脱!読みにくい翻訳「A above B」 は「Bの上のA」?

「above~」=「~の上に」
まずはそう習います。導入としてはわかりやすい。間違いでもありません。

では、これを日本語に訳してみてください。 「クワイ河収容所」冒頭、主人公がまどろみながら故郷の 海辺の景色を夢見るシーンです。

I heard the raucous cry of sea-gulls circling above the fishing-boats as the fishermen sorted their catch.

北ウェールズの海辺

ありがちなのは…「私は漁師が獲物をより分けている漁船の上に円を描く鷗たちのしわがれた鳴き声を聞いた。」

だめだこりゃ。
ビデオカメラでこの訳の通りにこのシーンを録ってみてください。変でしょう。イメージの順も、感覚体験の順も台無しです。

ICUの齋藤和明先生はこう訳しておいでです。
「大空にはかもめが数羽旋回していた。咽喉をつぶしたような鳴き声が聞こえていた。下の方では漁船の漁夫たちが獲物を選り分けていた。」

aboveを「~の上に」なんてしていないでしょう?こうすると視線の流れが自然でしょう?

ただ、毎朝鳥の声で目を覚ましているイナカッペの私としては、「聞こえた」が先で、鳴き声の方向に目をやると「見えた」になるのでは、と思います。ウグイスなんかなかなか見えませんけど。 英文もそういう順で描写しています。

「耳に入ってきたのは鷗のしわがれた鳴き声だった。旋回する鷗たちの下方では、漁船で漁夫たちが獲物を選り分けていた。」

お粗末様でございました。

語の意味を1対1対応で覚えるのは、自転車で言えば補助輪のようなもの。次の段階があります。いつまでも1対1にとどまっていると広い文脈で身動きがとれなくなります。文脈の流れを追えなくなります。作者の心の中の風景、視線の動きを辿り、予測することができなくなります。

読みにくい翻訳はだいたいこの英文解釈の延長タイプ。間違っていない、これしか方法はない、日本語と英語は語順が違うのだ、と問題を自分から遠ざけがちです。

これではかつての機械翻訳と大して変わりません。

さて、ではどうしたら? 次稿をお楽しみに。

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「クワイ河収容所」バイリンガル読書会はまるで…

「クワイ河収容所」は元英連邦戦争捕虜のアーネスト・ゴードンさんの手記を、我が恩師、元ICU名誉教授の斎藤和明先生が訳されたもの。その手記と日本語訳を並べて読み進み、語り合い、聴き合おうという贅沢な読書会。

ねらいは2つ。目に見える戦争の記録から、いまもここにある目に見えない戦争に気づくこと。既成概念を軽ーく越える和明先生の英日翻訳のコツを学ぶこと。

初回はゴードンさん、和明先生が招いてくれたとしか思えないメンバーが集まりました。もちろん、ゴードンさん、和明先生もご一緒くださった気がしてなりません。

第一章、第一段落の日本語訳出だしを読んだEさんが言いました。

「やられました。もう、出だしで。だいたい翻訳ものは出だしでその後が推して知るべしです。でも、これは次の文、またその次と読みたくなります。」

それは…ここを訳したもの。みなさんはどう訳しますか?

I was dreaming, and I was happy with my dreams.

普通に訳した一例としてはこんなものでしょうか…

「私は夢見ていて、私は夢のことで幸せだった。」

和明先生は、もちろん全体を何度も読んでのうえで、こう訳されています。

「夢を見ていた。夢を見ていれば幸福であった。」

英語の代名詞をいちいち訳すな、とは通訳道場でもいつも言っていること。英語では顕在する代名詞は日本語では「ない」のではなく潜在します。

こんなのは序の口。

X above YといえばYの上にXと教わりますね。本当にそれだけでしょうか。これは次回。

英語を学ぶときに和訳を参考にすることはどこかやましいズルをしている気がしませんか。その和訳の味わいはいまいちで、ああ、この語が英語のこれなのね、と確かめる。もとの英文の語りの姿を再確認するまではいかない。中高生はそんな和訳の使い方をしていませんか。

でも、ゴードンさんの英文と和明先生の日本語訳は二枚看板。東大寺南大門の二体の金剛力士像のようでした。

次回は8月4日 横浜山手地区にて。人数に限りありますので、ご関心おありの方はお早めにお問合せください。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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通訳になりたいなら、おすすめの学校

専門の情報誌をちらっと見ると書いてありますよね。大学で外国語を専門に学び、その後通訳養成学校に進むといいと。

確かに、そういう経路もかつてはメジャーでした。

私もはじめてサイマルの門を叩いて半年、ぐんぐん力がつくのを感じました。

でも周りを見ると、仕上がりがいかにも「通訳さん」なんです。

なにが違う…?

私がサイマルに助けてもらったのは、それまで持っていたものを結びつける訓練。「持ち物」そのものを足してもらったわけではないのです。

32年前のICU!

