無駄な力が入っている新人にこれを言ってもしょうがない

「力入ってるよ、力抜いて、楽にね~」
「はい!」
緊張して一生懸命な新人に先輩が声をかける。音楽でも、スポーツでも、通訳でもよくある場面です。この「はい!」の次の1回はなんとか意識的に力を抜けることもありますが、その次は見事に元通り。

なぜでしょう。

こりゃ老眼には厳しい…

力が入っている、というのは「頭コントロール」状態です。カラダで気をつけるポイント、たとえばトマティスの骨導発声でいえば、重心の位置、胸郭の広がり、後頭部の角度、耳と目の角度…19も気をつけるポイントがあるといいます。これをアタマで指令、監督していると忙しくて、しかもバラバラ。ばらけないように身体は力を入れる。バラバラなからだをまとめるのに力が必要なのです。力が入るのは、指令に応えるための身体の精いっぱいの応答なのです。無駄ではありません。

ここで先輩が「力抜いてー」といっても、外部からの指令がひとつ増えるだけ。気をつけポイントがひとつ増えるだけ。しかも自分と矛盾する。

じゃあ、どうすれば?

頭コントロール、身体バラバラの状態で1000回でも10000回でも練習すればよいのです。

身体に動きがしみこみ、頭の指令がいらなくなり、自動化するとおのずと力が抜けます。おのずと、です。

頭のコントロールを言葉や意識で身体に譲り渡すことはできません。それがcorporeality身体的リアリティということです。

私ならなんと言うでしょう?

「力入ってるね。(これは言わなくてもいいと思っているけど、気づきを促すため)まあ、10000回やってごらん。」

10000回はなかなかできませんが、そう言われると100回くらいはちゃらいものです。体感の変化を実感するには充分です。

ことばの世界の美しさ、奥深さに目をみはる【通訳道場★横浜CATS】 

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オバマ大統領 広島演説 「道徳の目覚め」に思うこと

オバマ大統領の広島演説、少しずつ積み重ねた通訳もひととおり終わり、今は余韻の内にいます。

なんとなく気になって仕方なかったのは終盤の「道徳の目覚め」。

立場を特定せず、みんなに「道徳の目覚め」を呼びかける…?
そういえば、アメリカの大統領としては文学的すぎるっていう批判も見かけたし…。

でも、何かある気がしてならず、しばらく自然に引きずることにしました。

そしてふと思ったのです。

自分のなかの加害の種と向き合う

私にとって「道徳の目覚め」とは「自分のなかの加害の可能性を見つめること」なのだと。

「加害者」の側、ではありません。ナチス、広島における米軍、泰緬鉄道における日本軍、ポルポトの側、ではありません。

加害行動と人間を分けたいと思います。

「加害者」とすると、加害行動を特定の時代、地域に生きて「悪さ」をした人たちに押しつけて蓋をしてしまいそう。そうではなく、自分も「悪さ」の種をひっそり持っているのでは、と問いたい。そのために人と行動を分けたいのです。

そもそも、みな赤ちゃんの時は何も持たず可愛くオギャーと生まれます。100%邪悪な人間も、100%善良な人間もいません。生きているうちに天使と悪魔を併せ持つようになるのでしょう。

加害の可能性を思う。

そう考えたら、詰まっていた鼻がすっきり通ったような思いがしました。

日本人だから日本軍のしたことを謝罪している?

たとえば英連邦墓地での戦没捕虜追悼礼拝。

日本軍が捕虜を虐待したのでのちの世代の私たちが追悼、謝罪しているというのも事実です。でもそれだけではありません。

一個人としてあの虐待の種を持っているのでは、問うているのです。

被害者を労り、償うのも大切なことです。

ただ、被害者の心境を想像するのはそう容易とは思えません。少なくとも私には、自分の中の悪さの種のほうがリアルです。

悲惨な事件について街頭インタビューで答えるひとたちが被害者に共感し、加害者を捌くような物言いをするのをときどき見かけます。

多数派の耳に心地よいこうしたプチ裁きに一体何の意味があるのでしょう。

自分のなかの加害の可能性にまず思いを致すことなく、被害者の心境に同情し、正義を語るのはノゾキだとすら思うのです。

律法学者やファリサイ人が姦淫の現場(!!!)から引きずり出した女を連れてきてイエスに石で打ち殺すんだよね、迫ります。地面に何か書いていた(ここ面白い)イエスはこう答えます。

「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってうき、イエス一人と真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「女よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを積みに定めなかったのか。」女が、「主よ、誰も」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない。」
(ヨハネによる福音書 8章7節より できたてホヤホヤの聖書協会共同訳聖書より

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人は生まれ変わる?

