千葉の〇〇学園、面白すぎます。

こんにちは。通訳藝術道場の冠木友紀子です。

千葉の○○学園…この学校名をきいたら、皆さん「え、あのすごく勉強する学校でしょ」と思うことでしょう。

まあ、それもそうなんですが、それだけでもないんです。

学外からいろんな大人を招いて、土曜講演会やゼミを開いたり、生徒が学外で発表して受賞したり。とにかく風通しがいいんです。

私も某「出前授業チーム」に招いていただいたのがきっかけで、この学校にご縁ができました。今は思いっきりわがままに楽しんでいます(経緯は割愛)。

夏の3日間朝から晩までのワークショップで1学期分ゼミを担当したとみなしてくださるのですから、自由です。ありがたい。(毎週90分のゼミに横浜から千葉に通うのは大変すぎます。)

今年も3日間、あっという間に過ぎました。そして、高校生の素晴らしいストーリーテリングに感服しました。

何をやっていたかというと…英語で話芸です。

正直、初日は焦りました。

だって、大喜利なんか朝飯前。立川志の輔さんの有名な小噺「ハイジャック」のオチもみんな見事に当てちゃうし…。

(ハイジャック概略:「おい、この飛行機はハイジャックした。おとなしく言うことを聴け。メキシコへ行け。」「バカか」「なんだと!メキシコへ行け」「〇〇〇〇」←ここを創作)

2日分のお話の素材が1日で尽きてしまう!小噺を増やしてもなんだか退屈だし、落語は一朝一夕では嘘くさいし…

ここで生徒諸君に相談すると、物語をアレンジして語ってみたい、という声が。

そこで「ロバを売りに行く親子」を提案しました。Doorways to the Soulに収録されている英語版です。

selective focus photography of gray donkey eating grass
Photo by Felix Mittermeier on Pexels.com

先刻ご承知かもしれませんが…ロバを売りたい親子はいまいち自信がなく、市場に着くまでにいろいろな人々の無責任な助言に翻弄され、ロバには逃げられるというお話です。

まず私が語り、少しずつ生徒諸君に語りに参加してもらい、だいたい渡せたところで今度は登場人物気分グラフ。少人数グループで気分グラフを互いに見せ合うことで、知らないうちに物語を語ることになります。

その後、インタビューもしました。登場人物(ロバ含む)役とマスコミ役にわかれてロールプレイです。ロバ役の男子生徒君、最高でした。少しの単語でも使い方次第で大爆笑になるんです!いい味出してました。

さて、ここで新たなミッション。「ハッピーエンドにお話を変える。」

どのアイデアも素晴らしかったのですが、これには皆一瞬静まりかえりました。

簡単に日本語で書きますと…

「市場に着くと、ロバコレクターのお金持ちから引き合いがありました。けれど突然、ロバが涙を流し悲しい鳴き声をあげはじめたのです。広場の隅のおんぼろ動物園に、赤ん坊のころ別れたお父さんロバを見つけたからです。ひとりぼっちになったお父さんはいっそう老けて見えました。農夫はロバが親子水入らずで暮らせるよう動物園にロバを寄付しようと決意します。周りの人たちは金持ちにロバを売れ、金持ちが寄付すればいい、と忠告します。今度ばかりは農夫も毅然と答えました。「寄付したいのは私の意志だ。売ってお金をもらったら、あとは買い主の思うままだ。お金をもらうより、いまは意志を実行したい。」人々は恥じ入り、感激しました。めいめい農夫に贈りものを持ち寄りました。おかげで農夫の奥さんも喜んだとさ。」

これを思いついた高校生は、2日間でこの部分だけでなく冒頭から全部英語で覚え、みんなの前で語ったのです。みんなも英語のうまいへた、正しい、間違っている、というものさしから自由になって、心できいていました。

