日本ではスーパーでオーガニック食品が買えることを目指さなくてもよい理由

「スイスはスーパーでもオーガニック食品が買えるのに、全く日本は遅れていて恥ずかしい!」

普段はスイスにすむ友人の手厳しい一言です。みなさん、どう思います?たしかに日本もまだまだやれることはある。でも、いくらスイスが好きだからって、スイスのものさしを日本に当てて決めつけるのは困ったもんだと思うのです。

ものごとは細かく、深く見なくては。

私は日本で「スーパーでオーガニックが買える」を目指すのは違うんじゃないかと思うんです。

バイオダイナミック農法の畑に落ちたりんご。ゆっくり土に還るのでしょう。

そもそも、日本の「スーパー」の多くは大資本で安さが売り。買いに行く人たちも「安いから」が理由でしょう。

でもオーガニックの生産には手間暇がかかる。そんなに大規模にはできない。大量に作って安さを売りにするわけにはいかない。どうしても、スーパーの一般品に比べれば高くなる。それでも自分、家族のために質を求める人、生産者を応援したい人はちゃんと支払う。

そんな生産者と購入者をつなぐのにふさわしい場はどこでしょう?日本で地価負担を避けるにはどんな方法があるでしょう?

今はネットの時代。オンラインショップ+季節のイベントでしっかりコミュニティを作っているケースはいくらでもあります。
(そりゃ、スーパーがいくらか置いてくれるのはまったく歓迎ですが。そこを目指さなくてもよいのでは、ということです)

こちら、チーズで有名な共働学舎新得農場。究極のオーガニックと言える生乳をさらに理に適った方法でチーズにすることで付加価値を最大化。そのプロセスでいわゆる障がい者と呼ばれそうな人たちが素質を発揮しています。

現場はひとつひとつ違う。細かく分けて、深く見なくては。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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ブータンの風呂水事情に思う

「え、冷たい…」
ブータンの首都ティンプーでも評判のホテル。通訳兼雑談(リサーチ)の仕事を終え、ゆっくりあったまって、シャンプーをして寝ようとしたものの…!浴槽にうっすらお湯を張ったところで蛇口からは冷水が。しかも泥の色がついています。やむなく湯あみだけして、洗髪は翌朝に持ち越しました。

他の部屋に泊まっていた同僚たちも同じ場面に遭遇していました。

「前はもっと大変だったのよ。」
「少しずつよくなっているから、もう暫くしたらちゃんとするはず。」
そんな声も聞こえてきます。

でも、私は違和感を覚えました。

よしとされる変化の方向が西洋的過ぎる。

用意されたあまりに西洋的な入れ物は、ブータン地元の中身にあっていない。

いいんです、水量を増やさなくても。そのかわり、西洋的なのっぺりとした浴槽ではなく、径が小さくても高さのある木製の浴槽を用意する。水量の限界を明示して、入浴方法を提案する。つまり、お客さんが地元の事情を理解し、予測しながら使い方をコントロールできるようにする。

確かにホテルは西洋的な施設です。その設備をアジアにすべて導入するには無理がある。半端になる。それが「劣っている、遅れている」と誤解される。追いつこうと頑張る。地元の文化が見えなくなる。悪循環です。

西洋的にちゃんとしたところで、来るのは西洋コンフォートゾーンを期待する人たち。

かつて、コペンハーゲンの空港で某日系フィルムメーカーのドイツ出身職員の方に話しかけられました。しばらくカメラの話題で盛り上がった後、この方は言ったのです。
「日本はいいよね。まだ西洋だから。アジアは無理。」
えー!!!!東京しか見てないでしょ、と言うと、まあそうだけど、とのことでした。

その次に来るのは価格競争でしょう。だめだめ、そんなの。



なんでもブータンには焼き石を活用した伝統的な薬湯があるそうではないですか。シティホテルでこれは無理としても、形骸的に西洋を追うことはしないでほしいと願います。

The hot stone bath at Amankora Gangtey (Credit: Adam H Graham)
http://www.bbc.com/travel/story/20150506-soaking-in-a-unique-bath-culture



持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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「ーman」は差別的?man・womanの語源を辿る

昭和の子どもだった私は「manはジェンダーにひっかかるので✖」と言われると、 ウルトラマン、ガッチャマン、電線マンが心配です。ウルトラセイバー、チームガッチャはまあまあいけそうです。電線マンも今後の女性参画可能性を考慮して、電線オフィサー?

