カタカナ怪談「ストーブにストウブで煮れば…」

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

いやー、カタカナは悩ましい!先月のことです…

「黒豆ならストーブをストーブにのせておけば…」
料理好きな友人のひとことに周りの人たちは目を白黒。

ストーブにストーブをのせる?燃えてまうがな。

いえいえ、のせるのは「ストウブ」。

フランス伝統の鉄製無水鍋で、素材の水分を活かしておいしく仕上がると人気です。

素材の水だけで驚きの美味に!

でもStaubという綴りはフランス語というより、ドイツ語に見えて仕方ありません。

なるほど、フランスと言ってもアルザスなのですね。ここはフランスとドイツが小競り合いを繰り返したところ。ドイツの単語もあちこちに残っています。アルザスの白ワインは甘くて、細いビンに入っていて、ドイツのワインのようです。

で…Staubは創業者のFrancis Staubさんの名前に由来しますが…フランスのFrancoisでもドイツのFrankでもないところがまたアルザスらしいような…

(実は、20年前に初めて公に通訳したのが、アルザス問題研究者のフランスの方の講演でした。このことはまた別稿にて。)

そして、Staubシュタウプはなんとドイツ語で「塵」。

人の名前は不思議です。映画「いまを生きる」でもPittsやMeeksをキーティング先生が「変わった名前」と言っています。

Staubをフランス読み、カタカナ書きすると、auはカフェオレの「オ」なので「ストーブ」でいいと思うのですが…よくない!!先客ありです。困った先客です。

ストーブはstove、律儀に書けば「ストウヴ」。いかにも日本のみなさんになじみませんねえ。それに、いわゆるストーブはheaterと呼ぶことが多いんです。

変な先客に居座られて、本当のストーブさんがお困りのようで。

英語の土台徹底リノベ講座はこちら。 Progress in English旧版が味方です。



Please follow and like us:
error

「夢を持つ」がピンとこないなら、ただ、〇〇を見ればいい。

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

昨日のブログをお読み下さったYさんから「夢は見るものでは」とコメントをいただきました。私もそう思います。だいたい、have a dream を夢を持て、と訳したのもまずい。haveは「持つ」に限りません。

さてさて、今回は「見る」についてとりあげます。

私たちは毎日おびただしい量の情報を「見ます」。あまりにおびただしいので、「いかに」「見て」いるか、など振り返る間もないかもしれません。

selective focus photography of brown and black tabby cat
Photo by Eliza Lensa on Pexels.com

ちょっと前に、青木さやかさんが「なに見てんのよー」とすごむ芸?がありました。

あれ、なかなか面白いと思うんです。見る、というと見る側が主体で、見られる側は何も感じない、死んでいる、ように思いがちですが…さにあらず!とはっきり言っていると思うんです。

視線は、注がれたものに作用する。

青木さやかさんは見られてお怒りのようですが…

子どもが、すごいなあ、と思って親を見上げる視線は…
生徒が、先生を見上げる視線は…
見られた大人をどれだけ喜びで満たし、励ましたことか。

あなたが憧れと敬いの目で相手を見ることは、見られた相手を「愛す」に等しいのです。

口幅ったいのですが…大学時代、私の目つきがよかったとも思えませんが、恩師にこう評されたことが今でも支えです。「教える立場につかされた者を奮い立たせ、その喜びを思いださせる、心の友なる学び手である。」

「夢」を無理やり「未来」の「自分」に押しつけることはない。

「夢」は「いま」あなたの周りの「他者」「世界」にある。
ひと、もの、ことをいいな、と思ったら、気が向いたときになぜいいと思ったのか考えてみてもいい。

バイトの先輩の接客に感動。なぜ?
大学の先生のイギリス英語に感動。なぜ?
魚屋さんの生きのよいおさかなに感動。なぜ?
ごみひとつない街路がシニアボランティアのおかげと知って感動、なぜ?
 
10年後の自分なんて考えなくても大丈夫。そんなひま、ないんじゃない?

