ミリアム・ウェブスター社が選ぶ,アメリカ2019年の一言:ジェンダーフリーの”they”?!

いやあ、流行語大賞で「ONE TEAM」「タピる」などなど聞いて「あ~、そうかもそうかも。ずいぶん聞いたもんね。」なんてのんきに思っていたら、あらま、アメリカでは…

「今年の言葉」を選ぶのは辞書の名門、ミリアム・ウェブスター社。今年はtheyが選ばれたとか。

they?

なんでも、これは7月半ばにバークリー市の決定を反映してのこと。リベラルな取り組みで知られるバークリー市では市の公文書でshe, heを使わない、というのです。これらはジェンダーニュートラルではないのでよろしくないそうで。代わりに複数形のtheyを使うそう。バークリー市の文書はこちら。

そして、文脈からしてひとりであることが自明な場合も動詞はareなどもとの複数形用を使うとか。

わあ、たいへんだ。こんがらがりそう!

そもそも英語は人を指す中性の三人称単数代名詞がありません。それでeveryoneの代名詞としてtheyでもよろし、のような苦肉の借り物を600年以上続けてきたとされます。

今回はtheyの出番がまたひとつ広がった、とも言えます。

逆にmanhole, manpowerなどはお払い箱。maintainance hole, work force などにとって代わられます。スーパーマンや電線マンはどうなるのでしょうか…

ここでふと気になったのがドイツ語の代名詞のこと。英語とドイツ語は茨城弁と栃木弁くらい似ていますが、あれ…?主格だけ比べてもだいぶ違う…!

主格単数複数
1人称ich (I)wir (we)
2人称親 du (thou)
尊 Sie (you)
親 ihr (you)
尊 Sie (you)
3人称sie (she)
er (he)
es (it)
sie (they)

バークリーで議論になったtheyに相当する語は 古高地ドイツ語由来 sieで、これは三人称単数女性代名詞と同じ。発音だけなら2人称尊称単数・複数とも一緒です。

ドイツで同じ議論が起きたら…「sie やerはジェンダーニュートラルじゃありませんからね、複数形の sieを使います!」

え…?!

もうわけがわかりません。

それにしても人称代名詞の分かれ方は不思議です。話し相手=2人称は男女ではなく、親しいか、そうでないかが決め手で2とおり。話し相手でも自分でもない3人称はジェンダーが決め手でニュートラルもあって3とおり。

いったいどんな世界観を反映しているのか思い巡らすと止まりません!

言語の構造は哲学。

2020年1月13日「春と修羅・序」をパトリック先生と読み解き、諏訪先生の賢吾造形で語る特別な一日ワークショップ

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讃美歌「O Holy Night」を英語らしく歌うための1番簡単なコツ

クリスマスソングの定番仲間入りをしたかに見えるO Holy Night.

