「クワイ河収容所」読書会始めます

イギリスは好きですか?なら、ぜひあなたに知っていただきたいことがあります。

泰緬鉄道のことです。

泰はタイ、緬はミャンマーのこと。第二次世界大戦のさなか、インドへの海路をふさがれた日本軍はここに鉄道を敷こうとします。

ただ、ここは川沿いに崖が切り立つ難所ばかり。かつてイギリスも工事を諦めたところでした。そこにあえて取り組んだということは日本もそれほど追いつめられていたということ。

工事はアジア人労務者、戦争捕虜たちの強制労働によってなされ、10万人近くが亡くなりました。

この顛末をフィクションとしてエンタメ化したのが映画「戦場にかける橋」です。元戦争捕虜のアーネスト・ゴードンさんはこの映画が堪らなくなり、黙っておくはずだった収容所体験を手記「クワイ河収容所」にまとめました。

通訳道場でも7月7日から英語、日本語での読書会を始めます。

ICUの斎藤和明先生の名訳!

収容所体験記の類は、たいてい敵国の残虐さを明るみに出すことを目的にしているものです。 でも「クワイ河収容所」は違います。敵と味方を超えて人間を、人間を超える存在を想う視点で書かれているのです。

鉄道工事は過酷を極め、枕木1本ごとに1人死んだと言われるほどでした。食糧はわずかなコメのみ。衣類はパンツ一枚。足は裸足。

劣悪な環境に捕虜たちが自暴自棄になっていく様子も克明に描かれています。

そんななか、小さな変化が静かに始まります。

健康自慢のアンガスという青年が亡くなります。具合を悪くした自分の相棒のために自分の毛布をや食糧を与え尽くして、ついに自分が弱ってしまったのです。

ある日、工事から帰ってきたアガーイル部隊のシャベルを日本軍が数えると1本足りません。盗んだ、悪だくみをしている、白状しないと全員殺す、とわめく日本兵の前にひとり「私です」と歩み出ました。日本兵がこの兵士を銃の台尻で打ちのめし、殺したあとでもう一度数えると、シャベルは揃っていました。

こうしたできごとがやがて大きなうねりとなり、捕虜たちの心は生き返ります。

30年前、私は初めてこの本に出会いました。そのころはまだあまりに幼く、「友のために命を捨てる。これより大きな愛はない」のような聖句で頭は いっぱいでしたが、いまひとつ腑に落ちませんでした。

その後何度も読みなおし、やっと腑に落ちました。…極限状況で人を立ち直らせるのは「お前は生きろ。私の命にかえてもこんなことで死なせはしない。生きろ。」という友の想いと行動ではないでしょうか。

極限状況では「私には素晴らしい人生がふさわしい」のような自己啓発アファメーションは無力。

イギリスが好きなら、日本がかつてイギリスに与えた痛みにも思いを致したいものです。その痛みを知る過程が、生きる勇気を与えられる過程でもあるのはありがたいことです。

「クワイ河収容所」英日読書会、7月7日より始まります。

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「医療・農業・教育」を通訳するなんてブレている?

なぜ持続可能な「医療・農業・教育」を通訳するんですか?違う分野でしょう?通訳さんは文系、語学系でしょう?ブレブレじゃないですか?

おお、よくぞ訊いてくれました。この時代、そう思う方は多いようです。

小さい頃から田舎育ちの私には、なんとなく想像がついたのです。この3つは、かつて教会やお寺に司られ、緩やかに連携しながら、牽制し合っていたのだと。

子どもが具合を悪くすれば、まずたっぷり寝かせる。年よりは死期をさとり、身内の者を呼び寄せて辞世の感謝をする。症状が悪くなってからそれを叩く強い薬をのむのではなく、元気なうちから自己治癒力を励ます薬草茶を飲む。新鮮な野菜を安く買おうとするより、庭で野菜を育てる。子ども達は勉強で点数競争するのではなく、他者を手伝うために頭をひねる。いつも景色のどこかにお寺や修道院が見えている。