人生は一回きり!と信じてもいいし…
人は生まれ変わる!と信じてもいい。

でも、どっちかは正直いってわからない。

まあ、そういうことは死んでみなくちゃわからないし、
死んじゃったらわからないかも。
そんなこと考えてる暇があったら今日に集中!

なんて私は思っていました。

でも、このごろ、死ななくても人は生まれ変わり続けていると
思うことが多いのです。

どういうこと?

半年くらい前のこと。通訳道場のEさんと毎日のようにやりとりしていました。友人Tさんの紹介で出会ったEさんとはびっくりするくらいご縁があって…

ふと思ったのです。去年の今頃、私はEさんがこの世にいることすら知らなかった、と。その頃の自分を思い出すと、前世としか言いようのないほど遠く感じられました。

その変化は、ああなりたい、こうなりたいと自分のアタマで考えるよりずっとダイナミックであるように思われました。

(まあ、出会いといっても誰でもOKではなくて、昼間のアタマが考えるのとは違う次元でなんらかの選択はしているのでしょうけれど。)

ずっと前からTさんの世界にはEさんと私の両方が存在していたことも不思議です。

あなたがすでに知っているAさんをBさんに紹介することが、それぞれが生まれ変わるくらいの体験につながる。

人は出会いで生まれ変わる。

それってちょっとステキなことだと思いませんか。

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子どもに「将来の夢」を職業で答えさせるのに違和感があるなら

小学校のクラス文集でよく見かける「将来の夢」。

弁護士…公務員…学校の先生。

職業で答えさせることに違和感を覚えたことはありませんか。

子どもたちが大人になるころ、保護者、先生の世代が知っている職業はもうなくなっているかもしれません。 

でも「ユーチューバー」なんて答えられると今度は大人がぽかんとしてしまう。

ご自身が子どもの頃はいかがでした?

私は幼稚園の頃に「ケーキ屋さん」「お花屋さん」と答えたのを覚えています。いや、答えそのものより違和感をはっきり覚えています。嘘じゃないけれど、なんか違う。我ながらガラじゃない。でも憧れの役者、歌手、武士なんて答えたらめんどうなことになりそう…。

ふと思い浮かんだのは、身近な「魔法使い」みたいな大人たち。

ケーキ屋さんすごい…どろんこみたいな生地があっという間にきれいなケーキに…。

お花屋さんすごい…お花って組み合わせで雰囲気ががらっと変わる。

自分でケーキを焼きたかったわけではありません。
お花を売りたかったわけではありません。

自分の手で変化を起こし、思いがけない新たな美しさを生み出す。そうして人に驚き、喜んでもらう仕事を素敵と思っていたのです。振り返ってみると、幼い憧れの中にいまの通訳につながるものを感じます。

子どもに「将来の職業」を訊くなら、「なぜ」をもう一歩掘り下げてみてはいかがでしょう。

子どもに「将来の自分の職業」を訊く代わりに「身近な魔法使いは誰?」を訊いてみてはいかがでしょう。

人間、生きていること自体すでに労働であるという考えもあります。

Carpe diem. Seize the day.
今を生きよ。

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「目標から逆算」がしっくり来ないあなたへ

「目標を設定して、そこから逆算して行動すればいい。」これがしっくりくる方にはまるで役に立たない話です。

私はどうも違和感があったのです。何か抜けている気がしてならなかった。

確かに何かを成し遂げてから振り返ると登ってきたステップが階段のように見える。でも下から見ても階段には見えない。見えたとしても袋小路やまわり道のよう。

なぜ? 

下から見上げる人間はまっすぐな階段を探すから。でも実際は直線ではない。めちゃくちゃでもない。きっと美しい螺旋になっている。

この世に直線はないのですよ。出典はhttps://artsfield.files.wordpress.com

そして踏み板と踏板の間にはクレバスがある。積み上げたものをすべて一度ゼロ以下にするようなクレバスが。 

でも周りから一切光が入らないこのクレバスで上を見上げたときにしか見えない光源がある。その光源を見上げて登り続けると、あるとき次の踏み板の上に出る。一度失ったと思ったさまざまも、別の姿で甦る。