心で生み出すものは心にしみいる。心のスイッチが入ると、頭だけで覚えられる限界の何倍ものことばが、あっというまに身につく。

そんなことを、みんな身をもって示してくれました。

この学校には9月初めに立川志の春さんが2回目のご登場です。もちろん行きますとも。

伝説の検定外教科書プログレス旧版で通訳養成の準備…のはずが、「育ちのよい英語」を教えられる先生が育っています。→英語の土台徹底リノベ講座

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【英詩講座レポート⑩】王様も悩ましい

通訳藝術道場の冠木友紀子です。

まったくブログが追い付いていませんが、英詩講座第10回のレポートです。この回はまたまた大物「詩篇23篇」です。

あの、「主はわが羊飼い」で始まる、ダビデ王の有名な詩篇。

私も、これまで礼拝や聖書の授業でなら何度となく触れる機会がありました。

中1のとき、校長先生が担当なさった聖書の授業で出た宿題を忘れもしません。詩篇を水彩で描くことでした。私ふくめ期限の授業で提出できなかった者たちは、教室でその理由を問われ、翌日校長室に持参することを約束しました。次の日、おそるおそる校長室を訪れ、絵を広げると…先生は笑顔で眺め、あれこれとお訊ねになり、それはそれは楽しいひとときでした。「提出期限は約束のひとつだから、次からは守るように。」と笑顔で念押しされ、送り出されたのを覚えています。(さもないと、宿題が遅れるのはラッキー、しめしめと思いかねない楽しさでした。)

ところが、この英語訳を詩としてとらえるのは初めてです。

詩の訳なんて意味がない?

たしかに音をそのまま生かすことはできません。でも、意味や情景を伝えることはできます。言語に新しい刺激を与えたりすることもあるんです。

今回はみなさんに欽定訳の詩篇23篇をよーく観察してもらいました。

A Psalm of David
The Lord is my Shepherd;
I shall not want.
He maketh me to lie down in green pastures;
He leadeth me beside the still waters.
He restoreth my soul;
He leadeth me in the paths of righteousness
for His name’ sake.
Yea, though I walk through
the valley of the shadow of death,
I will fear no evil:
For thou art with me;
Thy rod and thy staff, they comfort me.
Thou preparest a table before me
in the presence of mine enemies;
Thou annointeset my head with oil;
My cup runneth over.
Surely goodness and mercy shall follow me
all the days of my life,
and I will dwell in the House of the Lord forever
(King James Version)
ダビデのうた
ヱホバは我が牧者なり
われ乏しきことあらじ
ヱホバは我をみどりの野にふさせ
いこひの水濱にともなひたまふ
ヱホバはわが霊魂をいかし
名のゆゑをもて
我をただしき路にみちびき給ふ
たとひわれ死のかげの谷を
あゆむとも
禍害をおそれじ
なんぢ我とともに在せばなり
なんぢの笞なんぢの杖われを慰む
なんぢわが仇のまへに
我がために筵をまうけ
わが首にあぶらをそそぎたまふ
わが酒杯はあふるるなり
わが世にあらん限りはかならず
恩惠と憐憫とわれにそひきたらん
我はとこしへにヱホバの宮にすまん
(文語訳)

「ん?韻は踏んでませんね。」

そのとおり。

「これまでのもともと英語の英詩と何かちがう…」

何か違う、のは何かが多すぎるのですか?それとも少なすぎるのですか?あるいは思いがけないものが入っているのでしょうか?

「あ…少ないんです。というか、ほとんどないんです。」

なにが?

「形容詞や副詞が。」

そう、まさにそれがヘブライ詩の特徴です。

韻は踏みません。
新築マンションのチラシのように修飾語で飾り立てることもしません。

「3音節以上の語もありません!」

本当に!さっぱりしたヘブライ詩の特徴と「誰でも読める聖書を」と願ったティンダルの願いを合わせて受け継いでいるようですね。

また、詩篇23篇ではわかりにくいかもしれませんが、パラレリズムといって一つのことをいろいろ言い換えて繰り返すのもヘブライ詩の特徴です。

ここでは、神の恵みに守られたありようを「羊」になったつもりで描いたり、「敵の前に宴を」「わが頭に油を注ぎ」と人にもどって描いたりしています、

さて、つらい思いをしてこそ惹かれるのが「我れ死の影の谷を歩むとも、災いを恐れじ」の一節。

災いが「ない」のではなく「そりゃあるだろうけど、びびらない」のがいいじゃないですか。このごろはゼロ放射能とかゼロコロナじゃないと、とうい人までいるそうですから。

これはあどけない幼子には???な気分でしょう。自分は世界から切り離されている、という寂しさに気づくとされる3年生以上には覚えがあるでしょうか。

でも、王様ダビデもそんな思いを…?

