【英詩講座レポート⑤】一見ちゃらい詩こそ侮れない!”Grasshopper Green” by George Cooper

こんにちは!通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

GWの最中、しかも週末だというのに、無粋にも「シュタイナー学校の先生のための英詩講座、第5回」を開きました。それくらい、英詩を皆さんと読むひとときは、深い喜びに満たされるんです。「楽しい」「わくわく」なんて言葉では表せないほどです。この喜びが「いまを生きる」のキーティング先生を支えてもいたのでしょう。

それにしても、おおつきあいくださった先生方、ありがとうございます。ご家族のみなさま、すみません。

さて、この講座の準備のごく一部をお裾分けいたします。

今回の詩は「Grasshopper Green」。

Waldorf Book of Poetryには作者名が書かれていませんが、アメリカのGeorge Cooper(1840ー1927)であることがわかっています。

(スマホの縦画面では改行が見にくいかもしれません。)

Grasshopper Green by George Cooper

Grasshopper Green is a comical chap; 
He lives on the best of fare. 
Bright little trousers, jacket and cap, 
These are his summer wear. 
Out in the meadow he loves to go, 
Playing away in the sun; 
It’s hopperty, skipperty, high and low--- 
Summer’s the time for fun.

Grasshopper Green has a quaint little house:
It’s under the hedgerow gay.
Grandmother Spider, as still as a mouse,
Watches him over the way.
Gladly he’s calling the children, I know,
Out in the beautiful sun;
It’s hopperty, skipperty, high and low---
Summer’s the time for fun

青々バッタはおかしな輩、
もっぱら食べるは大御馳走。
派手な短パン、上着に帽子
これが夏のお召し物。
おもての茂みがお気に入り
遊びまくって日向ぼこ。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

青々バッタのイカした庵は
楽しい生垣、その下に。
蜘蛛の婆さん、鼠のようにじっとして
ずっと見守る、やっこさんを。
ご機嫌上々やっこさん、子どもら呼び出す
まことにみごとな日向へと。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。
(訳 冠木友紀子 )

ふむ。

まあ、韻はふんでますね。

Hopperty, Skippertyの強弱弱のパターンが詩全体に通っていて、バッタの動きそのものを反映しているのね…

でも、別に深遠な謎は感じない…

AllinghamGravesの詩はよかった…妖精のことを描いているのに、詩人は妖精と目を合わせないし、言葉も交わさない。それが人間と妖精の距離。すぐ近くにいるのに、別の世界を作っている。人間の常識を超えた異界だから。

なのに!これじゃまるでディズニー。擬人化し放題。まあ、アメリカの方がこの詩をもとに作ったアニメもYouTubeにごっそりあるし。アメリカってそんなもんかしら…

第2連は…あら?突然the childrenって誰?

蜘蛛の婆さんが見守るというのものんきな情景。蜘蛛さん、もうおばあちゃんだから、動けないのかしら。

と思ったところで、Waldorf Book of Poetryでとりあげられているこの詩は、全3連中、元の第2連が抜けた版であることを発見。第1連と第3連だけでもバッタの幸せな「衣食住」というピースは揃うのですが、もとの第2連が気になります。

Grasshopper Green has a dozen wee boys,
And, soon as their legs grow strong,
All of them join in his frolicsome joys,
Humming his merry song.
Under the leaves in a happy row,
Soon as the day has begun,
It's hopperty, skipperty, high and low:
Summer's the time for fun!

青々バッタは十二の子福、
脚が丈夫に育つやいなや
倅揃って親父と遊ぶ、
親父の歌に鼻歌合わせ。
草葉の下に楽しく並び
朝まだきから
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

ほほう、the childrenはここにでてきたa wee dozen boysのことのようです。いきなりtheはぎょっとしました。途中を端折るとこういうところが辻褄合わなくなるのです。

もとの第2連、バッタの息子たちは父から学び、父と共に歌い、育っていきます。なんとものどかな風景です。

ふと、ここで正反対の風景が頭をよぎりました。父は仕事、息子たちは学校。父から息子たちが学ぶことはなく、共に楽しむこともない。戦争になれば皆兵隊にとられていく。

それに比べたら、もとの第2連は平和そのものです。

第3連の蜘蛛の婆さんとも、食うもの、食われるもの、という関係ではありません。そういえば、似たような風景が…

そう、イザヤ書11章「エッサイの根より…」で始まる究極の平和の風景です。

狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
(イザヤ書 11章)

