのは…あの7年周期。

7歳までは頭を使いまくる教育よりも遊んで動いて身体を育てること…
あれはだめ、こうしなさいと口で説明するより模範を示し、模倣を誘うこと…
テレビ、録音などのヴァーチャルなコピーはなるべく避けて…
小学校時代の先生は尊敬と信頼に値する権威として存在し…
14歳のころに心がみずからのものとして顕れ…
21歳のころに存在の核がみずからのものとして生まれ…

あちゃー、うちの子育て、全然そんな風になってない…。

おめでとうございます!いいんです!!
何も反省することはありません。
やりなおす必要もありません。

お父さん、お母さんは、毎日ちゃんと服を着せて、ご飯を食べさせるだけで満点。

つくづく思うのですが、シュタイナーの7年周期はあくまでも無垢な、植物的な典型。

現代の人間であれば、番狂わせ、逸脱はつきもの。

そして…番狂わせ、逸脱のときこそ、思いがけない贈りものがやって来るのです。(来なければ、来ない贈りものの方が間抜けなんです。)

説得力があるかどうかわかりませんが…私自身、いまは年齢の割に元気でけろけろ暮らしていますが、相当順番めちゃくちゃな育ち方をしました。アタマから生まれたようで、最初の記憶は1歳。2歳で絵本読み倒して3歳でお箸を納豆で練習。幼稚園では教育実習生を泣かせ…でも小学校の体育は学年ビリ。親に叱られないようにとばかり考え感情を凍らせ、16歳で拒食症、自分の身体が大嫌いで、死に憧れ…。いまも人間恐怖の傾向があります。

でも、危機が種となり、求めずとも、求めたであろう以上の助けが、思いがけないところから届けられたんです。

「まさか学ぼうと思ってはいなかった英文学」の恩師、「長らく援軍ナシの自己流で自己嫌悪の塊だったヴァイオリン」の恩師、「排除されることに慣れ、諦めていた」通訳者としての私を蘇らせてくれた教育者でもある上司…

そう、なんだか先生が多いですね。だから、私は生来向いているとは思えない先生をやめないのかもしれません。受け取ったバトンをぶんなげたくはないのです。そして、もし、天から「はい、あんた、出動せよ」と言われたら、喜んで贈りものとして届けられたいと願っているのです。

ああ、私の子育てまずかった、と思う時は、お子さんはこっそり贈りものを受け取っている時かも。あるいは、受け取る準備をしているかも。

だいたいね、私の子育て完璧です、なんて親御さんに言われたら、お子さんはウンザリですって。

子育ての不完全の自覚は親御さんの愛情そのもの、子どもの自由への一歩ではないでしょうか。そして、世界(天でも神様でも仏様でもいいんですが)は、あなた以上に、あなたもお子さんも大切に思っている。

さて、その「大切」な思いはどこから届けられることでしょう?近所のおばさん?学校の先生?バスの運転手さん?ねこちゃん?お花屋さん?ユーチューバーのお兄さん?農家のおじさん?

私は今でもまだまだこれから何が届くか楽しみだと思っています。イヒヒ、逸脱してなんぼやで(西の言葉はちょっと私には無理がありますねえ)。

こんな講座開いています。
シュタイナー学校の先生のための英詩講座
プレ通訳道場★あのプログレスで英語の土台徹底リノベ講座

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本質は周縁に?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

こうするのが当たり前ですよ、と言われても、腑に落ちないことはありませんでしたか。アタマではそういうもんだろうと納得しようとしても、ハラにしっくりこない。王様の身なりは素晴らしい、とみんなが言っても、裸に見えるような。

私は「こういうものですよ」という決められた枠からはみ出した部分が気になって仕方ないのです。

本質は周縁を含めて考えないといけない、いや、むしろ人が決めた枠の外にあるのでは、とさえ思うのです。

「学校教育」の枠に収まらない、家族や地域の人たちから学ぶ生活の知恵…

間引きと化成肥料、殺虫剤、除草剤づけの家庭菜園ではわからない植物の本来の力。

薬剤療法メインの通常医療からは「エビデンスがない」と鼻で笑われる、身近な健康法

「キリスト教会」に収まらないキリストの言葉…

その領域を何と呼んだらよいでしょう。精霊の領域?

