「ブレない自分」と言えなくてもいい

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子です。

世の中には2種類の人がいるようです。自分は「ブレない」と言い切れる人と、そうでない人。

最近は、前者の方がしっかり生きていると評価されがちです。「自分はブレない!」と明言できないと自分はダメ…?

そんなことはありませんよ。

私も「ブレない」礼賛派には違和感を感じつつも、理由をうまく説明できずにいました。

でも、謎が氷解しました。言語造形家の諏訪耕志先生によるシュタイナーの「普遍人間学」オンライン講座でのことです。やっと腑に落ち、慰め、励まされる思いがしました。(以下、変なところがあるとしたら、私の表現の拙さゆえです。)

ひょっとして「なぜやろうとしたのか頭ではわからないけれど、どういうわけか自然に実行できている」ことってありませんか?普通に考えたら寄り道、無駄、ブレだけれど、続いていることってありませんか?

それをわざわざ辞めたらもったいないです。

なぜなら、導かれてのことかもしれないから。

私たちの心にはさまざまな働きがそなわっています。ものごとを対象化して分析する働きもあれば、わけもなく何かを自分に取り込み、ひとつになりたいと「欲する」働きもあります。

「欲する」という働きには昼間の頭では捉えきれない、野生のような、闇のようなところがあります。その全体像は昼間の頭が幅をきかせる地上の生では捉えようがありません。地上では完成をみない働きであるともされています。

そしてなんと、その全体像、到達点が見えているのは彼岸の私!この彼岸の私が此岸の私を導いているそうです。

だから「なぜ?」とアタマで疑うのをやめ、安心して導きに任せればよいのです。

今日の此岸では「ブレてる」生き方も彼岸から見たら、一本の絹糸が通って見えるかもしれません。

そういえば、ビジョン(vision)、ヴォケーション(vocation)ももともとは人を超えた存在が、突然見せるもの、呼び出すことでした。

地上の人間にとっては意味不明で迷惑なことも静かに受け止める。そして遣わされる(ミッションmission)のも人の性ではないでしょうか。

通訳者・冠木友紀子のプロフィール

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Be動詞の由来はやっぱり…!

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

もうすぐオンライン?新学期。中1から大学生までみなさんもやもやしているのがBe動詞の正体。小さいお子さんならそんなこと考えなくても身体で覚えられますが、大きくなると、身体で覚えた後に頭で整理、心で納得したくなるのです。

I walk, you walk, she walkSと一般動詞の3単現はまだ許せる。でもなに、I AM, You ARE, She ISって違いすぎる。

狭き門より

ドイツ語にもBe動詞はあります。ほかの動詞と全然違います。

その由来を、ルドルフ・シュタイナーはある講座ではっきりサンスクリットと答えて単語も挙げているのです。

英語の am, are, isもサンスクリットの「私、あなた、あの人」が変化したもの。だからほかの動詞と人称変化も時制変化も全然違うのですね。

この講座、シュトゥットガルトのヴァルドルフ学校の先生のために自然科学の講座をしに出かけていったら、ついでに言語についても話してくれと頼まれたそう。 もちろん資料も辞書も準備も何もなし。なのにどんどんラテン語、サンスクリット語、さまざまな引用にあふれていて驚くばかりです。

ただ、講演録はシュタイナー自身の校正、校閲、許可なしに、亡くなってから出されたもので…それでもこうして読めることに感謝して、せいいっぱいの独日訳をしてみます。ふだん英日で十八番にしているさまざまな手法をいったんひっこめて、新境地を味わっています。お粗末さまです。


Geisteswissenschaftliche Sprachbetrachtungen -Eine Anregung fuer Erzieher/Rudolf Steiner

精神科学にもとづく言語をめぐる考察―教育者のための提案
ルドルフ・シュタイナー

第1講

何名か、私たちの友なる方々が、今回の滞在中に、皆さんに言語についても何か話すようにと頼みに来られました。自然科学講座にまして、申し上げておかねばなりませんが、自明のことながら、実に急に出てきたお願いを受けて、このわずかな時間で皆さんに語られることは、ごく簡略なものになるでしょう。自然科学講座での考察にまして、これらの言語観察は善意と寛容をもって受け止められねばなりません、というのも、それらはまるっきり準備なしの即興だからです。何かできるとしたら、とりわけヴァルドルフ学校での我々の授業、あるいは授業一般の役立つヒントを差し上げることでしょう。