この詩はバッタのおおいに結構な日常を描きつつ、じわじわと平和への願いをこめていると言えそうです。

ここからは野暮な調べものです。詩を一言一言じっくり読むことと、調べもののバランスが崩れるほど、野暮なことはありません。そのことを肝に銘じた上で…

クーパーはNY下町のthe Boweryザ・バウワリに生まれます。今は安宿、安居酒屋街のようですが、1840年の頃は緑豊かな遊び場に恵まれていたようです。

13歳のころに実学志向な親の意向で大規模な学校に転校させられます。この学校がどうも合わなかったようで、当時から休み時間に忍び出た校庭で出会った生き物を主題に詩を作り、心なぐさめて過ごしました。(バッタの父子とはだいぶ違います!)

その後も法律を学ぶべし、という親の方針に従い、弁護士事務所に弟子入り、みずからも資格を得ますが、出世欲とは無縁だったようです。この間もあちこちの文芸雑誌に投稿、掲載されます。

そして南北戦争(1861-65)中、クーパーが作詩、14歳年上のスティーブン・C.・ フォスターが作曲し「戦時歌謡」を量産、ヒットを飛ばします。

もう、ゲティスバーグの戦いで撃たれた太鼓兵の少年が、かけつけた母の胸で息絶える歌などは劇的で、日本の「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌」を思わせます。

ところが、1863年1月、ザ・バウワリの安宿を転々としていたフォスターは熱を出してホテルで寝込みます。その数日後、メイドから連絡を受けたクーパーが駆けつけると、フォスターは床に広がる血の海に横たわっていました。

その時のことをクーパーはこう書いています。
“He lay there on the floor, naked, suffering horribly. He had wonderful big brown eyes, and they looked up at me with an appeal I can never forget. He whispered, ‘I’m done for.'”
「フォスターは床に横たわっていた。裸のままでひどく苦しんでいた。その見事な茶色の大きな瞳で私を見上げた。あの訴えるような眼差しを忘れられようか。そして彼はささやいた。『もうだめだ。』」

3日間の加療も空しく、フォスターは37歳で世を去りました。クーパーがフォスターの親族にその死を伝えた電報がこちらです。

(Western Union社サイトより)

フォスターの死が、親族が公表した通り、高熱で倒れた拍子に陶器の洗面台に頭と首をぶつけ切り傷を負ったためなのか、そうでないのかは諸説あり謎のままです。

フォスターとクーパーの関係についても芸能レポートなみに諸説あります。

左がフォスター、右がクーパー

ただ、私は南北戦争を背景に一世を風靡したフォスターとクーパー、そして彼らの蜜月時代の突然の衝撃的な終わりが、この詩の第2連と対照をなしているように感じられるのです。

フォスターは職業作曲家として音楽で身を立て、彗星のごとく現れ、消えてゆきました。

一方、クーパーは作詩を稼業とはしませんでした。「『イーリアス』のような立派な詩よりも、子どもがひとりでも喜ぶような詩を書きたい」と周囲に語り、書き続け、87歳で天寿をまっとうしたそうです。

野暮な調べものでございました。詩を読む前に作者のことをいろいろ調べるのはかえって楽しみを台無しにするように思われます。あくまでも詩を何度も読み、唱え、覚え、口をついて出てくるようになじむ。そして、ふと、何かが気にかかる。調べものはそれからです。そうして、自分の小さな好き嫌いの枠が壊れてゆくように思います。

第6回 シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加もOKです。
次回は“Duck’s Ditty” by Kenneth Grahame を読みましょう。

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【英詩講座レポート④】抵抗勢力を理解するためにこそ悪戦苦闘する

通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

すっかり報告が遅れましたが、シュタイナー学校の先生のための英詩講座も第4回を終えました。

とりあげる詩は、参加者や私の好みは脇におき、ひとまず英語圏の小学4年におすすめとされる詩を読んでいます。

第3回までは感動の深読み、細やかな気づきでパーンと開ける扉がいくつもあったのですが…第4回はこちら。Molly de HavasのSeeds…これが実はなんとも…

アメリカのシュタイナー教育関係のサイトには大人の喜びの声があふれています。
「何度も繰り返し、暗誦できるようになったらリズムがほんとに生き生きしてきて…」
「サステイナブルな家庭菜園での子育てにぴったり…

春待つ心が弾むようではあります、が…

SEEDS
Molly De Havas

After Christmas it’s time to be thinking of Spring,
And the flowers and vegetables springtime will bring.
We must go to a shop and choose packets of seeds
To be sown in the garden to fill all our needs.