今年もクリスマスが近づいてきましたねえ。私が昨年歌詞を解説した投稿も沢山の方にお読みいただいています。

O Holy Nightは母校でも大人気で、クラス会では夏だろうが春だろうが構わずに季節外れに「なつめろコーナー」で声を張り上げる学年がぞろぞろいます。

母校OG合唱団「杏の実」でも来週の同窓会クリスマス礼拝にあわせてこの讃美歌の練習で盛り上がっています。

本物で包囲してくれた母校。

さて、英語の讃美歌を歌うとなると、あれこれいろいろ気になるもの。RとLだの、子音をはっきりだの、枝葉を捉えていてはきりがありません。

そこで、今日はたった一つでガラリと変わる、根本的かつ効果的な気をつけポイントを1つだけご紹介。

二重母音を平らにしない

日本人は英語の二重母音をひとつの長母音として書く習慣があります。これは二階建ての家をつぶして平屋にしているようなもの。

cake ケイクじゃなくてケーキ、
colaコウラじゃなくてコーラ、
mateメイトじゃなくてメート
きわめつけのeyebrowはアイブラウどころかアイブロー

このブログの検索情報を見てもオウホウリナイトと検索した方はゼロで、「オーホーリーナイト」で検索している方が相当いらっしゃいます。

これではのっぺらぼーな発音になってしまいます。二重母音は言葉の響きに膨らみ、立体感、陰影をもたらすのに、もったいない。

コツは、二重母音=前の母音8+後の母音2くらいのタイミングで移行すること。

ケイクではなくケーィクという感じです。

無理やりカタカナで書きますと…
オーゥ ホーゥリ ナー ィト
ザ スターザ ブラーィトリ シャーィニング てな感じです。

平板な音では歌う心まで平板になる気がします。母音の深みをたっぷり味わってください。

こちらにも変てこなカタカナふってあります。
O Holy Night 言葉とメロディをつなぐイメージ順訳DLはこちら。

1月13日
混迷の時代を、賢治の言葉で声と心を整えて生きる
【春と修羅】特別臨時口座 パトリック先生のレクチャー(冠木の通訳聴けます)&諏訪先生の言語造形

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文学はいらない?魂のこよみ第32週

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者、冠木友紀子です

もう文学はいらないのでしょうか。皆さんはどう思われますか?

つい先日も、先輩たちに「大学で英語を教えられる卒業生がいたら紹介して」とお願いしたら、2人から全く同じことを言われました。

「最近は誰も文学、語学系には進まない。語学力をつけたとしても 国際機関、外資で働いている。」

まるで、文学に進む者は世捨て人である、といわんばかりです。がっかり…。

熟れた実が地に捧げられ…

私はそうは思いません。

文学こそコピーライティングの永遠の流行の宝庫。新しい言葉を生み出す力の源。

「それなりに」英語を使える人はたくさんいますが、英語でコピーや歌詞を書けるひとがどれほどいるでしょう?

確かにこれまで文学教育は受け身に読むことばかりに傾いていたかもしれません。英文科卒の条件に詩作というアクティブな課題なんていいかも。

ルドルフ・シュタイナーの「魂のこよみ」も第32週。私にとって詩の翻訳はアクティブな瞑想です。

ドイツ語3行目のkraftendは名詞die kraft(力、熟練のわざ、など)からのシュタイナーの造語。名詞kraftから動詞 kraften を作り、それをさらに現在分詞kraftendにしたのです。kraftigという形容詞はあるのですが、シュタイナーはこれに満足しませんでした。もっと能動的で動きのある様子は現在分詞でなくては表せないと考えてこの語を作ったそうです。ドイツ語が生き生きと言語を形づくる力を失ってきたのでおのずとそのような語は作られなくなった、だから自分がやってみた、のようなことを語っています(GA299)。

Ich fühle fruchtend eigne Kraft 
Sich stärkend mich der Welt verleihn;
Mein Eigenwesen fühl ich kraftend
Zur Klarheit sich zu wenden
Im Lebensschicksalsweben.

私は感じる、自らの力が実を結び、
勢いを増し、私を世界に授けるのを。
私の存在には力がみなぎり
澄み切った境地で向かう、
人生の巡合せという織物に。

土に還れるエシカルビジネスのための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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大学入試共通テスト、英語スピーキング、ライティングで測っているのはスピーキング、ライティングだけじゃない?!

このテーマは書いていてもうんざりしますので、これで一旦終わりにします。自分の人生を振り返って、この30年何やってたんだと思うことはありますが、大学入試に比べりゃまだましです。

さて、言語スキルを4つの技能分けることが人間の感覚処理、運動表出にうまく合わないことは前回のブログで指摘しました。

今回は4技能に分けたテストを採り上げます。スピーキング力はスピ―キング力だけを、ライティングはライティング力だけを測っているわけではないことがおわかりになるでしょう。

さて、民間英語試験の選択肢のひとつであったGTEC。

こちらのスピーキング問題では4コマ漫画を見てストーリーを語ります。スピーキングとして表現するのは最終段階で、準備として漫画の主人公を見つける、何が起きているか読み取る、漫画から感情を推し量る、など英語以前のさまざまなスキルが求められます。

また、ライティングでは活字離れをテーマに考察、意見を述べるよう求められています。これもライティングという最終成果以前の仕込みのスキルが影響します。現象を考察し、情報を解釈し、仮説を立てる。ひとりブレスト、コンセプトマップづくりをして意見をまとめる。

両方とも細やかに受信し、明瞭な構成で発信する、つまり考える力も問われているのです。

中高の段階で「思考技法」「言語技術」という科目横断総合授業があればいいのですが、一部の私学を除けば珍しい話。

大学の必修英語でもスピーキング、ライティングとそれぞればらばらにテキストが用意され、応用がきく共通の核をしっかり鍛えることは容易ではありません。

英語、英語と浮足立つ前に、考える力を磨きましょう。キーワードはラテラルシンキング。ゼロベースで新しいアイデアを作りだす力を育てます。ロジカルはその後でいいんです。

lateral thinking、日本では木村尚義さんによってビジネスに紹介されていますが、発祥の地、イギリスでは学校でも実践されています(Brexit騒動に妙案が浮かぶといいのですが)。オンライン通訳道場生放送でもクイズにしようかしら。