わかっています。枠からはみ出たものにこだわっていては、枠の中で主役を演じることはできない。

ウェールズの海岸を一人舞うカモメ

でも、枠からはみ出たものは「無き者」にされたままでいるわけがないと思っています。

私の通訳道場も、従来の通訳養成では登場しないワイルドな精霊たちが喜び踊っているようです。

こんな自分の心の構えにあらためて気づかされたのはルドルフ・シュタイナーの
「普遍人間学」講座。導き手は言語造形の諏訪耕志先生です。

ストーリーを生かしたプレ通訳道場、まもなくリリースです。
こちら、通訳道場サイトです。

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「ブレない自分」と言えなくてもいい

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子です。

世の中には2種類の人がいるようです。自分は「ブレない」と言い切れる人と、そうでない人。

最近は、前者の方がしっかり生きていると評価されがちです。「自分はブレない!」と明言できないと自分はダメ…?

そんなことはありませんよ。

私も「ブレない」礼賛派には違和感を感じつつも、理由をうまく説明できずにいました。

でも、謎が氷解しました。言語造形家の諏訪耕志先生によるシュタイナーの「普遍人間学」オンライン講座でのことです。やっと腑に落ち、慰め、励まされる思いがしました。(以下、変なところがあるとしたら、私の表現の拙さゆえです。)

ひょっとして「なぜやろうとしたのか頭ではわからないけれど、どういうわけか自然に実行できている」ことってありませんか?普通に考えたら寄り道、無駄、ブレだけれど、続いていることってありませんか?

それをわざわざ辞めたらもったいないです。

なぜなら、導かれてのことかもしれないから。

私たちの心にはさまざまな働きがそなわっています。ものごとを対象化して分析する働きもあれば、わけもなく何かを自分に取り込み、ひとつになりたいと「欲する」働きもあります。

「欲する」という働きには昼間の頭では捉えきれない、野生のような、闇のようなところがあります。その全体像は昼間の頭が幅をきかせる地上の生では捉えようがありません。地上では完成をみない働きであるともされています。

そしてなんと、その全体像、到達点が見えているのは彼岸の私!この彼岸の私が此岸の私を導いているそうです。

だから「なぜ?」とアタマで疑うのをやめ、安心して導きに任せればよいのです。

今日の此岸では「ブレてる」生き方も彼岸から見たら、一本の絹糸が通って見えるかもしれません。

そういえば、ビジョン(vision)、ヴォケーション(vocation)ももともとは人を超えた存在が、突然見せるもの、呼び出すことでした。

地上の人間にとっては意味不明で迷惑なことも静かに受け止める。そして遣わされる(ミッションmission)のも人の性ではないでしょうか。

通訳者・冠木友紀子のプロフィール

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私は英語教育業界が苦手です。

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場★横浜CATS主宰の冠木友紀子です。

英語が話せるようになりたい、と思いながらも英語の先生に違和感を覚えたことはありませんか?

実は、私は英語教育界が大の苦手です。独身時代は毎週のようにどこかの英語教員研修に参加していました。自分が日本一英語を教えるのが上手だと思っている先生たちにも30人くらい会いました。でも「心」に響く体験はわずかでした。女性の先生に多い黄色い声、ハイテンションにはついていけません。「伝えたいっていう気持ちが大事、コミュニケーションは発信力」なんてしらふで言われると「まずおたくのダンナで試してみたまえ」と心の中で呟きます。

この違和感の正体がやっとはっきりしました。言語造形家の諏訪耕志先生のオンライン講座のおかげです。

下心がないものは美しい。

この講座では、シュタイナーが教員対象に教育の土台としての人間観を説いた講座「一般人間学」を読んでいます。さる土曜の講座は第2章の核心でした。ひとりで読んでいると3Dの画集がいつまでも2Dにしか見えない気分ですが、諏訪先生のお話を伺うと3Dの像を結び始めます。

今回のテーマは「教育は芸術である」(「芸術的」ではない)「芸術とはなにか」でした。

ひとつの答えとして諏訪先生は「芸術は死せるものに生命をもたらす取り組みである」という見方を示されました。

死せる言葉に心動かし、身体を動かし、声に出すとき、言葉はまた生命を得る。このいとなみが芸術であり、炊事、掃除なども真心をこめて専心することで芸術でありうる。だから、誰もが何らかの仕方で取り組むことができること、と私は受け止めました。