First the weeds must be pulled and the clean earth laid bare.
Then dug over, and broken, and levelled with care;
Next in furrows and holes that we’ve made in the earth
We will plant the brown seeds, and with joy wait their birth.

(The Waldorf Book of Poetry, ed. by David Kennedy, 
Living Arts Books, Wisconsin, 2012, p.100)

うーむ。私たちの頭の上に「?」が立っているのが見えるようでした。

毎年、「お店」に行って「袋に入った種」を「選んで買う」?!
そして自分たちの「ニーズ」を満たさせる?
土を掘っくり返して耕す?
種からの「誕生」を待つ?

私たち、といえばバイオダイナミック農法に詳しく、日本の不耕起栽培、自家採種にも興味津々。

種はその土地に合ったものがその土地で採れるでしょう?
植物の一生から、私たちはお裾分けをいただくのでしょう?
むやみに耕すと表土の微生物が迷惑するでしょう?
植物は死なないでしょう?種は種として生きているでしょう?

もう、詩どころではありません。

ここらで深呼吸。

詩の内容に議論ふっかけるなんて野暮。それでは詩を読んだことにはならないのでは。

ここで思い出されたのが高橋巌さんのお話(2021年3月20日、於:横浜の朝カル)です。表現は正確ではないかもしれませんが…優しいお声にはっとしました。

「シュタイナーは時代とともにあろうと悪戦苦闘しました。ナチスをやっつけようと悪戦苦闘したのではありません。どうして時代がナチスの存在を許しているのか、どうしてナチスはそう考えるのか理解しようと悪戦苦闘したんです。」

そう、仲間内の「わたしたち」を理解するのは心地よいもの。でも、「あのひとたち」を理解するのは楽でない。だからこそ悪戦苦闘して理解しようと願う。

私たちもそれに倣おう、ということになりました。シュタイナーとナチスに比べたら(?)もうほとんど仲間内のような詩です。自分たちの物差しをあてて見下すなんて小さい、小さい。

なにごとにも段階がある。神社だって奥の院だけでは誰も来ません。参道には縁日があり、鳥居をいくつもくぐって本殿、そして奥の院へ。ものごとにはふさわしい居場所がある。

小さい自分は脇に置き、何度も声に出して読み、風景を細やかに思い描きます。

文字で伝えるのはなかなか大変ですが…タンタタ、タンタタ♩♫♩♫♩♫のような
リズムのパターンが心地よく続きます。

2行ずつの脚韻もわかりやすい。

おや、1行が長く、1文も長い。

thinking of A, B and Cやmust be A, B and Cのように畳みかけるよう。

そういえば、must, willが多い!

これはクリスマス節を過ぎて、もう待ちきれない心のなかの予定を描いているのですね。まだ実行していないんです。だからばかに順調に聞こえるんでしょう。

筆者、Molly de Havasは生没年、1904-1952年のほかはわかりません。他にThe Knightが知られていますが、これもちょっとナイーブ…

それが、20世紀前半のアメリカの市民生活ののどかさなのかもしれません。

今日、彼女の詩に出会う子どもたちはどう感じるか興味深いところです。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加 OKです。

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私がシュタイナー関係の通訳をするようになったのは

シュタイナー関係の通訳を手がけるようになって14年が経ちました。英語を聞いた瞬間に、鮮やかなイメージと共に心の底から感動と喜びが湧きあがり、日本語を語りながら身震いし、聞いて下さる皆さんの眼差しに感動する…そんな瞬間が数えきれないほどありました。本当に通訳冥利につきる、ありがたい思い出です。

そもそも…シュタイナーとつけばどんな講座でも駆け付けていた17-14年前、ある塾(バレバレ?)の研修にまぜてもらったのが始まりです。

オーストラリア出身のシュタイナー学校教員を通訳していたのはアメリカのシュタイナー学校に通ったことがある日本人男性。「英語が分かる」「その分野の経験がある」とはいうけれど、とても苦しそう。四角いものが丸くなるような日本語でした。

彼を否定したいわけではない。でもせっかくの海外講師のワークショップがこのままでは。なんのための渡航時間?渡航費?宿泊費?