David SM Maggiore.jpg
ダビデ像(ニコラス・コルディエ 於 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)

この一節でダビデが何を想ったのかは推測の域を出ませんが、ダビデはなかなか人間臭いエピソードが豊かです。絵画や彫刻のモチーフとしても魅力的なのは聖人君子ではないからかもしれません。

ダビデはイスラエル王国第2代の王です。在位期間は諸説ありますが、紀元前1000年を挟んでの数十年とされています。

王といってもダビデ自身が王子だったわけではありません。もとは初代王、サウルの宮廷にハープの名人として召し抱えられます。その賢さからサウルの息子と親しくなり、サウルの娘と結婚します。サウルを悩ませたペリシテ人との戦いでは、巨人ゴリアテの眉間に石を命中させた逸話が知られます(あのダビデ像です!!)。

ただ、ここまで魅力的だと嫉妬がつきものです。

なんとサウル王にうとまれ、命の危険にさらされます。サウル亡き後王位につき、イスラエルは繁栄したかに見えますが、すでに在位中から下り坂の兆しがちらほらと。なんとダビデ王自身が部下ウリヤの奥さんバテシバが水浴びをしている姿にムラムラし…ウリヤは絶望のあまり自ら命を絶ちます。預言者ナタンに厳しくとがめられ。ダビデは反省します。やがてバテシバとの間に生まれたソロモンが王位につきます。

いやはや…。

おまけに詩篇150篇をすべて自分で作ったとしたら…。

アウトプットすごすぎます。

ええ、詩篇にはダビデ含め複数の作者がいるとされています。なぜなら、神をヤハウェ、エロヒムと明らかに違う呼び方をしたり、ダビデの死後起きた出来事が含まれたりしているためです。

さて、第11回のヨハネの福音書冒頭「はじめにことばがあった」ももう済んでいまして、次回、最終回とシェイクスピアの「真夏の世の夢」「あらし」からセリフを詩として味わいます。

【シュタイナー学校の先生のための英詩講座 4年生シリーズ あと2回!】

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【英詩講座レポート⑧】人間はそんなに偉いか?-“Unstooping” by Walter De La Mare

第1回でとりあげたウォルター・デ・ラ・メア(1873-1956)。
Some Oneでは人間の世界の向こうに広がる、自然の世界の不思議を感じさせてくれましたー夜明け前の森の小屋の扉を叩くノックの音…扉を開けると誰もいなくて、向こうの森からはフクロウの声…

さて、今回は…?

え?なんだか人間中心、動物に優位?

え、まさかデ・ラ・メアが、そんな…

Unstooping 
                       Walter De La Mare 
 
Low on his fours the Lion 
Treads with the surly Bear;
But Men straight upward from the dust
Walk with their heads in air;
The free sweet winds of heaven,
The sunlight from on high
Beat on their clear bright cheeks and brows
As they go striding by;
The doors of all their houses
They arch so they may go,
Uplifted o’er the four-foot beasts,
Unstooping, to and fro.

1,2行目のLion, Bearは大文字でしかもtheがついています。
初登場でtheがついていると、ライオンのなかのライオン、ライオンたるもの、というふうに本質を体現する代表を示します。「ライオンは百獣の王である」のライオンはthe Lion ですが、「オスのライオンは子育ても狩りもせず昼寝ばかりしている」はthe ではなく、そんじょそこらのa lionです。

さて、のしのしと大地をふみしめる立派なザ・ライオン(ビール?)とザ・熊と対比される人間は…ただのMen。ザ・人間ではなくただの複数形の「人々」。3行目のdust (塵)からまっすぐ立ち上がる、のくだりは、土くれから作られたアダムが神様の息吹に魂をもって人として生き始めた、アダムの創造を想い起こします。

