新型コロナ騒動のさなか、嬉しいこと

持続可能な社会のための通訳者、冠木友紀子です。

新コロ騒動、メディアの街頭インタビューに登場する人たちは、異口同音に「不安」を唱えます。

それはそうだろうけれど、私はちょっと違うことを感じています。

私は「自粛」以降、皆さんの「優しさ」に感じ入っています。

オンラインで通訳練習をする大人も、遠隔授業の大学生も、たまに出かけるお店の人も…

皆さん、優しいのです。苛立った声は自分の声以外聞いたことがありません!!!とほほ…

この感覚は前に体験したことが…そう、父が急逝したときのことでした。それまで母と妹と私の会話はそれぞれが言いたいことをぶつけ合う乱暴なもの。それが、急に3人とも優しくなったのです。父の急逝という悲しみを共にして、「○○(相手)も悲しいに違いない。大丈夫か様子が知りたい」と相手本位に、静かに聴き、話すようになったのです。それまではそれぞれに別々の人生を歩んでいて、別々だからこそわーわーしゃべって分かってもらいたい、でも聞いてくれない、とわめいていたのです。

いま、新型コロナウィルスという課題を共にして、私たちは互いに「きっと大変でしょう。お疲れではないですか?」と言葉にしなくても心で思っているのではないでしょうか。

「私、優しくなった!」なんて思っている人はそうそういないと思いますが、きっと皆さんちょっとずつ優しくなっています。ちょっとずつでも皆さんなんですから、これは相当なこと。私は今の地元の町の空気はなかなかいいと思っています。

私たちが優しくなれるのは、自分に余裕があるときよりも、誰かと痛み、悲しみを共にしているときではないでしょうか。 優しさが友を想う行動につながりますように。

ロッシーニの「3つの聖歌」のひとつ、「愛」も「苦しみゆえに人はつながる」と歌います。この歌には観音様が思われてなりません?!フェリス中高OG合唱団では次のコンサートに向けて、この愛唱歌を今頃練習しているはずだったのですが…練習再開の見込みがたちません。海外の動画でお楽しみください。

愛にみてるわが主よ
ながみ手にいだかれて
ともとなりしわれらは
くるしみをわかちあわん

愛にやどる主なるかみ
まずしきものにのぞみをあとう
愛にみてるこころは
よにひかりをもたらさん

ながひかりおおうところ
にくみあらそいあとをたちて
とわにしらす主のあい
たたかいをうちしずめん
にくみあらそいあとをたたん
(訳 鈴木一郎)

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日本軍傷病兵を見た英連邦俘虜が咄嗟に行ったのは…?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

戦争はいつ始まり、終わるのでしょう。

表向きはいがみ合う国家の指導者たちの号令とともに始まり、彼らの宣言をもって終わるように見えます。

でも、細かく見れば、そうした号令を受け入れる素地を人々が用意したときにすでに始まっているとも見えます。いまも戦場を農場、人々の財布、胃袋に変えながら戦争は続いているとも見えます。

また、戦いのさなかに一瞬の平和の光が差すこともあります。国籍、立場から自由に、ひとがひとに戻る瞬間があります。

第二次大戦のさなか、タイのカンチャナブリからバンコクへ向かう鉄路で、日本軍の捕虜となった英連邦の兵士たちの車両と日本軍の傷病兵の車両が近くに居合わせた時がありました。

このときの出来事を想うと、戦争も平和も毎日さまざまな形で生まれては消えていくように思われます。戦争はあの頃のことではない。だから今日も明日も平和を創り出し続けるのです。