そこで思い出したのが…ドナルド・キーンさんが大学の図書館で源氏物語が少しでも読めたときの喜び…古代ギリシャを語るICUの川島先生のギリシャが好きで、もう嬉しくてしょうがない、というお顔をお声。いつまでも少年のようなお2人は、「なんの下心もなく、無私に、愛する領域に仕え、生き生きとしている。その領域を手段化することはない」が共通点です。

ほとんどの英語教育はその逆でしょう。「グローバルに活躍する、年収を上げる(ウソウソ)、就職を有利にするなどの下心で、自己中心的に、なるべく楽をして、英語を手段として使ってやろう」としているのではないでしょうか。

このほうがマーケットは大きい。もうかる。でも、これはものぐさ略奪者の態度であって、文化遺産を継承する者の態度ではありません。どう考えても私にはムリです。

私にはたったひとつの試金石があれば十分です。「この取り組みは死せるものに命をもたらすか。」

あたためている企画、明日発表します!

通訳指導者 冠木友紀子のプロフィール

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Be動詞の由来はやっぱり…!

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

もうすぐオンライン?新学期。中1から大学生までみなさんもやもやしているのがBe動詞の正体。小さいお子さんならそんなこと考えなくても身体で覚えられますが、大きくなると、身体で覚えた後に頭で整理、心で納得したくなるのです。

I walk, you walk, she walkSと一般動詞の3単現はまだ許せる。でもなに、I AM, You ARE, She ISって違いすぎる。

狭き門より

ドイツ語にもBe動詞はあります。ほかの動詞と全然違います。

その由来を、ルドルフ・シュタイナーはある講座ではっきりサンスクリットと答えて単語も挙げているのです。

英語の am, are, isもサンスクリットの「私、あなた、あの人」が変化したもの。だからほかの動詞と人称変化も時制変化も全然違うのですね。

この講座、シュトゥットガルトのヴァルドルフ学校の先生のために自然科学の講座をしに出かけていったら、ついでに言語についても話してくれと頼まれたそう。 もちろん資料も辞書も準備も何もなし。なのにどんどんラテン語、サンスクリット語、さまざまな引用にあふれていて驚くばかりです。

ただ、講演録はシュタイナー自身の校正、校閲、許可なしに、亡くなってから出されたもので…それでもこうして読めることに感謝して、せいいっぱいの独日訳をしてみます。ふだん英日で十八番にしているさまざまな手法をいったんひっこめて、新境地を味わっています。お粗末さまです。


Geisteswissenschaftliche Sprachbetrachtungen -Eine Anregung fuer Erzieher/Rudolf Steiner

精神科学にもとづく言語をめぐる考察―教育者のための提案
ルドルフ・シュタイナー

第1講

何名か、私たちの友なる方々が、今回の滞在中に、皆さんに言語についても何か話すようにと頼みに来られました。自然科学講座にまして、申し上げておかねばなりませんが、自明のことながら、実に急に出てきたお願いを受けて、このわずかな時間で皆さんに語られることは、ごく簡略なものになるでしょう。自然科学講座での考察にまして、これらの言語観察は善意と寛容をもって受け止められねばなりません、というのも、それらはまるっきり準備なしの即興だからです。何かできるとしたら、とりわけヴァルドルフ学校での我々の授業、あるいは授業一般の役立つヒントを差し上げることでしょう。

おそらく、何に注目すべきなのか、最良の方法で捉えるには、言語を歴史的視点からあれこれ考察してみることでしょう。そこで皆さんにご承知おき願いますが、私が今日申し上げることは、さまざまな把握すべき注釈をゆるくまとめたもので、私たちがこれからのわずかな時間、互いに取り組むであろうことの導入にあたります。

実にはっきりしているのは、ドイツの言語を観察すればわかるように、ある人々の言語において、その発達を通じて、魂の在りようの発達そのものが表れるということです。(後略)

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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全会一致に甘んじるな

「提案に全員の賛成が得られなくて…でもみんなの気持ちが聞けてよかったわ」

ええー?本当にそれでいいの?

