バレンタインは「〇理」チョコで

もうすぐバレンタインデー。すごいですね、スーパーもデパートも駅のコンコースも臨時チョコ出店だらけです。

日本のバレンタインデーの起源は神戸のモロゾフだ、いやちがう、とか、誤訳のせいだ、とか諸説ありますが、長いこと、女子から男子にチョコを贈るという世界でも珍しいイベントでした。義理チョコなんていうのもあったり。でも、このごろは自分で食べるために買う人も多いそうですね。

2月14日はカトリックでは恋人たちと結びつきのある日ですが、別に女子→男子ではありません。一説によると、ヴァレンタインデーの由来である司教ヴァレンティヌスはローマのクラウディウス帝に迫害されても棄教せず、妻帯を禁じられていたローマ軍の兵士たちに結婚式を執り行っていたそう。こりゃ、絞首刑にされますな。

イギリスのリーズ大学の女子寮では、お互いに日ごろの友情を感謝する手作りのカードを交換しあったものです。お菓子はナシ。私は筆ペン習字と折り紙で、お金かかりませんでした。

さて、チョコを贈るならこちら、ドイツのゲパ社がおすすめ。本命でも義理でも「倫理」にかなうチョコです。

はじまりは、一昨年、輸入代理店のおもちゃ箱さん主催のブランドセミナーでの出会いでした。インドネシア出身のブランドマネージャーさんのお話に耳を澄ませ、通訳しながら、感激してました。

製造のどの部分をとっても正真正銘、誠実、まっとう、倫理的なんです。

ゲパ社は契約カカオ農家が現地の理に適った無理のない方法で栽培できるよう支援。トラブルがあると契約を破棄、ではなく一緒に問題解決にあたります。フェアトレード以上の条件で取引をし、長期にわたる信頼関係を大切にしています。カカオのみでなく、ナッツ、フレーバーにも同じ行動基準を掲げています。略奪に依存する金儲けとは無縁です。

大地からも人からも略奪せず、お互いを友として長く大切にする。私はそんなゲパ社が大好きです。お金を使うことが、ただモノの入手だけでなく、どこか遠くの誰かの応援、幸せにつながる。うれしい買い物です。

おもちゃ箱さん ゲパ ページ

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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原因不明の病でこそ、新たに生まれ変わる

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

医療の症例検討会の通訳をしていると、ふと思うことがあります。

病には因果関係で説明がつくものと、つかないものがあると。

そりゃ、大酒を飲み過ぎて肝硬変になった、さんざんタバコをすって肺がんになった、などはまあそりゃそうだ、と思います。

でも、一滴もお酒を飲んでいないのに、タバコも吸ったことが無いのに、同じ病を得る方もあります。

因果関係がはっきりしないと、なおさら不運だったように思えるものです。

ある若い友人がうつ病になったときのこと。大切に育てられた彼の成育歴に「原因」らしきものは見当たりません。

すると、周りの人たちは本人がいないときに「あいつは甘やかされて育ったんだ」「世間体のいい家庭の中は本当は冷たいんだ」などと言い出したのです。まるで「恵み」まで疫病神扱いするように。私はこれに強い違和感を覚えました。

そして、病には、大酒のみの肝硬変のように過去からやってくるものと、彼のうつ病のように未来からやってくるものがあるのでは、と感じたのです。

未来からやってくる?

そう。過去が悪かったわけではありません。今も十分幸せ。でも今生の自分のつとめに今後出会うためには、今のままではちょっとおぼつかない。

そんなときに未来からの鍛錬として病が与えられることもあると思うのです。

世の中の流れから置いて行かれたような気持ちになり、死を想い、どん底を見る。生きながらこれまでの生を振り返る機会に恵まれて、甦る。そう、魂が病という体験を経て甦る。そんなこともあると思うのです。

うつだった青年は錆びやすく柔らかい鉄のようでしたが、いまでは鋼鉄のようにすっきりたくましいおじさんです。何年もかかりました。でも、あの体験がなければ今の自分はないと言っています。