アダムの創造は1回きりではないのでしょう。
ひとりひとりがアダムであり、「人々」はそれぞれ日々創造され続けているのです。

そのことが、第2連の天の風と光という精神の糧を頬に受け続け、晴れやかな面差しでいる、あたりに現れているのではないでしょうか。

strideも大股でさっそうと歩いていて爽快です。

第3連、玄関扉がアーチしているのは直立姿勢を保つため、と聞いた子どもは、アーチ扉を見るたびに思わず姿勢を整えるでしょうね。

close up photography of brown lion
Photo by Pixabay on Pexels.com

直立、とは書きましたが、デ・ら・メアはuprightという言葉は使っていません。upliftedと過去分詞です、受け身です。人がまっすぐ立つのは自分の気合頼みではなく、天から引き上げられてのことなのだ、と思えます。

そして最終行はunstoopingとタイトルにもなっている語で始まります。

unstoopで辞書を引いてみてください。たいていの辞書にはないでしょう?。OEDでも用例は4,5文しか載っていません。そんな言葉、第一印象はきっと「造語」です。しかも否定の接頭辞unがついています。

人間は肯定文を想像し、それをもとに否定文を作ります。いきなり否定文は作れません。

Unstoopingの場合、まずstoop(身をかがめる)が目に浮かびます。これは受け身ではなく、自動詞の現在分詞です。自分でしちゃうんですね。

となると…どうも「人間よ、お前は動物より優位だ。世に君臨せよ」とはだいぶニュアンスが違います。そもそも「人間の皆さん」がそんなつもりになったらSDGsどころではありません。

実は、この詩に描かれている人間はそんな強者ではないように思うのです。

弱い人間が絶望にうなだれ、孤立するのは簡単。

だからこそ、他者と共に、自らのみをより頼むのではなく、天に任せ、望みをもって思うように歩み続けよ、と励ましているのではないでしょうか。

この詩が何年に書かれたのかは不明です。

ただ、1910年ごろから英仏露と独・オスマン・ハンガリーの関係が悪化し、戦争の暗雲が近づきます。

人間がみずからの内なる獣性に屈服し、互いに戦い続ける時代の到来です。
立派なライオン、立派な熊が呆れるようなことを人間が性懲りもなく続けた時代です。

そんな時代に飲み込まれた普通の人々を、この詩は激励しているように思います。

新コロ騒動をデ・ラ・メアだったらどう描くことでしょう。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座、明後日は何と旧約聖書、創世記の出だしです。
英語表現を深く理解するには、キリスト教の知識が不可欠です。一方通行講義はしません(できません)。ご参加の皆さんの疑問、発想を中心に一緒に旅をします。ぜひご参加ください。

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カタカナ怪談「ストーブにストウブで煮れば…」

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

いやー、カタカナは悩ましい!先月のことです…

「黒豆ならストーブをストーブにのせておけば…」
料理好きな友人のひとことに周りの人たちは目を白黒。

ストーブにストーブをのせる?燃えてまうがな。

いえいえ、のせるのは「ストウブ」。

フランス伝統の鉄製無水鍋で、素材の水分を活かしておいしく仕上がると人気です。

素材の水だけで驚きの美味に!

でもStaubという綴りはフランス語というより、ドイツ語に見えて仕方ありません。

なるほど、フランスと言ってもアルザスなのですね。ここはフランスとドイツが小競り合いを繰り返したところ。ドイツの単語もあちこちに残っています。アルザスの白ワインは甘くて、細いビンに入っていて、ドイツのワインのようです。

で…Staubは創業者のFrancis Staubさんの名前に由来しますが…フランスのFrancoisでもドイツのFrankでもないところがまたアルザスらしいような…

(実は、20年前に初めて公に通訳したのが、アルザス問題研究者のフランスの方の講演でした。このことはまた別稿にて。)

そして、Staubシュタウプはなんとドイツ語で「塵」。

人の名前は不思議です。映画「いまを生きる」でもPittsやMeeksをキーティング先生が「変わった名前」と言っています。

Staubをフランス読み、カタカナ書きすると、auはカフェオレの「オ」なので「ストーブ」でいいと思うのですが…よくない!!先客ありです。困った先客です。

ストーブはstove、律儀に書けば「ストウヴ」。いかにも日本のみなさんになじみませんねえ。それに、いわゆるストーブはheaterと呼ぶことが多いんです。

変な先客に居座られて、本当のストーブさんがお困りのようで。

英語の土台徹底リノベ講座はこちら。 Progress in English旧版が味方です。



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「夢を持つ」がピンとこないなら、ただ、〇〇を見ればいい。

