WHO新型コロナウィルス情報を日本語で①コロナウィルスって何?

新型コロナ…?新型クラウン?懐かしい車を思い出してしまいました。あれ?トヨタはコロナとクラウンを両方持っていた?同じ王冠って意味でしょ?不思議ですねえ。

まあメディアを見ていると「蔓延」「不安」などセンセーショナルな言葉が飛び交います。でも「自分でできること=健康維持+無敵の思想(これ大事、別稿にて)」と「確かな情報」をもとに心静かに過ごしたいものです。

そのためにも頼りになるのがWHOやCDCの情報のはずですが、WHOのサイトは日本語訳が用意されていません。 ビデオは字幕を受け付けてもいません。

そこで、まずは2回にわけてWHOのビデオに簡単な日本語訳をおつけします。WHOには字幕のオファーをしたのですが、返事はまだです。著作権蹂躙の意図は全くありません。問題があれば教えてください。

2回に分けるのは長くなるからです。お役に立つ部分は後半に集中しています。次回(明日)お楽しみに。

【前半字幕】
2019年12月、中国で一群の肺炎患者が見つかりました。調査すると原因は未知のウィルスでした。 今ではCOVID2019と呼ばれています。

本ビデオではこのウィルスについて現時点での理解を手短かに紹介します。 ただこのウィルスは新しいので、 見解も先々変わりうることをご承知おきください。

コロナウィルス群はウィルスの群れとしては大きく、 中核に遺伝形質があり、 そのまわりの皮膜にはタンパク質のスパイクがついていて、 王冠のように見えます。

王冠をラテン語で言うとコロナなのでコロナウィルスと呼ばれます。コロナウィルスもさまざまですが呼吸器、ときには消化器に発症します。
呼吸器症状はよくある風邪から肺炎などがあり、ほとんどの場合軽度です。

ただ、重症化するものもあります。

SARS(重症急性呼吸器症候群)のコロナウィルスが初めて特定されたのは2003年、中国でのこと。MERS(中東呼吸器症候群)のコロナウィルスは2012年、サウジアラビアでのことでした。

COVID2019が初めて見つかったのは中国の肺炎患者においてでしたが、この人たちは魚介と生きた動物を扱う武漢の市場に縁がありました。やがてこの病気は体調を崩した人々から家族、医療関係者へと広がりました。いまでは患者も増え、病気も中国国内はもとより多くの国に広がっています。

いったいこのウィルス、どこから来たのでしょう?わかっているのは、コロナウィルスは多様な動物たちの間を巡り、ときには動物から人間にジャンプするということです。これはスピルオーバー(あふれ出し)と呼びます。要因は、ウィルスの突然変異や人間と動物の接触増加などさまざまです。たとえば、MERSコロナウィルスはラクダから、SARSコロナウィルスはジャコウネコから、と言われています。COVID2019の源がどの動物かはまだわかっていません。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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驚きの明治洋楽「きよしこの夜」に【蚊】が登場!

きーよしー、こーのよーる。もうあのメロディーが聞こえてきましたね。

まったく季節外れですみません。実は来週、あるイベントでこの歌を母校フェリス中高のOG合唱団有志が歌うのです。(私は発声と呼吸の修行が通訳にも参考になると思い、この合唱団に参加しています)

そのイベントは横浜山手芸術祭の一環としてイギリス館で開かれる「明治・山手の丘に流れるメロディー」。「きよしこの夜」を含め、明治の横浜に入ってきた讃美歌や、外国人居留地周辺で生まれた新しい労働歌を振り返ります。

「きよしこの夜」として知られるあの讃美歌はもともとドイツ語。ヨーゼフ・モールの詩にフランツ・X・グルーバーが曲をつけたもので初演は1818年、オーストリア、オーベンドルフの聖ニコラウス教会のミサと言われています。

もとの歌詞1番はこんな感じです。

Stille Nacht, heilige Nacht,
Alles schläft; einsam wacht
Nur das traute hochheilige Paar.
 (Nur das traute heilige Paar.)
Holder Knabe im lockigen Haar,
Schlaf' in himmlischer Ruh'!
 (Schlafe in himmlischer Ruh'!)
Schlaf' in himmlischer Ruh'!