さいわい、扱っていた理科の実験は中1~2のころ学校で楽しんだものばかり。糖に硫酸をかけたり、生石灰に水をかけたり…燃焼や炭素輪廻がテーマでした。おそるおそる補助のコメントをしたものです。

「君がコメントするとくもりガラスが晴れるみたいにすっきりする。もっとやって!一体、君は何者?え、卒業生?プロの通訳者?うちに来て!」

次の回から私が通訳するようになりました。

そして驚くべき自由を与えられました。この会社に籍をおいたまま、有休などの手続きはなしで、あちこちでシュタイナー関係の通訳をするように、というのです。

「シュタイナー関係は『わかっている』『留学したことがある』身内の『英語、ドイツ語ができる人』が通訳をすることが多い。でもまずいことが多すぎる。学びの質の最後の決め手は通訳だ。きっとプロの謝礼は出ないだろう。でも、まずい通訳を多くの人が受け取るのは残念。ここの仕事と思って出かけてきたら。」

すごいチャンスがあるものです。喜んでいろんなところにお邪魔しました。

そして気づいたのです。

お金がない、というサークルはもっとお金が無くなる悪循環にはまっているのだと。

イベントのタイトルが独り言。対象者がぼけている(ラブレターの宛名が無い)。参加費が安すぎる。学びのイメージがぼけているので定員もない。チラシも独り言。商品スペック説明ばかり。実は大量消費時代ぽい文言。そして告知が遅い。

これじゃ人は集まらない。

趣味の同好会を卒業して社会貢献を願う団体ならなんとかしなくては。私がアマチュアボランティアみたいな謝礼を受け取り、給料で補填してもらっていてはだめ。かくいう私も昔はお金関係は得意ではありませんでした。他人ごとではなかったのです。

やがて双申さんの経営シミュレーション「トータルゲーム」やマーケティングのY’s Clubに出会いました。

なかなかプロフェッショナリズムが理解されない日本のシュタイナー関係。でもつぶれてはどうしょもない。武士でもないのに高楊枝はいけません。

まもなく、健全経営を願うシュタイナー関係のみなさんのためにちょっと面白い本を出します。乞うご注目。

冠木友紀子プロフィール

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子どもに「将来の夢」を職業で答えさせるのに違和感があるなら

小学校のクラス文集でよく見かける「将来の夢」。

弁護士…公務員…学校の先生。

職業で答えさせることに違和感を覚えたことはありませんか。

子どもたちが大人になるころ、保護者、先生の世代が知っている職業はもうなくなっているかもしれません。 

でも「ユーチューバー」なんて答えられると今度は大人がぽかんとしてしまう。

ご自身が子どもの頃はいかがでした?

私は幼稚園の頃に「ケーキ屋さん」「お花屋さん」と答えたのを覚えています。いや、答えそのものより違和感をはっきり覚えています。嘘じゃないけれど、なんか違う。我ながらガラじゃない。でも憧れの役者、歌手、武士なんて答えたらめんどうなことになりそう…。

ふと思い浮かんだのは、身近な「魔法使い」みたいな大人たち。

ケーキ屋さんすごい…どろんこみたいな生地があっという間にきれいなケーキに…。

お花屋さんすごい…お花って組み合わせで雰囲気ががらっと変わる。

自分でケーキを焼きたかったわけではありません。
お花を売りたかったわけではありません。

自分の手で変化を起こし、思いがけない新たな美しさを生み出す。そうして人に驚き、喜んでもらう仕事を素敵と思っていたのです。振り返ってみると、幼い憧れの中にいまの通訳につながるものを感じます。

子どもに「将来の職業」を訊くなら、「なぜ」をもう一歩掘り下げてみてはいかがでしょう。

子どもに「将来の自分の職業」を訊く代わりに「身近な魔法使いは誰?」を訊いてみてはいかがでしょう。

人間、生きていること自体すでに労働であるという考えもあります。

Carpe diem. Seize the day.
今を生きよ。

ママの気がかりお聞かせください。
安心・自信・希望をお持ち帰りいただきます。
2
10日 子どもの英語が心配なママのための不安一掃セミナー

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映画 The Challenge of Rudolf Steiner「ルドルフ・シュタイナーの挑戦」上映会