土に還れるエシカルライフのための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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大学共通テスト、英語民間試験延期しても4技能評価は非科学的

政界では本音を言うと失言になるみたいですね、萩生田さん。それにしても延期は遅いとはいえ適切な判断です。このあと5年をかけて新たな体制を作るとのこと。令和6年から4技能を評価するそうですが…

この4技能が大いに問題です。英語教育関係の資料で見かけるのはこんなフレームワーク。

確かに教材やテストもリスニング、スピーキング、と別れていますしね。でもこの分け方、人間の情報処理プロセスをうまく反映しているとは言えません。

結論から言えば、すべての土台は聴く力です。

聴く力自体細やかに込み入ったプロセスなので、それをここで詳しく述べることはしません。(後で参考文献を紹介します。)

端的に言えば、聴けなければ話すことはできません。
聴けなければ読むこともできません。
聴いて読むことができなければ書くことはできません。

え?昔の英語の授業ではリスニングなんかしなかったので話せなかったけれど、難しいものも読めていたし、書けていた?

それは日本語の音の影響をうけた「英語もどき(カタカナ英語)」で乗り切っていたのです。「英語もどき」は実際の英語と違うので、とっさの会話が聴き取れない、返事できない、というわけです。

どうして語学教育が、これほど人間の運動・感覚発達を視野に入れずに行われるているのか私には理解できません。

次回ではテストでの問題を指摘します。

言語の認知神経科学をご自分で詳しく読みたい方にはこちらをおすすめします。
Cognitive Neuroscience of Language by David KEMMERER

アントロポゾフィーに基づく、持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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文学が聞きにくい通訳を救う

zoom朝活通訳修行も好調です。今日はピーター・マクミランさんの百人一首の英訳が話題になりました。

このごろは、文学なんて大学の役立たず、高校でも必修から外すべし、などという声が聞こえますが、とんでもない。

文学とがっぷり四つに組むって大変な冒険、能動的な体験です。

のんびり英文学作品を日本語訳で読み、登場人物の気持ちを推し量る、精神分析をもてあそぶことなどではありません。(そんなことばっかりしてるから役立たず、って言われちゃうんです。)

例えば英詩を日本語の「詩」に訳す、日本語の俳句を英語「俳句」にしてみる。

ちょっとお手伝いしているフェリス女学院の同僚にも、アメリカ出身で、日本語で短歌づくりを楽しむ人がいます。さて、日本の英米文学科の学生で英詩を作ったことのある人はどれくらいいるのでしょう?

詩を詩に訳すには途方もないエネルギーがいります。詩を書くより大変かもしれません。時間をかけ、頭をひねり、多くの選択肢から1つを選び、それでもなお完璧だとは思えません。

時間に追われがちな通訳者の皆さんにも、ひとりでいられるお休みの日に、じっくり詩と取り組むことをおすすめします。豊かな時間となるはずです。

いや、それはちょっと無理…というなら、毎日一首、一句、一篇でよいので、英語、日本語で韻文作品を音読することをおすすめします。

なぜなら、通訳者にありがちな「聞きにくさ」「通訳口調」改善に効果抜群だからです。

通訳者の「聞きにくさ」の原因は、往々にして余分な「埋め草あぶく言葉」です。「えー、それといいますのも、つまり、しかしながらですね」聞かされる方はたまったものではありません。

これをやめよう、と意識すると逆効果。そんなことは意識せず、よいお手本に耳と口を慣らした方がうまくいきます。

私はドナルド・キーンさんの説明的でなく、余分な語がまったくない訳が好きです。

閑さや     Such stillness-
岩にしみ入る The cries of the cicadas
蝉の声 Sink into the rocks.

万葉集から江戸時代の漢詩までを網羅したドナルド・キーンさんの素晴らしいアンソロジー

もちろん、文学だけで通訳養成は不可能です。それについては別稿にて。

訳した感ゼロ、話芸としての通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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通訳学校で伸びる人、伸び悩む人

通訳学校でどんどんうまくなり、講座を修了する前に仕事が始まる人もいれば、10年も通って400万円も学費を払いながら一銭も仕事にならない人もいます。

どうしたら伸び悩む人も、伸びるようになるでしょう?