起きたことを感謝をもって受け止めるのは素晴らしいことです。

でも 当初の願いとのずれは?

みんなの気持ちはもっと前もって知っておけたんじゃないの?

その提案はグループ内の相互理解促進じゃなくて外の社会に奉仕するためじゃなかったの?

全会一致を大切にしているグループの様子を聞くたびに心配になります。全会一致をスタート時点に固定しすぎていませんか。

昔、貴族の殿さまの命令通りにすべてが行われていた時代は、平民の全会一致は革命的だったのでしょう。そのころはラインもメールも通勤もなく、時間もたっぷりあったのでしょう。

今は生活も技術も複雑化しています。人によっていろんな分野のスキルに差があります。車を運転する人としない人、ウェブサイトを作れる人とそんなのとんでもない人。ビジョン、イメージを共有するのは至難です。そのための説得やプレゼンは大変です。

だいたい、プレゼンしたってその通りになんてなりませんって。

ひとりでもやる気のあることだけ、ひとりでも自腹でも始めなよ。

全会一致にはだんだんと向かえばいい。始めは言い出しっぺと応援者で始めればいい。グループの資産を使うなら、まめに報告すればいい。撤退ラインを決めておけばいい。だんだんと応援者が増えればいい。そして、最後にみんなが「よかったね」と言えればとってもいい。

スタート時点の全会一致は内向きになりがちです。何も動かないのにそれでみんなの気持ちがわかってよかったなんていうのは、私は性に合わないな。

まあ、映画、Fukushima Fiftyをご覧ください。これは非日常ではありません。日常です。生きるとはこういうこと。

みんなで最後によかった、と言えたらと思うと泣けてくる。

公式サイト Fukushima 50

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新型コロナウィルス戦争用語に疲れた心のためにー【アッシジの聖フランシスコ★創られしものの讃歌】

「新コロとの戦争」「ウィルスを撲滅」「団結」「勝利」

勇ましい言葉とうらはらに、人々の心は疲れ、不安にさいなまれているのではないでしょうか。

言葉は心を、人をつくります。敵対ではなく、謙遜、感謝、和解、受容にいたる言葉を大切にしたいと私は願います。

一昨日来、ふとアッシジの聖フランシスコの「創られしものの讃歌」が思い浮かびました。この時季に皆さんと分かちうようにという知らせだったのかもしれません。フランシスコ会のラテン語から訳しました。

まあしかし、訳すことのはひとつを選び、他をすてるジレンマがあります。スタイルひとつとっても敬体?常体?会話風…なら標準語?東北?女言葉、男言葉…子ども言葉…とさんざん悩みました。そしてまず打順1番は…私自身にしみ込んでいる讃美歌ふうプチ文語体にしてみることにしました。

皆さまの心に平安がありますように。

創られしものの讃歌(被造物の讃歌、太陽の讃歌とも)

いと高き、力に満てる 善なる主よ
賛美、みさかえ、ほまれ、すべての祝福(ことほぎ)は汝のもの
このすべて、汝のみもとにのみ集う、いと高き主よ
なんびとも汝のみ名を口にするに値せず。

わが主よ、創られしすべてとともに汝が讃えられんことを
まず、長なる兄弟、太陽とともに
太陽は日。汝、我らを太陽により照らしたもう
美しく、光を放ち、大いに輝く太陽は
いと高き主よ、汝に似通う。

