全会一致に甘んじるな

「提案に全員の賛成が得られなくて…でもみんなの気持ちが聞けてよかったわ」

ええー?本当にそれでいいの?

起きたことを感謝をもって受け止めるのは素晴らしいことです。

でも 当初の願いとのずれは?

みんなの気持ちはもっと前もって知っておけたんじゃないの?

その提案はグループ内の相互理解促進じゃなくて外の社会に奉仕するためじゃなかったの?

全会一致を大切にしているグループの様子を聞くたびに心配になります。全会一致をスタート時点に固定しすぎていませんか。

昔、貴族の殿さまの命令通りにすべてが行われていた時代は、平民の全会一致は革命的だったのでしょう。そのころはラインもメールも通勤もなく、時間もたっぷりあったのでしょう。

今は生活も技術も複雑化しています。人によっていろんな分野のスキルに差があります。車を運転する人としない人、ウェブサイトを作れる人とそんなのとんでもない人。ビジョン、イメージを共有するのは至難です。そのための説得やプレゼンは大変です。

だいたい、プレゼンしたってその通りになんてなりませんって。

ひとりでもやる気のあることだけ、ひとりでも自腹でも始めなよ。

全会一致にはだんだんと向かえばいい。始めは言い出しっぺと応援者で始めればいい。グループの資産を使うなら、まめに報告すればいい。撤退ラインを決めておけばいい。だんだんと応援者が増えればいい。そして、最後にみんなが「よかったね」と言えればとってもいい。

スタート時点の全会一致は内向きになりがちです。何も動かないのにそれでみんなの気持ちがわかってよかったなんていうのは、私は性に合わないな。

まあ、映画、Fukushima Fiftyをご覧ください。これは非日常ではありません。日常です。生きるとはこういうこと。

みんなで最後によかった、と言えたらと思うと泣けてくる。

公式サイト Fukushima 50

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私がシュタイナー関係の通訳をするようになったのは

シュタイナー関係の通訳を手がけるようになって14年が経ちました。英語を聞いた瞬間に、鮮やかなイメージと共に心の底から感動と喜びが湧きあがり、日本語を語りながら身震いし、聞いて下さる皆さんの眼差しに感動する…そんな瞬間が数えきれないほどありました。本当に通訳冥利につきる、ありがたい思い出です。

そもそも…シュタイナーとつけばどんな講座でも駆け付けていた17-14年前、ある塾(バレバレ?)の研修にまぜてもらったのが始まりです。

オーストラリア出身のシュタイナー学校教員を通訳していたのはアメリカのシュタイナー学校に通ったことがある日本人男性。「英語が分かる」「その分野の経験がある」とはいうけれど、とても苦しそう。四角いものが丸くなるような日本語でした。

彼を否定したいわけではない。でもせっかくの海外講師のワークショップがこのままでは。なんのための渡航時間?渡航費?宿泊費?

さいわい、扱っていた理科の実験は中1~2のころ学校で楽しんだものばかり。糖に硫酸をかけたり、生石灰に水をかけたり…燃焼や炭素輪廻がテーマでした。おそるおそる補助のコメントをしたものです。

「君がコメントするとくもりガラスが晴れるみたいにすっきりする。もっとやって!一体、君は何者?え、卒業生?プロの通訳者?うちに来て!」

次の回から私が通訳するようになりました。

そして驚くべき自由を与えられました。この会社に籍をおいたまま、有休などの手続きはなしで、あちこちでシュタイナー関係の通訳をするように、というのです。

「シュタイナー関係は『わかっている』『留学したことがある』身内の『英語、ドイツ語ができる人』が通訳をすることが多い。でもまずいことが多すぎる。学びの質の最後の決め手は通訳だ。きっとプロの謝礼は出ないだろう。でも、まずい通訳を多くの人が受け取るのは残念。ここの仕事と思って出かけてきたら。」

すごいチャンスがあるものです。喜んでいろんなところにお邪魔しました。

そして気づいたのです。

お金がない、というサークルはもっとお金が無くなる悪循環にはまっているのだと。

イベントのタイトルが独り言。対象者がぼけている(ラブレターの宛名が無い)。参加費が安すぎる。学びのイメージがぼけているので定員もない。チラシも独り言。商品スペック説明ばかり。実は大量消費時代ぽい文言。そして告知が遅い。