通訳学校に通う曜日を増やす?

いえいえ、お金がかかるばかりです。

通訳学校以外のインプットを増やすことです。

文系理系に関係なく古今東西の名作を読むこと、ダイジェスト版で結構!できれば気に入ったものを暗誦すること。落語に通うこと。

通訳学校の練習はこんな感じです↓
先生が音声をワンフレーズ再生、一時停止しては指名された生徒が通訳、そして先生の模範通訳。これを英日、日英で繰り返します。

私が目撃した伸び悩みさんたちは実に真面目でした。英文学科出身の典型的文系さんで、2時間の授業中一生懸命訳しては先生の模範をひたすらノートにとりまくり。ノート取りに忙しくて政治家の話も芸能人の話も同じ口調。これではちりが積もってもいつまでも山にはなりません

かくいう私は臆面もなく伸びた方ですが…楽だったんです。まるで訳している気がしなかったんです。勝手に訳が出てくるようで(まるで我慢し損ねたオ〇〇のよう)。

聴こえたフレーズから絵が立ちのぼり、磁石が砂鉄を集めるように言葉が集まって来る。

その砂鉄はどこから…?

実は学生時代にさかのぼります。楽をさせてくれない手加減なしの学校で文理幅広く触れ、毎日聖書、讃美歌の日本語に触れていました。イエズス会の英語教科書は語彙も文章量も文科省の標準の3倍!中2のとき、太宰治に憧れて間全集を毎日1巻のペースで何度も繰り返し読んでいました。大学はリベラルアーツ。おかげで概念、語彙のプールがでかい(!)のだと思います。

私が通訳学校で体得したのは、すでにできている日本語プールと英語プールを画像でシンクロさせる方法です。

大人の方に私の学生時代のようなヒマはありません。だから学習漫画でもダイジェストでも新書でも結構。視野を広げ、新しい言葉を獲得してくだい。

先日、ITやAIにとても詳しい友人から、自動翻訳がこのごろとても良くなったのは膨大なよい訳例にふれさせているから、と聞きました。どうも私がやっていたことに似ています。私がのろのろ処理できる量はわずかですが。

普通レベルの通訳・翻訳なら自動翻訳が当たり前になる時代がすぐそこまで来ています。

さて、次のことを考えましょうか。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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「クワイ河収容所」読書会始めます

イギリスは好きですか?なら、ぜひあなたに知っていただきたいことがあります。

泰緬鉄道のことです。

泰はタイ、緬はミャンマーのこと。第二次世界大戦のさなか、インドへの海路をふさがれた日本軍はここに鉄道を敷こうとします。

ただ、ここは川沿いに崖が切り立つ難所ばかり。かつてイギリスも工事を諦めたところでした。そこにあえて取り組んだということは日本もそれほど追いつめられていたということ。

工事はアジア人労務者、戦争捕虜たちの強制労働によってなされ、10万人近くが亡くなりました。

この顛末をフィクションとしてエンタメ化したのが映画「戦場にかける橋」です。元戦争捕虜のアーネスト・ゴードンさんはこの映画が堪らなくなり、黙っておくはずだった収容所体験を手記「クワイ河収容所」にまとめました。

通訳道場でも7月7日から英語、日本語での読書会を始めます。

ICUの斎藤和明先生の名訳!

収容所体験記の類は、たいてい敵国の残虐さを明るみに出すことを目的にしているものです。 でも「クワイ河収容所」は違います。敵と味方を超えて人間を、人間を超える存在を想う視点で書かれているのです。

鉄道工事は過酷を極め、枕木1本ごとに1人死んだと言われるほどでした。食糧はわずかなコメのみ。衣類はパンツ一枚。足は裸足。

劣悪な環境に捕虜たちが自暴自棄になっていく様子も克明に描かれています。

そんななか、小さな変化が静かに始まります。

健康自慢のアンガスという青年が亡くなります。具合を悪くした自分の相棒のために自分の毛布をや食糧を与え尽くして、ついに自分が弱ってしまったのです。

ある日、工事から帰ってきたアガーイル部隊のシャベルを日本軍が数えると1本足りません。盗んだ、悪だくみをしている、白状しないと全員殺す、とわめく日本兵の前にひとり「私です」と歩み出ました。日本兵がこの兵士を銃の台尻で打ちのめし、殺したあとでもう一度数えると、シャベルは揃っていました。