いま、皆さんが讃美歌109番、第二編244番としておなじみの歌詞は、由木康先生の訳です。

きよしこのよる 星はひかり
すくいのみ子は まぶねの中に 眠りたもう、
いとやすく

それが!なんとクリスマスとはちっとも関係なく、日本の静かな宵の情景として歌われていたというのです。

作詞したのは書家で歌人の阪正臣(ばんまさおみ)氏。いったいどういう経緯で新たな日本語詩を作ることになったのかは21日のお楽しみ。イギリス館へぜひお出かけください。

小雨止みて 庭は暗し
月はなど遅きぞ 端居(はしい)して待つ間に 
不如帰(ほととぎす)ただ
高くひと声

霞晴れて 星は照れり
小簾の隙漏りきて(おすのひまもりきて) 橘ぞ薫れる 
水鶏(くいな)さえいま
遠くひと声

小田の早苗 緑涼し
蛍追う子は去り 風もなく吹くるよ 
耳元に蚊の
細くひと声 

なお当日は3番を割愛するそうです。気の毒な蚊の出番と思って、ぜひ「きよしこの夜」のメロディーに合わせて口ずさんでみてください。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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日本ではスーパーでオーガニック食品が買えることを目指さなくてもよい理由

「スイスはスーパーでもオーガニック食品が買えるのに、全く日本は遅れていて恥ずかしい!」

普段はスイスにすむ友人の手厳しい一言です。みなさん、どう思います?たしかに日本もまだまだやれることはある。でも、いくらスイスが好きだからって、スイスのものさしを日本に当てて決めつけるのは困ったもんだと思うのです。

ものごとは細かく、深く見なくては。

私は日本で「スーパーでオーガニックが買える」を目指すのは違うんじゃないかと思うんです。

バイオダイナミック農法の畑に落ちたりんご。ゆっくり土に還るのでしょう。

そもそも、日本の「スーパー」の多くは大資本で安さが売り。買いに行く人たちも「安いから」が理由でしょう。

でもオーガニックの生産には手間暇がかかる。そんなに大規模にはできない。大量に作って安さを売りにするわけにはいかない。どうしても、スーパーの一般品に比べれば高くなる。それでも自分、家族のために質を求める人、生産者を応援したい人はちゃんと支払う。

そんな生産者と購入者をつなぐのにふさわしい場はどこでしょう?日本で地価負担を避けるにはどんな方法があるでしょう?

今はネットの時代。オンラインショップ+季節のイベントでしっかりコミュニティを作っているケースはいくらでもあります。
(そりゃ、スーパーがいくらか置いてくれるのはまったく歓迎ですが。そこを目指さなくてもよいのでは、ということです)

こちら、チーズで有名な共働学舎新得農場。究極のオーガニックと言える生乳をさらに理に適った方法でチーズにすることで付加価値を最大化。そのプロセスでいわゆる障がい者と呼ばれそうな人たちが素質を発揮しています。

現場はひとつひとつ違う。細かく分けて、深く見なくては。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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原因不明の病でこそ、新たに生まれ変わる

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

医療の症例検討会の通訳をしていると、ふと思うことがあります。

病には因果関係で説明がつくものと、つかないものがあると。

そりゃ、大酒を飲み過ぎて肝硬変になった、さんざんタバコをすって肺がんになった、などはまあそりゃそうだ、と思います。

でも、一滴もお酒を飲んでいないのに、タバコも吸ったことが無いのに、同じ病を得る方もあります。

因果関係がはっきりしないと、なおさら不運だったように思えるものです。

ある若い友人がうつ病になったときのこと。大切に育てられた彼の成育歴に「原因」らしきものは見当たりません。

すると、周りの人たちは本人がいないときに「あいつは甘やかされて育ったんだ」「世間体のいい家庭の中は本当は冷たいんだ」などと言い出したのです。まるで「恵み」まで疫病神扱いするように。私はこれに強い違和感を覚えました。

そして、病には、大酒のみの肝硬変のように過去からやってくるものと、彼のうつ病のように未来からやってくるものがあるのでは、と感じたのです。

未来からやってくる?