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

昨日のブログをお読み下さったYさんから「夢は見るものでは」とコメントをいただきました。私もそう思います。だいたい、have a dream を夢を持て、と訳したのもまずい。haveは「持つ」に限りません。

さてさて、今回は「見る」についてとりあげます。

私たちは毎日おびただしい量の情報を「見ます」。あまりにおびただしいので、「いかに」「見て」いるか、など振り返る間もないかもしれません。

selective focus photography of brown and black tabby cat
Photo by Eliza Lensa on Pexels.com

ちょっと前に、青木さやかさんが「なに見てんのよー」とすごむ芸?がありました。

あれ、なかなか面白いと思うんです。見る、というと見る側が主体で、見られる側は何も感じない、死んでいる、ように思いがちですが…さにあらず!とはっきり言っていると思うんです。

視線は、注がれたものに作用する。

青木さやかさんは見られてお怒りのようですが…

子どもが、すごいなあ、と思って親を見上げる視線は…
生徒が、先生を見上げる視線は…
見られた大人をどれだけ喜びで満たし、励ましたことか。

あなたが憧れと敬いの目で相手を見ることは、見られた相手を「愛す」に等しいのです。

口幅ったいのですが…大学時代、私の目つきがよかったとも思えませんが、恩師にこう評されたことが今でも支えです。「教える立場につかされた者を奮い立たせ、その喜びを思いださせる、心の友なる学び手である。」

「夢」を無理やり「未来」の「自分」に押しつけることはない。

「夢」は「いま」あなたの周りの「他者」「世界」にある。
ひと、もの、ことをいいな、と思ったら、気が向いたときになぜいいと思ったのか考えてみてもいい。

バイトの先輩の接客に感動。なぜ?
大学の先生のイギリス英語に感動。なぜ?
魚屋さんの生きのよいおさかなに感動。なぜ?
ごみひとつない街路がシニアボランティアのおかげと知って感動、なぜ?
 
10年後の自分なんて考えなくても大丈夫。そんなひま、ないんじゃない?

あなたが今誰かに憧れの視線を注ぐように、10年後のあなたに誰かが憧れの視線を注ぎますように。大丈夫。

【言語の奥深い美しさに出会えば、生きる喜びと勇気が心の底から湧いてくる。
英語の土台徹底リノベ講座はこちらから。】

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「夢を持て」がピンとこないあなたに

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

私にとって大学での授業は、娘のような世代のひとたちの話を聞く楽しい、楽しいひととき。ところがこのコロナ禍、苦しい胸の内を聴くことも増えました。先週のCAになりたかった学生の次に授業後に残ったのは…

「わたし、先週のCAになりたいっていう○○さんみたいに思ったことがないんです。なりたい職業もないし、なりたい自分も別にない。失う夢もない。こんなの、変ですか?だめですか?どうしたらいいですか?」

あまりに思いつめた様子と裏腹に、彼女のまなざしはワイルド。

brown and gray bird
Photo by Jean van der Meulen on Pexels.com

「そういう自分を責めてるみたいだよね?」
「はい。」

まずそれをやめよう。

人はひとりずつ、植物、動物の1種に相当するくらい違ってる。そういえば蝶々や鳥みたいなお友達、いない?電車の中で秋刀魚や茄子みたいな雰囲気のおじさん見たことない?

見た目だけじゃなくて…本当にひとりひとりOSが違う。

夢を持つことで元気が出る、10年、20年後の自分を思い描くとワクワクする。それならそれでいい。たぶん、今はその路線が本でもセミナーでも売り出しやすいんでしょう。

でもね、これがピンとこない種族だっている。なにより私がそう。

私の感覚は…今どんなにすてきな10年後の自分を想像しても、そんなの未来を今で縛っているだけ。いま手にしていない何かを手にした未来の境地は、今からは想像つかないはず。想像できるとしたら、そんなの一昨日、昨日に実現していたはずの姿。実現が遅れているだけ。遅配の郵便。

あなたはもしかして、初めての街でもどこに郵便局、スーパー、病院、コンビニがあるか、なんとなくわかるんじゃない?初めてのビルでも迷わず最短距離でトイレに行けたりしない?

