医療通訳の準備に思う、患者は忍者?

通訳は専門用語をきちんと把握していることが必須です。

専門用語という「点」が頭に入るには、点と点をつなぐ線、専門領域という「面」を理解することも必要です。ただの単語暗記では思考の流れについていけません。

なかでも準備にきりがないのは医療の通訳。日進月歩の技術とともに新しい言葉も生まれ続けています。

そんなとき、ふと気になるのがごく当たり前の言葉。

たとえばpatientは「患者」でいいのでしょうか。

話し手の頭の中の景色を聴き手の頭の中で再現するのが通訳

個人的には患者の「患、わずらう」という字がなんだかフナムシみたいで…具合の悪いときには見たくない気がします。

語源によると、patientはまさに「耐え忍ぶ」。(インパチェンスimpatienceという花がありますが、種に触ると弾けて飛ぶ様子が「不」「忍耐」というわけです。)

patientは「患う者」ではなく「忍ぶ者」、なんと「忍者」ではありませんか。身体の状態ではなく、心のありようを表しているように思えます。

と、こんな寄り道も準備の楽しみのひとつです。

通訳道場★横浜CATS 第5期 ご相談承ります

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今日はいい日でした。

今日はうれしい日でした。日能研とシュタイナーのアントロポゾフィー医学の医師会がなんとも楽しい時を共にしたのです。両方とも通訳者としてとてもお世話になっている大事なチーム。いつかコラボを!と願っていました。

 え、シュタイナーの医学講座が中学受験の日能研で?

 でもよく考えてみて。日能研は公立中高があるのにあえて私学中高を望むご家庭と縁のあるところ。しかも日本ではなく世界のユニークな学びの取り組みをいち早く取り入れている。保険でカバーされる病因撲滅作戦に違和感を抱く人々と相性ぴったりではないですか。

 そもそもの始まりは…

 2004年のことでした。ある私学に務める友人が「あなたの好きな『シュナイダー』(!)のセミナーがうちの学校を会場にして開かれるから、来てみたら?」と言うのです。その頃の私は人生のどん底で、通訳修行に救われながらも、二度と日本の教育には関わりたくないと思っていました。それでも手続きもそこそこに出かけてみると…なんと日能研が主催するシュタイナー教育の理科セミナー。講師はオーストラリアのブライアン・キーツ先生でした。通訳していたのはアメリカ育ちの若い方。ちょっと苦しい通訳でした。彼の日本語では思考の流れが見えなかったのです。

とはいえ私も脇から口をはさむのははばかられました。ある学校で先輩教員の誤訳を指摘したために嫌がらせを受け、そのショックが残っていたのです。気になりながらも10のうち2を言うのがやっとでした。

 そのとき、日能研のリーダー、みっきー氏がちょこちょこっと私のほうへいらしたのです。

 まただ。

 「君、もう帰って。もう来ないで。」と言われるにきまってる。

私は排除されるのに慣れていました。

 …ところが!

「ねえ、もっとじゃんじゃん言って。君の訳と説明ですごくすっきりする。」

 拍子抜けしました。

びっくりは続きます。

 「シュタイナー関係もサイエンスとアーツをわきまえたプロの通訳が必要。でもだいたい経営がうまくなくてプロは雇えない。うちのメンバーになったら。うちの通訳を最優先にしてさ、空いてる時間はこちらの給料の範囲と思ってあちこちのシュタイナー関係団体で通訳をしたら?」

 ありがたくあちこちへ行きました。

 ところが疑問が沸き起こりました。通訳に1日で2万円しか払えない、という団体はそもそもなってない。相場を知らない。チラシが自己流、配布のタイミングも遅い。誰の役に立ちたいのかあいまい。ただ体制に駄々をこねたい。社会貢献より趣味優先。値決めも間違っている。この調子では誰かに私のギャラを負担させているのでは、という想像は働かない。