その「持ち物」は2つ。

リベラルアーツで文系、理系に偏らず「ものの考え方」を鍛えられたこと。いまは国際教養ナニヤラ学部がいろいろありますが、ニセモノがほとんどです。ホンモノは少人数で、教授と学生が生活を共にし、文理の壁がないこと。国際基督教大学では数学、物理学の美しさに驚嘆しました。私の生涯の学びのふるさとです。

もうひとつは、日本語を鍛えられていること。日本文学の古今の名作はもとより、新聞、理系の論文の文体、聖書、讃美歌の文体にも日々なじみました。これにはフェリス女学院中高に感謝します。世界は文理になどわかれていないことを叩きこまれました。高3の受験間際まで理科の実験を重ねました。牛の肝臓、ユスリカの染色体。

フェリス女学院中高はつまらない面倒見主義とは無縁の学校です。

通訳になりたいなら通訳学校、という考えはあまりに短絡です。AIに抜かされます。

まず人間として言語という文化遺産に仕える覚悟をしてください。ひとさまに通訳を頼まれるのはそのオマケです。

私が主催する通訳道場はこちら

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通訳が「うまい」とほめられないのは…

「うーん、うまく通訳できたと思うのにクライアントの反応がいまいち。また頼んでくれるかな…。」

通訳者はリピートと紹介が大切。だから依頼主の反応は気になる。
でもね、うまい、と言われているうちは普通なのよ。
うまい、を超えて自然になると何も言われなくなるんじゃないかと思う。

そんなこと心配してないで寄席にいってごらん。

通訳は話芸。伝統の話芸に触れるのも立派な修業。
しかも笑えるんだからありがたい。

ことに落語には日常のモノサシを吹っ飛ばしてくれる
とんでもない人たちがゾロゾロ。

自分の頭の枠をこわすのにぴったり。

昨日のトリは古今亭菊丸師匠の「中村仲蔵」。

本当にすごいと「うまい」も「すごい」も言われない、というお手本。

安藤広重「仮名手本忠臣蔵」

昔は役者の階級も細かく分かれていて、昇進も厳しく抑えられていたそう。
にもかかわらず、中村仲蔵は底辺の「稲荷町」から「名題」に大出世。

ところが仮名手本忠臣蔵ではひとつしか役が与えられず、それも
弁当食べながらの5幕、元サムライのしょぼい山賊、定九郎。
ドテラのような衣裳でやぼったい役と相場が決まっていました。

引き受けたものの、もちろん不本意。

ある日蕎麦屋で水もしたたるイイ男の浪人に出会います。
その風情こそ本来の定九郎!と着物、帯、傘…細かく訊ね
徹底的にパクりました。

さて上演したところ…あまりの凄みと美しさに観衆は
言葉にならないうなり声をあげるのが精いっぱい。
「○○屋~」なんて呼ぶ者はおりません。

これを当の仲蔵は大失敗と信じ込み、江戸を離れ
上方に向かいます。

実は町では前代未聞の演出が大評判。
座長が行方不明の仲蔵を探していました。

見つけ出された仲蔵はこれを聞いて仰天…

だからいいのです、毎回褒められなくて。
褒められるために通訳しているのではないでしょう。
もちろん、下手なのは話にならないけど。

そうそう、昨日は我が母校、国際基督教大学が
漫才のネタになるという想定外の笑いもありました。

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リーズ大学、25年前の宝もの

イギリス北部にあるリーズ大学で英文学を学んでいたのは…なんと25年前のこと。ICUから、そして日本からも初めてのJunior Year Abroad Programme正規の交換留学でした。携帯電話もノートPCもインターネットもない時代。カメラは写ルンですみたいなおもちゃだけ。もちろんメールなんてありません。

なので、こういうことになる。

片づけ本には手紙も捨てるように書いてあるけれど、これは別。

私も同じくらい書いていたはずなのだけれど…少しも忙しいと思わなかった。今やりとりしているメールに比べたら少ないのかもしれませんね。

日本の家族、大学の友人たちからの封書。切手が切り取られているのは寮の友人たちにあげてしまったから。繊細な日本の切手は大人気でした。

ケンブリッジ大学で研究休暇を過ごしていらした西洋古典のK先生と同じ時期に滞英できたのは本当に恵まれたこと。そしてギリシャでも有名なICU名物、西洋古典スタディツアーにイギリスから参加できたのも幸運でした。

リーズ大学の学生どうしの連絡もメモ、カードでした。たとえば「木曜、お昼一緒にいかが?学食の奥のほうにいます。How about having lunch together coming Thursday? Find me in the back of the refectory.」のように。今ならメールでしょうね。

クリスマス、バレンタイン(日本のように女性が男性にチョコを贈るのではなく、友人に友情を感謝する日)にはカード交換で寮の郵便受けはパンク寸前。

LINEいじめなんて???想像もつかない時代。

 卒業までリーズに残ったスペイン、イタリア、シンガポール、マレーシアの友人たち。交換留学が終わって帰国したアメリカ、フランスの友人たち。その後もしばらくやりとりは続きました。それでも名前や住所が変わっていつのまにかやりとりは減ってしまって…。

どうしているかしら。そうだ、FBで探してみよう。

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