「医療・農業・教育」を通訳するなんてブレている?

なぜ持続可能な「医療・農業・教育」を通訳するんですか?違う分野でしょう?通訳さんは文系、語学系でしょう?ブレブレじゃないですか?

おお、よくぞ訊いてくれました。この時代、そう思う方は多いようです。

小さい頃から田舎育ちの私には、なんとなく想像がついたのです。この3つは、かつて教会やお寺に司られ、緩やかに連携しながら、牽制し合っていたのだと。

子どもが具合を悪くすれば、まずたっぷり寝かせる。年よりは死期をさとり、身内の者を呼び寄せて辞世の感謝をする。症状が悪くなってからそれを叩く強い薬をのむのではなく、元気なうちから自己治癒力を励ます薬草茶を飲む。新鮮な野菜を安く買おうとするより、庭で野菜を育てる。子ども達は勉強で点数競争するのではなく、他者を手伝うために頭をひねる。いつも景色のどこかにお寺や修道院が見えている。

神の退却と共に、いまやこれら3つが不安を煽る金儲けの暴走エンジンとなり人としての倫を超えたと思う場面もしばしばです。

ただ、それぞれの領域が単体になって、単純化したかと思うとその逆で。異常に込み入って見えるのです。まるで干物の鯵をバラしたようです。だから近代医療、近代農業、近代教育はそれぞれ単体でひとつの領域に見えるのかもしれません。

でもオーガニックな医療・農業・教育は生きた鯵のよう。泳ぐ姿には波の動き、鯵の体感まで共感できるよう。共通点が多いのです。生命プロセスが透けて見えるのです。

生命プロセスを感じる。これぞリベラルアーツ。

そのことに、はじめて満面の笑みで共感してくださる方に出会えました。ドイツのバイオマスボイラー関連企業のCEOの方です。

ボイラーも生きものですね、プロセスがありますね、というとニッコリ。「いままで通訳者から聞いた中でもっとも○○なコメントだ。もう安心だ。」と。

よかった、よかった。

ところで、ブレているかどうかって、見る側の視点の深さ、視野の幅広さにもよりますよね。なので私は天智神明から見れば常にブレていると思っています。他人をブレているなんて上から目線で責めるつもりはありません。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者
冠木友紀子のプロフィール

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敵などいない

なんであの程度のものが売れるんだ!
なんであんなものが常識としてまかり通っているんだ!

ホリスティックな医療や教育、オーガニック農業の仲間の
友からたびたび聞かれる悔しい思い。

自社の一時的利益最大化を求めて投入収奪の効率化を極めた多国籍大企業を見れば、そんなためいきもごもっとも。

でもね、彼らを敵視してはいけません。それは彼らではなく自分に負けるだけ。

それより、今日、すでに友である人を見出すこと。明日味方になってくれる人と連絡をとること。「一味」を少しずつ育てるしかないんです。それには時間がかかる。だから、今すぐはじめてまめに続けるしかない。

他者を非難しているひまはない。

私も以前はM社はとんでもない!と思っていました。今も思っています。でも…

あるとき、別のD社の副社長のJ女史の通訳を頼まれました。消費者と加工者のコミュニケーションを改善して食品安全技術への信頼を高め、食品の無駄をなくそう、というお話です。

Jさんはオードリー・ヘプバーンを成熟させたような可愛らしい方。昼食から講演会場への移動の道中も植物観察。道端のナガミヒナゲシやホトケノザに手をのばし、「なんてかわいらしい!まあ、ポピーに小さな仏様?日本の野の花は品がいいわ」と立ち止まってはため息をつかれました。

このJさん、M社の幹部として長く務められたとのこと。その頃のことを伺うと、遠くを見るような眼差しでなつかしそうに「人類と食糧のために尽くした」日々を語ってくれました。

いまでも私はM社には賛成できません。でもJさんのような個人の働きを否定しても仕方がない。

徒党を組んでM社に直談判?