(↑自動の日付表示が少し変です。第2回開催は8月26日です。)

「薬で体をなおしても患者さんは笑顔にならない。なぜ…。」
「いくら肥料を入れても土がやせてゆくばかり。なぜ…。」
「この教育は子どもたちにどんな意味があるんだろう。」

今日、私たちが抱える問いは決して新しいものではありません。


20世紀初頭のヨーロッパでは近代化、工業化が急激に進みました。このままでよいはずがない、と確信する人々が助言を求めたのが思想家のルドルフ・シュタイナー。相通じる懸念を抱いていたシュタイナーは講演に東奔西走、自然のリズム、それぞれの感覚、互いの精神の自由を尊ぶよう促していたのです。

シュタイナーが悩む人々へに応えて語った洞察は、今日も理に適った医療、農業、教育実践を探求する人々の心を照らし続けています。

そんな人々を尋ねて生まれたのがドキュメンタリー映画「The Challenge of Rudolf Steiner ルドルフ・シュタイナーの挑戦」。ジョナサン・ステドール監督はBBCでのドキュメンタリーの名手としての活躍で知られています。さすが、インドのバイオダイナミック農場、スイスのアントロポゾフィー医療クリニックの風景もなお美しいこと!インタビューに答える人々の表情、言葉も生き生きとしています。

通訳道場★横浜CATSではこの作品の日本語字幕を制作します。新しい試みとして2回の上映会を企画しました。

「観たいけれど英語ナレーションだけでは…」と諦めていらしたみなさま、ぜひおいでくださいませ。

上映会  第2回
私、冠木は同通、通訳道場1、2期生が放送通訳をお届けします。

  • 日時 8月26日 土曜日 14:00-18:00 (Part1,2とも上映)
  • 会場 日能研本部(JR、横浜市営地下鉄 新横浜駅より徒歩5分)
  • 参加費 一般5000円、大学生3000円 高校生以下&横浜CATSメンバー無料

    映画公式サイトはこちら You Tubeでもいろいろ見られますが、問題がないとはいえないようです。まずは公式サイトをご覧ください。
    The Challenge of Rudolf Steiner
    http://rudolfsteinerfilm.squarespace.com/

    お申込みはこちらから(お申込みいただいた方に参加費お振込み先をご案内します)


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愛は学校の手洗い場である

ある教育研究グループではシュタイナー教育について海外講師を招いたセミナーを数多く主催。通訳としてずいぶんお世話になりました。

そんなある日、不穏な空気。リーダーとメンバーの間がぎくしゃくしていたのです。

「彼は自分で言い出したこと以外はやらせてくれないんだよね。」
「もっとこうしたら、と提案すると『もうやってる』って怒る。」
「私なんか『じゃあ君がやれば』って言われた。」

―どうしてほしかったの?

「リーダーなんだからグループ全体にとってこのアイデアでいいか俯瞰したうえでyes, no出してほしかった。彼を責めるつもりなんかなかったし。」
「どうして個人的に反応しちゃうんだろうね。なんか戦闘態勢でびびってる。」
「愛情不足なんじゃない。難しい家庭だったんだって。」

ーねえねえ、リーダー論までは立派だったのに、だんだん話がずれてるよ。プライベートな詮索はいやだなあ。それに愛情不足って簡単に言うけどさあ、人の心に簡単に土足で踏み込む人が多すぎるよ。

愛って学校の手洗い場みたいなもんだと私は思ってる。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、学校の先生、友達、近所のおばさん、習い事の先生、魚屋のおじさん。みんなそれぞれ口径の違う蛇口。

なつかしいなあ~

でも蛇口が水源じゃない。水源はもっと共通の大きなところ。井戸?水道なら屋上のタンク、市の浄水場、横浜なら山梨の道志村、雨、雲…

だから蛇口ひとつバカな男子が消しゴム突っ込んで詰まらせたとしても、隣の蛇口からブヒャ―ッと出てくる。

ひとつ詰まってもどこかが開いている。全体として足りるようになっている。ぜんぶ詰まったらトイレが洪水か貯水タンクが破裂だ(自分でもよくわからないこと言ってますが)。

だから、もし彼が詰まった蛇口の前で被害者の顔で立ち尽くしているように見えるなら…まずみんなが近くでブヒャーッと噴水するほうが先なんじゃない?