なら、本能と感覚、直感で今を深く生きるワイルド派。無理やり夢を描いても一時間後には忘れちゃうでしょうよ。

だから、夢を持つ派部族の友達と自分を比べて、あれこれ思いめぐらし、自分を責めるのをおやめなさい。

「じゃあ何したらいいですか。いま、自分の部屋で過ごしてばっかりですけど。」

まあ、このご時世ごもっとも。

2つのことをおすすめします。

ひとつは、自然に身を置くこと。山でも谷でも海でも池?でも結構。ワイルドおばさんの私も人間の想定を超えた場所が居場所として必要。でないと捕獲された狸みたいに目が濁っちゃう。三密なんていまだかつてない低山が近くにたくさんあるでしょう?

もうひとつは、本を読むこと。いろんな人に会って刺激を受ける、っていうけれど、会えるのって生きている人たち。これまで数千年の死んだ人たちとはどう会うの?霊媒?インチキもいるし、高いのもいる。でも、岩波文庫のソクラテスなら数百円で、大学の図書館ならタダ!

くれぐれも、課題図書や先生の推薦図書に縛られませんように。大好きな先生と好きを共有したいならいいけれど。

もっと大事なのは、「呼ばれてる」感覚。あなたを呼んでいると感じる本を手に取って。読んでみて違うな、と思ったらすぐに返せばいい。これを繰り返す。

図書館も山だよ。

silhouette of bird above clouds
Photo by Flo Maderebner on Pexels.com

確かにあなたがCAを夢見ているところはどうしても想像できない。だって、あなたは大鷲だからね。

英語の奥深い美しさに目をみはれば、心の底から勇気と元気が湧いてくるー
Progress in Englishで英語の土台徹底リノベ講座はこちらです。


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「CAになりたいけれど…」という大学生のあなたに

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

私が通訳や翻訳を教えている大学では多くの学生がCAに憧れています。今年、授業のあとで「ちょっといいですか…」と相談にのるのは、やはりコロナ禍でのCAの可能性のこと。

小さいころから憧れたCA。航空業界への就職も上々の大学に入ったのに、いきなり求人ありません!では…こんなはずじゃなかった!と思うのもごもっとも。

ただ、絶望することはありません。いっとき暗い気持ちになるのは無理もないとしても。

それより「CA」への自分の気持ちをもっと細かく調べる好機です。

CAのどんなところに惹かれたの?

容姿端麗?
てきぱき仕事をする?
おもてなしの上品さ?
お客さんの要望に応える柔軟さ?
チームワーク?
いろいろ、イロイロ…

「CA」を花に例えたら、あなたが感じた魅力は種のようなもの。
たとえCAの道が閉ざされても、その種がまかれるのを待つ土地はどこかにあるのでは?
たとえば、今ある仕事ならホテルのコンシェルジェ、リゾートやクルーズ船のスタッフ…

まだ存在しない仕事だって作れるかも…。作れなかったら就職する、くらいの気持ちでいたら?

CAの道が再び開かれたら、「種」を確かめたことが支えになることでしょう。

職業って時代とともに消えては生まれて来たもの。いまどき金魚売や夜泣き蕎麦は見かけないでしょう?でも昔は宅配便やユーチューバーはいなかった。

「種」を確かめたあなたが、いまをのびのびと過ごせますように。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座はこちらです。

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「あしあと」の詩、こっちのほうがいい!

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。
先日、教えている大学で学生の発想にうなりました。人類の未来は明るいぞ!

というのも…

生きていればいろんなことがあるものです。なかでも、苦しいと感じるのは、課題そのものより、孤独や自責の念が苦しみの原因では?と思うことがあります。そんな心に慰めと発想の大転換をもたらすのがこの詩、「あしあと」です。

筆者はマーガレット・フィーシュバク・パワーズさん。アメリカ出身の敬虔なクリスチャンです。

さて、これを紹介するときは…最後のひとことを伏せておくんです。まあ、いろいろなアイデアが出てくること、出てくること。みなさんも考えてみてください。

(すみません、この写真はスウェーデンの湖畔なんですが…きれいでしょ?)