私はジェンダーフリーな言語表現にはどちらかといえば賛成ですが、ときどき言語の歴史が等閑視されているのが気になります。まあ、いきなり昔には戻れませんが、知らないままでいるのと、知るのとではどこかで違ってくると思うのですよ。

たとえば、「manはジェンダーフリーではない」という考えはmanは男性のみを指す、という考えを前提としているはず。

でも初めからそうだったわけではありません。

古英語(450-1160ごろまで)をはじめ、ゲルマン諸語ではもともと男女両方の「人間」を意味していました。

さらに遡ると、menー(=think、考える)、 manー(= hand、手を使う)のように人間の生きざまを描写する言葉との結びつきが指摘されています。あまりに昔のことなのでどれか一つを定説とするには至っていませんが。(「英語語源事典」寺澤芳雄)

womanも古英語の時代、wifmanと綴っていました。 wif=「女の」 man=「人」、というわけです。wifeはもともと「妻」ではなく「女」という意味でした。

そういえば、ドイツ語では「僕の妻」をmeine Frau 、英語で言えば my woman「僕の女」と表現します。

先日、オーストリアの方が英語でお連れ合いのことをmy womanと言っていましたっけ。妙に色っぽい気がしたのは私の妄想でしょうか…

今日を生きる私たちが言語変化に参加することで、未来へのバトンが作られる。そのためにも渡されたバトンの来し方を振り返るのも悪くない、と思うのですが。

持続可能な未来のための通訳者・冠木友紀子のプロフィール

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忙しいのは心を亡くす!【シュタイナー・魂の旧暦?】

まあ、呆れたことでございます。

ドイツ語学び祭りと銘打って始めたルドルフ・シュタイナーの「魂のこよみ」訳、なんと2週間も遅れているではありませんか。

とにかく忙しかったのです。どれもよくぞこんな私を頼りにして下さったとうれしくなるお話ばかり。精一杯応援したいとねがい、そのようにしたつもりです。

ところが…第24週の魂のこよみの詩にガーン!

どんなに思いで相手の幸福を願っても、あまりに忙しいのは考えものです。

魂は自らを生み出しながら自らに気づく、とあります。

生まれ出る魂自らになんて気づくひまないよ!では黄色信号。生まれ出ずるものは深みに欠け、今日明日に喜ばれても、すぐに潰えることでしょう。

英国、ストラウドの秋の朝

それにしても、宇宙、や精神、は私の坂東者の腹にはおちないなあ。現代語古語類語辞典で調べても限界です。私は神道や仏教の日本語を知らなすぎるのですね。

Sich selbst erschaffend stets,
Wird Seelensein sich selbst gewahr;
Der Weltengeist, er strebet fort
In Selbsterkenntnis neu belebt
Und schafft aus Seelenfinsternis
Des Selbstsinns Willensfrucht.

みずからをつねに生みだしつつ
魂という存在はみずからに気づく
宇宙の精神は力強く励み
みずからを知ることで新たによみがえり、
魂の暗がりから生み出すのは
みずからを感覚するという意志の実り。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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台風で大変だっていうのに「魂のこよみ」23週

台風15号大変でしたね。関東、とくに千葉の皆さん、お疲れがたまっていることでしょう。くれぐれもご自愛ください。

私は聴覚と発声のパイオニア、トマティス・メソッド®の通訳で神戸にいたため、猛暑の晴天下で気をもんでおりました。

どちらにしても、日本の状況はこの週のシュタイナーの詩とぴったり、というわけにはいかないようです。今秋の詩は秋の静けさの中に冬のおとずれを予感しています。ヨーロッパと日本の違いなのか、気象変動のせいなのか…。気をつけてみると確かにかすかに秋らしさ、かなたに冬を感じられなくもないのですが。

今回も困りました。

秋の明るみのうちに冬の気配…?
Es dämpfet herbstlich sich
Der Sinne Reizesstreben;
In Lichtesoffenbarung mischen
Der Nebel dumpfe Schleier sich.
Ich selber schau in Raumesweiten
Des Herbstes Winterschlaf
Der Sommer hat an mich
Sich selber hingegeben.