おそらく、何に注目すべきなのか、最良の方法で捉えるには、言語を歴史的視点からあれこれ考察してみることでしょう。そこで皆さんにご承知おき願いますが、私が今日申し上げることは、さまざまな把握すべき注釈をゆるくまとめたもので、私たちがこれからのわずかな時間、互いに取り組むであろうことの導入にあたります。

実にはっきりしているのは、ドイツの言語を観察すればわかるように、ある人々の言語において、その発達を通じて、魂の在りようの発達そのものが表れるということです。(後略)

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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全会一致に甘んじるな

「提案に全員の賛成が得られなくて…でもみんなの気持ちが聞けてよかったわ」

ええー?本当にそれでいいの?

起きたことを感謝をもって受け止めるのは素晴らしいことです。

でも 当初の願いとのずれは?

みんなの気持ちはもっと前もって知っておけたんじゃないの?

その提案はグループ内の相互理解促進じゃなくて外の社会に奉仕するためじゃなかったの?

全会一致を大切にしているグループの様子を聞くたびに心配になります。全会一致をスタート時点に固定しすぎていませんか。

昔、貴族の殿さまの命令通りにすべてが行われていた時代は、平民の全会一致は革命的だったのでしょう。そのころはラインもメールも通勤もなく、時間もたっぷりあったのでしょう。

今は生活も技術も複雑化しています。人によっていろんな分野のスキルに差があります。車を運転する人としない人、ウェブサイトを作れる人とそんなのとんでもない人。ビジョン、イメージを共有するのは至難です。そのための説得やプレゼンは大変です。

だいたい、プレゼンしたってその通りになんてなりませんって。

ひとりでもやる気のあることだけ、ひとりでも自腹でも始めなよ。

全会一致にはだんだんと向かえばいい。始めは言い出しっぺと応援者で始めればいい。グループの資産を使うなら、まめに報告すればいい。撤退ラインを決めておけばいい。だんだんと応援者が増えればいい。そして、最後にみんなが「よかったね」と言えればとってもいい。

スタート時点の全会一致は内向きになりがちです。何も動かないのにそれでみんなの気持ちがわかってよかったなんていうのは、私は性に合わないな。

まあ、映画、Fukushima Fiftyをご覧ください。これは非日常ではありません。日常です。生きるとはこういうこと。

みんなで最後によかった、と言えたらと思うと泣けてくる。

公式サイト Fukushima 50

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文学はいらない?魂のこよみ第32週

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者、冠木友紀子です

もう文学はいらないのでしょうか。皆さんはどう思われますか?

つい先日も、先輩たちに「大学で英語を教えられる卒業生がいたら紹介して」とお願いしたら、2人から全く同じことを言われました。

「最近は誰も文学、語学系には進まない。語学力をつけたとしても 国際機関、外資で働いている。」

まるで、文学に進む者は世捨て人である、といわんばかりです。がっかり…。

熟れた実が地に捧げられ…

私はそうは思いません。

文学こそコピーライティングの永遠の流行の宝庫。新しい言葉を生み出す力の源。

「それなりに」英語を使える人はたくさんいますが、英語でコピーや歌詞を書けるひとがどれほどいるでしょう?

確かにこれまで文学教育は受け身に読むことばかりに傾いていたかもしれません。英文科卒の条件に詩作というアクティブな課題なんていいかも。

ルドルフ・シュタイナーの「魂のこよみ」も第32週。私にとって詩の翻訳はアクティブな瞑想です。

ドイツ語3行目のkraftendは名詞die kraft(力、熟練のわざ、など)からのシュタイナーの造語。名詞kraftから動詞 kraften を作り、それをさらに現在分詞kraftendにしたのです。kraftigという形容詞はあるのですが、シュタイナーはこれに満足しませんでした。もっと能動的で動きのある様子は現在分詞でなくては表せないと考えてこの語を作ったそうです。ドイツ語が生き生きと言語を形づくる力を失ってきたのでおのずとそのような語は作られなくなった、だから自分がやってみた、のようなことを語っています(GA299)。

Ich fühle fruchtend eigne Kraft 
Sich stärkend mich der Welt verleihn;
Mein Eigenwesen fühl ich kraftend
Zur Klarheit sich zu wenden
Im Lebensschicksalsweben.