これじゃ人は集まらない。

趣味の同好会を卒業して社会貢献を願う団体ならなんとかしなくては。私がアマチュアボランティアみたいな謝礼を受け取り、給料で補填してもらっていてはだめ。かくいう私も昔はお金関係は得意ではありませんでした。他人ごとではなかったのです。

やがて双申さんの経営シミュレーション「トータルゲーム」やマーケティングのY’s Clubに出会いました。

なかなかプロフェッショナリズムが理解されない日本のシュタイナー関係。でもつぶれてはどうしょもない。武士でもないのに高楊枝はいけません。

まもなく、健全経営を願うシュタイナー関係のみなさんのためにちょっと面白い本を出します。乞うご注目。

冠木友紀子プロフィール

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あなたの常備薬にコレ入ってますか?

ずいぶん冷え込んできましたね。ちゃんとあったかくしていますか?

風邪流行ってますね。あなたは大丈夫?ちゃんと休めなくて、風邪気味のまま2週間…なんてことになっていませんか?

実は私も2年前、いわゆるインフルエンザにかかったらしいんです。

いわゆる?

そう、治ってからいろいろ話を聞いてみるとどうもそうだったらしいのだけれど、診断を受けなかったのでわかりません。別の変なウイルスだったかもしれません。

ある朝、出かけようと自転車のハンドルをさわると寒気が。ハンドルが冷たいから?違う。何か変。体の中に変に冷たく暗い塊があるよう。あっという間に頭はカーッ!!更年期?いえいえ、まだ成長が年齢に追いついていません。

でもその日は休めない事情がありました。とりあえずマスクをして出かけ、用事をすませて最寄り駅で電車を降りると、身体には力が入らず、歩いてもふわふわ。自転車を引きずって帰宅し、夕食を用意したところでスイッチが切れました。熱はロケットのように上昇、節々が痛み出して…

「このまま寝よう。」夕飯を食べないなんて100年に1度あるかないかの珍事です。でも迷いはありませんでした。

翌日は38度台後半の発熱。ゆざまし以外口に入りません。普段欠かさぬ食べる、話す、歌う、聴く…まったく関心がわきません。 ただ、身体からメッセージが次々送られてくる感覚がありました。ゆざましを飲め、寝ろ、少しだけ食べろ、薬はいらない、病院行くのは無理、今日はお風呂もダメ、ビール?ふざけるな。

この熱がどんなカーブを描いて下がっていくかも次第に見えてきました。

そのとおり、2日半のちに平熱に戻った時…あまりの爽快感にびっくりしました。大掃除をしたあとのような、拭きたての板の間のような、しわしわのシャツにアイロンをかけたような…。熱を出す前よりがぜん調子がいい。熱デトックスだったんですねえ。

その後、風邪気味のときに薬で症状を抑えたこともあります。でも、もとに戻ってもあの絶対的な爽快感はありませんでした。

あのときはひとつ大きな仕事が終わった後だったので、3日も寝込んでいられたのですね。

果たしてやっかいなのはウイルスなのでしょうか。症状なのでしょうか。それとも寝込む時間もないことなのでしょうか。

身体の自然には時間がいる。それを犠牲にするほどのことって?

こんな野良人間のプロフィール

 

 

 

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あら!出版からもうすぐ8年「動きこそいのち」

文字だらけの今日、私たちは言語の音声を音楽として十分に体験しているでしょうか。

オイリュトミー目には見えない音楽や言葉の音を、動きを通して目に見えるようにする身体芸術。その名は「美しいリズム」というギリシャ語が由来です。人に見せるための舞踊とはだいぶ違います。私は「動きを通した目覚めたままの瞑想」のように感じています。

こちらのDVDブック「動きこそいのち」はオイリュトミーをDVDと本で紹介しようという試み。オイリュトミストのヘルガ・マイケルズさんは美しくて、おちゃめで、子どものようでエレガントな方。オランダ生まれでアフガニスタン育ち、アメリカ在住…どこか漂白の魂の持ち主、という雰囲気がありました。

「翻訳」に私の名前がありますが、実際はいわゆる翻訳ではなく…

①インタビュアー、高木さんが日本語でいろいろ言う→②ヘルガに日英ウィスパリング通訳→③ヘルガが英語で返事→④高木さんに英日逐次通訳

これをぜんぶ録音、日本語部分を文字起こししたものです。

日本の方の話し言葉をそのまま文字起こししても主語がなかったり、文末が決まってなかったりで「???」なことが多いもの。通訳がこれではいけません。話し言葉の音楽感と書き言葉の確かな構造が大切。

編集者の方が素晴らしくて、かゆいところに手が届く注をつけて下さったのも嬉しいことでした。

 

ほんの少しですがこちらで動画ご覧いただけます。

DVDブック「動きこそいのち」アマゾンはこちら

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今日はいい日でした。

今日はうれしい日でした。日能研とシュタイナーのアントロポゾフィー医学の医師会がなんとも楽しい時を共にしたのです。両方とも通訳者としてとてもお世話になっている大事なチーム。いつかコラボを!と願っていました。

 え、シュタイナーの医学講座が中学受験の日能研で?