神の退却と共に、いまやこれら3つが不安を煽る金儲けの暴走エンジンとなり人としての倫を超えたと思う場面もしばしばです。

ただ、それぞれの領域が単体になって、単純化したかと思うとその逆で。異常に込み入って見えるのです。まるで干物の鯵をバラしたようです。だから近代医療、近代農業、近代教育はそれぞれ単体でひとつの領域に見えるのかもしれません。

でもオーガニックな医療・農業・教育は生きた鯵のよう。泳ぐ姿には波の動き、鯵の体感まで共感できるよう。共通点が多いのです。生命プロセスが透けて見えるのです。

生命プロセスを感じる。これぞリベラルアーツ。

そのことに、はじめて満面の笑みで共感してくださる方に出会えました。ドイツのバイオマスボイラー関連企業のCEOの方です。

ボイラーも生きものですね、プロセスがありますね、というとニッコリ。「いままで通訳者から聞いた中でもっとも○○なコメントだ。もう安心だ。」と。

よかった、よかった。

ところで、ブレているかどうかって、見る側の視点の深さ、視野の幅広さにもよりますよね。なので私は天智神明から見れば常にブレていると思っています。他人をブレているなんて上から目線で責めるつもりはありません。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者
冠木友紀子のプロフィール

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横浜で明治の花嫁が書いた英詩

これまで2回にわたり、幕末、明治の横浜ではまさに諸国(日本国内、海外両方)のひとたちが入りまじっていたこと、ことばはナショナルなものではなく、目の前で話している「ひと」と結びついていたことをご紹介しました。ナショナルなきまりがなければ、どんどんまじりあっていくのもうなづけます。

でも、ちょっと事情の違う空間もありました。キリスト教の宣教師たちが開いた女学校です。こうした学校ではアメリカから教科書を取り寄せ、アメリカの学校のような教育がなされていました。ヘボン医師の施療所を借りて女子に授業を行っていたメアリ・エディ・キダーは本国宛ての手紙にこう書いています。

「…現在女性と12名です。そのうち7名は14歳から17歳まで、残りの5人は8歳から10才ですが、とても小柄なので、アメリカの5,6歳の子供のようにみえます。
 少女たちはみな利発で、理解が早く、アルファベットの大文字、小文字を覚えるのに三朝以上かかった子はなく、1人は第1日目に全部覚えてしまいました。」(榎本義子訳「キダーの手紙」より)

おおお、なかなかやります。

キダーさんの熱心な教え方が評判を呼び、「キダーさんの学校」の生徒数は増え続けます。やがて、寄宿舎を備えた立派な校舎を建てるまでになりました。このとき建築費を寄付したアメリカの教会の総主事の、フェリスさんの名をとってこの学校はフェリス・セミナリーと名づけられました。

この学校では毎日午前はアメリカから取り寄せた教科書で地理、歴史、生物、数学…すべて英語「で」学び、午後は日本人の先生から和文学、漢籍など習ったそう。プレゼンを重視した教育で、スピーチ、朗唱、意見発表の機会にあふれていました。

そんなフェリスの卒業生第1号は会津出身の若松賤子。短い生涯でしたが
「小公子」をはじめ 膨大な翻訳を残しています。賤子が戊辰戦争で一家離散したのち横浜の生糸商の養女になる経緯は諸説ありますが…8歳から18歳まで、3年のブランクを挟んで在学した賤子は、結婚にあたって夫となる巌本善治にこんな英詩を贈って(つきつけて?!)います。(後ろに日本語訳あり)「結婚は男性が女性を自分の持ち物のように得ると思ったら大間違い!私をモノみたいに得た、と言わないでよ!」と言い切っています。また、「あなたが成長をとめたら、私は離れますから」と「永久就職」とは無縁の境地です。
(後ろに日本語訳あり)

1
We are married, they say, and you think you have won me,
Well, thake this white veil and look on me;
Here’s matter to vex you and matter to grieve you,
Here’s doubt to distrust you and faith to believe you.
I am all, as you see, common earth and common dew,
Be weary to would me to roses, not rue!
Ah! shake out the filmy thing, fold after fold,
And see if you have me to keep and to hold,
Look close on my heart, see the worst of its shining.
It is not yours to-day for the yesterday’s winning,
The past is not mine. I am too proud to borrow.
You must grow to new heights if I love you tomorrow.