ここです。5、6行目。
Ich selber schau in Raumesweiten
Des Herbstes Winterschlaf

英訳は「秋の冬眠」としているのですが、それって秋眠?
秋Herbstesはその前のRaumsweitenにかかるとは考えられないでしょうか。英語で言えばin wide space of the autumnてな感じです。

そうすると、目の前にある今の季節のなかに、次の季節がひっそり忍び込んでくる、というモチーフの繰り返しとしても自然では?と思うのです。

秋めいて鎮まる
刺激を求めていた感覚。
あらわな光のうちに混じる
霧の湿った帳(とばり)
私も目を留める、はるかに広がる
秋の内なる冬の眠りに。
夏はもう、私に
みずからを委ねた。

こんな構造を感じます。
1-2行 夏の終わり 
3-4行 明るさの中にくぐもり
5-6行 秋のうちに冬眠
7-8行 夏の終わり 変奏

英語は語順が決まっている、なんていうのは昨日今日の散文だけの話。韻文ではイメージと音を活かすためにとんでもない語順のオンパレード。それでも勘違いしないのは文法のおかげ。まあ、教科書みたいな散文ばかりでは文法も本領発揮せず、面倒なばかり。その妙味も楽しめないとは思いますが。

それにしても、私はドイツ語では新米。ドキドキです。

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通訳学校で伸びる人、伸び悩む人

通訳学校でどんどんうまくなり、講座を修了する前に仕事が始まる人もいれば、10年も通って400万円も学費を払いながら一銭も仕事にならない人もいます。

どうしたら伸び悩む人も、伸びるようになるでしょう?

通訳学校に通う曜日を増やす?

いえいえ、お金がかかるばかりです。

通訳学校以外のインプットを増やすことです。

文系理系に関係なく古今東西の名作を読むこと、ダイジェスト版で結構!できれば気に入ったものを暗誦すること。落語に通うこと。

通訳学校の練習はこんな感じです↓
先生が音声をワンフレーズ再生、一時停止しては指名された生徒が通訳、そして先生の模範通訳。これを英日、日英で繰り返します。

私が目撃した伸び悩みさんたちは実に真面目でした。英文学科出身の典型的文系さんで、2時間の授業中一生懸命訳しては先生の模範をひたすらノートにとりまくり。ノート取りに忙しくて政治家の話も芸能人の話も同じ口調。これではちりが積もってもいつまでも山にはなりません

かくいう私は臆面もなく伸びた方ですが…楽だったんです。まるで訳している気がしなかったんです。勝手に訳が出てくるようで(まるで我慢し損ねたオ〇〇のよう)。

聴こえたフレーズから絵が立ちのぼり、磁石が砂鉄を集めるように言葉が集まって来る。

その砂鉄はどこから…?

実は学生時代にさかのぼります。楽をさせてくれない手加減なしの学校で文理幅広く触れ、毎日聖書、讃美歌の日本語に触れていました。イエズス会の英語教科書は語彙も文章量も文科省の標準の3倍!中2のとき、太宰治に憧れて間全集を毎日1巻のペースで何度も繰り返し読んでいました。大学はリベラルアーツ。おかげで概念、語彙のプールがでかい(!)のだと思います。

私が通訳学校で体得したのは、すでにできている日本語プールと英語プールを画像でシンクロさせる方法です。

大人の方に私の学生時代のようなヒマはありません。だから学習漫画でもダイジェストでも新書でも結構。視野を広げ、新しい言葉を獲得してくだい。

先日、ITやAIにとても詳しい友人から、自動翻訳がこのごろとても良くなったのは膨大なよい訳例にふれさせているから、と聞きました。どうも私がやっていたことに似ています。私がのろのろ処理できる量はわずかですが。

普通レベルの通訳・翻訳なら自動翻訳が当たり前になる時代がすぐそこまで来ています。

さて、次のことを考えましょうか。

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「医療・農業・教育」を通訳するなんてブレている?

なぜ持続可能な「医療・農業・教育」を通訳するんですか?違う分野でしょう?通訳さんは文系、語学系でしょう?ブレブレじゃないですか?