泰緬鉄道で強制労働についた元英連邦戦争捕虜、アーネスト・ゴードンさんの「クワイ河収容所」からご紹介します。英日読書会については投稿末のリンクをご覧ください。

「彼らはビルまでの先頭にもはや役立たなくなり、鉄道列車に積み込まれてバンコクへ戻されるレ途中の傷病兵たちであった。(中略)移送中はいっさい手当てが与えられないにもかかわらず生きなければならなかったのだ。
 彼らの状態は見るに耐えかねた。誰もが愕然として息をのんだ。私はそれまで、いや、いまもって、あれほど汚い人間の姿を見たことがない。戦闘服には、泥、血、大便などが固まってこびりついていた。痛々しい傷口は加納氏、全体が膿で覆われて膿の中からは無数のうじが這い出ていた。しかし、うじが化膿した肉を食うことから、壊疽を起こすのは防止されていた。
 私h達は日本兵が俘虜に対して残酷であることを体験してきた。それが何故にであるかということを、いまはっきり見てとった。日本軍は自軍の兵士に対してもこのように残酷なのである。まったく一片の思い遣りすら持たない軍隊なのである。それならば、どうして私たち俘虜への配慮など持ち得ようか。
 負傷兵は遠くを眺めるようなわびしい目で私たちを見ながら、貨車の壁に頭を寄りかからせて座っていた。彼らは死を待つ人々であった。(中略)
 私たちの班の将校たちは、ほとんどの者が、ひと言も発することなく、自分たちの雑能を開き、配給された食糧、布切れ1,2枚、手に水筒を持って、日本兵の列車へ歩きだした。
 私たちを見張っていた番兵は「ノー・グーダッ!ノー・グーダッ!」と叫んでいた。だが私たちをさえぎることができなかった。私たちは番兵の方を見向きもせず、適性のかたわらにひざまずき、水と食べ物を与えていた。そして海をぬぐいとり傷口に布を巻いてやっていた。やがて私たちが戻ってゆくとき、感謝の叫びである「アラガットウ!」という声が、私たちの背に何度も投げかけられた。」(第10章 最後の旅路 382-383ページ)

「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著 齋藤和明訳 ちくま学芸文庫

「クワイ河収容所」はドキュメンタリー告発本ではありません。心のオデッセイです。新型コロウィルスを敵と呼び、ウィルス以上に不安にまみれる今こそこの本を読みたいと思います。消毒薬もマスクも、食事も服もなかった、強制労働しかない収容所から、どうして彼らの心が甦ったのか、静かに尋ねたいと願います。

「クワイ河収容所」名訳と英語初版にふれる読書会 無料体験へどうぞ!

横浜保土ヶ谷の英連邦墓地では日本国内で強制労働などにより死亡した捕虜たち2000名ほどが眠ります。
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泰緬鉄道、捕虜たちの心を甦らせた「友」は…

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場主宰の冠木友紀子です。

私は大学でも通訳を教えています。なにより面白いのは、ウォーミングアップで学生たちの近況ニュースを聴くこと。誰もが自分の日常は取るに足らないと思っています。でも、それは自分だけ。自分以外の誰にとっても想定外の珍事です。大いに盛り上がります。

ただ、ある学生の近況にクラスが絶句、のち激怒したことがありました。

彼女は留学時代の「友人」と目上の人を訪問する約束をしていたのに、友人は待ち合わせにちっとも現れない。電話も通じない。目上の方に遅れることをわびる電話を入れると、なんと友人はすでに目上の人を別の友人と訪問中。彼女だけ約束をすっぽかしたことになるところでした。で!彼女は友人に怒れない、というのです。この友人がいないと留学時代の友人たちに連絡がとれなくなるから仕方ないのだそうで。

なんだそりゃ!

「そんなの友達じゃない。貸し借り関係。利用し合っているだけ。」クラスのみんなは一刀両断。よく言った。

さて、私はどう答えたものか。私は心理カウンセラーではないし、人生の諸問題を心理問題化するのには抵抗があります。

そうだ、文学ほどの心理カウンセラーはいない。

次週はカリール・ジブランの「預言者」から「友人について」の章と「クワイ河収容所」から、次の場面を紹介しました。

第二次大戦中、日本軍はイギリス軍が諦めたタイ―ミャンマーインドの鉄路建設に着手、アジア人労務者、英連邦捕虜に強制労働を求め、10万人あまりを死なせます。布のみを腰に巻き、裸足で朝から晩まで工事にあたった捕虜たちが帰ってくると… シャベルが1つ足りません。このままでは隊全員射殺されます。そこでアガーイル隊員がとった行動は…