2
We’re married! O, pray tat our love do not fail!
I have wings flattened down, and hid under my veil,
They are subtle as light, you can undo them,
And swift in their flight, you can never pursue them.
And spite of all clasping, and spite of all bands,
I can slip like a shadow, a dream. from your hands.

3
Nay, call me not curel and fear not to take me.
I am yours for my life-time to be what you make me.
To wear my white veil for a sign or a cover,
As you shall be proven my lord, or my lover;
A cover for peace that is dead, or a token
Of bliss that can never be written or spoken.
(「女学雑誌」明治22年7月)

いやあ、恐れ入り谷の鬼子母神。これは巌本善治自身も訳せなかったようで、乗杉タツさんが随分後になって訳しています。


我ら結婚せりとひとは云う
また君はわれを得たりと思う
然らば、この白きベールをとりて
とくとわれを見給え
見給え、きみを悩ます問題を
またきみを欺かす事柄を
見給え、君を怪しむ疑い心を
またきみを信ずる信頼を
見たもう如く、われはただ、ありふれし土
ありふれし露なるのみ
われを薔薇に造型せんとて
疲れて悔い給うなよ
ああ、このうすものを
くまなくうちふるいて
われとそいとぐべきや 見給え
わが心をとくと見給え
その輝きの最も悪しきところを見給え
昨日君が得られしものは
今日はきみのものならず
過去はわれのものならず
割れは誇り高くして 借り物を身につけず
君に新たに高くなり給いてよ
若しわれ、明日きみを愛さんがためには


われはは結婚せり、おお 願わくは
われらの愛の冷めぬことを
われにたためる翼あり
ベールの下にかくされて
光のごとくさとくして
きみにひろげる力あり
その飛ぶ時は速くして
君は追い行くことを得ず
またいかに捕えんとしても
しらなんとしても 影の如く 夢の如く
きみの手より抜け出づる力をわれは持つ


いなとよ われを酷と言い給うな
われを取るを恐れた給うな
生ある限り われはきみのものなり
きみの思うがままの者ならん
結婚のしるしとして 覆いとして
わが白きベールをまとわん
きみはわが主
愛しき日となることをあかしせんがため
そは消え去りし平和を覆うもの
また筆舌に表せぬ恵みのしるしなり

これまた日本語も大変なもので…

賤子が自分の心を表現しようとすると、どうしても英語が出てきたようです。「小公子」は、日本語でも心を表現しようと模索した末に生まれた名訳だったのですね。

なんだか今日は長くなってしまいました。次回は「経済」「野球」などおなじみの言葉の誕生を取り上げてみましょうか。

こちらも名訳「クワイ河収容所」英日読書会始めます

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横浜ハイブリッド言葉は何でもアリ!

外国語を学ぶには実に便利な時代になりました。辞書など当たり前、オンラインの講座もあれば、海外渡航も容易です。学ぶのが面倒であれば通訳も頼めます。

でも160年ほど前、開港したばかりの横浜はどうだったでしょう?

辞書も、講座もなく、プロ通訳(通詞)もわずかなまま、いきなりいろいろな国の人たちが顔を合わせていました。日本人、アメリカ人、イギリス人、フランス人、清をはじめアジアの人たち…なんとか日々の用事を済ませなくてはなりません。

こうなると、お互いの言葉をかいつまんで復唱しながら、なんとか確認…そんなことを続けていると、言語どうしの境目がほろけてくるようで…持ち寄り言葉、つまりハイブリッドの誕生です。これが傑作。

「日本人の翻訳」(亀井秀雄著)にはこのあたりの経緯がとても面白く書かれています。

本牧の司教を名乗る人物が、来日するアメリカ人のために書いた横浜語の演習問題が載っています。もちろん、司教は日本語は書けませんから、横浜言葉もアルファベットで書き留めてあります。さあ、なんと言っているのでしょう?

Ginricky pshaw motty koy-ginricky pshaw arimasen, mar motty koy! Mar sick-sick, betto drunky drunky, koora serampan. Oh my piggy jiggy jig, watarkshee punguts sinjoe arimas.