あなたが今誰かに憧れの視線を注ぐように、10年後のあなたに誰かが憧れの視線を注ぎますように。大丈夫。

【言語の奥深い美しさに出会えば、生きる喜びと勇気が心の底から湧いてくる。
英語の土台徹底リノベ講座はこちらから。】

Please follow and like us:
error

「夢を持て」がピンとこないあなたに

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

私にとって大学での授業は、娘のような世代のひとたちの話を聞く楽しい、楽しいひととき。ところがこのコロナ禍、苦しい胸の内を聴くことも増えました。先週のCAになりたかった学生の次に授業後に残ったのは…

「わたし、先週のCAになりたいっていう○○さんみたいに思ったことがないんです。なりたい職業もないし、なりたい自分も別にない。失う夢もない。こんなの、変ですか?だめですか?どうしたらいいですか?」

あまりに思いつめた様子と裏腹に、彼女のまなざしはワイルド。

brown and gray bird
Photo by Jean van der Meulen on Pexels.com

「そういう自分を責めてるみたいだよね?」
「はい。」

まずそれをやめよう。

人はひとりずつ、植物、動物の1種に相当するくらい違ってる。そういえば蝶々や鳥みたいなお友達、いない?電車の中で秋刀魚や茄子みたいな雰囲気のおじさん見たことない?

見た目だけじゃなくて…本当にひとりひとりOSが違う。

夢を持つことで元気が出る、10年、20年後の自分を思い描くとワクワクする。それならそれでいい。たぶん、今はその路線が本でもセミナーでも売り出しやすいんでしょう。

でもね、これがピンとこない種族だっている。なにより私がそう。

私の感覚は…今どんなにすてきな10年後の自分を想像しても、そんなの未来を今で縛っているだけ。いま手にしていない何かを手にした未来の境地は、今からは想像つかないはず。想像できるとしたら、そんなの一昨日、昨日に実現していたはずの姿。実現が遅れているだけ。遅配の郵便。

あなたはもしかして、初めての街でもどこに郵便局、スーパー、病院、コンビニがあるか、なんとなくわかるんじゃない?初めてのビルでも迷わず最短距離でトイレに行けたりしない?

なら、本能と感覚、直感で今を深く生きるワイルド派。無理やり夢を描いても一時間後には忘れちゃうでしょうよ。

だから、夢を持つ派部族の友達と自分を比べて、あれこれ思いめぐらし、自分を責めるのをおやめなさい。

「じゃあ何したらいいですか。いま、自分の部屋で過ごしてばっかりですけど。」

まあ、このご時世ごもっとも。

2つのことをおすすめします。

ひとつは、自然に身を置くこと。山でも谷でも海でも池?でも結構。ワイルドおばさんの私も人間の想定を超えた場所が居場所として必要。でないと捕獲された狸みたいに目が濁っちゃう。三密なんていまだかつてない低山が近くにたくさんあるでしょう?

もうひとつは、本を読むこと。いろんな人に会って刺激を受ける、っていうけれど、会えるのって生きている人たち。これまで数千年の死んだ人たちとはどう会うの?霊媒?インチキもいるし、高いのもいる。でも、岩波文庫のソクラテスなら数百円で、大学の図書館ならタダ!

くれぐれも、課題図書や先生の推薦図書に縛られませんように。大好きな先生と好きを共有したいならいいけれど。

もっと大事なのは、「呼ばれてる」感覚。あなたを呼んでいると感じる本を手に取って。読んでみて違うな、と思ったらすぐに返せばいい。これを繰り返す。

図書館も山だよ。

silhouette of bird above clouds
Photo by Flo Maderebner on Pexels.com

確かにあなたがCAを夢見ているところはどうしても想像できない。だって、あなたは大鷲だからね。

英語の奥深い美しさに目をみはれば、心の底から勇気と元気が湧いてくるー
Progress in Englishで英語の土台徹底リノベ講座はこちらです。


Please follow and like us:
error

「CAになりたいけれど…」という大学生のあなたに

持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

私が通訳や翻訳を教えている大学では多くの学生がCAに憧れています。今年、授業のあとで「ちょっといいですか…」と相談にのるのは、やはりコロナ禍でのCAの可能性のこと。

小さいころから憧れたCA。航空業界への就職も上々の大学に入ったのに、いきなり求人ありません!では…こんなはずじゃなかった!と思うのもごもっとも。

ただ、絶望することはありません。いっとき暗い気持ちになるのは無理もないとしても。

それより「CA」への自分の気持ちをもっと細かく調べる好機です。

CAのどんなところに惹かれたの?