それにも私は興味がないんです。

誰か、何かを「敵」と見なして否定、非難すること自体、自分を正義としたい自分に負けていると思うのです。愛をもって相手をいさめているのでもなければ。

でもね、私の常時品切れ気味の愛情は、まず友に捧げたいと思うのです。

原発を製造していたGE社も再生可能エネルギーに取り組む時代です。敵と味方の線引きはできません。友を大切にしよう。それだけです。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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なぜ医療・農業・教育の通訳を???

持続可能な医療と農業と教育の通訳をしています、と言うとよく言われます。

「え??全然違う分野では…?」
「それって、たまたまクライアントさんの分野に興味持っちゃったの?」

ごもっともです。

でも…両方NOです。

この3つの分野、いかにもそれぞれ独自の堅気の商売でしょう?
でも人間だけがひどく必要としていると思いませんか?

健康でいたい、死にたくない…
ひもじい思いはしたくない…
周りよりバカではこまる…

そんな不安がこの3分野をきりのない発展に駆り立てたのかもしれません。

その根源には
「○○ができない、~を持たない自分はだめだ」
「~さえあれば自分は完璧なのに」
という条件付きの自分付き合いがあるのかもしれません。

でも、その発想は幻想できりがありません。
とかげのしっぽ切りのように敵を切り続け、やせ細る。
やがて環境までも搾取で疲弊させる。

この3分野、昔はバラバラではなかったのだと思うのです。

修道院、お寺など、世界各地で精神的な支え(目に見えぬ世界を指し示す人々)を軸に、支え合い、ゆるやかに牽制しあっていたのだと思うのです。

20世紀はじめ、シュタイナー博士にアドバイスを求めた
医師、農家、教員の人たちは、かつての「精神的支え」が失われつつある中、
新な「支え」を模索していたのではないでしょうか。

わたしも今日の「節制の支え」「自己受容」「memento mori」を
キーワードに歩みます。

バイオマスの通訳をするのもそんな思いからです。

プロフィール

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シュタイナー関係の通訳について思うこと

「わかってる」ってどういうこと?

「○○さんの通訳は良いの。シュタイナーわかってるから。それにボランティアでやってくれるし。」

こういうの、多いんですよ。ウンザリしますね。それでも満面の笑みで言われると「あなたたちがその調子だからだめなんだよ。」とは言いにくくなりますけど。

別に「冠木さんはわかってない」というつもりでないのはわかっています。いや、「冠木さんはわかっていない」のほうがいいかも。いや、私も十分「シュタイナー関係の身内」でしょうし、「専門用語がちゃんと出てくるわかってる人」と思われていることでしょう。でも、「わかっている」つもりなんてないのです。アントロポゾフィーに限らず、ある分野を知れば知るほど未知の領域が広がるばかり。「学んでいます。励まされています。」とは言えたとしても。

ひとのことを「あの人わかっている」ってどういう意味だろう?

たぶん、海外のナニヤラカレッジなどに留学してコースを修了、そのまま在住してその関係の仕事もしていて、「自分よりわかっているはず」。専門用語もすらすら出てくるしね。まあ、こんなところでしょう。

春の芽吹きは凍てつく冬に準備してこそ。スウェーデン、イエルナにて。

主催者も聴衆も楽をしている

つまり、楽なんです。主催者は通訳してもらう分野を通訳者と打ち合わせをする必要がない。聴衆はクリティカルに訳を聞く必要がない。たとえ通訳者が聞こえなかったところをたまたま知っていた専門用語でつくろったとしても。

むろん、無駄な骨折りは必要ありません。でも、なにか本気でやろうとしたらアマチュアの仲間どうしで「楽」をしていたら黄色信号。

プロはプロと組み、参加者に最善の貢献をしようと真剣です。

シュタイナー関係でも医学関係は卒倒するほどの資料を提供してくれます。録音、録画もして、病名の言い間違いなど許されません。

この夏からご縁のあるオステオパシーの講座はさらに多くの資料を提供し、直前まで私のような門外漢の質問にも丁寧に答えてくれました。

オーガニックオリーブオイルの商品発表会での通訳のために、実際に購入しようとするとプレゼントとして全種類が送られてきました!私がJAS規格や国際的なオリーブオイルの基準まで頭に入れて臨んだのは言うまでもありません。