おお、よくぞ訊いてくれました。この時代、そう思う方は多いようです。

小さい頃から田舎育ちの私には、なんとなく想像がついたのです。この3つは、かつて教会やお寺に司られ、緩やかに連携しながら、牽制し合っていたのだと。

子どもが具合を悪くすれば、まずたっぷり寝かせる。年よりは死期をさとり、身内の者を呼び寄せて辞世の感謝をする。症状が悪くなってからそれを叩く強い薬をのむのではなく、元気なうちから自己治癒力を励ます薬草茶を飲む。新鮮な野菜を安く買おうとするより、庭で野菜を育てる。子ども達は勉強で点数競争するのではなく、他者を手伝うために頭をひねる。いつも景色のどこかにお寺や修道院が見えている。

神の退却と共に、いまやこれら3つが不安を煽る金儲けの暴走エンジンとなり人としての倫を超えたと思う場面もしばしばです。

ただ、それぞれの領域が単体になって、単純化したかと思うとその逆で。異常に込み入って見えるのです。まるで干物の鯵をバラしたようです。だから近代医療、近代農業、近代教育はそれぞれ単体でひとつの領域に見えるのかもしれません。

でもオーガニックな医療・農業・教育は生きた鯵のよう。泳ぐ姿には波の動き、鯵の体感まで共感できるよう。共通点が多いのです。生命プロセスが透けて見えるのです。

生命プロセスを感じる。これぞリベラルアーツ。

そのことに、はじめて満面の笑みで共感してくださる方に出会えました。ドイツのバイオマスボイラー関連企業のCEOの方です。

ボイラーも生きものですね、プロセスがありますね、というとニッコリ。「いままで通訳者から聞いた中でもっとも○○なコメントだ。もう安心だ。」と。

よかった、よかった。

ところで、ブレているかどうかって、見る側の視点の深さ、視野の幅広さにもよりますよね。なので私は天智神明から見れば常にブレていると思っています。他人をブレているなんて上から目線で責めるつもりはありません。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者
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AI時代に外国語、英語を学ぶ意味

いまの中高大学程度の英語力、へたな通訳、翻訳ならあっというまにAIで済むようになります。

それでも、外国語を学ぶことに意味があるとしたら…いや、私はあると思っているのですが…

人の話を外国語で聴くことで、心の避難所を作ること。

そもそも、私が通訳者として開眼したのはNHKの国際研修室。当時、結婚後転職した私学女子中高で「訳文をぜんぶ板書してくれる先生がすぐれた先生。それに比べたらあなたはただの外人」と言われ、退職を余儀なくされました。

居場所もなく、収入もなく、定期的に通えるところは心療内科とNHKだけでした。

普段は過去への後悔と未来への不安ばかりがエンドレズテープのように頭をぐるぐる。

「『あなたはうちの学校文化を知りませんね』と言われたとき、どうしてすみませんといったんだろう、どうして『もっと教えてください』と言わなかったのだろう。」「どうして、靴箱にいやがらせをされたときに、すぐに写真をとって総務部長に見せなかったんだろう。」

それが!

NHKの同時通訳講座でひたすらひとの聴いたらピタリと止まるではありませんか。

その清々しいことったら!

私は通訳トレーニングを通して「いま」に戻って来られたのです。

ふりかえってみれば、フェリス中高時代もそうでした。決して試験勉強、検定試験に関心があるわけではなく。先生にとっても優等生ではなかったと思います。でも、宣教師の先生の優しい慰めと励ましの英語が、心の糧でした。

本物で包囲してくれた母校。

私は耳がいいらしいので、周囲の叱りの日本語をそのまま覚えて勝手にリフレインしてしまう。それをアレンジして自分を責め続ける。

「なにをもたもたしているの。」「早く!」「また、要領が悪い。」「不器用ねえ。」

そんな悪循環がたまらないとき、あたまを宣教師の先生の英語の声で満たしていたんです。

なので、「英語を将来グローバルに活躍するためのツールとして明るく、ポジティブ」にすすめる人たちにはなじめません。波長が合いません。自己表現とか、自己主張とか、発信とか、別に二の次でいいんです。