容姿端麗?
てきぱき仕事をする?
おもてなしの上品さ?
お客さんの要望に応える柔軟さ?
チームワーク?
いろいろ、イロイロ…

「CA」を花に例えたら、あなたが感じた魅力は種のようなもの。
たとえCAの道が閉ざされても、その種がまかれるのを待つ土地はどこかにあるのでは?
たとえば、今ある仕事ならホテルのコンシェルジェ、リゾートやクルーズ船のスタッフ…

まだ存在しない仕事だって作れるかも…。作れなかったら就職する、くらいの気持ちでいたら?

CAの道が再び開かれたら、「種」を確かめたことが支えになることでしょう。

職業って時代とともに消えては生まれて来たもの。いまどき金魚売や夜泣き蕎麦は見かけないでしょう?でも昔は宅配便やユーチューバーはいなかった。

「種」を確かめたあなたが、いまをのびのびと過ごせますように。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座はこちらです。

Please follow and like us:
error

「あしあと」の詩、こっちのほうがいい!

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。
先日、教えている大学で学生の発想にうなりました。人類の未来は明るいぞ!

というのも…

生きていればいろんなことがあるものです。なかでも、苦しいと感じるのは、課題そのものより、孤独や自責の念が苦しみの原因では?と思うことがあります。そんな心に慰めと発想の大転換をもたらすのがこの詩、「あしあと」です。

筆者はマーガレット・フィーシュバク・パワーズさん。アメリカ出身の敬虔なクリスチャンです。

さて、これを紹介するときは…最後のひとことを伏せておくんです。まあ、いろいろなアイデアが出てくること、出てくること。みなさんも考えてみてください。

(すみません、この写真はスウェーデンの湖畔なんですが…きれいでしょ?)

Footprints in the Sand
by Margaret Fishback Powers

“One night I dreamed a dream.
ある晩私は夢を見た
As I was walking along the beach with my Lord.
砂浜を主とともに歩いていると
Across the dark sky flashed scenes from my life.
空を横切って瞬いたのは我が人生の出来事さまざま
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
そのひとつずつに、ふた組のあしあとが砂に残っていた
One belonging to me and one to my Lord.
ひと組は私、もうひと組は主のものが

After the last scene of my life flashed before me,
人生最後の場面が閃くと
I looked back at the footprints in the sand.
私は振り返って砂に残されたあしあとに目をやった
I noticed that at many times along the path of my life,
幾度も、人生の道すがら、
especially at the very lowest and saddest times,
ことさら沈みきり、悲しみ極まった時ばかり
there was only one set of footprints.
あしあとはひと組しかなかった

This really troubled me, so I asked the Lord about it.
このことにひどく苛まれ、私は主を質した
“Lord, you said once I decided to follow you,
「主よ、おっしゃいましたね、ひとたびあなたに従うと決めたなら
You’d walk with me all the way.
どこまでも私と共に歩いて下さると
But I noticed that during the saddest and most troublesome times of my life,
けれど、もっとも悲しく辛かったときに
there was only one set of footprints.
あしあとはひと組しかありませんでした。
I don’t understand why, when I needed You the most, You would leave me.”
わかりませんね、なぜ、心底居てほしかったときに、あなたは私を見放してばかりなのか。」

He whispered, “My precious child, I love you and will never leave you
主はささやいた。「いとしい我が子、大切なあなたを決して見放しなどしない。
Never, ever, during your trials and testings.
絶えて、決して、あなたの試練の時になど。
When you saw only one set of footprints,
あなたの目にひと組のあしあとしか映らなかったのは…

さーて、この後の締めの一言をお願いします。

ある港区の私学女子中高ではあまりに自罰的なアイデアばかりなので大変心配しました。
「それがお前にはちょうどいい教訓になる。」
「ひとりで歩けないようではだめだ。」
ええー。

今回、F大学で紹介したら、まあ、ブレイクアウトルームでアイデア出しの時間が大盛り上がりで面白いこと!精選して、クラスでおおー!と声が上がったのがこちらです。
「I was walking ahead of you so that you could follow me stepping into my footprint.」

いいじゃない!オリジナルよりいいじゃない!オリジナルはこれです。It was then that I carried you。

だっこやおんぶよりいいじゃない!自分もちゃんと歩いている。Jesusの背中を目の前にして。

これを提案したのは雪国育ちの学生。さすが、みんなの心をとらえました。画面上の彼女の真っ白に見える窓の向こうは大雪。関東の学生たちはえーっと声をあげました。

人が「想定外」と呼ぶ苦しみや悲しみを、一歩先んじてすべて味わいつくしどこまでも共にある存在。それをキリストと呼ぶのだ、福島という子羊の一歩先を歩き続けるのだ、と思った2011年の春を思い出しました。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 こちらです。

Please follow and like us:
error

バイデン大統領、就任演説のなかのAmerican Anthemとは?