だいたいこんな感じのようです。

人力車、持って来い。人力車、ありません。馬もってこい!馬、具合が悪くて、別当はへべれけ。鞍、こわれてます。お前、ペケ、早くしろ。私、プングツ進上あります。(私の推測も入っています)

なんとオランダ語の「どろんけん」(=酔っぱらう)、マレー語の「せらんぱん」(=壊れている)がそのまま。

傑作なのは、「bad 悪い」をworry、「churchお寺」をho terrorと写し取っているところ。

異国情緒たっぷりでバタ臭いと思われがちな横浜ですが、この何でもアリな感じは面白そう。

もし今の世界にこういうところがあったら、「正確で聴きやすい通訳」などはいったん脇において、わいわいやってみたいものです。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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通訳の先生がおススメ、中高生の参考書選び

市川学園といえば屈指の進学校。しかも、ここ数年自由で新しい取り組みが目白押しです。私も通訳養成や英語落語のワークショップを開いています。

先日、学園で立川志の春さんをお招きして念願の落語会が開かれました。これに合わせて校長先生が昨年の英語落語のメンバーを集めて再会の機会を作ってくださいました。

高3のYさん。なんだか静か。
「参考書や問題集ってどんなふうに選んだらいいんですか。」

狭き門より

思わずこう応えていました。
「これを書いた人に会いたいな、とあなたが思えるものがいいんじゃない?」

そんな選び方甘い?

いいえ、そんなことはありません。先生のおすすめやライバルが使っているもの、「〇〇大学合格一直線!」のような煽りぽいものに飛びつくのはカンタン。2、3冊ちらっと見れば買えてしまう。

でも、「この人に会いたい」と思える人に出会うのは意外と大変ですよ。書店の本棚ひっくり返すくらい手に取ることになる。でも、リアル書店はそのためにあるんでしょうけどね。

「手を動かし、心で感じる」ことをいつも大切にしてほしい。あなたの答えはあなたの手と心が知っているから。

“狭き門より入れ。滅びに至る門は広く大きい”-マタイによる福音書7章13節

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者―冠木友紀子のプロフィール

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仏像を英語で案内するなら

講座の通訳をしていると、あいまに休日の観光案内もご一緒することがあります。

先日も京都にご一緒させていただきました。さすが、京都のお寺はインバウンドの方たちでにぎわっています。タクシーで移動中、アメリカからの講師の先生から訊かれました。

「そういえば、講座が始まる前の日、京都駅の近くを観光したんだけれど…ええと、あれはどこだったかしら。すごく変わってて、おんなじような小さい仏像がずらーっと並んでるところ。普通違うわよね。」

ああ、それは三十三間堂。ずらーっと並んでいたのは千手観音Sahasrabhuja。「普通の」とおっしゃるのは、 ボスが真ん中にいて、左右に2体サポーターがいて、さらにその周りに警備員…のような、でしょう?それは 三尊形式(中尊と脇侍二尊から成る)というそうですよ。

そう。通訳者にとって医学に引けをとらず勉強しがいがあるのが仏教です。事前準備が必須です。

お寺に行ってその場で説明を英訳すればいいや、最近は説明も英語になってるし、なんて慢心はいけません。薬師如来はMedicine Buddhaあたりでごまかせたとしても、阿弥陀如来はどうします?阿弥陀って何?!如来と菩薩の違いは?持国天の天はheavenでいい?(良いわけない!)

その場であわてるのはもったいないです。

仏教の言葉は奥深くて、サンスクリット語、ヒンズー教、中国語、日本仏教がミルフィーユのように重なっています。あまりに面白くて通訳の準備だったことなど忘れるくらいです。そう、そんなこと忘れて没頭したほうがよいのです。

本当にきりがありませんから、今回は高校生の修学旅行にもおすすめの「これだけは」の分だけをご紹介します。アクサン記号がうまく出なくてちょっと困りました。長母音は母音字のあとに「-」をつけました。