病気になった自分を責めることはない。因果関係ばかりに説明を求めることもない。

今を抱きしめる。未来からの導きに任せる。

まあ、大酒のみ、ヘビースモーカーのみなさんは少し自分の健康を気にしてください。

どちらも猫はあたりまえのようにできているようですが。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子 プロフィール

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「赦されて在る」を翻訳で体験する

さる13日「『春と修羅 序』との再会」と銘打って、賢治の詩に向き合う贅沢なイベントを開きました。

読むと言ってもふだん私たちは本で文字を追うだけになりがち。具体的な散文ならともかく象徴的な韻文はこれでは歯が立ちません。「なんかわかった気がする」「なんだかよくわからない」で終わりがち。そこであえて英訳を通した深読みと言語造形を通すことにしたのです。導き手は平安時代の歌論がご専門のパトリック・ヘラー先生と大阪からお招きした言語造形の諏訪耕志先生。

はっとする再発見が続く中、こんな声も聞こえました。

「もとの日本語なら自分なりに感覚的に味わえていたのに、英語だとわかりにくい。なぜわざわざ英訳したのか。」

面白い!

なみいる参加者はプロとして通訳、翻訳にあたろうというツワモノばかり。そのなかからこういう根源的な問いが発せられるのは興味深いです。なにより忌憚なくものが言えているのがうれしい!

なぜ訳したのか、はそれぞれの訳者に訊いてみなければわからない動機もあります。

それは脇に置くとして、わたしは2つのことを思いました。

①日本語は母語であるがゆえに自分に甘くなっていないか。
感覚的にとらえている、というのは自分の好みにあわせて読んでいるのではないか。

②訳す、とはつらさ、謙虚さ、赦されてあることと不可分ではないか。
訳す、つまり外国語での表現を1つにしぼることは、ひとつの語、フレーズが持ちうるさまざまな意味のなかから、どれかひとつを主役に選び、他をわき役にすること。たとえば「こころ」はheart, mind, soul, spirit, feeling,いろんな顔がある。ぜんぶ引きずるわけにはいきません。ひとつふたつ選ぶことで、選ばなかった他の選択肢が、申し訳なさと共にかえって鮮明に見えてくるのです。日本語ですうっと読んでいてはこの苦しみはありません。さまざまな側面に気づかないままのこともあります。

翻訳するには、たいていのひとが読み飛ばしそうなところまで、この苦行のようなステップを繰り返します。「読み飛ばしているのに勝手に分かった気になる」は大いに防げるでしょう。

文学の訳は深く読む喜びと選ぶ哀しみを伴います。個人的に手元に納めておいたほうがよいのかもしれません。

ただ、それが求められて世に出るとなったら、訳した者はなぜそう訳したのか選びの過程をきちんと示し、批判に開かれてあること。読むものは感謝と寛容を忘れないこと。

このふたつが成立すると訳者としては「赦されてある」境地を味わうことになるのでしょう。 趣味を超えて、生きることの縮図のひとつを体験できるのでしょう。

このことをまさに宮沢賢治自身が「春と修羅 序」のなかで言っています。

「これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがえましょうが
それらも畢竟こころのひとつの風物です
ただたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとおりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとおりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるように
みんなのおのおののなかのすべてですから)

宮沢賢治「春と修羅 序」より

そんな思いから、私は今年は宮沢賢治とカリール・ジブラーンに向き合います。

ゲーテもこんなふうに言っています。
Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen.
外国語を知らぬ者は、自らの言語も知らない。
( Maximen und Reflexionen; II.; Nr. 23, 91 )

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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シュタイナー関係の複数イベント同日開催はどうしたら?

「シュタイナー関係って同じ日にいくつもイベントが。」
「これじゃ人が集まるわけがない。」
「あれもこれも行きたいのに、ひとつしか行けない。」

お困りですか?さてどうしましょう。
みんなでスケジュールを共有して重ならないようにする?