そう。過去が悪かったわけではありません。今も十分幸せ。でも今生の自分のつとめに今後出会うためには、今のままではちょっとおぼつかない。

そんなときに未来からの鍛錬として病が与えられることもあると思うのです。

世の中の流れから置いて行かれたような気持ちになり、死を想い、どん底を見る。生きながらこれまでの生を振り返る機会に恵まれて、甦る。そう、魂が病という体験を経て甦る。そんなこともあると思うのです。

うつだった青年は錆びやすく柔らかい鉄のようでしたが、いまでは鋼鉄のようにすっきりたくましいおじさんです。何年もかかりました。でも、あの体験がなければ今の自分はないと言っています。

病気になった自分を責めることはない。因果関係ばかりに説明を求めることもない。

今を抱きしめる。未来からの導きに任せる。

まあ、大酒のみ、ヘビースモーカーのみなさんは少し自分の健康を気にしてください。

どちらも猫はあたりまえのようにできているようですが。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子 プロフィール

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旅先の洗濯、おすすめはマグネシウム

旅先での洗濯に困ったことはありませんか?

私もそうです。通訳で出張するたび、国内外を問わず洗濯には困りました。

洗濯しないですむよう沢山の衣類を持ち歩くより、少しずつ洗濯しながら身軽でいたい。使った靴下や下着をいつまでもそのままにしておきたくない。

でもホテルのクリーニングはちょっと不安で割高。携帯用の洗濯洗剤は手洗いには多すぎるし、すすぎが大変。ホテルのボディーソープはなんだか心もとない…

そこで今使っているのは、地元の自然食品やさんで見つけたマグネシウム。

昨日、NHKでも紹介されて話題になっているようで。

普段、家の洗濯機で3個使っていますが、しばらく洗濯機を眺めているとぞっとするほど水が汚れてきます。出張にはこれを1つだけ持ち出します。

マグネシウム洗剤、まぐちゃん。レモンはサイズのご参考の為。

しくみは、マグネシウムが水と反応すると水素が発生して、界面活性剤の役割を果たすというもの。化学式で書くと、2H₂O +Mg→Mg(OH)₂+H₂のようで。

なによりすすぎが楽、柔軟剤もいりません。水質も選ばないようです。先日もブータンの水で満足な洗濯ができました。

まぐちゃんのサイトはこちら。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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ブータンの風呂水事情に思う

「え、冷たい…」
ブータンの首都ティンプーでも評判のホテル。通訳兼雑談(リサーチ)の仕事を終え、ゆっくりあったまって、シャンプーをして寝ようとしたものの…!浴槽にうっすらお湯を張ったところで蛇口からは冷水が。しかも泥の色がついています。やむなく湯あみだけして、洗髪は翌朝に持ち越しました。

他の部屋に泊まっていた同僚たちも同じ場面に遭遇していました。

「前はもっと大変だったのよ。」
「少しずつよくなっているから、もう暫くしたらちゃんとするはず。」
そんな声も聞こえてきます。

でも、私は違和感を覚えました。

よしとされる変化の方向が西洋的過ぎる。

用意されたあまりに西洋的な入れ物は、ブータン地元の中身にあっていない。

いいんです、水量を増やさなくても。そのかわり、西洋的なのっぺりとした浴槽ではなく、径が小さくても高さのある木製の浴槽を用意する。水量の限界を明示して、入浴方法を提案する。つまり、お客さんが地元の事情を理解し、予測しながら使い方をコントロールできるようにする。

確かにホテルは西洋的な施設です。その設備をアジアにすべて導入するには無理がある。半端になる。それが「劣っている、遅れている」と誤解される。追いつこうと頑張る。地元の文化が見えなくなる。悪循環です。

西洋的にちゃんとしたところで、来るのは西洋コンフォートゾーンを期待する人たち。

かつて、コペンハーゲンの空港で某日系フィルムメーカーのドイツ出身職員の方に話しかけられました。しばらくカメラの話題で盛り上がった後、この方は言ったのです。
「日本はいいよね。まだ西洋だから。アジアは無理。」
えー!!!!東京しか見てないでしょ、と言うと、まあそうだけど、とのことでした。

その次に来るのは価格競争でしょう。だめだめ、そんなの。



なんでもブータンには焼き石を活用した伝統的な薬湯があるそうではないですか。シティホテルでこれは無理としても、形骸的に西洋を追うことはしないでほしいと願います。

The hot stone bath at Amankora Gangtey (Credit: Adam H Graham)
http://www.bbc.com/travel/story/20150506-soaking-in-a-unique-bath-culture



持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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「すべての宗教はひとつの頂を目指す」?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

よく聞くんですよね。
「宗教はそれぞれに違う山道からひとつの頂を目指していると思うわ。」

そうだといいんですけど。耳ざわりもいいんですけど。なんだか違和感がありました。でも「違う」というほどの根拠もなく「うん、そうかもね」なんてお茶を濁していました。

でも…このごろふと思うのです。

方向が逆じゃない?