  • 仏像の4種類(部)
    • 如来 tatha-gata
    • 菩薩 bodhisattva
    • 明王 vidyaraja
    • 天 deva
  • それぞれの部のメンバー
    • 如来
      • 釈迦如来 Sha-kyamuni / Buddha
      • 薬師如来 Bhaisajyaguru / Medicine Buddha
      • 阿弥陀如来 Amita-bha / Buddha of Infinite Light
      • 大日如来 Maha-vairocana
    • 菩薩
      • 弥勒菩薩 Maitreya
      • 聖観音菩薩 A-rya-valokitesvara
      • 十一面観音菩薩 Eka-dasamukha
      • 千手観音菩薩 Sahasrabhuja
      • 文殊菩薩 Manjusri-
      • 普賢菩薩 Samantabhadra
      • 地蔵菩薩 Ksitigarbha
    • 明王
      • 不動明王 Acalana-tha
      • 五大明王
      • 降三世明王 Trilokavijaya
      • 軍荼利明王 Kundali-
      • 大威徳明王 Yama-ntaka
      • 金剛夜叉明王 Vajrayaksa
      • 愛染明王 Ra-gara-ja
      • 梵天 Brahna-
      • 帝釈天 Indra
      • 持国天 Dhrtara-stra
      • 増長天 Viru-dhaka
      • 広目天 Viru-pa-ksa
      • 多聞天 Vaisravana

こちらの本、おすすめです。「仏像バイリンガルガイド」バイリンガルで、コンパクトなのに内容も充実していてイラストも綺麗。おみやげにプレゼントしても喜ばれます。



お寺にも花のあふれるこの季節。よい週末をお過ごしください。

通訳道場★横浜CATS 第5期




  

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某女子大必修英語が面白い

なぜそんな仕事を?通訳や通訳養成に比べて割に合わないでしょう?

まあ、おっしゃる通り。割に合いません。はじめは「しばらくしたら通訳の授業が回って来るから」なんて言われて信じていたけど。

そういう問題じゃなく、面白いんです。

本物で包囲してくれた母校。

私がまるでだめなヴァイオリンで体験していることが活きるのを感じます。

2小節も進まないうちにストップ。表現や感情の自由どころではない。でも、そこにはゆるがせにしてはならない、ごまかしたら先に進めない要点がある。

この必修のクラスには「文法、発音は気にしないで」と言われて、きちんとしたいのにきちんと向き合われなかったという空気のある人たちが沢山います。

そりゃ、自分でいくらでも調べる人もいるでしょう。でも少数派。それを多数派にするのが先生の仕事だと思うのですが。

たとえば、in, on, atと次元の関連…
l, m, n, の発音…
心拍、呼吸と横隔膜、大腰筋…

そんなディテールをつきつめると、ぱっと花咲く顔が少なくないのです。

このクラスの半分は日本文学、音楽専攻。この授業が最後のフォーマルな英語かもしれない。ならば、最も深い納得とともに送り出したい。もう半分がクラスメートの日本語、音楽への知見に学びながら、通訳後継候補者になればなんとうれしいこと。

手ぐすね引いて待ってます。

冠木友紀子のプロフィール


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私が食事中通訳を引き受ける理由

20年近く前、都内の通訳学校に通っていたころのこと。「食事しながらの通訳は断りなさい。見習いに代わってもらうのがベスト。自分がやらなくてはならないとしても、クライアントの会食の前か後に用意してもらってひとりで済ませなさい。」と言われたものです。

それはそれでエージェント経由の通訳者にはごもっともです。普段の通訳は頭フル回転の真剣勝負。その状態で食事をとることは生理的にも無理があります。エージェントが所属通訳者の健康と仕事の質を守ろうと助言するのは無理からぬことです。

でもね、私はいま通訳をお引き受けしている方々のところでは大いに飲み食いしながら通訳しているんです。

なぜ?