こうしたできごとがやがて大きなうねりとなり、捕虜たちの心は生き返ります。

30年前、私は初めてこの本に出会いました。そのころはまだあまりに幼く、「友のために命を捨てる。これより大きな愛はない」のような聖句で頭は いっぱいでしたが、いまひとつ腑に落ちませんでした。

その後何度も読みなおし、やっと腑に落ちました。…極限状況で人を立ち直らせるのは「お前は生きろ。私の命にかえてもこんなことで死なせはしない。生きろ。」という友の想いと行動ではないでしょうか。

極限状況では「私には素晴らしい人生がふさわしい」のような自己啓発アファメーションは無力。

イギリスが好きなら、日本がかつてイギリスに与えた痛みにも思いを致したいものです。その痛みを知る過程が、生きる勇気を与えられる過程でもあるのはありがたいことです。

「クワイ河収容所」英日読書会、7月7日より始まります。

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「医療・農業・教育」を通訳するなんてブレている?

なぜ持続可能な「医療・農業・教育」を通訳するんですか?違う分野でしょう?通訳さんは文系、語学系でしょう?ブレブレじゃないですか?

おお、よくぞ訊いてくれました。この時代、そう思う方は多いようです。

小さい頃から田舎育ちの私には、なんとなく想像がついたのです。この3つは、かつて教会やお寺に司られ、緩やかに連携しながら、牽制し合っていたのだと。

子どもが具合を悪くすれば、まずたっぷり寝かせる。年よりは死期をさとり、身内の者を呼び寄せて辞世の感謝をする。症状が悪くなってからそれを叩く強い薬をのむのではなく、元気なうちから自己治癒力を励ます薬草茶を飲む。新鮮な野菜を安く買おうとするより、庭で野菜を育てる。子ども達は勉強で点数競争するのではなく、他者を手伝うために頭をひねる。いつも景色のどこかにお寺や修道院が見えている。

神の退却と共に、いまやこれら3つが不安を煽る金儲けの暴走エンジンとなり人としての倫を超えたと思う場面もしばしばです。

ただ、それぞれの領域が単体になって、単純化したかと思うとその逆で。異常に込み入って見えるのです。まるで干物の鯵をバラしたようです。だから近代医療、近代農業、近代教育はそれぞれ単体でひとつの領域に見えるのかもしれません。

でもオーガニックな医療・農業・教育は生きた鯵のよう。泳ぐ姿には波の動き、鯵の体感まで共感できるよう。共通点が多いのです。生命プロセスが透けて見えるのです。

生命プロセスを感じる。これぞリベラルアーツ。

そのことに、はじめて満面の笑みで共感してくださる方に出会えました。ドイツのバイオマスボイラー関連企業のCEOの方です。

ボイラーも生きものですね、プロセスがありますね、というとニッコリ。「いままで通訳者から聞いた中でもっとも○○なコメントだ。もう安心だ。」と。

よかった、よかった。

ところで、ブレているかどうかって、見る側の視点の深さ、視野の幅広さにもよりますよね。なので私は天智神明から見れば常にブレていると思っています。他人をブレているなんて上から目線で責めるつもりはありません。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者
冠木友紀子のプロフィール

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横浜で明治の花嫁が書いた英詩

これまで2回にわたり、幕末、明治の横浜ではまさに諸国(日本国内、海外両方)のひとたちが入りまじっていたこと、ことばはナショナルなものではなく、目の前で話している「ひと」と結びついていたことをご紹介しました。ナショナルなきまりがなければ、どんどんまじりあっていくのもうなづけます。

でも、ちょっと事情の違う空間もありました。キリスト教の宣教師たちが開いた女学校です。こうした学校ではアメリカから教科書を取り寄せ、アメリカの学校のような教育がなされていました。ヘボン医師の施療所を借りて女子に授業を行っていたメアリ・エディ・キダーは本国宛ての手紙にこう書いています。

「…現在女性と12名です。そのうち7名は14歳から17歳まで、残りの5人は8歳から10才ですが、とても小柄なので、アメリカの5,6歳の子供のようにみえます。
 少女たちはみな利発で、理解が早く、アルファベットの大文字、小文字を覚えるのに三朝以上かかった子はなく、1人は第1日目に全部覚えてしまいました。」(榎本義子訳「キダーの手紙」より)