Footprints in the Sand
by Margaret Fishback Powers

“One night I dreamed a dream.
ある晩私は夢を見た
As I was walking along the beach with my Lord.
砂浜を主とともに歩いていると
Across the dark sky flashed scenes from my life.
空を横切って瞬いたのは我が人生の出来事さまざま
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
そのひとつずつに、ふた組のあしあとが砂に残っていた
One belonging to me and one to my Lord.
ひと組は私、もうひと組は主のものが

After the last scene of my life flashed before me,
人生最後の場面が閃くと
I looked back at the footprints in the sand.
私は振り返って砂に残されたあしあとに目をやった
I noticed that at many times along the path of my life,
幾度も、人生の道すがら、
especially at the very lowest and saddest times,
ことさら沈みきり、悲しみ極まった時ばかり
there was only one set of footprints.
あしあとはひと組しかなかった

This really troubled me, so I asked the Lord about it.
このことにひどく苛まれ、私は主を質した
“Lord, you said once I decided to follow you,
「主よ、おっしゃいましたね、ひとたびあなたに従うと決めたなら
You’d walk with me all the way.
どこまでも私と共に歩いて下さると
But I noticed that during the saddest and most troublesome times of my life,
けれど、もっとも悲しく辛かったときに
there was only one set of footprints.
あしあとはひと組しかありませんでした。
I don’t understand why, when I needed You the most, You would leave me.”
わかりませんね、なぜ、心底居てほしかったときに、あなたは私を見放してばかりなのか。」

He whispered, “My precious child, I love you and will never leave you
主はささやいた。「いとしい我が子、大切なあなたを決して見放しなどしない。
Never, ever, during your trials and testings.
絶えて、決して、あなたの試練の時になど。
When you saw only one set of footprints,
あなたの目にひと組のあしあとしか映らなかったのは…

さーて、この後の締めの一言をお願いします。

ある港区の私学女子中高ではあまりに自罰的なアイデアばかりなので大変心配しました。
「それがお前にはちょうどいい教訓になる。」
「ひとりで歩けないようではだめだ。」
ええー。

今回、F大学で紹介したら、まあ、ブレイクアウトルームでアイデア出しの時間が大盛り上がりで面白いこと!精選して、クラスでおおー!と声が上がったのがこちらです。
「I was walking ahead of you so that you could follow me stepping into my footprint.」

いいじゃない!オリジナルよりいいじゃない!オリジナルはこれです。It was then that I carried you。

だっこやおんぶよりいいじゃない!自分もちゃんと歩いている。Jesusの背中を目の前にして。

これを提案したのは雪国育ちの学生。さすが、みんなの心をとらえました。画面上の彼女の真っ白に見える窓の向こうは大雪。関東の学生たちはえーっと声をあげました。

人が「想定外」と呼ぶ苦しみや悲しみを、一歩先んじてすべて味わいつくしどこまでも共にある存在。それをキリストと呼ぶのだ、福島という子羊の一歩先を歩き続けるのだ、と思った2011年の春を思い出しました。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 こちらです。

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バイデン大統領、就任演説のなかのAmerican Anthemとは?

なんとか無事終わったアメリカ大統領就任式。

バイデン大統領の演説にはジョージ・ワシントンの名も登場。
あちこちにリンカーンのゲティスバーグ演説のフレーズも見られました。

たとえばリンカーンがゲティスバーグの戦地をあらためて墓地として呼ぶときthis hallowed groundと呼んだのを連邦議事堂前の描写に使っています。

testもバイデンさん何度も使っています。リンカーンもtesting whether that nation or any nation so conceived can long endure…と。

the last full measure of devotion などこれを聴いてリンカーンを思い出さないとしたらわかったつもりでわかってない、でしょう。

さて、いろんな人物や地名が盛り込まれたスピーチのなかにAmerican Anthemというひとことがありました。

これは「星条旗よ永遠なれ」ではありません。割と新しい歌で、初演はスミソニアン協会の式典で、クリントン大統領夫妻を前にDenyce Gravesというメゾソプラノの歌手がい歌ったときだそうです。