 でもよく考えてみて。日能研は公立中高があるのにあえて私学中高を望むご家庭と縁のあるところ。しかも日本ではなく世界のユニークな学びの取り組みをいち早く取り入れている。保険でカバーされる病因撲滅作戦に違和感を抱く人々と相性ぴったりではないですか。

 そもそもの始まりは…

 2004年のことでした。ある私学に務める友人が「あなたの好きな『シュナイダー』(!)のセミナーがうちの学校を会場にして開かれるから、来てみたら?」と言うのです。その頃の私は人生のどん底で、通訳修行に救われながらも、二度と日本の教育には関わりたくないと思っていました。それでも手続きもそこそこに出かけてみると…なんと日能研が主催するシュタイナー教育の理科セミナー。講師はオーストラリアのブライアン・キーツ先生でした。通訳していたのはアメリカ育ちの若い方。ちょっと苦しい通訳でした。彼の日本語では思考の流れが見えなかったのです。

とはいえ私も脇から口をはさむのははばかられました。ある学校で先輩教員の誤訳を指摘したために嫌がらせを受け、そのショックが残っていたのです。気になりながらも10のうち2を言うのがやっとでした。

 そのとき、日能研のリーダー、みっきー氏がちょこちょこっと私のほうへいらしたのです。

 まただ。

 「君、もう帰って。もう来ないで。」と言われるにきまってる。

私は排除されるのに慣れていました。

 …ところが!

「ねえ、もっとじゃんじゃん言って。君の訳と説明ですごくすっきりする。」

 拍子抜けしました。

びっくりは続きます。

 「シュタイナー関係もサイエンスとアーツをわきまえたプロの通訳が必要。でもだいたい経営がうまくなくてプロは雇えない。うちのメンバーになったら。うちの通訳を最優先にしてさ、空いてる時間はこちらの給料の範囲と思ってあちこちのシュタイナー関係団体で通訳をしたら?」

 ありがたくあちこちへ行きました。

 ところが疑問が沸き起こりました。通訳に1日で2万円しか払えない、という団体はそもそもなってない。相場を知らない。チラシが自己流、配布のタイミングも遅い。誰の役に立ちたいのかあいまい。ただ体制に駄々をこねたい。社会貢献より趣味優先。値決めも間違っている。この調子では誰かに私のギャラを負担させているのでは、という想像は働かない。

 このころ、みっきー氏と氏が応援していた北海道の団体との親しさが目立っていたのも事実です。「北海道がうらやましい。冠木さん、みっきーさんの寄付を引っ張って来て」としばしば言われたものです。そんなのまっぴらごめん、まったく不健全でした。

春の芽吹きは凍てつく冬に準備してこそ。スウェーデン、イエルナにて。

そこでホリスティックな経営を共に体験できるツールを探しました。それがトータルゲームです。シュタイナー関係の多様な方々に体験していただきました。もちろん医師会の忍先生、百合子先生にも(←空前の超人成績)。

日能研、アントロポゾフィー医学の医師会、トータルゲーム。

共通点は新しいルールを作る人たち。この人たちはひと、もの、お金の流れを気血水の流れのように見ることができる。

今日はばっちりタッグが組まれた実感があります。ありがとう!

ああ、これからが楽しみ!またご一緒しましょう。

ライブ同通上映会「ルドルフ・シュタイナーの挑戦」とバイオダイナミックを味わう会

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ひとの期待を裏切っている自分が情けなくなったとき

ひとの期待を裏切っている自分が情けなくなったことはありませんか?