このクレバスこそひとりひとり独特。その時は苦しくても振り返ればただ恩寵としか思えない。

深い成長はアモルファス(非連続)なのだと思います。

たぶん、目標設定、逆算が有効なのは幅の広い一枚の踏み板の上を進むときなのでしょう(右向き青矢印)。たぶん私は単に「予定」と呼んでいる。

階段と踏板には複素数と実数くらいの違いがある。

螺旋階段に複素関数を想いうかべています。

天邪鬼?いいえ、ひま人です。

通訳道場★横浜CATS 第3期はこちら

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映画「今を生きる」とエイブラハムと…

「先生、これが私の学生生活最後の授業なんです。」

え、責任重大だ。だけどよかった。今日ははなむけにある映画のシーンを用意してきたから。「Dead Poets Society」(邦題:今を生きる)から、iPad air のCMにもなったところ。

そういえば、初めて見たのはこんなふうに大学の先生のおすすめで…28年前!…一世代巡ったのね。今でも見るたびに「私もキーティング先生であろう」と思う。まだまだなのだけど。(ちなみにJohn Keatingという名はJohn Keatsの現在進行形のような気がします)

(以下、著作権侵害の意図はありません。みなさんぜひちゃんと借りるか、買うかしてくださいまし。)

 

 

We don’t read and write poetry
because it’s cute.
We read and write poetry
because we are members of the human race.
And the human race is filled with passion.
Medicine, law, business, engineering,…
These are noble pursuits
and necessary to sustain life.
But poetry, beauty, romance, love…
these are what we stay alive for.
To quote from Whitman;
“O me! O life! of the questions of these recurring,
Of the endless trains of the faithless,
of cities fill’d with the foolish, …
What good amid these,
O me, O life?Answer;
That you are here –
that life exists and identity,
That the powerful play goes on,
and you may contribute a verse.”
“That the powerful play goes on,
and you may contribute a verse.”
What will your verse be?
僕らが詩を読み書くのは
なにもステキだからってわけじゃない
僕らが詩を読み、書くのは
人類の一員だからだ。
そして人類は情熱に満ちている。
医療、法律、ビジネス、エンジニアリング
これらは尊い探究の道で、
命を支えるのに不可欠だ。
しかし詩、美、ロマンス、愛…
これらゆえに僕らは生きている。
ホイットマンを引用しよう
「おおこの私、命よ 問いはこのように繰り返し…
きりもなく列なす信心なき者たち
都会を満たす愚か者ども
なんの意味がこんなものにあるか、
おお、この私、命よ答え
君がここにいるということ ―
生命が、アイデンティティが存在するということ
力あふれる劇は続く。
そして君も一篇のうたを寄せることができる。」
力あふれる劇は続く。
そして君も一篇のうたを寄せることができる。
君はどんなうたを寄せるのか。

で、届いたばかりのジェイ・エイブラハムの「限界はあなたの頭の中にしかない」を行きの電車の中で読んでたら…この映画と響き合うこと。もう驚いた。電車乗り過ごしそうになった。この本にもキーティング先生、ホイットマンの言う「verse うた」があふれている。(キーティング先生はビジネスをnoble pursuitとしているけれど)

この本はお世話になっている方のおすすめで手に取ったもの。翻訳者の島藤真澄さんの取り組みもすごい。エイブラハムの理念をアジアに伝えている島藤さん。東日本大震災を味わった日本の若者を励ましてほしいとエイブラハムに直談判したそう。訳語も丁寧に本人に確認するなど本気の共同作業のエピソードも。売らんかなっぽいビジネス洋書をその辺のビジネスがわからない翻訳作業者に放り投げたものとは次元が違います。ちょっと良しとされる変化の方向がアメリカ的過ぎる気もするのだけれど、それは脇に置いておきます。少々ご紹介。一読おすすめします。

人から興味を持たれたいのなら、まず、人に興味を持ちなさい。
あなたが人から感動されたいのなら、まず相手に感動しなさい。

口先だけの「凄いですね」という言葉では、まったく伝わりません。人に感動を与えたいのなら、相手に生きた質問をする必要があります。お互いの接点について深く理解をすることです。
そういった人との交流から、あなたの価値は作られるのです。
あなたの独自性、才能とは「相手が認めた価値」である、ということを忘れてはなりません。
(62ページ)

時間を売って、しぶしぶ最低限の、クビにならない程度の価値しか想像できない仕事のやり方では、あなたの手元にお金が残ることはないでしょう。あなたは仕事を通して、あなたの職場や、お客様や、あなたと接する人に何かしら価値を届けることで、少しずつ豊かになっていきます。より良い価値を創出することに焦点をあててください。それはすばらしい笑顔で接客することかもしれません。見えない場所もきちんと掃除をし、場の空気まできれいにすることかもしれません。
(85ページ)

では、最後に質問をひとつ。

What will your verse FOR OTHERS be?

さて、こちらの学びは年中無休。

 

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