私は感じる、自らの力が実を結び、
勢いを増し、私を世界に授けるのを。
私の存在には力がみなぎり
澄み切った境地で向かう、
人生の巡合せという織物に。

土に還れるエシカルビジネスのための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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「ワーク」って仕事?勉強?シュタイナー「魂のこよみ」第31週に寄せて

ドイツ語祭り続行中の通訳者、冠木友紀子です。

こんなに短い詩に、しかも同じ語が何週も繰り返し登場するのに、毎回一週間うんうん唸っております。

それだけのことはあるんです。多読、乱読、速読では入れない洞窟で瞑想している気分です。

今回はdie Kraft, die Macht、そして das Werkが気になりました。英語で言えばcraft, might, work です。

die Kraft は「熟練のわざ、力」が語源。おお、クラフトって音も玄人と似てる、なんてダジャレです。 die Macht は「大きな力、可能性をはらんでいること」が元です。ありゃ、マッハトってこれはサンスクリットのマーハー、般若心経の出だしの「魔訶」と関係ないかしら、とアタマの寄り道限りなし。 そしてこの2語が女性名詞であるのも面白い、というか当然でしょうかね。いつかインドヨーロッパ語の語源と東洋の言語の語源をじっくり尋ねてみたいものです。

das Werkの英語のいとこ(?)はおなじみwork。仕事、労働、といってもlaborやtoilのこき使われてくたびれた感はありません。taskの人から指示された感もありません。ワークは自らの意志で取り組むことを指すんです。鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように自然。そういえば、このごろワークショップってよくききますね。参加者が主体的にかかわりますもんね。シェイクスピアの作品、なんていのもShakespeare’s Worksといいます。

日本のみなさん、会社でも学校でも大いなる力に支えられ、喜び多い「ワーク」をなさいますように。

Das Licht aus Geistestiefen,
Nach aussen strebt es sonnenhaft:
Es wird zur Lebenswillenskraft
Und leuchtet in der Sinne Dumpfheit,
Um Kräfte zu entbinden,
Die Schaffensmächte aus Seelentrieben
Im Menschenwerke reifen lassen.

光は魂の深みより
外に向かう、太陽のように。
やがてそれは生きる意志の働きとなり
感覚の暗がりを照らす、
さまざまな働きが生まれるよう、
魂に衝き動かされた創造の諸力が
人の営みのうちに熟れるよう。

お粗末様でございました。おあとがよろしいようで。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子プロフィール

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台風で大変だっていうのに「魂のこよみ」23週

台風15号大変でしたね。関東、とくに千葉の皆さん、お疲れがたまっていることでしょう。くれぐれもご自愛ください。

私は聴覚と発声のパイオニア、トマティス・メソッド®の通訳で神戸にいたため、猛暑の晴天下で気をもんでおりました。

どちらにしても、日本の状況はこの週のシュタイナーの詩とぴったり、というわけにはいかないようです。今秋の詩は秋の静けさの中に冬のおとずれを予感しています。ヨーロッパと日本の違いなのか、気象変動のせいなのか…。気をつけてみると確かにかすかに秋らしさ、かなたに冬を感じられなくもないのですが。

今回も困りました。

秋の明るみのうちに冬の気配…?
Es dämpfet herbstlich sich
Der Sinne Reizesstreben;
In Lichtesoffenbarung mischen
Der Nebel dumpfe Schleier sich.
Ich selber schau in Raumesweiten
Des Herbstes Winterschlaf
Der Sommer hat an mich
Sich selber hingegeben.