なんとか無事終わったアメリカ大統領就任式。

バイデン大統領の演説にはジョージ・ワシントンの名も登場。
あちこちにリンカーンのゲティスバーグ演説のフレーズも見られました。

たとえばリンカーンがゲティスバーグの戦地をあらためて墓地として呼ぶときthis hallowed groundと呼んだのを連邦議事堂前の描写に使っています。

testもバイデンさん何度も使っています。リンカーンもtesting whether that nation or any nation so conceived can long endure…と。

the last full measure of devotion などこれを聴いてリンカーンを思い出さないとしたらわかったつもりでわかってない、でしょう。

さて、いろんな人物や地名が盛り込まれたスピーチのなかにAmerican Anthemというひとことがありました。

これは「星条旗よ永遠なれ」ではありません。割と新しい歌で、初演はスミソニアン協会の式典で、クリントン大統領夫妻を前にDenyce Gravesというメゾソプラノの歌手がい歌ったときだそうです。

いったんは訛って訳した方が歌いやすいべな、と思ったのですが、その格調高さに、あわてて讃美歌日本語をかきあつめてみました。

All we’ve been given
By those who came before
The dream of a nation
Where freedom would endure
The work and prayers
Of centuries
Have brought us to this day

What shall be our legacy?
What will our children say?
Let them say of me
I was one who believed
In sharing the blessings
I received
Let me know in my heart
When my days are through
America
America
I gave my best to you

Each generation from the plains
To distant shore with the gifts
What they were given
Were determined
To leave more
Valiant battles fought together
acts of conscience fought alone
these are the seeds
From which America has grown

Let them say of me
I was one who believed
In sharing the blessings
I received
Let me know in my heart
When my days are through
America
America
I gave my best to you

For those who think
They have nothing to share
Who fear in their hearts
There is no hero there
Know each quiet act
Of dignity is
That which fortifies
The soul of a nation
That never dies

Let them say of me
I was one who believed
In sharing the blessings
I received
Let me know in my heart
When my days are through
America
America
I gave my best to you
我ら受けしすべては
先に来りし者らより
その国の望みは
この地の自由久しくあれと、
働き、祈りの
幾世紀
そして今日我らあり

何を我らは遺しゆく
如何に子らは我らを語る
子らに我をかく語らせむ
かの人信念のもと
受けし恵みを
分かち合えり
我が心に知らしめよ
我が日の尽きるとき
アメリカよ
アメリカよ
我汝に最善を捧げたりと

大平原より、はるかなる海辺より
おのがじし世代、賜物たずさえ来る
その賜物の定めには
さらに遺せと
雄々しき戦は共に闘い
善なる行い身一つで
これらを種に
アメリカ育つ

子らに我をかく語らせむ
かの人信念のもと
受けし恵みを
分かち合えり
我が心に知らしめよ
我が日の尽きるとき
アメリカよ
アメリカよ
我汝に最善を捧げたりと

何ら分かち合うべきもの
無しと思う者
恐れを心にいだく者
其処にいさお無し
思い知れ、静けく
気高き行いは
国の魂に
力をあたえ
死に絶ゆることなし

子らをして我をかく語らせむ
かの人信念のもと
受けし恵みを
分かち合えり
我が心に知らしめよ
我が日の尽きるとき
アメリカよ
アメリカよ
我汝に最善を捧げたりと

シュタイナー学校の先生のための英詩講座はこちら。

Please follow and like us:
error

新コロ騒動が開花させたチカラとは

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場主宰の冠木友紀子です。

新コロ騒動どうなりますやら。

皆さんそれぞれにこれまで通りでない生活に多少のご苦労がおありのことでしょう。

私はオサンドンと皿洗いが3日続いたときは、ダイニングの一隅に竹藪のパンダよろしく微動だにせず座って食べ続ける家人にキレました。ただ、パンダさんはおサルさんがキレても「???」。おサルさんはビールだか何かのおまけで貰って山ほどたまったダサいガラスコップを2つばかりオシャカにしました。

お耳汚しでございました。

でもね、私はおおっ!と感激していることがあるんです(パンダ氏にではなく)。

それは、セルフモニタリングの力。

大学の短縮授業はオンラインです。驚異の出席率に貢献度。なにがこれまでと違う…?