わが主よ、姉妹なる月と星々ゆえに汝が讃えられんことを
さやかにきらめく、尊く、美しい天の月星ゆえに。

わが主よ。兄弟なる風と空気ゆえに汝が讃えられんことを
曇るとき、晴れわたるとき、あらゆるとき
すべてにより、汝、創られしものを保ちたもう。

わが主よ 姉妹なる水ゆえに汝が讃えられんことを
いと用いやすく、つつましく、尊く、清らかな水ゆえに。

わが主よ、兄弟なる火ゆえに汝が讃えられんことを
火により汝、夜を照らしたもう
美しく、楽しく、堅く、強い火のゆえに。

わが主よ、我らが姉妹である母なる大地のゆえに汝が讃えられんことを
大地、我らを保ち、統べたもう
さまざまな実りと色とりどりの草花を生み出したもう。

わが主よ、汝の愛によりて赦し、病と苦しみを担う人々ゆえに汝が讃えられんことを。

幸いなるかな、心安らかに耐える者、
いと高き汝より冠を授からむ。

わが主よ、姉妹なるからだの死ゆえに汝が讃えられんことを
なんびともこの姉妹より逃げること能わず。

あわれ、滅びに至る罪のうちに死にゆく者
幸いなるかな、いと高き聖なるみこころのうちに死にゆく者
第二の死、彼らに害を為さざるなり

わが主をたたえ、ことほぎ
感謝し、大いに慎んで仕えよ

ラテン語より、冠木友紀子訳

通訳道場第5期 オンラインで開催します。ご相談会お申込み受付中!

ご参考まで Commission on the Franciscan Intellectual Traditionより

ラテン語

1Altissime, omnipotens, bone Domine,
tuae sunt laudes, gloria et honor et omnis benedictio,

2tibi soli, Altissime, conveniunt;
et nullus homo est dignus te nominare.


3Laudatus sis, mi Domine, cum universa creatura tua,
principaliter cum domino fratre sole,
qui est dies, et illuminas nos per ipsum;

4Et ipse pulcher et irradians magno splendore;
de te, Altissime, defert significationem.

5Laudatus sis, mi Domine, propter sororem
lunam et stellas,.quas in caelo creasti claras, pretiosas et bellas.

6
Laudatus sis, mi Domine, propter fratrem ventum
et propter aerem et nubes et serenitatem et omne tempus,
per quod das tuis creaturis alimentum.

7
Laudatus sis, mi Domine, propter sororem aquam,
quae est perutilis et humilis et pretiosa et casta.

8Laudatus sis, mi Domine, propter fratrem ignem,
per quem noctem illuminas,
et ipse est pulcher et iucundus et robustus et fortis.

9Laudatus sis, mi Domine, propter sororem nostram matrem terram
quae nos sustentat et gubernat,
et producit diversos fructus cum coloratis floribus. et herba
 
10Laudatus sis, mi Domine, propter illos, qui
dimittunt propter tuum amorem,
et sustinent infirmitatem et tribulationem.

11Beati illi, qui ea sustinebunt in pace,
quia a te, Altissime, coronabuntur.

12Laudatus sis, mi Domine, propter sororem mortem corporalem,
quam nullus homo vivens potest evadere.

13Vae illis, qui morientur in peccatis mortalibus;
beati illi, quos reperiet in tuis sanctissimis voluntatibus,
quia secunda mors non faciet eis malum.

14Laudate et benedicite Dominum meum,
gratias agite et servite illi magna humilitate.
 

英語

Most High, all-powerful, good Lord,
Yours are the praises, the glory, and the honor, and all blessing,
To You alone, Most High, do they belong, 
and no human is worthy to mention Your name.

Praised be You, my Lord, with all Your creatures, especially
Sir Brother Sun,
Who is the day and through whom You give us light.
And he is beautiful and radiant with great splendor;
and bears a likeness of You, Most High One.

Praised be You, my Lord, through Sister Moon and the stars,
in heaven You formed them clear and precious and beautiful.

Praised be You, my Lord, through Brother Wind,
and through the air, cloudy and serene, and every kind of weather,
through whom You give sustenance to Your creatures.

Praised be You, my Lord, through Sister Water,
who is very useful and humble and precious and chaste.

Praised be You, my Lord, through Brother Fire,
through whom You light the night,
and he is beautiful and playful and robust and strong.

Praised be You, my Lord, through our Sister Mother Earth,
who sustains and governs us,
and who produces various fruit with colored flowers and herbs.

Praised be You, my Lord, through those who give pardon for Your love, and bear infirmity and tribulation.

Blessed are those who endure in peace for by You, Most High, shall they be crowned.
 
Praised be You, my Lord, through our Sister Bodily Death,
from whom no one living can escape.
Woe to those who die in mortal sin.
Blessed are those whom death will find in Your most holy will,
for the second death shall do them no harm.
 
Praise and bless my Lord and give Him thanks
and serve Him with great humility.

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