ブー。

「あら、うちはそこの土曜日イベントがあるから、おたくは金曜日にして」
「おや、○○幼稚園さんが日曜にイベントあるから、うちは月曜にしよう。」

こんなやりとり成立するわけがない。

成立したとして、おんなじ面々が回遊魚みたいに見慣れた会場をうろうろするのって、どうでしょう?孤立して閉じた輪になるように思えます。

日にちをずらし合ってもどうにもなりません。無駄です。

やるべきことは2つ。

イベントはしずく。あなたの茎はなに?ちなみにこれはコリアンダー


①そのイベントに招きたい、痛みを和らげたい相手をしっかり絞る。想定外の人が来てもいいのです。イベントが誰にあてたラブレターかはっきりすること。相手のいないラブレターは気持ち悪い。

②オンラインとの組み合わせ。対面だけにたよらず、ふだんからオンラインを対面イベントの準備とフォローに活かすこと。対面とオンラインが両立しないイベントは軸があまいんでしょう。(どうしても単発でやりたいときは特別感を出せることを確認。)

そしてもうひとつ。私の個人的な項目ですが、そのイベントが、天にすでに描かれた大いなる計画を、わずかでも、できるだけ地上に写し取るこころみになりうるか思い巡らします。ここで違和感があったらストップ。

1年は365日しかない。週末は52回しかない。でも52回もある。連休も。

いくら重なってもいいのです。シュタイナー関係だけで見ているからシュタイナー関係同士で重なっていると錯覚する。サッカー、野球、町内会の新年会といくらでもイベントなんて重なっています。

あなたのラブレターの宛名は誰?

このごろ、あちこちのシュタイナー関係団体でご相談をうけます。今はとてもその時間はとれないけれど、もし、ウェブデザイン、紙モノデザイン、オンライン発信などの人財にめぐまれたら、そのときは、なんて思っています。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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クリスマスソング、Joy to the worldに込められた英国自由人の願い

日本語では「もろびとこぞりて」の詞で知られるあのメロディー。パン屋さんのケーキCMでTVでもよく耳にします。

昨日の投稿では「もろびとこぞりて」はJoy to the worldの日本語訳ではないことをご紹介しました。変なこともあるものです。

さて、英語で歌えるとまた盛り上がるJoy to the world。英語詞はアイザック・ウォッツ(Isaac Watts 1674ー1748)が、詩篇98篇をもとにアレンジしたものと言われています。この詩篇では、神をこの世の王とし、その即位を大自然も喜ぶとしています。

アイザック・ウォッツの肖像

このウォッツという人、ケンブリッジかオクスフォードで学びたいと望んだものの、許されませんでした。当時のオクスブリッジは英国国教会会員に限定されていたのですが、ウォッツはCongregational、つまり会衆派(組合派とも)とよばれる国教会ではないグループに属していたためです。

そこで別の学校で神学、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語を始め、当代一の教養を身につけたそう。

ただ、ウォッツは会衆派にこだわったわけではないようです。ひとつの教派の中にとどまり、似たような価値観をもつ限られた人々を相手に説教をするより、外に出て、天地の仕組みを探求し、人々と共に学ぶことを選び、楽しんだと言われています。ずいぶん自由な人だったのですね。

Joy to the Worldにも派閥、分別の愚から自由な者たちの喜びが願われているようです。

あと180年遅く生まれていたら、ルドルフ・シュタイナーと話が合ったかもしれません。

クリスマスおめでとうございます。

以下、ウォッツの詞と私の訳です。中学生のみなさん、使役動詞のおさらいですよ。let S Vは「Sが望む通りVするにまかせる」。make S to Vは「有無を言わさずSにVさせる」です。後者の方が実現まで距離があるのでVにtoがついているのもうなづけます。

Joy to the World; 
the Lord is come!
Let earth receive her King!
Let ev'ry heart prepare Him room,
And Heaven and nature sing.

Joy to the earth,
the Savior reigns!
Let men their songs employ;
While fields & floods, rocks,
hills & plains
Repeat the sounding joy.

No more
let sins and sorrows grow,
Nor thorns infest the ground;
He comes to make his blessings flow
Far as the curse is found.