なるほど…ふだんは授業中に自分ではクラスメートも自分もそれほどよく見ていません。先生は教室をウロウロ。「へ、私のことなんかそんなに見てないでしょ。」

ところがZoomだと先生もみんなも、そしてなんと自分もモニターで同じように見える!

つまり、ずっと鏡を見ている状態になるんです。

ビデオをオンにする効果は絶大です。

人間は自分のことがいちばん気になる。こんなんでいいのか!と思う、修整する。これがセルフモニタリングの力です。先生にやいのやいの言われるより効果絶大。

オンライン授業にはできないことも沢山。でも、このセルフモニタリング着火はリアルよりよほどうまくいく。

というわけで、新コロ騒動も悪いことばかりではありません。それぞれ女優たるべく気が済むまで精進し、せいぜい「ごきげん」でいましょう。

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

Please follow and like us:
error

私は英語教育業界が苦手です。

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場★横浜CATS主宰の冠木友紀子です。

英語が話せるようになりたい、と思いながらも英語の先生に違和感を覚えたことはありませんか?

実は、私は英語教育界が大の苦手です。独身時代は毎週のようにどこかの英語教員研修に参加していました。自分が日本一英語を教えるのが上手だと思っている先生たちにも30人くらい会いました。でも「心」に響く体験はわずかでした。女性の先生に多い黄色い声、ハイテンションにはついていけません。「伝えたいっていう気持ちが大事、コミュニケーションは発信力」なんてしらふで言われると「まずおたくのダンナで試してみたまえ」と心の中で呟きます。

この違和感の正体がやっとはっきりしました。言語造形家の諏訪耕志先生のオンライン講座のおかげです。

下心がないものは美しい。

この講座では、シュタイナーが教員対象に教育の土台としての人間観を説いた講座「一般人間学」を読んでいます。さる土曜の講座は第2章の核心でした。ひとりで読んでいると3Dの画集がいつまでも2Dにしか見えない気分ですが、諏訪先生のお話を伺うと3Dの像を結び始めます。

今回のテーマは「教育は芸術である」(「芸術的」ではない)「芸術とはなにか」でした。

ひとつの答えとして諏訪先生は「芸術は死せるものに生命をもたらす取り組みである」という見方を示されました。

死せる言葉に心動かし、身体を動かし、声に出すとき、言葉はまた生命を得る。このいとなみが芸術であり、炊事、掃除なども真心をこめて専心することで芸術でありうる。だから、誰もが何らかの仕方で取り組むことができること、と私は受け止めました。

そこで思い出したのが…ドナルド・キーンさんが大学の図書館で源氏物語が少しでも読めたときの喜び…古代ギリシャを語るICUの川島先生のギリシャが好きで、もう嬉しくてしょうがない、というお顔をお声。いつまでも少年のようなお2人は、「なんの下心もなく、無私に、愛する領域に仕え、生き生きとしている。その領域を手段化することはない」が共通点です。

ほとんどの英語教育はその逆でしょう。「グローバルに活躍する、年収を上げる(ウソウソ)、就職を有利にするなどの下心で、自己中心的に、なるべく楽をして、英語を手段として使ってやろう」としているのではないでしょうか。

このほうがマーケットは大きい。もうかる。でも、これはものぐさ略奪者の態度であって、文化遺産を継承する者の態度ではありません。どう考えても私にはムリです。

私にはたったひとつの試金石があれば十分です。「この取り組みは死せるものに命をもたらすか。」

あたためている企画、明日発表します!

通訳指導者 冠木友紀子のプロフィール

Please follow and like us:
error

お家で出来るお子さんにおススメの運動はコレ!

持続可能な未来のための通訳者、通訳道場主宰の冠木友紀子です。

首都圏は幼稚園、学校もまだ休校が続いていますね。如何お過ごしですか?

お家でオンライン勉強、ゲームをして過ごす子どもたちの運動不足、疲れ目が心配ですね。 かといって家の中で球技というわけにもいきませんし、ヨガも子どもには渋い。

そこで、道具もお金もいらず、家族みんなでできる運動をお勧めします。

それは…ハイハイ!