クワイ河畔。山辺に鉄路が見えます

「その日、一日の仕事が終了した。ただちに工事用具の確認が行われた。確認がすみ宿舎へ帰る寸前というところで日本軍の俘虜監視兵が、シャベルが一本足りないと宣言した。その日本兵は、タイ人に売ろうとして誰かが盗んだのだと主張した。俘虜たちの列の前を彼は大股で歩きつつ、どなりちらしていた。俘虜たちが卑劣で愚かであること、さらに最も許しがたいことには天皇に対する忘恩の不敬をおかしていること、それらをなじった。
 さらに彼は、ブロウクン・イングリッシュの憤怒の声を張りあげて、盗んだものは一歩前へ出て罰を受けろと命令した。だが誰一人動かなかった。監視兵の怒りは一段と強まった。すぐに暴力をふるうだろうと誰もが思った。『全員死ぬ!全員死ぬ!」と、逆上した彼は、金切り声で叫んだ。彼は自分が本気であるのを示すために、銃を取り安全装置をはずし、肩にあてて狙いをつけた。俘虜たちをひと通り眺めたうえで左端の者から射殺しようとした。
 その時、そのアガーイル隊員が列の前に進み出たのだ。彼は直立不動の姿勢をとり、こう言った。穏やかな声だった。

「私がやりました」

監視兵はそれまで熱しつづけていた怒りを一気に爆発させた。彼はその気の毒な俘虜を蹴とばした。こぶしでなぐった。それでもアガーイル部隊の兵士は姿勢をくずさなかった。鮮血が顔に流れた。それでも彼はうめき声を出さなかった。その声1つたてない落ち着きが、監視兵の憤激をよけいに駆りたてた。監視兵はいったん手放した銃の銃身を握って高く頭の上に振りあげた。そしてひと声わめき声をあげて、銃尻をアガーイル兵の頭蓋骨へ振り下ろした。彼の身体は、ぐにゃりと地に倒れて、それきり動かなかった。死んだのは歴然としていた。それなのに、完全に死んでしまっているのにであるが、その監視兵は、幾度も銃尻を振り下ろしてアガーイル部隊の兵士をなぐりつけた。ついに、やっと自分が疲れはてたとき、なぐる手をとめたのである。

 労働班の仲間たちは戦友の遺体を持ちあげ、用具をかついで収容所へ向かって行進した。

収容所の門衛のところでも検査がある。用具はもう一度勘定された。ところがシャベルは、一本足りないはずなのが、全部そろっていたことがわかった。

 この話がくり返し伝えられた。そして、すばらしいことだと言ってよいと思うが、いつ語られても、アガーイル兵に対する俘虜たちの賞讃の念のほうが、日本軍の監視兵への憎悪を超えて強かった。」

(「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著 齋藤和明訳)

「人その友のために己の命を棄つる。これより大いなる愛はなし。(ヨハネ伝 5章13節)」

さきほどの学生は、別人のように力強い眼差しでこう言いました。「だめだ。私たちぜんぜん違う。」

「クワイ河収容所」読書会はじまります。無料体験は6月21・25日です。

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弱ったら、自分の足で立ち上がらなくてもいい

新コロ騒動も収束への道筋がなかなか見えません。

在宅時間が長くなる…仕事はどうなるのか…就職活動は…子どもの学習は…考えだしたら不安になります。考えたってしょうがないよ、でサッパリしていられる人はおおいに結構ですが、そういう人ばかりではありません。

不安の連鎖を自分で止めることができないほど弱っている人に「心配いらない」「そんなこと考えるのよしなさい」「しっかりしなさい」のような言葉かけは御無用。さらなる重荷にしかならないだろうと思います。

人は弱った時に「自分の力で」再び立ち上がらなくていい。そういうときは、「友」がその人を背負って立ち上がるものだと思っています。

私も2度、友に救われました。

高3のとき、女性の英語の先生が嫌いで嫌いで毎日ウンザリ、成績も急降下。そんなとき、中1のころ一緒にバンドを組んでいた友人がこう言ったのです。「でもさ、なんか私、あなたが自然に英語使ってるとこ目に浮かぶんだわ」これを聞いた瞬間、鎧だか、氷だか、何かが溶けていくのを感じました。