これらの分野で私は猛勉強の門外漢。「私はわかっていません」ので組む相手のプロに質問しまくります。そしてどうしたらこの商品、サービスがよりよく活きるだろうとコンサル的視点で俯瞰しています。終わった後でも情報提供は惜しみません。

異質のプロ同士が組むと掛け算になります。地の塩、世の光にはこの掛け算が大切では。

確かに、通訳養成は受けていなくても、アントロポゾフィーに生涯をかけていて、素晴らしい訳をなさる方もあります。私も大好きな方が数人います。

でも、主催者はシュタイナー関係で通訳を依頼する時、手抜きしすぎていませんか?いつ、だれがどの形式で通訳するか、ちゃんと想定していますか?なじみの仲間でもきちんとした打ち合わせをしていますか?

聞いた話ですが…ある講座でプロの通訳ではない方が日本人参加者の自己紹介のときに沈黙。海外講師が置いてきぼり。同通ウィスパリングが必要なことを確認していなかったのでしょう。その場になって「できないからやらない」だったようです。

え?プロの通訳に頼んだら散々だった?

通訳の出来栄えは通訳者の力量だけでなく、事前に主催者が本気で関わったかどうかが反映されます。

その通訳者に事前に会いましたか?本を渡すだけでなく、思いを伝えましたか?あなたにとってのアントロポゾフィーを自分の言葉を尽くして語りましたか?

医学、オステオパシー、オリーブオイルはちゃんとやっていました。

プロ通訳者は言葉に体験そのものと同等のインパクトを感じる異能集団です。言葉を尽くす人をアントロであるなしにかかわらず尊びます。

彼らに通じなかったら、なおさら世には…

私はシュタイナー関係の通訳をサイマルやNHKに在籍する通訳者に依頼し、事前に仕込み、あの通訳口調を直させ、結果として関係者を唸らせる自信があります(彼らの人生も変わるかも)。

実際そうしないのは、自分の仕事を回してもしょうがないから。

私は、シュタイナー関係であるとないとによらず、自分の生きる時代にしっかり地に足をつけて社会貢献したいと願うプロと、これからも手を組んでまいります。

これを書いた人のプロフィール

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人は生まれ変わる?

人生は一回きり!と信じてもいいし…
人は生まれ変わる!と信じてもいい。

でも、どっちかは正直いってわからない。

まあ、そういうことは死んでみなくちゃわからないし、
死んじゃったらわからないかも。
そんなこと考えてる暇があったら今日に集中!

なんて私は思っていました。

でも、このごろ、死ななくても人は生まれ変わり続けていると
思うことが多いのです。

どういうこと?

半年くらい前のこと。通訳道場のEさんと毎日のようにやりとりしていました。友人Tさんの紹介で出会ったEさんとはびっくりするくらいご縁があって…

ふと思ったのです。去年の今頃、私はEさんがこの世にいることすら知らなかった、と。その頃の自分を思い出すと、前世としか言いようのないほど遠く感じられました。

その変化は、ああなりたい、こうなりたいと自分のアタマで考えるよりずっとダイナミックであるように思われました。

(まあ、出会いといっても誰でもOKではなくて、昼間のアタマが考えるのとは違う次元でなんらかの選択はしているのでしょうけれど。)

ずっと前からTさんの世界にはEさんと私の両方が存在していたことも不思議です。

あなたがすでに知っているAさんをBさんに紹介することが、それぞれが生まれ変わるくらいの体験につながる。

人は出会いで生まれ変わる。

それってちょっとステキなことだと思いませんか。

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子どもに「将来の夢」を職業で答えさせるのに違和感があるなら

小学校のクラス文集でよく見かける「将来の夢」。

弁護士…公務員…学校の先生。

職業で答えさせることに違和感を覚えたことはありませんか。

子どもたちが大人になるころ、保護者、先生の世代が知っている職業はもうなくなっているかもしれません。 

でも「ユーチューバー」なんて答えられると今度は大人がぽかんとしてしまう。

ご自身が子どもの頃はいかがでした?