ウェールズの丘の頂では牛と馬が草を食み…

諸宗教はひとつの頂に収斂しようとしてきたのではなくて、ひとつの源からバラけ続けてきたのでは?それが人のさがなのでは?

人智を超える究極の存在が、世界各地で異なる現れ方をした。それぞれの現れ方を慕う集団が、組織を強固にするためにいろいろな説を加え、分裂を繰り返してきた。(ちなみにキリスト教が一神教で冷厳、日本は八百万の神で寛容、なんていうのは荒っぽい話です)

私は学校でキリストの世界観に驚き、キリスト教の「中の人」として育ちながら、家族の葬式仏教を離れるわけにもいかず、常に矛盾と緊張をかかえていました。10代のころはプロテスタントの急先鋒よろしく葬式仏教を理詰めで責め立てたこともあります。

それでも洗礼を受けるのは「違う」と感じてきました。「教会」の一員となることや、パウロの語る直線的な時間感覚に違和感があったのです。あまりに俗な葬式仏教にげんなりしながらも、父が大切にしていた般若心経の世界には惹かれていました。子どもの頃から、どちらか一つだけを居場所とできずに、ただ問いと共にここまで来ました。

そして思うのです。何かを選ぶことが他のすべてを否定することにつながるのはおかしいと。

ひとつを選ぶことが、他のすべてをも認めるような選び方もあるのではないかと。

そうでなければ、ひとつを選ぶ必要はない。

世界はひとつ。でも、人間は分けたがる。でも、世界はひとつ。

ヒントは「時間は直線的ではない」のようです。

おそまつさまでした。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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「赦されて在る」を翻訳で体験する

さる13日「『春と修羅 序』との再会」と銘打って、賢治の詩に向き合う贅沢なイベントを開きました。

読むと言ってもふだん私たちは本で文字を追うだけになりがち。具体的な散文ならともかく象徴的な韻文はこれでは歯が立ちません。「なんかわかった気がする」「なんだかよくわからない」で終わりがち。そこであえて英訳を通した深読みと言語造形を通すことにしたのです。導き手は平安時代の歌論がご専門のパトリック・ヘラー先生と大阪からお招きした言語造形の諏訪耕志先生。

はっとする再発見が続く中、こんな声も聞こえました。

「もとの日本語なら自分なりに感覚的に味わえていたのに、英語だとわかりにくい。なぜわざわざ英訳したのか。」

面白い!

なみいる参加者はプロとして通訳、翻訳にあたろうというツワモノばかり。そのなかからこういう根源的な問いが発せられるのは興味深いです。なにより忌憚なくものが言えているのがうれしい!

なぜ訳したのか、はそれぞれの訳者に訊いてみなければわからない動機もあります。

それは脇に置くとして、わたしは2つのことを思いました。

①日本語は母語であるがゆえに自分に甘くなっていないか。
感覚的にとらえている、というのは自分の好みにあわせて読んでいるのではないか。

②訳す、とはつらさ、謙虚さ、赦されてあることと不可分ではないか。
訳す、つまり外国語での表現を1つにしぼることは、ひとつの語、フレーズが持ちうるさまざまな意味のなかから、どれかひとつを主役に選び、他をわき役にすること。たとえば「こころ」はheart, mind, soul, spirit, feeling,いろんな顔がある。ぜんぶ引きずるわけにはいきません。ひとつふたつ選ぶことで、選ばなかった他の選択肢が、申し訳なさと共にかえって鮮明に見えてくるのです。日本語ですうっと読んでいてはこの苦しみはありません。さまざまな側面に気づかないままのこともあります。

翻訳するには、たいていのひとが読み飛ばしそうなところまで、この苦行のようなステップを繰り返します。「読み飛ばしているのに勝手に分かった気になる」は大いに防げるでしょう。

文学の訳は深く読む喜びと選ぶ哀しみを伴います。個人的に手元に納めておいたほうがよいのかもしれません。

ただ、それが求められて世に出るとなったら、訳した者はなぜそう訳したのか選びの過程をきちんと示し、批判に開かれてあること。読むものは感謝と寛容を忘れないこと。

このふたつが成立すると訳者としては「赦されてある」境地を味わうことになるのでしょう。 趣味を超えて、生きることの縮図のひとつを体験できるのでしょう。

このことをまさに宮沢賢治自身が「春と修羅 序」のなかで言っています。

「これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがえましょうが
それらも畢竟こころのひとつの風物です
ただたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとおりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとおりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるように
みんなのおのおののなかのすべてですから)

宮沢賢治「春と修羅 序」より

そんな思いから、私は今年は宮沢賢治とカリール・ジブラーンに向き合います。

ゲーテもこんなふうに言っています。
Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen.
外国語を知らぬ者は、自らの言語も知らない。
( Maximen und Reflexionen; II.; Nr. 23, 91 )

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シュタイナー関係の複数イベント同日開催はどうしたら?