結論から言います。そんなこと気にしないでいいです。自分から約束したなら話は別です。でも勝手な期待に応えようとして自分を責めることはありません。

心の痛みを知るあなたにこそ加わってほしいことがあります。それは人の期待に応えるのとはまるで違います。

とあるボードゲームを囲んでいたときのことでした。いつもおしゃれで、いかにも聡明なK子の打つ手がいまひとつ。結果の暗算も苦手な様子。周りのかすかな苛立ちをK子もひしひしと感じています。

「私、いつも『初対面では頭よさそうに見えたのに、たいしたことないじゃないか。』…って言われるの。」

その目にはうっすら涙が浮かんでいました。

誰だそんなこと言ったのは!

勝手に期待しておいて相手に落ち度があるような言い方をするとはけしからん。真に受けるK子もどうかしてる。

そんなことに消耗するよりも、ね…

人間どうし、初めて出会ったときに、今はまだ常に維持できないけれど、将来実現するであろう姿を一瞬垣間見せることがあるようです。表面的な取り繕いではなく、本人にも思いがけないような未来の姿の輝きを。

それを見たということは、将来の姿を預かったということです。その輝きを覚えて、信じ、待つ責任があります。

本人が落ち込んだり、諦めかけたり、はたまた舞い上がったり…その輝きから離れて見えるときほど、はじめの輝きを鮮やかに思い出し、信じ、待つのです。

はじめと同じ眼差しを注ぐのです。 どんな姿の中にもあの輝きがあることを信じて。(ああ、これが難しい。輝きが見えないのはこちらの目が曇っていることもあるので。)

きっとそれがひとを支える。
きっとこうやって互いに支え合っている。

あなたもこの支えの輪のどこかにいてくださいね。

通訳道場★横浜CATSの上映会イベント

ルドルフ・シュタイナーの挑戦 関東最終回です!⇒こちらをクリック

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「アントロのイベントってどこも大変…」なワケは…

「アントロってどこも経済的に大変。イベントには人集まらないし、集まっても同じ顔ぶれだし。」
 
なぜだと思う?
 
「アントロってあまりに精神的に高度だから…」
「社会は物質主義的で理解してくれないから…」
「私たち、ポピュリストじゃないから…」
「日本の制度が悪いのよね。ドイツみたいにすればいいのに…」
 
ブー。
 
私の答えは違います。
 
 
アントロ関係者はアントロポゾフィーが大好き。大切にしている。
それはもちろん結構。
 
でもそれと同じくらい、あるいはそれ以上にセミナーに来てほしい人を大切に思っていますか。そもそも来てほしい人を心に描けていますか。
 
好きを仕事にする、とよくいいます。でもそれだけじゃ足りない。
 
ネイルが好きだから自宅でネイルサロンを始める。大いに結構。でも、お客さんを想う気持ちよりも、ネイルが好きという気持ちが強かったら、それは趣味なのです。仕事で忙しくておしゃれする気力も残っていないOLさん……外国でも指先をきれいにしておきたいノンジャパのインバウンドさん…きっとあなたの鏡のような人…そんなお客さんを大好きなネイルそのものよりを好きになれたときに仕事と呼べるのです。
 
だいたい自分がネイル好きだからネイルやりたくて、そのためにお客さん利用してお金をとるって変でしょ。
 
あなたの人生を変えたアントロポゾフィー。
 
そのバトンをあなたから受け取りたいと待っているのは誰ですか。
あなたがバトンを渡したいと願っているのは誰ですか。
その人に下心ない関心を抱き、幸せを心から願えますか。
 
「シュタイナー教育セミナーのお知らせです。必要な人にこの情報が届きますように。」
 
宛名のないラブレターなんてどこへも届かないよ。
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著者の頭の中の風景が蘇る翻訳のコツ

―さて、こないだの翻訳、これが気に入らなかったのでしょ?

This textbook of internal medicine is aimed at colleagues, medical students and other therapeutic professionals, who, like the author himself, are looking for a healing art with an understanding of man’s body, soul and mind. Presently medical practice is dominated by a pathophysiologically oriented understanding of disease, in which the essence of sick people is not captured.

この内科学のテキストは著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探している同僚、医学生、諸療法のプロをねらっている。今日の医療実践は、病むひとびとの本質は捉えられていない、病態生理学寄りの疾病理解に支配されている。

一見よくある訳文だけれど…。イメージの順番を不必要に入れ替えていたから、話の順序が変わって頭がこんがらがった。で、どうなった?

日々の積み重ねのみが身につく。

この内科学テキストの対象は、同僚、医学生、療法士、なかでも著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探し求める方々である。今日の医療実践で優勢なのは病態生理学寄りの疾病理解であり、病む人々の存在の本質は捉えられていない。

―あら、ずいぶん順番入れ替えが減ったのね。気になるところはある?