それから12年後、母校から転勤した学校でことごとく否定され(これも今は感謝しています)、突然仕事を失って朝から泣いてばかりいたころのこと。人づてに母校のある先生の言葉が伝わってきました。「彼女はこれで終わるひとじゃない。」突然心に光が差したようでした。

私にとって光のようだった2人の言葉はとても自然で、私を励まそうといろいろ考えたものとも思えませんでした。長い時間を深くかかわって一緒に過ごしたからこそ、私が見失っていた自分の本質を、鏡のように映し出してくれたのでしょう。

みなさんにもそんな瞬間があったのではないでしょうか。みなさんの言葉、行動が誰かを救った瞬間がきっとあったことでしょう。

弱ったときは弱った自分を責めないで。友の言葉を待ってもよいでしょう。

元気な皆さん、みなさんの言葉を待っている誰かがいるかもしれませんよ。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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新型コロナウィルス戦争用語に疲れた心のためにー【アッシジの聖フランシスコ★創られしものの讃歌】

「新コロとの戦争」「ウィルスを撲滅」「団結」「勝利」

勇ましい言葉とうらはらに、人々の心は疲れ、不安にさいなまれているのではないでしょうか。

言葉は心を、人をつくります。敵対ではなく、謙遜、感謝、和解、受容にいたる言葉を大切にしたいと私は願います。

一昨日来、ふとアッシジの聖フランシスコの「創られしものの讃歌」が思い浮かびました。この時季に皆さんと分かちうようにという知らせだったのかもしれません。フランシスコ会のラテン語から訳しました。

まあしかし、訳すことのはひとつを選び、他をすてるジレンマがあります。スタイルひとつとっても敬体?常体?会話風…なら標準語?東北?女言葉、男言葉…子ども言葉…とさんざん悩みました。そしてまず打順1番は…私自身にしみ込んでいる讃美歌ふうプチ文語体にしてみることにしました。

皆さまの心に平安がありますように。

創られしものの讃歌(被造物の讃歌、太陽の讃歌とも)

いと高き、力に満てる 善なる主よ
賛美、みさかえ、ほまれ、すべての祝福(ことほぎ)は汝のもの
このすべて、汝のみもとにのみ集う、いと高き主よ
なんびとも汝のみ名を口にするに値せず。

わが主よ、創られしすべてとともに汝が讃えられんことを
まず、長なる兄弟、太陽とともに
太陽は日。汝、我らを太陽により照らしたもう
美しく、光を放ち、大いに輝く太陽は
いと高き主よ、汝に似通う。

わが主よ、姉妹なる月と星々ゆえに汝が讃えられんことを
さやかにきらめく、尊く、美しい天の月星ゆえに。

わが主よ。兄弟なる風と空気ゆえに汝が讃えられんことを
曇るとき、晴れわたるとき、あらゆるとき
すべてにより、汝、創られしものを保ちたもう。

わが主よ 姉妹なる水ゆえに汝が讃えられんことを
いと用いやすく、つつましく、尊く、清らかな水ゆえに。

わが主よ、兄弟なる火ゆえに汝が讃えられんことを
火により汝、夜を照らしたもう
美しく、楽しく、堅く、強い火のゆえに。

わが主よ、我らが姉妹である母なる大地のゆえに汝が讃えられんことを
大地、我らを保ち、統べたもう
さまざまな実りと色とりどりの草花を生み出したもう。

わが主よ、汝の愛によりて赦し、病と苦しみを担う人々ゆえに汝が讃えられんことを。

幸いなるかな、心安らかに耐える者、
いと高き汝より冠を授からむ。

わが主よ、姉妹なるからだの死ゆえに汝が讃えられんことを
なんびともこの姉妹より逃げること能わず。

あわれ、滅びに至る罪のうちに死にゆく者
幸いなるかな、いと高き聖なるみこころのうちに死にゆく者
第二の死、彼らに害を為さざるなり

わが主をたたえ、ことほぎ
感謝し、大いに慎んで仕えよ

ラテン語より、冠木友紀子訳

通訳道場第5期 オンラインで開催します。ご相談会お申込み受付中!