私は幼稚園の頃に「ケーキ屋さん」「お花屋さん」と答えたのを覚えています。いや、答えそのものより違和感をはっきり覚えています。嘘じゃないけれど、なんか違う。我ながらガラじゃない。でも憧れの役者、歌手、武士なんて答えたらめんどうなことになりそう…。

ふと思い浮かんだのは、身近な「魔法使い」みたいな大人たち。

ケーキ屋さんすごい…どろんこみたいな生地があっという間にきれいなケーキに…。

お花屋さんすごい…お花って組み合わせで雰囲気ががらっと変わる。

自分でケーキを焼きたかったわけではありません。
お花を売りたかったわけではありません。

自分の手で変化を起こし、思いがけない新たな美しさを生み出す。そうして人に驚き、喜んでもらう仕事を素敵と思っていたのです。振り返ってみると、幼い憧れの中にいまの通訳につながるものを感じます。

子どもに「将来の職業」を訊くなら、「なぜ」をもう一歩掘り下げてみてはいかがでしょう。

子どもに「将来の自分の職業」を訊く代わりに「身近な魔法使いは誰?」を訊いてみてはいかがでしょう。

人間、生きていること自体すでに労働であるという考えもあります。

Carpe diem. Seize the day.
今を生きよ。

ママの気がかりお聞かせください。
安心・自信・希望をお持ち帰りいただきます。
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10日 子どもの英語が心配なママのための不安一掃セミナー

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今日はいい日でした。

今日はうれしい日でした。日能研とシュタイナーのアントロポゾフィー医学の医師会がなんとも楽しい時を共にしたのです。両方とも通訳者としてとてもお世話になっている大事なチーム。いつかコラボを!と願っていました。

 え、シュタイナーの医学講座が中学受験の日能研で?

 でもよく考えてみて。日能研は公立中高があるのにあえて私学中高を望むご家庭と縁のあるところ。しかも日本ではなく世界のユニークな学びの取り組みをいち早く取り入れている。保険でカバーされる病因撲滅作戦に違和感を抱く人々と相性ぴったりではないですか。

 そもそもの始まりは…

 2004年のことでした。ある私学に務める友人が「あなたの好きな『シュナイダー』(!)のセミナーがうちの学校を会場にして開かれるから、来てみたら?」と言うのです。その頃の私は人生のどん底で、通訳修行に救われながらも、二度と日本の教育には関わりたくないと思っていました。それでも手続きもそこそこに出かけてみると…なんと日能研が主催するシュタイナー教育の理科セミナー。講師はオーストラリアのブライアン・キーツ先生でした。通訳していたのはアメリカ育ちの若い方。ちょっと苦しい通訳でした。彼の日本語では思考の流れが見えなかったのです。

とはいえ私も脇から口をはさむのははばかられました。ある学校で先輩教員の誤訳を指摘したために嫌がらせを受け、そのショックが残っていたのです。気になりながらも10のうち2を言うのがやっとでした。

 そのとき、日能研のリーダー、みっきー氏がちょこちょこっと私のほうへいらしたのです。

 まただ。

 「君、もう帰って。もう来ないで。」と言われるにきまってる。

私は排除されるのに慣れていました。

 …ところが!

「ねえ、もっとじゃんじゃん言って。君の訳と説明ですごくすっきりする。」

 拍子抜けしました。

びっくりは続きます。

 「シュタイナー関係もサイエンスとアーツをわきまえたプロの通訳が必要。でもだいたい経営がうまくなくてプロは雇えない。うちのメンバーになったら。うちの通訳を最優先にしてさ、空いてる時間はこちらの給料の範囲と思ってあちこちのシュタイナー関係団体で通訳をしたら?」

 ありがたくあちこちへ行きました。

 ところが疑問が沸き起こりました。通訳に1日で2万円しか払えない、という団体はそもそもなってない。相場を知らない。チラシが自己流、配布のタイミングも遅い。誰の役に立ちたいのかあいまい。ただ体制に駄々をこねたい。社会貢献より趣味優先。値決めも間違っている。この調子では誰かに私のギャラを負担させているのでは、という想像は働かない。