「シュタイナー関係って同じ日にいくつもイベントが。」
「これじゃ人が集まるわけがない。」
「あれもこれも行きたいのに、ひとつしか行けない。」

お困りですか?さてどうしましょう。
みんなでスケジュールを共有して重ならないようにする?

ブー。

「あら、うちはそこの土曜日イベントがあるから、おたくは金曜日にして」
「おや、○○幼稚園さんが日曜にイベントあるから、うちは月曜にしよう。」

こんなやりとり成立するわけがない。

成立したとして、おんなじ面々が回遊魚みたいに見慣れた会場をうろうろするのって、どうでしょう?孤立して閉じた輪になるように思えます。

日にちをずらし合ってもどうにもなりません。無駄です。

やるべきことは2つ。

イベントはしずく。あなたの茎はなに?ちなみにこれはコリアンダー


①そのイベントに招きたい、痛みを和らげたい相手をしっかり絞る。想定外の人が来てもいいのです。イベントが誰にあてたラブレターかはっきりすること。相手のいないラブレターは気持ち悪い。

②オンラインとの組み合わせ。対面だけにたよらず、ふだんからオンラインを対面イベントの準備とフォローに活かすこと。対面とオンラインが両立しないイベントは軸があまいんでしょう。(どうしても単発でやりたいときは特別感を出せることを確認。)

そしてもうひとつ。私の個人的な項目ですが、そのイベントが、天にすでに描かれた大いなる計画を、わずかでも、できるだけ地上に写し取るこころみになりうるか思い巡らします。ここで違和感があったらストップ。

1年は365日しかない。週末は52回しかない。でも52回もある。連休も。

いくら重なってもいいのです。シュタイナー関係だけで見ているからシュタイナー関係同士で重なっていると錯覚する。サッカー、野球、町内会の新年会といくらでもイベントなんて重なっています。

あなたのラブレターの宛名は誰?

このごろ、あちこちのシュタイナー関係団体でご相談をうけます。今はとてもその時間はとれないけれど、もし、ウェブデザイン、紙モノデザイン、オンライン発信などの人財にめぐまれたら、そのときは、なんて思っています。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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拒食症だった私のもうひとつの本音

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

前回は拒食症だった私が、心の底で「人間都合優先の世界」に怒りを抱き、 生命力あふれるワイルドな世界での 採集狩猟生活を望んでいるらしいということを書きました。

採集狩猟生活への憧れには、表裏一体の、双子のような別の感情もありました。

それは「ここでは、本当は何もやりたくない」。
久しぶりに思い出しました。

高校生の頃、将来何になりたいかと訊かれるたびに困惑しました。職業名でスパッと答えられなかったのです。友人たちは見事に具体的に弁護士、医者、キュレーター、新聞記者…と答え、目標達成するべく小さなステップを着々と進んでいました。でも、私はどの職業を思い浮かべてもまるで心躍りませんでした。もちろん、身近にいろんな職業の大人はいました。彼らを人として尊敬はしても、その仕事に惹かれることはなかったのです。通訳になりたいなんて思ったこともありませんでした。

私の入りたい箱はここにない、という感じです。

それでも何もしないわけにはいきません。まあ、何か取り組めば、人並みにはできた。だから、大して好きでないこともなんとなく我慢して続ける変な癖がついたかもしれません。けれど、その程度のことは「本当は何もやりたくないくせに」のささやきが聴こえると、心の底ではすうっと冷めてしまっていたのです(まるで太宰治の「トカトントン」のよう)。

そういう文明社会不適応みたいなところは今もあるでしょうね。

それでもなんとか文明社会で折り合いをつけているのは他者の存在あってのことです。

自分にとってはいまいちなことも、それを他者が必要としている、他者の痛みを和らげることだったら、がぜん動けるのです。

自分の人生の意味など、自分だけで成立するはずなどない。そう思います。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子 プロフィール

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