ご参考まで Commission on the Franciscan Intellectual Traditionより

ラテン語

1Altissime, omnipotens, bone Domine,
tuae sunt laudes, gloria et honor et omnis benedictio,

2tibi soli, Altissime, conveniunt;
et nullus homo est dignus te nominare.


3Laudatus sis, mi Domine, cum universa creatura tua,
principaliter cum domino fratre sole,
qui est dies, et illuminas nos per ipsum;

4Et ipse pulcher et irradians magno splendore;
de te, Altissime, defert significationem.

5Laudatus sis, mi Domine, propter sororem
lunam et stellas,.quas in caelo creasti claras, pretiosas et bellas.

6
Laudatus sis, mi Domine, propter fratrem ventum
et propter aerem et nubes et serenitatem et omne tempus,
per quod das tuis creaturis alimentum.

7
Laudatus sis, mi Domine, propter sororem aquam,
quae est perutilis et humilis et pretiosa et casta.

8Laudatus sis, mi Domine, propter fratrem ignem,
per quem noctem illuminas,
et ipse est pulcher et iucundus et robustus et fortis.

9Laudatus sis, mi Domine, propter sororem nostram matrem terram
quae nos sustentat et gubernat,
et producit diversos fructus cum coloratis floribus. et herba
 
10Laudatus sis, mi Domine, propter illos, qui
dimittunt propter tuum amorem,
et sustinent infirmitatem et tribulationem.

11Beati illi, qui ea sustinebunt in pace,
quia a te, Altissime, coronabuntur.

12Laudatus sis, mi Domine, propter sororem mortem corporalem,
quam nullus homo vivens potest evadere.

13Vae illis, qui morientur in peccatis mortalibus;
beati illi, quos reperiet in tuis sanctissimis voluntatibus,
quia secunda mors non faciet eis malum.

14Laudate et benedicite Dominum meum,
gratias agite et servite illi magna humilitate.
 

英語

Most High, all-powerful, good Lord,
Yours are the praises, the glory, and the honor, and all blessing,
To You alone, Most High, do they belong, 
and no human is worthy to mention Your name.

Praised be You, my Lord, with all Your creatures, especially
Sir Brother Sun,
Who is the day and through whom You give us light.
And he is beautiful and radiant with great splendor;
and bears a likeness of You, Most High One.

Praised be You, my Lord, through Sister Moon and the stars,
in heaven You formed them clear and precious and beautiful.

Praised be You, my Lord, through Brother Wind,
and through the air, cloudy and serene, and every kind of weather,
through whom You give sustenance to Your creatures.

Praised be You, my Lord, through Sister Water,
who is very useful and humble and precious and chaste.

Praised be You, my Lord, through Brother Fire,
through whom You light the night,
and he is beautiful and playful and robust and strong.

Praised be You, my Lord, through our Sister Mother Earth,
who sustains and governs us,
and who produces various fruit with colored flowers and herbs.

Praised be You, my Lord, through those who give pardon for Your love, and bear infirmity and tribulation.

Blessed are those who endure in peace for by You, Most High, shall they be crowned.
 
Praised be You, my Lord, through our Sister Bodily Death,
from whom no one living can escape.
Woe to those who die in mortal sin.
Blessed are those whom death will find in Your most holy will,
for the second death shall do them no harm.
 
Praise and bless my Lord and give Him thanks
and serve Him with great humility.

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東京大空襲のほかにも空襲はこんなに!1945年8月15日のニューヨークタイムズより

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

昨日は何の日?