 このころ、みっきー氏と氏が応援していた北海道の団体との親しさが目立っていたのも事実です。「北海道がうらやましい。冠木さん、みっきーさんの寄付を引っ張って来て」としばしば言われたものです。そんなのまっぴらごめん、まったく不健全でした。

春の芽吹きは凍てつく冬に準備してこそ。スウェーデン、イエルナにて。

そこでホリスティックな経営を共に体験できるツールを探しました。それがトータルゲームです。シュタイナー関係の多様な方々に体験していただきました。もちろん医師会の忍先生、百合子先生にも(←空前の超人成績)。

日能研、アントロポゾフィー医学の医師会、トータルゲーム。

共通点は新しいルールを作る人たち。この人たちはひと、もの、お金の流れを気血水の流れのように見ることができる。

今日はばっちりタッグが組まれた実感があります。ありがとう!

ああ、これからが楽しみ!またご一緒しましょう。

ライブ同通上映会「ルドルフ・シュタイナーの挑戦」とバイオダイナミックを味わう会

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ひとの期待を裏切っている自分が情けなくなったとき

ひとの期待を裏切っている自分が情けなくなったことはありませんか?

結論から言います。そんなこと気にしないでいいです。自分から約束したなら話は別です。でも勝手な期待に応えようとして自分を責めることはありません。

心の痛みを知るあなたにこそ加わってほしいことがあります。それは人の期待に応えるのとはまるで違います。

とあるボードゲームを囲んでいたときのことでした。いつもおしゃれで、いかにも聡明なK子の打つ手がいまひとつ。結果の暗算も苦手な様子。周りのかすかな苛立ちをK子もひしひしと感じています。

「私、いつも『初対面では頭よさそうに見えたのに、たいしたことないじゃないか。』…って言われるの。」

その目にはうっすら涙が浮かんでいました。

誰だそんなこと言ったのは!

勝手に期待しておいて相手に落ち度があるような言い方をするとはけしからん。真に受けるK子もどうかしてる。

そんなことに消耗するよりも、ね…

人間どうし、初めて出会ったときに、今はまだ常に維持できないけれど、将来実現するであろう姿を一瞬垣間見せることがあるようです。表面的な取り繕いではなく、本人にも思いがけないような未来の姿の輝きを。

それを見たということは、将来の姿を預かったということです。その輝きを覚えて、信じ、待つ責任があります。

本人が落ち込んだり、諦めかけたり、はたまた舞い上がったり…その輝きから離れて見えるときほど、はじめの輝きを鮮やかに思い出し、信じ、待つのです。

はじめと同じ眼差しを注ぐのです。 どんな姿の中にもあの輝きがあることを信じて。(ああ、これが難しい。輝きが見えないのはこちらの目が曇っていることもあるので。)

きっとそれがひとを支える。
きっとこうやって互いに支え合っている。

あなたもこの支えの輪のどこかにいてくださいね。

通訳道場★横浜CATSの上映会イベント

ルドルフ・シュタイナーの挑戦 関東最終回です!⇒こちらをクリック

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「アントロのイベントってどこも大変…」なワケは…

「アントロってどこも経済的に大変。イベントには人集まらないし、集まっても同じ顔ぶれだし。」
 
なぜだと思う?
 
「アントロってあまりに精神的に高度だから…」
「社会は物質主義的で理解してくれないから…」
「私たち、ポピュリストじゃないから…」
「日本の制度が悪いのよね。ドイツみたいにすればいいのに…」
 
ブー。
 
私の答えは違います。
 
 
アントロ関係者はアントロポゾフィーが大好き。大切にしている。
それはもちろん結構。
 
でもそれと同じくらい、あるいはそれ以上にセミナーに来てほしい人を大切に思っていますか。そもそも来てほしい人を心に描けていますか。
 
好きを仕事にする、とよくいいます。でもそれだけじゃ足りない。
 
ネイルが好きだから自宅でネイルサロンを始める。大いに結構。でも、お客さんを想う気持ちよりも、ネイルが好きという気持ちが強かったら、それは趣味なのです。仕事で忙しくておしゃれする気力も残っていないOLさん……外国でも指先をきれいにしておきたいノンジャパのインバウンドさん…きっとあなたの鏡のような人…そんなお客さんを大好きなネイルそのものよりを好きになれたときに仕事と呼べるのです。
 