外国語には涙が止まらないときにふっと息ができる部屋をひとつ作る力がある。

そんな部屋を用意したいと思うのは変でしょうか。

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気の毒なイヌノフグリにすてきな学名

幼いころから祖母、母と野山を歩いて育った私は、山野草の名前を知るのが楽しみでした。なかには日本と海外ではまるで違う意味の名前がついていて、視点の違いに驚くこともあります。ついつい誰かに話したくなります。

我ながら日本側の視点が「?」だったのがオオイヌノフグリ。初めて国語辞典なるものを手にし、オオイヌノフグリを引いたときの衝撃は忘れられません。どうしてあの愛らしい花がそう見えるのかびっくりしました。股間を凝視されていぶかしげに振り返る愛犬の顔も忘れられません。彼は小型犬でしたが。

まさか、海外でもそんな…

ええ、まさかdog testicleなんかじゃありません。

オオイヌノフグリはBuxbaum Speedwellのようです。Speedwellの語源は、speedのゲルマン祖語で「栄える、成功する」、wellは「十分に、たっぷりと」ですから、あっという間に繁茂する様子にぴったりです。

昔の人たちが、私たちと似たような景色を見ていたことを言葉で辿れるってちょっと面白いと思いませんか?

さて、このspeedwellのみなさんをまとめてveronica属といいます。このヴェロニカは、イエス・キリストが哀しみの道を十字架を背負ってゴルゴダに向かっていたときに、顔に流れる汗と血をぬぐう布を差し出したあのヴェロニカと言われています。(ジョルジュ・ルオーの絵、「聖骸布」が有名ですね。)

道端の野次馬群衆がイエスに罵り声をあげる中、手ぬぐいを差し出すのは真心ぶれない人ではないでしょうか。ヴェロニカ属の花ことばはfidelity「信」「まこと」「忠誠」「貞節」などです。

ヴェロニカ、信が「犬の…」とは。

こちらの写真は拙宅の庭に咲いているイヌノフグリ(花は赤紫)とタチイヌノフグリです。なんでもこれらのほうが日本には多かったのに、明治以降オオイヌノフグリが海外から入って来て優勢になったそう。

昨年来、芝生の「雑草とり」を極力やめて、5センチ刈りにしました。むろん除草剤は使いません。そうしたら、こんなふうに昔、野原で見かけた小さくて丈夫な草花が顔を出すようになりました。

道端でイヌフグリを見かけたら、Speedwell, Veronica, Fidelityを思い出してくださいまし。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子 プロフィール

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朝食ビュッフェ=人生いろいろ

出張中の朝ごはんはホテルのビュッフェ。レストランにはとてもとても自宅では用意しきれない何十種類ものおかずが並びます。ここから、自分が食べる物を選ぶだけで面白い!

そしてもっと面白いのは…

ひとさまのお皿をちらりと覗くこと。

どの盛り合わせもユニーク。 並べられていた選択肢は同じなのに。、2つとして同じ盛り合わせはありません。


それぞれが自分にちょうどいいものを選んでいる。それを見ていると面白いんです。 どれが優れている、劣っている、多すぎる、足りない、なんていうことはない。

なんだか、私たちの人生に似ていると思うんです。

大阪で2番の大好評のビュッフェ❤

田舎に暮らす?それとも都会?習い事をする?しない?学校は私立?公立?塾へ行く?行かない?

就職する?しない?結婚する?しない?子どもをもつ?もたない?犬を飼う?猫を飼う?戸建に住む?マンション?賃貸?持ち家?親と一緒に住む?住まない?お酒を飲む?飲まない?運動をする?しない?

たいていのことは、どっちでもよくて、どっちも面白い。

どちらかだけを良しとするのは、福祉、財政の制度設計の都合では、と思います。

自分のしたことをしていない他人を責める必要などないし、他人のしたことをしていない自分を責める必要もありません。

今朝は洋風で、と楽しんでいる隣席の人に「こら!納豆を食べなさい」なんて言ったらビュッフェの楽しみも台無しです。野暮もいいところ。

朝食がいろいろであるように、今日一日の過ごし方もいろいろ。

昭和の日、佳き一日をお過ごしください。

冠木友紀子プロフィール

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