He rules the world
with truth and grace,
And makes the nations prove
The glories of His righteousness,
And wonders of His love.

喜びを世に! 主、来たりしゆえ
大地がその王を受け入れるにまかせよ
めいめいが心に王の部屋をととのえるにまかせよ
天と自然界が歌うにまかせよ

喜びを大地に! 救い主は君臨したもうゆえ
人々が声を挙げて歌うにまかせよ
そのとき、陸や海、岩や丘や野も
くり返しその喜びを響かせる

もう罪と悲しみをのさばらせまい
いばらを大地にはびこらせまい
主は来ませリ、その祝福を絶えず巡らすため
呪いが見いだされるところまで

主は世を治めたもう、まこととあわれみによって
そして国々に証しさせたもう
さかえある主の義と
驚くべき主の愛を

(冠木友紀子 イメージ順尊重試訳)

英語らしく歌うには、日本の湿気に負けず、クリアーな子音を保つこと。プロ通訳者が愛用する骨導ツール、プロナウンスはこちら。

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「もろびとこぞりて」はJoy to the worldじゃない?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

明日はクリスマスイブ。皆さんお気に入りのクリスマスソングはどれですか?

「もろびとこぞりて」も人気のようで。
この讃美歌について、友人のお嬢さん、高校生のSさんの質問に「面白い!」とうなりました!

Sさんはどうしても納得いかない、という様子でこう言うのです。「『もろびとこぞりて』って訳の日本語が英語と違いすぎます!なんでですか?」

英語とはJoy to the world…のことですね。

理由は2つ。
1.そもそも、別の詩なんです。
「もろびとこぞりて」は讃美歌の本をよく見ると書いてあるようにPhilip Doddridgeなる方のHark the glad sound! the Saviour comesという詩の訳、というか日本語版なんです。

112という数字の下にHark the glad sound!と書いてありまして…

つまり、Joy to the worldの訳ではありません。

えええ?

昔は曲と詞の組み合わせがキッチリ決まっていなかったのです。それで、ひとつ詞を複数の曲に合わせて歌うことがよくありました。

極端ですけど、「さくら、さくら」の曲にあわせて「チューリップ」を歌ってみてください。まあ、これはやりすぎですけれど。

ことに讃美歌は、新たな土地にうまくすべりこむため、民謡や愛唱歌に宗教的な詞をあわせることが多かったようです。

2.歌えてこそ訳詞。
「もろびとこぞりて」は原詩Hark the glad sound! the Saviour comesと比べても「日本語訳」にしてはだいぶ違います。

Hark, the glad sound! the Savior comes,
the Savior promised long;
let every heart prepare a throne,
and every voice a song.

諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

もし、まじめな訳にしたら…歌えないでしょうね。

日本に讃美歌が伝えられ、日本人のために日本語版を工夫した先達はただ日本語訳したのではなく、英語を参考に、日本語であらためて詩を書いたのですね。

明日はJoy to the worldに描かれている花嫁、花婿のモチーフをご紹介します。

1月13日「春と修羅・序」で心の羅針盤をととのえるバイリンガル・ワークショップ

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文学はいらない?魂のこよみ第32週

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者、冠木友紀子です

もう文学はいらないのでしょうか。皆さんはどう思われますか?

つい先日も、先輩たちに「大学で英語を教えられる卒業生がいたら紹介して」とお願いしたら、2人から全く同じことを言われました。

「最近は誰も文学、語学系には進まない。語学力をつけたとしても 国際機関、外資で働いている。」

まるで、文学に進む者は世捨て人である、といわんばかりです。がっかり…。

熟れた実が地に捧げられ…

私はそうは思いません。

文学こそコピーライティングの永遠の流行の宝庫。新しい言葉を生み出す力の源。

「それなりに」英語を使える人はたくさんいますが、英語でコピーや歌詞を書けるひとがどれほどいるでしょう?

