今は亡き人を想い続ける―ワーズワスの「みんなで7人」”We are Seven” by William Wordsworth

あの日から、1日、1日と積み重ね、今日で10年となりました。
もう10年、まだ10年。

ずっと気になっていた詩があります。
いつか震災で大切な人を失くした方たちに紹介したいと思っていました。ある人には遅すぎるかもしれませんし、ある方にはまだ早すぎるかもしれません。でも、今日、ひとつのこころみとして。

イギリスのロマン派を代表する詩人、ウィリアム・ワーズワスの「We are Seven みんなで7人」です。

この詩では、大人である詩人(語り手)が田舎で思いがけず出会った少女の素朴な美しさを好ましく思い、お嬢ちゃん、兄妹はなんにん?と尋ねるのですが、少女の答えは…

お粗末ながら、朗読はこちら。

We are Seven

---------A simple child,
That lightly draws its breath,
And feels its life in every limb,
What should it know of death?

I met a little cottage Girl:
She was eight years old, she said;
Her hair was thick with many a curl
That clustered round her head.

She had a rustic, woodland air,
And she was wildly clad:
Her eyes were fair and very fair;
―Her beauty made me glad.

"Sisters and brothers, little Maid,
How many may you be?"
"How many? Seven in all," she said,
And wondering looked at me.

"And where are they? I pray you tell."
She answered, "Seven are we;
And two of us at Conway dwell,
And two are gone to sea.

"Two of us in the church-yard lie,
My sister and my brother;
And, in the church-yard cottage, I
Dwell near them with my mother."

"You say that two at Conway dwell,
And two are gone to sea,
Yet ye are seven! I pray you tell,
Sweet Maid, how this may be."

Then did the little Maid reply,
"Seven boys and girls are we;
Two of us in the church-yard lie,
Beneath the church-yard tree."

"You run about, my little Maid,
Your limbs they are alive;
If two are in the church-yard laid,
Then ye are only five."

"Their graves are green, they may be seen,"
The little Maid replied,
"Twelve steps or more from my mother's door,
And they are side by side.

"My stockings there I often knit,
My kerchief there I hem;
And there upon the ground I sit,
And sing a song to them.

"And often after sun-set, Sir,
When it is light and fair,
I take my little porringer,
And eat my supper there.

"The first that died was siter Jane;
In bed she moaning lay,
Till God released her of her pain;
And then she went away.

"So in the church-yard she was laid;
And, when the grass was dry,
Together round her grave we played,
My brother John and I.

"And when the ground was white with snow,
And I could run and slide,
My brother John was forced to go,
And he lies by her side."

"How many are you, then," said I,
"If they two are in heaven?"
Quick was the little Maid's reply,
"O Master! we are seven."

"But they are dead; those two are dead!
Their spirits are in heaven!"
'Twas throwing words away; for still
The little Maid would have her will,
And said, "Nay, we are seven!"

姿は目に見えなくなっても、この少女にとって2人の姉兄はいるのです。そばで繕いものをしたり、ご飯を食べたりして、放っておかないのです。

この詩については「死を理解しない子どもの無垢さを描いている。」「語り手の態度は当時の人口調査を象徴している」という見方もあります。ほかにも諸説いろいろ。

でも、ワーズワースたちの志を想い、この詩を何度も読むと、「子どもの無垢さ」を「死を理解しない」と結び付けるのはしっくりこないのです。

ワーズワースたちはひとつ前の時代の文学スタイルに腹を立てていました。貴族的な人間の都合ばかりの文明の内にとどまり、「バラ色のほほ」のような紋切り型、形式的な表現で想定内のセレブごっこをしているとしか見えなかったのです。

彼らはもっと自然なもの、理性では割り切れないもの、闇に属するもの、日常、田舎、小さき者をとりあげ、活きた言葉で語ろうとしました。はるか昔、はるか遠くにも憧れ、ロマン派と呼ばれました。

この詩は、私にはそんなふうに聞こえてきます。

死は対象として理解すべきものではないし、そもそも無理。でも、人は死んでも存在するし、人は死せる者たちと共にいることもできる。心の中にこの少女のような幼な子がいる限り。

5人だ!と子ども相手に本気な語り手の、人間を「数」で捉える姿勢もちょっと滑稽です。被災者数とか、感染者数とか数でまとめても、人は一人一人違う体験をしているものです。

さて、この詩を日本語にするならどうしましょう?(これまでにも日本語訳はいくつもなされていますが、標準語です。)

この詩は、バラッドという、民話や古謡を歌うのによく合うスタイルで書かれています。単刀直入な言葉選びと繰り返しの多さ、はっきりしたリズムが特徴です。

それぞれのふるさとの言葉にしてもよさそうです。

「おらだぢは七人だ。
2人はコンウィさ暮らしてる。
もう2人は水夫になった。
もう2人は教会の墓地で横さなってる。」

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「あしあと」の詩、こっちのほうがいい!