ここです。5、6行目。
Ich selber schau in Raumesweiten
Des Herbstes Winterschlaf

英訳は「秋の冬眠」としているのですが、それって秋眠?
秋Herbstesはその前のRaumsweitenにかかるとは考えられないでしょうか。英語で言えばin wide space of the autumnてな感じです。

そうすると、目の前にある今の季節のなかに、次の季節がひっそり忍び込んでくる、というモチーフの繰り返しとしても自然では?と思うのです。

秋めいて鎮まる
刺激を求めていた感覚。
あらわな光のうちに混じる
霧の湿った帳(とばり)
私も目を留める、はるかに広がる
秋の内なる冬の眠りに。
夏はもう、私に
みずからを委ねた。

こんな構造を感じます。
1-2行 夏の終わり 
3-4行 明るさの中にくぐもり
5-6行 秋のうちに冬眠
7-8行 夏の終わり 変奏

英語は語順が決まっている、なんていうのは昨日今日の散文だけの話。韻文ではイメージと音を活かすためにとんでもない語順のオンパレード。それでも勘違いしないのは文法のおかげ。まあ、教科書みたいな散文ばかりでは文法も本領発揮せず、面倒なばかり。その妙味も楽しめないとは思いますが。

それにしても、私はドイツ語では新米。ドキドキです。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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シュタイナー「魂のこよみ」に通訳者も困った!

今週の「魂のこよみ」の詩には参りました。ひとつ、らちが明かないことがあったのです。3行目の’empfind’です。 ‘ich’が主語なら ’empfinde’とEが最後につくのでは?つかないのってどんな形?接続法?いや、違う。なにこれ ?!

そこでシュタイナー教育の自然科学教育に詳しくてご著書も多い森章吾さんにお訊ねしました。森さんとはIPMTという医療者限定のアントロポゾフィー医療研修で、幸運にも通訳仲間としてご一緒させていただいたご縁です。

びっくりするほどすぐに届いたお返事には、たぶん韻律の関係ではないか、とのこと。たぶん、の部分は私が調べてご報告差し上げることにしました。

あ…!

ロンドン、緑の木陰で深呼吸

それ、英詩でもあります!文字より音声が優先するのです。 たとえば、シェイクスピアの「As You Like It お気に召すまま」では貴族アミアンスが人々と声を合わせてUnder the Greenwood Treeを歌う場面があります。

Who doth ambition shun,
欲を振り捨てて
And loves to live i’ th’ sun,
太陽のもとに暮らしたいひと(ここにおいで…)

おおすごい。in the sunが i’ th’ sun。 でもアポストロフィがあるからすぐわかる。シュタイナーはどうしてアポストロフィをつけなかったのでしょう?

さて、くだんの詩はこちらです。

 Ich fühle fruchtend fremde Macht 
Sich stärkend mir mich selbst verleihn,
Den Keim empfind ich reifend
Und Ahnung lichtvoll weben
Im Innern an der Selbstheit Macht.

私は感じる、実りゆく未知の力が
勢いづき、私に私自身を授けるのを
私は覚る、その種が熟し
予感が明かにきらめくのを
心の内に、みずからの力に依って。

詩の翻訳は終わりのない旅です。私はイメージの順を守ったり、語源のしぐさを活かしたりするのは得意です。でも、ここにこうして書いても、私の中では終わっていません。ことに、シュタイナーの詩の韻律はほぼ弱強のアイアンビックですが、それを日本語に写すことはできていません。できたところで、日本語として奇妙かもしれません。まあ、翻訳はそういう前例ナシの変なことで言語の枠をひろげるという役割もありますが。

ともかく、詩を訳していると豊かな充電時間を過ごせるのは確かです。気分一新して、また数百枚のパワポを自動翻訳したものの編集へと戻ります。

みなさんはどんな充電時間をお過ごしですか?