私も仲間の一員だと思っているからです。私をプロジェクトの一員と思ってくれる人たちとしか仕事をしていないからです。

そういう仲間や海外講師とは、仕事の後においしいものを囲む時間も大切。そこに私がいないことは考えられません。

でも、失敗もありました。駆け出しのころはまじめに通訳しながら食べようとして、学校教員時代以上の早食いをしました。そのせいで仕事が終わった後、4日も胃痛に苦しむことになりました。なぜかちっとも痩せなかったけれど。(学校の先生以上に早食いしてはなりませぬ。)

でも、私が「この人たちと一緒に過ごしたい」と思っている限り、なんとか工夫するものです。たとえば…

1.食べるのがめんどくさそうなものは、箸をつける前に食いっぷりのよさそうな若いもんにあげちゃう。喜ばれます。私のお皿は空に見えるので「冠木さんも食べて!」と言われずに済みます。

2.飲む。ご先祖様のおかげで私はもともとお酒に強いんです。そのうえ仕事中は最高に緊張、興奮しているのでちっとも酔っぱらいません。お酒の中でも度数の低いビールを飲んでいれば、おなかはいっぱいになるし、周りも「冠木さんも飲んでいるな」と安心してくれます。

3.講師の隣に座る。講師と私が講座中に個人的な話をすることは決してありません。でも会食の席では講師がいろいろプライベートを訊ねてくることもあります。その会話は英語学習中の参加者のみなさんには面白いようです。そんな話はかいつまんで訳せばOK。

私が食事中通訳より気にしているな講師の食事、時間の使い方の趣向です。夜はひとりでルームサービスにしたい方、ホテルのレストランが好きな方、ほったらかしてもらいたい方(ひとりで赤ちょうちん入りたい方も)…そのあたりをさぐるのもコミュニケーションの忍者(?)、通訳者の仕事です。

あれえ、呑み助限定の話だったかなあ。

通訳道場★横浜CATS 第5期

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プロは英語で「はしゃがない」!

思わず見とれてしいまいました…。ホテルのレストランで采配をふるうチーフウェイターさん(写真ではぼかしてしまいましたが…)

立ち方、「おはようございます」のあいさつの声の張り、お客さんに席を示す手のしぐさ。全身の動きが明確、自然でお茶のお点前のようにきれいです。これぞプロ。

このホテルには海外のお客さんも沢山滞在しています。

おや?彼は「おはようございます」「Good morning.」 のほか余計なおしゃべりはしません。おしゃべりするのはお客さん同士。

彼は笑顔とお点前のようなしぐさできびきびとお客さんを席に案内していく…。

プロだわあ。

どういうわけか日本の方の中には、英語となると張り切って余計なことまで機関銃みたいにしゃべるひとがいます。人の話にまで割り込む人もいます。 わあわあうるさい割にノンバーバルな表現、つまり表情や身のこなし、声のトーンは一気に下品になる。

この傾向、英会話中級者はおろか、B級の通訳者(まもなくサヨナラだろうけど)にまで見受けられます。

なんのコンプレックスでしょう。あるいは学校で「間違ってもいいから発信してみよう」なんてとんでもない阿呆な励まされ方をしたおかげでしょうか。

プロの仕事に自意識過剰なコンプレックスは無用、身体コントロールは必須です。

学びの過程でも「まず静かに聴くこと」「所作を稽古する」機会を持ってほしいものです。

こういうことを言っているから明治の文豪ぽいと言われてしまうんですかねえ。明日から令和ですが。

通訳道場★横浜CATS 第5期 受付中

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医療通訳の準備に思う、患者は忍者?

通訳は専門用語をきちんと把握していることが必須です。

専門用語という「点」が頭に入るには、点と点をつなぐ線、専門領域という「面」を理解することも必要です。ただの単語暗記では思考の流れについていけません。

なかでも準備にきりがないのは医療の通訳。日進月歩の技術とともに新しい言葉も生まれ続けています。

そんなとき、ふと気になるのがごく当たり前の言葉。

たとえばpatientは「患者」でいいのでしょうか。

話し手の頭の中の景色を聴き手の頭の中で再現するのが通訳

個人的には患者の「患、わずらう」という字がなんだかフナムシみたいで…具合の悪いときには見たくない気がします。

語源によると、patientはまさに「耐え忍ぶ」。(インパチェンスimpatienceという花がありますが、種に触ると弾けて飛ぶ様子が「不」「忍耐」というわけです。)

patientは「患う者」ではなく「忍ぶ者」、なんと「忍者」ではありませんか。身体の状態ではなく、心のありようを表しているように思えます。

と、こんな寄り道も準備の楽しみのひとつです。

通訳道場★横浜CATS 第5期 ご相談承ります

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