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。
先日、教えている大学で学生の発想にうなりました。人類の未来は明るいぞ!

というのも…

生きていればいろんなことがあるものです。なかでも、苦しいと感じるのは、課題そのものより、孤独や自責の念が苦しみの原因では?と思うことがあります。そんな心に慰めと発想の大転換をもたらすのがこの詩、「あしあと」です。

筆者はマーガレット・フィーシュバク・パワーズさん。アメリカ出身の敬虔なクリスチャンです。

さて、これを紹介するときは…最後のひとことを伏せておくんです。まあ、いろいろなアイデアが出てくること、出てくること。みなさんも考えてみてください。

(すみません、この写真はスウェーデンの湖畔なんですが…きれいでしょ?)

Footprints in the Sand
by Margaret Fishback Powers

“One night I dreamed a dream.
ある晩私は夢を見た
As I was walking along the beach with my Lord.
砂浜を主とともに歩いていると
Across the dark sky flashed scenes from my life.
空を横切って瞬いたのは我が人生の出来事さまざま
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
そのひとつずつに、ふた組のあしあとが砂に残っていた
One belonging to me and one to my Lord.
ひと組は私、もうひと組は主のものが

After the last scene of my life flashed before me,
人生最後の場面が閃くと
I looked back at the footprints in the sand.
私は振り返って砂に残されたあしあとに目をやった
I noticed that at many times along the path of my life,
幾度も、人生の道すがら、
especially at the very lowest and saddest times,
ことさら沈みきり、悲しみ極まった時ばかり
there was only one set of footprints.
あしあとはひと組しかなかった

This really troubled me, so I asked the Lord about it.
このことにひどく苛まれ、私は主を質した
“Lord, you said once I decided to follow you,
「主よ、おっしゃいましたね、ひとたびあなたに従うと決めたなら
You’d walk with me all the way.
どこまでも私と共に歩いて下さると
But I noticed that during the saddest and most troublesome times of my life,
けれど、もっとも悲しく辛かったときに
there was only one set of footprints.
あしあとはひと組しかありませんでした。
I don’t understand why, when I needed You the most, You would leave me.”
わかりませんね、なぜ、心底居てほしかったときに、あなたは私を見放してばかりなのか。」

He whispered, “My precious child, I love you and will never leave you
主はささやいた。「いとしい我が子、大切なあなたを決して見放しなどしない。
Never, ever, during your trials and testings.
絶えて、決して、あなたの試練の時になど。
When you saw only one set of footprints,
あなたの目にひと組のあしあとしか映らなかったのは…

さーて、この後の締めの一言をお願いします。

ある港区の私学女子中高ではあまりに自罰的なアイデアばかりなので大変心配しました。
「それがお前にはちょうどいい教訓になる。」
「ひとりで歩けないようではだめだ。」
ええー。

今回、F大学で紹介したら、まあ、ブレイクアウトルームでアイデア出しの時間が大盛り上がりで面白いこと!精選して、クラスでおおー!と声が上がったのがこちらです。
「I was walking ahead of you so that you could follow me stepping into my footprint.」

いいじゃない!オリジナルよりいいじゃない!オリジナルはこれです。It was then that I carried you。

だっこやおんぶよりいいじゃない!自分もちゃんと歩いている。Jesusの背中を目の前にして。

これを提案したのは雪国育ちの学生。さすが、みんなの心をとらえました。画面上の彼女の真っ白に見える窓の向こうは大雪。関東の学生たちはえーっと声をあげました。

人が「想定外」と呼ぶ苦しみや悲しみを、一歩先んじてすべて味わいつくしどこまでも共にある存在。それをキリストと呼ぶのだ、福島という子羊の一歩先を歩き続けるのだ、と思った2011年の春を思い出しました。

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福島地方紙の大学合格記事に思うこと

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

福島の地方紙の一面を見て驚いたことがあります。数年前のことですが。

ある東京の大学に合格者が出たというのがトップ記事。嬉しそうなご本人のインタビューも詳しく載っていました。

実におめでたい。でも、この調子で掲載してたら3月いっぱいじゃ追いつかないだろうなあ…

思い出していたのは福島県の高校の風景です。震災以降、私は「県境なき教師団」よろしく出前授業で通訳トレーニングやストーリーテリングを活かしたワークショップを提供していました。

伺うたびに(2時間授業して4時間呑んでいたのですが)感心するばかりでした。福島の県立高校の授業のレベルの高さ、先生方の仲間づきあいの濃さ、私たちへの行き届いたおもてなし…どう見ても支援していただいているのは県外からのこのこ出かけていった私たちでした。

あの感じなら、この大学には毎年30人くらい合格していて不思議はない…あの大学も、この大学も…ん?新聞が足りない?!