バカバカしいと思う大人はまず自分でおやりください。びっくりしますよ。肩、背、腰が気持ちよいでしょう?自然が備えた動きはそれ自体マッサージになります。

床の汚さにびっくりした方は、ぜひお子さんと雑巾もちでハイハイしてください。

ハイハイはとても大切です!子どもたちにとっては歩くための大切な準備。身体の左右、上下各部分が独立しつつ(別の部分につられて、ではなく)協調して動くためのすばらしい練習です。学習や運動に影響する反射の抑制にも大いに関わりがあります。

なのに!今日の子どもたちはハイハイ不足になりがちです。ハイハイに最高の畳の和室は少なくなり、代わりにつかまり立ちしやすい洋家具が増えました。

私が赤ちゃんだったのは半世紀も前のことで、和室もちゃんとありました。でも母によると私は座ったかと思うとハイハイを抜かしてぬっと立ち上がり、べらべら喋り出したそうです。お釈迦様みたいですねえ。

そんなわけで、小学校では「お勉強」は朝飯前でも、逆上がり、球技が苦手、かけっこはビリ、机はぐちゃぐちゃ。いっそお勉強もできなかった方が楽だったかもしれません。大学では大量の英語文献読書課題も3行で寝てしまい、大苦労。

それが手、足、目の運動協調がまずく、ひたすら耳で学んできたせいとわかったのはたった10年前のこと。イギリスの神経生理心理学研究所(INPP)で運動・感覚発達と学習の関連を学んだ時でした。

INPP、サリー・ブライズ所長のロングセラー、いよいよ日本語で読めるようになります。

ハイハイを甘く見てはいけません。ハイハイに遅すぎることはありません

ハイハイの前後の運動=寝返り、お座り、立つ、歩くは結構やっているので心配いらないでしょう。でもハイハイだけは置いてきぼり。お掃除、レース、猫とサッカーなどなど工夫してお楽しみください。

INPPのロングセラー「ウェルバランス・キッズ―動いて遊んで子どもは育つ」(仮)、日本語版が私の翻訳で合同出版さんからお目見えします。お楽しみに。

冠木友紀子のプロフィール

Please follow and like us:
error

「見えない敵からいのちを守る」への違和感

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

新コロ騒動、収束への道のりが見えません。粉骨砕身がんばっている医療関係者、介護職の皆さん、保育士さんたちには頭が下がります。どうか健康が守られますように。

ただ、メディアで見かける「いのちを守る」「ウィルスという見えない敵と戦う」というフレーズにはちょっと違和感を感じています。

生命は大事。でもいつか手放すときがくるのです。「敵から守る」ものではないでしょう。

いつから私たちはこんなに死を忌み嫌い恐れるようになったのでしょう。死を受け入れるのは生命を粗末にするのとは違うでしょう?

9年前にも違和感を覚えたことでした。

いつまでも肉体をもって永らえることは幸せでしょうか。

Memento Mori 死を心に留めよ。

確かに、心に留めるといってもどういうことだよくわからない。自分の死は自分だけはわからない。だからなんだかこわい。

けれど思うのです。
「自分がいなくなっても遺したら喜んでくれるもの」があるのは、なんとありがたいことか。「これのためなら死んでもいい」ことに出会えるのはどんなに稀で自由なことか。

そして、そんなもんがなんにもなくても、まあいいじゃないかと。

とても安らかで幸せな、死を迎える歌をご紹介します。リヒャルト・シュトラウスがヘッセの詩に曲をつけました。「4つの最後の歌」の3曲目、「眠りにつくとき」です。
ジェシー・ノーマンの歌声で、
9分あたりからご覧ください。

眠りにつくとき

もうこの日に疲れはてた
私の切なる望みも
喜んで星の夜空を迎えるとしよう
疲れた子どものように

手よ、すべてのわざをそのままに
額よ、すべての思考を忘れよ
私の感覚すべては今、望む
まどろみに沈むこと

そして、見張りを離れた魂は望む
自由に飛翔し、漂うことを
夜の不思議の中へ
深く、幾千世と生きるために

(冠木友紀子試訳)
 Beim Schlafengehen 

Nun der Tag mich müd' gemacht,
soll mein sehnliches Verlangen
freundlich die gestirnte Nacht
wie ein müdes Kind empfangen.

Hände, laßt von allem Tun,
Stirn, vergiß du alles Denken,
alle meine Sinne nun
Wollen sich in Schlummer senken.

Und die Seele unbewacht,
Will in freien Flügen schweben,
Um im Zauberkreis der Nacht
tief und tausendfach zu leben

英語はできるけれど通訳は自己流の大人を応援します。通訳道場★横浜CATS 

Please follow and like us:
error