「療法士、なかでも…のところが、関係詞が限定用法ぽくなってしまって…」

―なかでも、をダッシュにするのも、最近はOKみたい。編集者さんと相談した方がいいと思うけれど。

―書き換えて気づいたことは?

「1文目の終わりにan understanding of man’s body, soul and mindが来ていて、次の文のpathophysiollogically oriented understanding of diseaseとコントラストになっている感じがしました。presentlyの前に“ところが”のニュアンスを感じます。著者がこれはまずいんじゃない?と思っている、そんな気持ちを感じました。」

―そう。人が何かを表現するとき、心が動いていないことなんてめったにない。文章の用向きによってはそれをあからさまに安易に表現するのがはばかられる場合もある。そういうときは文体、レトリック、語順の構造にしのばせる。そして自分の頭の中にある風景がちゃんと蘇るように仕込む。このたった2文で著者が一番気にしているのはなんのことだと思う?

「2文の最後の『患者さんの存在そのものの本質が置いてきぼりになっている』でしょうか」

―私もそう思う。たった2文だから大したことないようだけれど、これが1200ページ積もったらどうなるか…だいぶ読みやすさに差がつくでしょう?

気をつけることはシンプルです。まず構造の通りに読む。返り読み英文和訳で内容を確かめるという人もいるけれど、必ずもとの構造に戻ること。

ご参考までにもとのドイツ語を。構造的には英語といっしょ。もう英独蘭語なんて群馬、栃木、茨城弁みたいなものです。フランス?あれは青森。日本はミニチュアヨーロッパ。

Dieses Lehrbuh der Inneren Medizin wendet sich an Kolleginnen und Kollegen, an Studierende der Medizin und Interessierte der anderen therapeutischen Berufsgruppen, die -wie der Autor selbst- nach einer Heilkunst mit einem leiblich-seelich-geistigen Menschenverstaendnis suchen. Gegenwaertig dominiert im aerztlichen Alltag ein patholophysiologisch orientiertes Krankheitsverstaendnis, in dem das Wesen des erkrankten Menschen nicht vorkommt.
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通訳レポート:オランダ「精神科医療にシュタイナーの風」

精神病ってなんだかこわい、家族がなったら恥ずかしい…
そう思ったことはありませんか。
え、自分は100%精神疾患フリーのつもり?

私はそうは思わない。自分はいろいろ持っているけど、たまたまバランスがとれているだけ。え、崩れてます?あ…。

どんな病であれ再び歩き出す力は、人に大切にされることで自分の内から湧き上がる。だから心病む人こそ大盛りサービスで大事にされてほしい。

シュタイナーのアントロポゾフィー医療を学び実践する医師の友人たち。この方たちは天で待ち合わせをしてきた兄弟姉妹の気がします。なかでも精神科医の姉妹たちの献身ぶりには脱帽。以前から日本の精神医療の「当然」がどんなに「自然」でないかを切々と語ってはおいででしたが…なんと昨年来、オランダで活躍するケン・タナカ医師を招いて講演会を開いておられます。お仕事、ご家庭、講演会企画、運営…。変えたい、と本気で腹を決めた人には1日は48時間なようで。

オランダ育ちのケン先生は英語のほうが講演はお楽、というので私は通訳をお引き受けしています。

ケン先生はベルナルド・リーフェグッド(Bernard Lievegoed リーヴァフッドとも)の名を冠したリーフェグッド・クリニックの精神科ディレクター。リーフェグッドはアントロポゾフィーを軸として組織開発、自分史ワーク(バイオグラフィーワーク)など時代のニーズに向き合う取り組みを先駆けた方。

このクリニックでの取り組みも「考えてみればおかしな常識」から自由です。まずクリニックである以前にコミュニティ。お医者さんも患者さんもお互いを「メンバー」と捉えます。だから初診でお医者さんは開口一番「さて、あなたはこのコミュニティにどんなことならおやりになれそうですか?」だから受け身に薬を飲み続けることはありません。言葉によらないセラピーを体で味わいながら、コミュニティに必要な仕事に取り組みます。

3週間ほど前のこと。大阪でも講演会がありました。「7月の東京の時とは内容をだいぶ変えたんですよ。」とケン先生はにっこり。今度は現場のエピソードをたっぷり増やしておいででした。