大丈夫、渇水はしないから。蛇口の内側きれいになるかもよ。けちけちしてると干からびちゃうよ。

 

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堂々巡りの話し合い、あの方はいましたか?

 教師、保護者みんなでつくるというシュタイナー教育。トップダウンの園長・校長はいない。お仕着せのPTAもない。…と喜んで子どもを通わせているはずの友人が浮かない顔。

「こんなに話し合いに時間がかかるなんて…」
「いつも発言する人が決まってる…」
「結局教師の発言が尊重されて…」

私はその場にいなかったので何とも言えません。でも気になる。その話し合いにあの方はいたのかしら。あの方?噂の●ちゃんママ?いえいえ、違います!

それに「みんなでつくる」って?

まさか、一人ずつ順番に誰もがすべてのことに発言し、等しく重んじられるということ?

まさか、お金アレルギーのある理事がイベントの参加費を下げようとしたり…
保護者が授業内容をはじめから色眼鏡で見て批判したり…
教員が生徒の家庭生活を批判したり…
これらを真に受けて互いに釈明したり…
みんなでチラシデザインうんぬんしたり…

それはたいへんだ。

会議で大事なのは「自分の役割」をよりよく分担するために他者の事情に耳をすませること。「ああ、そちらがそういう事情なら、私はこうしよう。」と自分の行動を修整、確認する。あちら立てればこちらが立たぬ、のときは議論する。

会議が不思議に速い学校があります。ファシリの工夫だけじゃない。もっと深い理由があります。

ここからは「ついていけない」という方がいらしてもごもっとも。どうぞご無理なさらず…

参加者は自分たちだけだと思っていませんでしたか。
自分たちだけで正解を決めようとしてはいませんでしたか。

そこにあの方―大いなる存在―はいましたか。

あなたの心の中に大いなる存在はいましたか。

会議が速い学校はなぜかキリスト教の学校でした。誰もが自分の意見の不完全さをわきまえていた。あの大いなる存在ならどう考えるだろうと思いめぐらしていた。人の話に耳をすませる余裕があった。実は早く帰って夕飯にしたかった!(もしかしたらいい加減だった!)

「その方」の名前は神様でも仏様でも、宇宙でも宇宙人様でも結構。(「自分たちを俯瞰する視点、スペース」だっていい。)シュタイナー様はやめたほうがいいと思います。ご本人様に迷惑です。オシラサマもちょっとねえ。

 For where two or three gather in my name, there am I with them.”
Matthew 18:20) New International Version (NIV)

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書 1820節)

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あなたは友人の人生を無駄遣いしていませんか。

 

クライアントのために手に入れたい情報。英語でなければ読めない。でも読みたい!そうだ、あのひと英語ができるはずだった。海外に長く住んでいて日常会話も問題ナシ。よし、翻訳を頼んでみよう。

そんなふうに友人に翻訳を頼もうとしていませんか。

ちょっと待って。

頼む前に翻訳トレーニングの経験を確認してください。さもないとあなたは友人の人生を無駄にしかねません。

「英語が話せる」のと「英日翻訳ができる」のは全く別のこと。
日常会話のレベルはなんの参考にもなりません。

私たちも日本語が話せるからといってライターになれるわけではないでしょう?
きちんと理にかなった訓練を経た人たちのごく一部がプロのライターになるのです。ライターになれない人のほうがよほど多いのです。

「だってプロは高いから。」
「友人はアマチュアで時間もあるし、ご主人の収入があるから格安でやってくれるし。」

あなたは本当にその人の友人ですか?

同じ課題でもプロ養成を経ていない人はプロの5~6倍時間がかかるのです。

学生時代、私も英検1級を持っているというので翻訳を頼まれ、無邪気に引き受けました。ちゃんと出版されてお金も頂いたけれどひどく時間がかかった。20歳でも「この時間の使い方はおかしい」と思った。それを30、40代の友人にさせる気にはなりません。

プロが短時間で使うのは使っても消えないスキル。スキルのないアマは二度と戻らない時間を費やす。しかもあなたはお茶代くらいしか払わない。

あなたが知りたい情報が本当に社会に役立つものなら、それで友人から時間とお金を搾取したいとは思わないはずです。

あなたは本当にその人の友人ですか?

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