コロナ休校オンライン通訳道場の中高生はさすが、東京大空襲の日と即答しました。

「ほかにも空襲があったところあるのかな?」
「え?」

実は、1945年8月15日の日本降伏を伝えるニューヨークタイムズにこんな空襲のまとめがあります。

日本人が玉音放送に涙していたころ、アメリカではこんな情報が大衆の手に届くとろにあったということです。

東京空襲を6回としたり(小規模なものを含めれば100回以上)、郡山空襲が抜けていたりと不備もみられます。また、人口は書いてあるのに、犠牲者数は書いてありません。被害は焼失面積で測っているようです。

まあ、ご覧ください。

この新聞は広島原爆投下から日本無条件降伏までの1週間余りぶんを、25年前にICUの図書館のマイクロフィッシュから印刷したもの。あのころはインターネットなんてありませんでした。今ではニューヨークタイムズのアーカイブスで読むことができます。

そういえば、親戚が「宇都宮空襲のとき、B29に乗った外人がにやにや笑ってた、その顔が忘れられない」と言ってました。

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脱!読みにくい翻訳「A above B」 は「Bの上のA」?

「above~」=「~の上に」
まずはそう習います。導入としてはわかりやすい。間違いでもありません。

では、これを日本語に訳してみてください。 「クワイ河収容所」冒頭、主人公がまどろみながら故郷の 海辺の景色を夢見るシーンです。

I heard the raucous cry of sea-gulls circling above the fishing-boats as the fishermen sorted their catch.

北ウェールズの海辺

ありがちなのは…「私は漁師が獲物をより分けている漁船の上に円を描く鷗たちのしわがれた鳴き声を聞いた。」

だめだこりゃ。
ビデオカメラでこの訳の通りにこのシーンを録ってみてください。変でしょう。イメージの順も、感覚体験の順も台無しです。

ICUの齋藤和明先生はこう訳しておいでです。
「大空にはかもめが数羽旋回していた。咽喉をつぶしたような鳴き声が聞こえていた。下の方では漁船の漁夫たちが獲物を選り分けていた。」

aboveを「~の上に」なんてしていないでしょう?こうすると視線の流れが自然でしょう?

ただ、毎朝鳥の声で目を覚ましているイナカッペの私としては、「聞こえた」が先で、鳴き声の方向に目をやると「見えた」になるのでは、と思います。ウグイスなんかなかなか見えませんけど。 英文もそういう順で描写しています。

「耳に入ってきたのは鷗のしわがれた鳴き声だった。旋回する鷗たちの下方では、漁船で漁夫たちが獲物を選り分けていた。」

お粗末様でございました。

語の意味を1対1対応で覚えるのは、自転車で言えば補助輪のようなもの。次の段階があります。いつまでも1対1にとどまっていると広い文脈で身動きがとれなくなります。文脈の流れを追えなくなります。作者の心の中の風景、視線の動きを辿り、予測することができなくなります。

読みにくい翻訳はだいたいこの英文解釈の延長タイプ。間違っていない、これしか方法はない、日本語と英語は語順が違うのだ、と問題を自分から遠ざけがちです。

これではかつての機械翻訳と大して変わりません。

さて、ではどうしたら? 次稿をお楽しみに。

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「クワイ河収容所」バイリンガル読書会はまるで…

「クワイ河収容所」は元英連邦戦争捕虜のアーネスト・ゴードンさんの手記を、我が恩師、元ICU名誉教授の斎藤和明先生が訳されたもの。その手記と日本語訳を並べて読み進み、語り合い、聴き合おうという贅沢な読書会。

ねらいは2つ。目に見える戦争の記録から、いまもここにある目に見えない戦争に気づくこと。既成概念を軽ーく越える和明先生の英日翻訳のコツを学ぶこと。

初回はゴードンさん、和明先生が招いてくれたとしか思えないメンバーが集まりました。もちろん、ゴードンさん、和明先生もご一緒くださった気がしてなりません。

第一章、第一段落の日本語訳出だしを読んだEさんが言いました。

「やられました。もう、出だしで。だいたい翻訳ものは出だしでその後が推して知るべしです。でも、これは次の文、またその次と読みたくなります。」

それは…ここを訳したもの。みなさんはどう訳しますか?

I was dreaming, and I was happy with my dreams.