いったんは訛って訳した方が歌いやすいべな、と思ったのですが、その格調高さに、あわてて讃美歌日本語をかきあつめてみました。

All we’ve been given
By those who came before
The dream of a nation
Where freedom would endure
The work and prayers
Of centuries
Have brought us to this day

What shall be our legacy?
What will our children say?
Let them say of me
I was one who believed
In sharing the blessings
I received
Let me know in my heart
When my days are through
America
America
I gave my best to you

Each generation from the plains
To distant shore with the gifts
What they were given
Were determined
To leave more
Valiant battles fought together
acts of conscience fought alone
these are the seeds
From which America has grown

Let them say of me
I was one who believed
In sharing the blessings
I received
Let me know in my heart
When my days are through
America
America
I gave my best to you

For those who think
They have nothing to share
Who fear in their hearts
There is no hero there
Know each quiet act
Of dignity is
That which fortifies
The soul of a nation
That never dies

Let them say of me
I was one who believed
In sharing the blessings
I received
Let me know in my heart
When my days are through
America
America
I gave my best to you
我ら受けしすべては
先に来りし者らより
その国の望みは
この地の自由久しくあれと、
働き、祈りの
幾世紀
そして今日我らあり

何を我らは遺しゆく
如何に子らは我らを語る
子らに我をかく語らせむ
かの人信念のもと
受けし恵みを
分かち合えり
我が心に知らしめよ
我が日の尽きるとき
アメリカよ
アメリカよ
我汝に最善を捧げたりと

大平原より、はるかなる海辺より
おのがじし世代、賜物たずさえ来る
その賜物の定めには
さらに遺せと
雄々しき戦は共に闘い
善なる行い身一つで
これらを種に
アメリカ育つ

子らに我をかく語らせむ
かの人信念のもと
受けし恵みを
分かち合えり
我が心に知らしめよ
我が日の尽きるとき
アメリカよ
アメリカよ
我汝に最善を捧げたりと

何ら分かち合うべきもの
無しと思う者
恐れを心にいだく者
其処にいさお無し
思い知れ、静けく
気高き行いは
国の魂に
力をあたえ
死に絶ゆることなし

子らをして我をかく語らせむ
かの人信念のもと
受けし恵みを
分かち合えり
我が心に知らしめよ
我が日の尽きるとき
アメリカよ
アメリカよ
我汝に最善を捧げたりと

シュタイナー学校の先生のための英詩講座はこちら。

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新コロ騒動が開花させたチカラとは

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場主宰の冠木友紀子です。

新コロ騒動どうなりますやら。

皆さんそれぞれにこれまで通りでない生活に多少のご苦労がおありのことでしょう。

私はオサンドンと皿洗いが3日続いたときは、ダイニングの一隅に竹藪のパンダよろしく微動だにせず座って食べ続ける家人にキレました。ただ、パンダさんはおサルさんがキレても「???」。おサルさんはビールだか何かのおまけで貰って山ほどたまったダサいガラスコップを2つばかりオシャカにしました。

お耳汚しでございました。

でもね、私はおおっ!と感激していることがあるんです(パンダ氏にではなく)。

それは、セルフモニタリングの力。

大学の短縮授業はオンラインです。驚異の出席率に貢献度。なにがこれまでと違う…?

なるほど…ふだんは授業中に自分ではクラスメートも自分もそれほどよく見ていません。先生は教室をウロウロ。「へ、私のことなんかそんなに見てないでしょ。」

ところがZoomだと先生もみんなも、そしてなんと自分もモニターで同じように見える!

つまり、ずっと鏡を見ている状態になるんです。

ビデオをオンにする効果は絶大です。

人間は自分のことがいちばん気になる。こんなんでいいのか!と思う、修整する。これがセルフモニタリングの力です。先生にやいのやいの言われるより効果絶大。

オンライン授業にはできないことも沢山。でも、このセルフモニタリング着火はリアルよりよほどうまくいく。

というわけで、新コロ騒動も悪いことばかりではありません。それぞれ女優たるべく気が済むまで精進し、せいぜい「ごきげん」でいましょう。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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