ふと、気になったのは記事の中の「十数年ぶり」の部分。

福島と言えばコレ!

え?どうして?

ここから先は憶測の域を出ません。

どうもたくさんの生徒が受験して不合格になったとは思えないのです。そもそも受験していないのでは。

…もしかして、実力はあるのに受験していないのでは。
実際よりその大学は難しいと思い込んでいるのでは。
受かるはずがないと思い込んでいるのでは。
地元を離れてはいけないと思い込んでいるのでは。
いったん地元を離れたら戻れないと思い込んでいるのでは。

いや、先生方がそんな思い込みは解いてくれるはず…

地元の大学も首都圏の大学もくまなく調べて自由に決めたことならよいのです。地元にも専門分野に優れた大学はあります。地元の大学に通いながら家業を継ぐ準備をするのもめったにない幸せな道です。それならよいのです。

ただ、もしかしたら東大の女子率が2割を超えないのと似ている構造があるのかもしれないと妄想しています。女子が受けて合格しないのではなく、そもそも受験するまでのハードルが多いとか。同じようなことが男女のジェンダーではなく、首都圏、地方のイメージの差にあるかもしれません…なんていうのが私の勘違いだといいのですが。

もし勘違いでなかったとしたら…次にやるべきことは酔っぱらい押しかけ授業ではないのかもしれません。

コロナ休校中高生3月限定オンライン無料通訳道場好評開催中

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福島の中高生を地元密着通訳ボランティアに

新型コロナによる急な休校。中高生の皆さんびっくりですね。
そこで中高生限定無料オンライン通訳道場を7回分用意しました。そもそも少人数ですが、その半数を福島県枠にしています。

なぜ?

福島での通訳は福島地元の言葉が話せる人がいい。地元の人がいつも通りに自然に話せるよう、通訳も地元の言葉で話せるといいのです。

地元の言葉は免疫でもあります。

実はこんなことがありました。

震災後、身内の用事で浜通りに出かけたときのこと。

ドイツ人らしいジャーナリストの方が日本人通訳をつれて地元の人に英語でインタビューをしています。盗み聞きするつもりはなかったのですが、気になる。

相馬中村神社の狛犬 2011年7月 相馬野馬追にて

ジャーナリスト「Do you think people still stay here because they cannot evacuate?」
通訳「 ここに残っている人たちは避難できない人たちだと思いますか?」
地元のおじさん「あー、そういう人もいっがもわがんないです。」(微妙に丁寧)
通訳「Yes, I think that’s right.」

ええええー!それじゃ「そういうことだと思います」になっちゃう。

地元の人が緊張しているのは明らかでした。通訳をしていた若い女性の日本語は標準語、英語はアメリカ英語。通訳養成を経ていない自己流であるのも明らかでした。

これか…

私にも福島に取材に行きたいという海外ジャーナリストからの通訳打診が頻繁に来ていました。条件は「実費以外は無償ボランティアで。プロでなくていい。英語が話せればいい。」

それって、通訳者にも福島にも失礼でしょう。そう言って断りました。

ああ、これなのか…

暫くするとドイツ在住の友人がFBで「福島に住んでいる人たちは本当は避難したいけれどできない人たちだ。福島は住むところではない」というドイツの記事をシェアしているのを見かけました。

あのとき見かけたドイツ人かどうかはわかりませんが。

友人は「日本にいると日本のことがわからないでしょう」のようなコメントもつけていました。

ご立派なドイツからのありがたいご託宣、と日本在住の友人たちも浮き足だったのです。

何度バカにされたら気が済む?日本辺境コンプレックスここに極まれり。どいつもこいつも本当にバカか?

以来、私は福島の免疫として中高生に地元密着ボランティアになってほしいと願ってきました。

新型コロナウィルスによる休校を機会として活かします。

福島のみんな、来らっせ!(いや、みんな来たら困るんだけんじょも)

中高生3月限定無料オンライン通訳道場はこちら

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