訳した感まるでなし、セミナー集客を楽にする通訳者★冠木友紀子のプロフィール


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通訳道場★朝活とシュタイナー「魂のこよみ」

通訳道場参加者限定の朝活。月12回朝8-9時にzoomで稽古(!)しております。

これがいいんです。毎回それぞれ話す内容を準備するのですが、まあ、人の話には思いがけないこと、教わることばかり!話す方も通訳してもらうつもりで話しますから、話し方が整ってきます。相当長いまとまりを通訳していますが、生き生きときれいに訳せています。友人同士ですから、平板な従来型通訳口調ではおかしいですもんね。

今日の話題は…中国で優秀な警察犬のクローンを作ろうとして議論になっているということと、トランプ大統領がグリーンランドを買い損ねてへそを曲げてデンマーク訪問を取りやめたということ。

通訳し合うだけでなく、意見交換もします。

この2つのテーマを重ねて透かしてみると…「対象意識」という言葉が浮かんできました。

自分以外のものごとを「対象」と捉え、意のままに操ろうとする態度のことです。そこに共感や想像はありません。「対象」に与えた痛みをやがて自分も味わうことになるとは思わずに…

私にはシュタイナーの「魂のこよみ」20週目の詩が気になりました。

実はドイツ語祭り(=学習)の一環として、週ごとの「こよみ」の詩を訳そうと思い立ったところでした。

訳そう、と思うと能動スイッチが入ります。ひとこともゆるがせにできません。ああでもない、こうでもない、ここはどうして言い換えてあるんだろう。この語の語源、おおもとの仕草はどんなだろう。もう、ずっと考えています。覚えてしまいます。高橋巌さん、秦理絵さんの訳も、訳者の頭の中を想像しながら、ありがたく拝見します。

これが読者として受け身なままでいると、「シュタイナーってなんか難しい。訳語がカタいんじゃない?」と浅はかなブータレに終始しがちです。

で、あくまでも私訳の試訳ですのでお手やわらかに…

So fühl ich erst mein Sein,  
Das fern vom Welten-Dasein  
In sich, sich selbst erlöschen  
Und bauend nur auf eignem Grunde  
In sich, sich selbst ertöten müsste.
             -Rudolf Steiner

こう私は感じる、自身の在りようを-
遠く世界存在から離れては
己のうちに、己を消し去ることになり
己のみに拠り立てば
己のうちに、己を死なせることになると。
(「魂のこよみ」第20週   冠木友紀子 試訳)

グーグル翻訳もがんばっています…でも、詩や哲学は苦手ですねえ。

それが私が最初に感じる方法です
世界の存在からは程遠い
それ自体で、それ自体を消すために
そして、独自の根拠に基づいてのみ構築
それ自体で、自分自身を殺す必要があります。

持続可能な社会のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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なぜ医療・農業・教育の通訳を???

持続可能な医療と農業と教育の通訳をしています、と言うとよく言われます。

「え??全然違う分野では…?」
「それって、たまたまクライアントさんの分野に興味持っちゃったの?」

ごもっともです。

でも…両方NOです。

この3つの分野、いかにもそれぞれ独自の堅気の商売でしょう?
でも人間だけがひどく必要としていると思いませんか?

健康でいたい、死にたくない…
ひもじい思いはしたくない…
周りよりバカではこまる…

そんな不安がこの3分野をきりのない発展に駆り立てたのかもしれません。

その根源には
「○○ができない、~を持たない自分はだめだ」
「~さえあれば自分は完璧なのに」
という条件付きの自分付き合いがあるのかもしれません。

でも、その発想は幻想できりがありません。
とかげのしっぽ切りのように敵を切り続け、やせ細る。
やがて環境までも搾取で疲弊させる。

この3分野、昔はバラバラではなかったのだと思うのです。

修道院、お寺など、世界各地で精神的な支え(目に見えぬ世界を指し示す人々)を軸に、支え合い、ゆるやかに牽制しあっていたのだと思うのです。

20世紀はじめ、シュタイナー博士にアドバイスを求めた
医師、農家、教員の人たちは、かつての「精神的支え」が失われつつある中、
新な「支え」を模索していたのではないでしょうか。

わたしも今日の「節制の支え」「自己受容」「memento mori」を
キーワードに歩みます。

バイオマスの通訳をするのもそんな思いからです。

プロフィール

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シュタイナー関係の通訳について思うこと

「わかってる」ってどういうこと?