確かにこれまで文学教育は受け身に読むことばかりに傾いていたかもしれません。英文科卒の条件に詩作というアクティブな課題なんていいかも。

ルドルフ・シュタイナーの「魂のこよみ」も第32週。私にとって詩の翻訳はアクティブな瞑想です。

ドイツ語3行目のkraftendは名詞die kraft(力、熟練のわざ、など)からのシュタイナーの造語。名詞kraftから動詞 kraften を作り、それをさらに現在分詞kraftendにしたのです。kraftigという形容詞はあるのですが、シュタイナーはこれに満足しませんでした。もっと能動的で動きのある様子は現在分詞でなくては表せないと考えてこの語を作ったそうです。ドイツ語が生き生きと言語を形づくる力を失ってきたのでおのずとそのような語は作られなくなった、だから自分がやってみた、のようなことを語っています(GA299)。

Ich fühle fruchtend eigne Kraft 
Sich stärkend mich der Welt verleihn;
Mein Eigenwesen fühl ich kraftend
Zur Klarheit sich zu wenden
Im Lebensschicksalsweben.

私は感じる、自らの力が実を結び、
勢いを増し、私を世界に授けるのを。
私の存在には力がみなぎり
澄み切った境地で向かう、
人生の巡合せという織物に。

土に還れるエシカルビジネスのための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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留学帰りの専門家が翻訳で躓かないための2つのコツ

「留学して専門分野を学んできた。最先端の内容がわかっているのは自分だ。
ぜひ翻訳もして日本で広めたい。」

そう思うのはごもっとも。

ところが、読書会を開いたところ参加者の表情がいまひとつ…単語単位での言い換えが提案されガッカリ、ということはありませんか?、

決してあなたの専門分野理解に問題があったわけではありません。

単純なことです。専門分野での実力と、翻訳能力は別の話です。専門分野をよく知っているからと言って、翻訳ができるというわけではないのです。

自己流で翻訳しようとすると、実は自己流ではなく「古い学校流」に
しばられたままになりかねません。

「古い学校流」の英文和訳は「規範文法」に基づいて「書き言葉」をよしとしていたはずです。

「規範文法」とは言語の表現にはよしとされる規範が決まっていて、これにのっとって表現すべし、とする文法です。

ヨーロッパではラテン文法が長い事規範文法とされ、各国の言語の文法もラテン語の枠にはめられてきました。このせいでラテン語はわけわからん、文法は難しい、という誤解を招くことになりました。

日本の外国語教育でも規範文法的に書かれたテキストが普通だったので、規範文法を学校文法と呼ぶこともあります。規範文法の感覚でI love you.を訳すと「私はあなたを愛しています」となります。(こんなふうに日本語でコクられた人、いるんですかね。「あっそう、勝手にすれば」と答えたくなりますけど。)

この感覚で専門分野を訳そうとしていませんか?知らないうちに規範文法に縛られていたのではありませんか?

新たに意識してほしいのは記述文法と生成文法ですが、その詳細の代わりにすぐに心がけてほしいことを2つご紹介します。

①言葉は「ためしてガッテン」。
NHKのクイズ番組、ためしてガッテンでは「テーマ提示→問題→回答」とすすみます。言語表現もこれと似ています。

I 俺なんだけどさ
love 好きなんだ、愛してんだ、
you お前のことを

規範文法的な「日本語と英語は語順が違う」という思い込み石頭から自由になってください。さもないと、肝心な情報の順を狂わせて読者を船酔いさせることになります。

②陸の火山、海の火山
いくらクイズ番組式にしても、これではへんです。
John ジョンたらさ
gave くれたんだ
his bike 彼の自転車を
to his sister..彼の妹に

カレカレうるさいです。

言語は山のようだと思います。陸上に山脈をなしている山もあれば海面からちょこちょこ顔を出して群島をなしている山もあります。英語をはじめ西洋言語は山脈のようで、日本語は群島のようだと思うことがあります。日本語のほうが潜在的な部分が多いのです。ただ、潜在しているのであって「ない」のではありません。

だって…朝、娘さんが出かけに忘れ物に気づいて、お母さんに「ハンカチとってー!」と言ったら娘さんのハンカチが出てくるでしょう?「誰の?」とお母さんが訊いたり、お父さんのハンカチが出てきたりはしません。

外国語で顕在しているからといってぜんぶ顕在させたら、日本語としてはちょっと変になるわけです。

むろん、そうした差異を承知のうえで、新しい日本語を創るつもりで訳されるならご自由です。ただ、気づいていない縛りから自由になっていただけたらさいわいです。

近々、「通常業務に加え、通訳・翻訳もちゃんとできるスタッフになるためのオンライン講座」(仮題)はじめます。それにしてもひどいタイトル。もっといい名前ないでしょうか?