だいたい自分がネイル好きだからネイルやりたくて、そのためにお客さん利用してお金をとるって変でしょ。
 
あなたの人生を変えたアントロポゾフィー。
 
そのバトンをあなたから受け取りたいと待っているのは誰ですか。
あなたがバトンを渡したいと願っているのは誰ですか。
その人に下心ない関心を抱き、幸せを心から願えますか。
 
「シュタイナー教育セミナーのお知らせです。必要な人にこの情報が届きますように。」
 
宛名のないラブレターなんてどこへも届かないよ。
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著者の頭の中の風景が蘇る翻訳のコツ

―さて、こないだの翻訳、これが気に入らなかったのでしょ?

This textbook of internal medicine is aimed at colleagues, medical students and other therapeutic professionals, who, like the author himself, are looking for a healing art with an understanding of man’s body, soul and mind. Presently medical practice is dominated by a pathophysiologically oriented understanding of disease, in which the essence of sick people is not captured.

この内科学のテキストは著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探している同僚、医学生、諸療法のプロをねらっている。今日の医療実践は、病むひとびとの本質は捉えられていない、病態生理学寄りの疾病理解に支配されている。

一見よくある訳文だけれど…。イメージの順番を不必要に入れ替えていたから、話の順序が変わって頭がこんがらがった。で、どうなった?

日々の積み重ねのみが身につく。

この内科学テキストの対象は、同僚、医学生、療法士、なかでも著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探し求める方々である。今日の医療実践で優勢なのは病態生理学寄りの疾病理解であり、病む人々の存在の本質は捉えられていない。

―あら、ずいぶん順番入れ替えが減ったのね。気になるところはある?

「療法士、なかでも…のところが、関係詞が限定用法ぽくなってしまって…」

―なかでも、をダッシュにするのも、最近はOKみたい。編集者さんと相談した方がいいと思うけれど。

―書き換えて気づいたことは?

「1文目の終わりにan understanding of man’s body, soul and mindが来ていて、次の文のpathophysiollogically oriented understanding of diseaseとコントラストになっている感じがしました。presentlyの前に“ところが”のニュアンスを感じます。著者がこれはまずいんじゃない?と思っている、そんな気持ちを感じました。」

―そう。人が何かを表現するとき、心が動いていないことなんてめったにない。文章の用向きによってはそれをあからさまに安易に表現するのがはばかられる場合もある。そういうときは文体、レトリック、語順の構造にしのばせる。そして自分の頭の中にある風景がちゃんと蘇るように仕込む。このたった2文で著者が一番気にしているのはなんのことだと思う?

「2文の最後の『患者さんの存在そのものの本質が置いてきぼりになっている』でしょうか」

―私もそう思う。たった2文だから大したことないようだけれど、これが1200ページ積もったらどうなるか…だいぶ読みやすさに差がつくでしょう?

気をつけることはシンプルです。まず構造の通りに読む。返り読み英文和訳で内容を確かめるという人もいるけれど、必ずもとの構造に戻ること。

ご参考までにもとのドイツ語を。構造的には英語といっしょ。もう英独蘭語なんて群馬、栃木、茨城弁みたいなものです。フランス?あれは青森。日本はミニチュアヨーロッパ。

Dieses Lehrbuh der Inneren Medizin wendet sich an Kolleginnen und Kollegen, an Studierende der Medizin und Interessierte der anderen therapeutischen Berufsgruppen, die -wie der Autor selbst- nach einer Heilkunst mit einem leiblich-seelich-geistigen Menschenverstaendnis suchen. Gegenwaertig dominiert im aerztlichen Alltag ein patholophysiologisch orientiertes Krankheitsverstaendnis, in dem das Wesen des erkrankten Menschen nicht vorkommt.
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