普通に訳した一例としてはこんなものでしょうか…

「私は夢見ていて、私は夢のことで幸せだった。」

和明先生は、もちろん全体を何度も読んでのうえで、こう訳されています。

「夢を見ていた。夢を見ていれば幸福であった。」

英語の代名詞をいちいち訳すな、とは通訳道場でもいつも言っていること。英語では顕在する代名詞は日本語では「ない」のではなく潜在します。

こんなのは序の口。

X above YといえばYの上にXと教わりますね。本当にそれだけでしょうか。これは次回。

英語を学ぶときに和訳を参考にすることはどこかやましいズルをしている気がしませんか。その和訳の味わいはいまいちで、ああ、この語が英語のこれなのね、と確かめる。もとの英文の語りの姿を再確認するまではいかない。中高生はそんな和訳の使い方をしていませんか。

でも、ゴードンさんの英文と和明先生の日本語訳は二枚看板。東大寺南大門の二体の金剛力士像のようでした。

次回は8月4日 横浜山手地区にて。人数に限りありますので、ご関心おありの方はお早めにお問合せください。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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「クワイ河収容所」読書会始めます

イギリスは好きですか?なら、ぜひあなたに知っていただきたいことがあります。

泰緬鉄道のことです。

泰はタイ、緬はミャンマーのこと。第二次世界大戦のさなか、インドへの海路をふさがれた日本軍はここに鉄道を敷こうとします。

ただ、ここは川沿いに崖が切り立つ難所ばかり。かつてイギリスも工事を諦めたところでした。そこにあえて取り組んだということは日本もそれほど追いつめられていたということ。

工事はアジア人労務者、戦争捕虜たちの強制労働によってなされ、10万人近くが亡くなりました。

この顛末をフィクションとしてエンタメ化したのが映画「戦場にかける橋」です。元戦争捕虜のアーネスト・ゴードンさんはこの映画が堪らなくなり、黙っておくはずだった収容所体験を手記「クワイ河収容所」にまとめました。

通訳道場でも7月7日から英語、日本語での読書会を始めます。

ICUの斎藤和明先生の名訳!

収容所体験記の類は、たいてい敵国の残虐さを明るみに出すことを目的にしているものです。 でも「クワイ河収容所」は違います。敵と味方を超えて人間を、人間を超える存在を想う視点で書かれているのです。

鉄道工事は過酷を極め、枕木1本ごとに1人死んだと言われるほどでした。食糧はわずかなコメのみ。衣類はパンツ一枚。足は裸足。

劣悪な環境に捕虜たちが自暴自棄になっていく様子も克明に描かれています。

そんななか、小さな変化が静かに始まります。

健康自慢のアンガスという青年が亡くなります。具合を悪くした自分の相棒のために自分の毛布をや食糧を与え尽くして、ついに自分が弱ってしまったのです。

ある日、工事から帰ってきたアガーイル部隊のシャベルを日本軍が数えると1本足りません。盗んだ、悪だくみをしている、白状しないと全員殺す、とわめく日本兵の前にひとり「私です」と歩み出ました。日本兵がこの兵士を銃の台尻で打ちのめし、殺したあとでもう一度数えると、シャベルは揃っていました。

こうしたできごとがやがて大きなうねりとなり、捕虜たちの心は生き返ります。

30年前、私は初めてこの本に出会いました。そのころはまだあまりに幼く、「友のために命を捨てる。これより大きな愛はない」のような聖句で頭は いっぱいでしたが、いまひとつ腑に落ちませんでした。

その後何度も読みなおし、やっと腑に落ちました。…極限状況で人を立ち直らせるのは「お前は生きろ。私の命にかえてもこんなことで死なせはしない。生きろ。」という友の想いと行動ではないでしょうか。

極限状況では「私には素晴らしい人生がふさわしい」のような自己啓発アファメーションは無力。

イギリスが好きなら、日本がかつてイギリスに与えた痛みにも思いを致したいものです。その痛みを知る過程が、生きる勇気を与えられる過程でもあるのはありがたいことです。

「クワイ河収容所」英日読書会、7月7日より始まります。

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