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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「ワーク」って仕事?勉強?シュタイナー「魂のこよみ」第31週に寄せて

ドイツ語祭り続行中の通訳者、冠木友紀子です。

こんなに短い詩に、しかも同じ語が何週も繰り返し登場するのに、毎回一週間うんうん唸っております。

それだけのことはあるんです。多読、乱読、速読では入れない洞窟で瞑想している気分です。

今回はdie Kraft, die Macht、そして das Werkが気になりました。英語で言えばcraft, might, work です。

die Kraft は「熟練のわざ、力」が語源。おお、クラフトって音も玄人と似てる、なんてダジャレです。 die Macht は「大きな力、可能性をはらんでいること」が元です。ありゃ、マッハトってこれはサンスクリットのマーハー、般若心経の出だしの「魔訶」と関係ないかしら、とアタマの寄り道限りなし。 そしてこの2語が女性名詞であるのも面白い、というか当然でしょうかね。いつかインドヨーロッパ語の語源と東洋の言語の語源をじっくり尋ねてみたいものです。

das Werkの英語のいとこ(?)はおなじみwork。仕事、労働、といってもlaborやtoilのこき使われてくたびれた感はありません。taskの人から指示された感もありません。ワークは自らの意志で取り組むことを指すんです。鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように自然。そういえば、このごろワークショップってよくききますね。参加者が主体的にかかわりますもんね。シェイクスピアの作品、なんていのもShakespeare’s Worksといいます。

日本のみなさん、会社でも学校でも大いなる力に支えられ、喜び多い「ワーク」をなさいますように。

Das Licht aus Geistestiefen,
Nach aussen strebt es sonnenhaft:
Es wird zur Lebenswillenskraft
Und leuchtet in der Sinne Dumpfheit,
Um Kräfte zu entbinden,
Die Schaffensmächte aus Seelentrieben
Im Menschenwerke reifen lassen.

光は魂の深みより
外に向かう、太陽のように。
やがてそれは生きる意志の働きとなり
感覚の暗がりを照らす、
さまざまな働きが生まれるよう、
魂に衝き動かされた創造の諸力が
人の営みのうちに熟れるよう。

お粗末様でございました。おあとがよろしいようで。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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通訳レポート★え?タンポンで死ぬ?!

土に還れるエシカルライフを応援する通訳者、冠木友紀子です。先日イギリスのオーガニック生理用品メーカー、ナトラケア社のスージーさんの通訳を担当しました。プレゼンで出たお話に会場の取引先の皆さんもびっくり!タンポンで死ぬなんて、まさかないと思うでしょう?

これまで、何百人もの女性が毒素性ショック症候群で亡くなっているのです。

昨年、2018年もカナダの女子高生が一泊学校旅行で亡くなっています。


というのも、8時間も交換不要と書いてあるプラスティック製超吸収体。ついついうっかり長時間交換せずにいると…

ふだんは何も悪さをしない常在菌の黄色ブドウ球菌がアンバランスに増えることがあるんです。それが生理の血をさかのぼって体内を巡ったら…

80-90年代のアメリカでは何百人もの女性が毒素ショック症状で落命しています。

みなさまも生理中のちょっとした風邪のような症状を軽く見過ごしますな。そして、ご愛用品の素材の風通しを見直してくださいね。できれば、ご近所に気軽にかかれる婦人科のお医者さんを探してください。婦人科の先生こそ女性のGPでは。

土に還れるエシカルライフのための通訳者 冠木友紀子

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