「○○さんの通訳は良いの。シュタイナーわかってるから。それにボランティアでやってくれるし。」

こういうの、多いんですよ。ウンザリしますね。それでも満面の笑みで言われると「あなたたちがその調子だからだめなんだよ。」とは言いにくくなりますけど。

別に「冠木さんはわかってない」というつもりでないのはわかっています。いや、「冠木さんはわかっていない」のほうがいいかも。いや、私も十分「シュタイナー関係の身内」でしょうし、「専門用語がちゃんと出てくるわかってる人」と思われていることでしょう。でも、「わかっている」つもりなんてないのです。アントロポゾフィーに限らず、ある分野を知れば知るほど未知の領域が広がるばかり。「学んでいます。励まされています。」とは言えたとしても。

ひとのことを「あの人わかっている」ってどういう意味だろう?

たぶん、海外のナニヤラカレッジなどに留学してコースを修了、そのまま在住してその関係の仕事もしていて、「自分よりわかっているはず」。専門用語もすらすら出てくるしね。まあ、こんなところでしょう。

春の芽吹きは凍てつく冬に準備してこそ。スウェーデン、イエルナにて。

主催者も聴衆も楽をしている

つまり、楽なんです。主催者は通訳してもらう分野を通訳者と打ち合わせをする必要がない。聴衆はクリティカルに訳を聞く必要がない。たとえ通訳者が聞こえなかったところをたまたま知っていた専門用語でつくろったとしても。

むろん、無駄な骨折りは必要ありません。でも、なにか本気でやろうとしたらアマチュアの仲間どうしで「楽」をしていたら黄色信号。

プロはプロと組み、参加者に最善の貢献をしようと真剣です。

シュタイナー関係でも医学関係は卒倒するほどの資料を提供してくれます。録音、録画もして、病名の言い間違いなど許されません。

この夏からご縁のあるオステオパシーの講座はさらに多くの資料を提供し、直前まで私のような門外漢の質問にも丁寧に答えてくれました。

オーガニックオリーブオイルの商品発表会での通訳のために、実際に購入しようとするとプレゼントとして全種類が送られてきました!私がJAS規格や国際的なオリーブオイルの基準まで頭に入れて臨んだのは言うまでもありません。

これらの分野で私は猛勉強の門外漢。「私はわかっていません」ので組む相手のプロに質問しまくります。そしてどうしたらこの商品、サービスがよりよく活きるだろうとコンサル的視点で俯瞰しています。終わった後でも情報提供は惜しみません。

異質のプロ同士が組むと掛け算になります。地の塩、世の光にはこの掛け算が大切では。

確かに、通訳養成は受けていなくても、アントロポゾフィーに生涯をかけていて、素晴らしい訳をなさる方もあります。私も大好きな方が数人います。

でも、主催者はシュタイナー関係で通訳を依頼する時、手抜きしすぎていませんか?いつ、だれがどの形式で通訳するか、ちゃんと想定していますか?なじみの仲間でもきちんとした打ち合わせをしていますか?

聞いた話ですが…ある講座でプロの通訳ではない方が日本人参加者の自己紹介のときに沈黙。海外講師が置いてきぼり。同通ウィスパリングが必要なことを確認していなかったのでしょう。その場になって「できないからやらない」だったようです。

え?プロの通訳に頼んだら散々だった?

通訳の出来栄えは通訳者の力量だけでなく、事前に主催者が本気で関わったかどうかが反映されます。

その通訳者に事前に会いましたか?本を渡すだけでなく、思いを伝えましたか?あなたにとってのアントロポゾフィーを自分の言葉を尽くして語りましたか?

医学、オステオパシー、オリーブオイルはちゃんとやっていました。

プロ通訳者は言葉に体験そのものと同等のインパクトを感じる異能集団です。言葉を尽くす人をアントロであるなしにかかわらず尊びます。

彼らに通じなかったら、なおさら世には…

私はシュタイナー関係の通訳をサイマルやNHKに在籍する通訳者に依頼し、事前に仕込み、あの通訳口調を直させ、結果として関係者を唸らせる自信があります(彼らの人生も変わるかも)。

実際そうしないのは、自分の仕事を回してもしょうがないから。

私は、シュタイナー関係であるとないとによらず、自分の生きる時代にしっかり地に足をつけて社会貢献したいと願うプロと、これからも手を組んでまいります。

これを書いた人のプロフィール

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