おおお、なかなかやります。

キダーさんの熱心な教え方が評判を呼び、「キダーさんの学校」の生徒数は増え続けます。やがて、寄宿舎を備えた立派な校舎を建てるまでになりました。このとき建築費を寄付したアメリカの教会の総主事の、フェリスさんの名をとってこの学校はフェリス・セミナリーと名づけられました。

この学校では毎日午前はアメリカから取り寄せた教科書で地理、歴史、生物、数学…すべて英語「で」学び、午後は日本人の先生から和文学、漢籍など習ったそう。プレゼンを重視した教育で、スピーチ、朗唱、意見発表の機会にあふれていました。

そんなフェリスの卒業生第1号は会津出身の若松賤子。短い生涯でしたが
「小公子」をはじめ 膨大な翻訳を残しています。賤子が戊辰戦争で一家離散したのち横浜の生糸商の養女になる経緯は諸説ありますが…8歳から18歳まで、3年のブランクを挟んで在学した賤子は、結婚にあたって夫となる巌本善治にこんな英詩を贈って(つきつけて?!)います。(後ろに日本語訳あり)「結婚は男性が女性を自分の持ち物のように得ると思ったら大間違い!私をモノみたいに得た、と言わないでよ!」と言い切っています。また、「あなたが成長をとめたら、私は離れますから」と「永久就職」とは無縁の境地です。
(後ろに日本語訳あり)

1
We are married, they say, and you think you have won me,
Well, thake this white veil and look on me;
Here’s matter to vex you and matter to grieve you,
Here’s doubt to distrust you and faith to believe you.
I am all, as you see, common earth and common dew,
Be weary to would me to roses, not rue!
Ah! shake out the filmy thing, fold after fold,
And see if you have me to keep and to hold,
Look close on my heart, see the worst of its shining.
It is not yours to-day for the yesterday’s winning,
The past is not mine. I am too proud to borrow.
You must grow to new heights if I love you tomorrow.

2
We’re married! O, pray tat our love do not fail!
I have wings flattened down, and hid under my veil,
They are subtle as light, you can undo them,
And swift in their flight, you can never pursue them.
And spite of all clasping, and spite of all bands,
I can slip like a shadow, a dream. from your hands.

3
Nay, call me not curel and fear not to take me.
I am yours for my life-time to be what you make me.
To wear my white veil for a sign or a cover,
As you shall be proven my lord, or my lover;
A cover for peace that is dead, or a token
Of bliss that can never be written or spoken.
(「女学雑誌」明治22年7月)

いやあ、恐れ入り谷の鬼子母神。これは巌本善治自身も訳せなかったようで、乗杉タツさんが随分後になって訳しています。


我ら結婚せりとひとは云う
また君はわれを得たりと思う
然らば、この白きベールをとりて
とくとわれを見給え
見給え、きみを悩ます問題を
またきみを欺かす事柄を
見給え、君を怪しむ疑い心を
またきみを信ずる信頼を
見たもう如く、われはただ、ありふれし土
ありふれし露なるのみ
われを薔薇に造型せんとて
疲れて悔い給うなよ
ああ、このうすものを
くまなくうちふるいて
われとそいとぐべきや 見給え
わが心をとくと見給え
その輝きの最も悪しきところを見給え
昨日君が得られしものは
今日はきみのものならず
過去はわれのものならず
割れは誇り高くして 借り物を身につけず
君に新たに高くなり給いてよ
若しわれ、明日きみを愛さんがためには


われはは結婚せり、おお 願わくは
われらの愛の冷めぬことを
われにたためる翼あり
ベールの下にかくされて
光のごとくさとくして
きみにひろげる力あり
その飛ぶ時は速くして
君は追い行くことを得ず
またいかに捕えんとしても
しらなんとしても 影の如く 夢の如く
きみの手より抜け出づる力をわれは持つ


いなとよ われを酷と言い給うな
われを取るを恐れた給うな
生ある限り われはきみのものなり
きみの思うがままの者ならん
結婚のしるしとして 覆いとして
わが白きベールをまとわん
きみはわが主
愛しき日となることをあかしせんがため
そは消え去りし平和を覆うもの
また筆舌に表せぬ恵みのしるしなり

これまた日本語も大変なもので…

賤子が自分の心を表現しようとすると、どうしても英語が出てきたようです。「小公子」は、日本語でも心を表現しようと模索した末に生まれた名訳だったのですね。

なんだか今日は長くなってしまいました。次回は「経済」「野球」などおなじみの言葉の誕生を取り上げてみましょうか。

こちらも名訳「クワイ河収容所」英日読書会始めます

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