印象的なエピソードをひとつ。

50代のある男性は長年うつに苦しんでいました。いくつもの病院を経てリーフェグッドにたどり着いたそう。

リーフェグッドではスタッフが患者さんのしぐさ、表情を模倣して、自分の身体をとおしてその人の世界に想像をめぐらせます。「共感的(心寄せて)観察」と言います。

この方はいつも前のめりで机に伏すような姿勢。皆で模倣して、どんな職業が思い浮かぶかやってみると…あるスタッフが声を挙げました。「あ、ブラッド・メルドーみたい!」なんと有名なジャズピアニスト。ではジャズピアニストに大切な資質は何だろう…繊細で、精確であること。これが彼が求めているもの。(薬でなく!)それが身につく活動に取り組むことになりました。ジャズピアノそのものではありません。この方の場合は木工。 やがてこの方は木工、裁縫で一目置かれるようになり、人に教えるまでになりました。

「共感的観察」ではその人の心の声に集中する。投薬は最後の手段に過ぎません。

ここで「うつも治りました」となるとありがちなハッピーエンド。それもいいけれど、人と人の間に居場所を得られたことのほうが大事な気がするのです。

人は人の間で病み、人の間で癒える。病はひとりのものではない。そう思います。

大阪も、通訳冥利につきる至福のひとときでした。お聞きした瞬間、透明にしておいたはずの心が感動。日本語でこだまする機会を与えられていて…目の前に日本語を待ってくれている方たちが沢山いらっしゃる。

ありがとうございました。

オランダ見学ツアーに関心がおありの方、問合せフォームからご連絡ください。時期、日数等ケン先生とも相談しながら決めましょう。

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シュタイナー医療講演「身体の神秘・鳴り響く音楽」と”中心をもつこと”

痛みには鎮痛剤。発熱には解熱剤。ウィルスには抗ウイルス薬。細菌には抗生物質。 悪いところは切除。食べられなくなったら胃ろう。

確かに必要なときもある。でもいつもこれでいいの?と思ったことはありませんか。

症候を「敵」のように見なして「やっつける」のをよしとする発想は次々と敵を生むだけ。しかも相手も強大になる。次々と新しい薬が必要になる。これでは人間は自然の一部であるはずなのに、自らの「とき」がわからなくなる。症候との付き合い方を自分で決められなくなる。不安に追われる生き方になる。

シュタイナーのアントロポゾフィー医療は通訳として私が最も優先する分野。

「感謝」と観察に基づく「哲学」があふれているから。古代の叡智が尊ばれているから。何も憎まず、病をも「大切な経験、メッセージをありがとう」と受け止めるから。その成果は身体的な症候の解消にとどまらず、もっと深い喜びに繋がっているから。

昨日開かれたシュタイナー医学入門連続講座の最終回は超満員。講師の山本忍先生はいつもご自分のみずみずしい言葉で驚きの洞察を語ってくださるので大人気。

講演は「身体の神秘・鳴り響く音楽」というタイトルどおりの壮大なもの。 通常の科学でも知られている魚類から人間への心臓の進化に人間の知性を読み取ったり、手足の骨の数の意味を読み解いたり…すみずみまで感謝と哲学が響いていました。

そして印象的だったのは「中心を決める」ということ。

忍先生にとってアントロポゾフィー医療は「中心」なのだそうです。

ホリスティックセラピーを自称する手法は星の数ほど。シュタイナー関係でも次から次へといろいろなメソッドに手をだすのを見かけます。でも違和感がありました。だいたいどれも半端。半端だからあれこれ手を出す。資格ビジネスにはまる。欲深い人が集まる。困る。

忍先生もいろいろご存知だけれど決定的に違う。 それが中心があるかないか、ということ。

先生は一度、長年続けてこられたその他のセラピーをすべて捨て、アントロポゾフィー医療を究める覚悟をなさったそうです。そして問いを投げては信じて待ち、答えが与えられる、をじっくり繰り返し、やがてアントロポゾフィー医療が中心として定まったそう。 するといったん捨てたものも収まるべき位置に再び収まったとのこと。決して並列的にではなく。

この道は内的な道。

私の中心は…アントロポゾフィー通訳法と言いたいところだけど、それはまだありません。なのでアントロポゾフィーを土台に少しずつ創っているところ。

あなたがどうしても残したい一つは何でしょう?
どうかあなたの旅路も守られていますように。

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