 このころ、みっきー氏と氏が応援していた北海道の団体との親しさが目立っていたのも事実です。「北海道がうらやましい。冠木さん、みっきーさんの寄付を引っ張って来て」としばしば言われたものです。そんなのまっぴらごめん、まったく不健全でした。

春の芽吹きは凍てつく冬に準備してこそ。スウェーデン、イエルナにて。

そこでホリスティックな経営を共に体験できるツールを探しました。それがトータルゲームです。シュタイナー関係の多様な方々に体験していただきました。もちろん医師会の忍先生、百合子先生にも(←空前の超人成績)。

日能研、アントロポゾフィー医学の医師会、トータルゲーム。

共通点は新しいルールを作る人たち。この人たちはひと、もの、お金の流れを気血水の流れのように見ることができる。

今日はばっちりタッグが組まれた実感があります。ありがとう!

ああ、これからが楽しみ!またご一緒しましょう。

ライブ同通上映会「ルドルフ・シュタイナーの挑戦」とバイオダイナミックを味わう会

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風邪はちゃんとひこう

もうしばらく前のことです。私は1か月も風邪をひいていました。
 
なんでそんなことになった?
 
答えは明快。
 
ちゃんと風邪をひかなかったから。ごまかそうとしたから。
 
私の風邪のはじまりはいつも急な高熱。お、来たな、不摂生、不衛生のお叱りが来たな、と思ってお迎えします。食欲はゼロ。ひたすら寝る、汗をかく。ぬるいお湯を呑む。そうこうしているうちに峠を越えた感覚があって、熱がひくとそりゃもう爽快!

今回はそういうわけにもいかず、薬の力を借りました。それで用事の責任を果たせたのは有難いことでしたが…。

でもなんだか変。表面の熱はひいているけれど、深いところでボヤが続いていて…変に乾燥して、いつもはやられない喉までガラガラ。ブレーキふみながらアクセル踏んでいるみたい。こんな調子で1か月かかったのです。

いつもの爽快感も全くありません。

 
この手のことを繰り返すと…生き物として鈍る。きっと大きな病気になるまで気づかなくなる…そんな気がしました。
え?寝てる時間なんかない?じゃあ、くれぐれもお大事に。

働き方、暮らし方を見直してもいいかもしれませんね。

結局この社会、生きるだけで高コストになっているかもしれません。

プロフィール

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著者の頭の中の風景が蘇る翻訳のコツ

―さて、こないだの翻訳、これが気に入らなかったのでしょ?

This textbook of internal medicine is aimed at colleagues, medical students and other therapeutic professionals, who, like the author himself, are looking for a healing art with an understanding of man’s body, soul and mind. Presently medical practice is dominated by a pathophysiologically oriented understanding of disease, in which the essence of sick people is not captured.

この内科学のテキストは著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探している同僚、医学生、諸療法のプロをねらっている。今日の医療実践は、病むひとびとの本質は捉えられていない、病態生理学寄りの疾病理解に支配されている。

一見よくある訳文だけれど…。イメージの順番を不必要に入れ替えていたから、話の順序が変わって頭がこんがらがった。で、どうなった?

日々の積み重ねのみが身につく。

この内科学テキストの対象は、同僚、医学生、療法士、なかでも著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探し求める方々である。今日の医療実践で優勢なのは病態生理学寄りの疾病理解であり、病む人々の存在の本質は捉えられていない。

―あら、ずいぶん順番入れ替えが減ったのね。気になるところはある?

「療法士、なかでも…のところが、関係詞が限定用法ぽくなってしまって…」

―なかでも、をダッシュにするのも、最近はOKみたい。編集者さんと相談した方がいいと思うけれど。

―書き換えて気づいたことは?

「1文目の終わりにan understanding of man’s body, soul and mindが来ていて、次の文のpathophysiollogically oriented understanding of diseaseとコントラストになっている感じがしました。presentlyの前に“ところが”のニュアンスを感じます。著者がこれはまずいんじゃない?と思っている、そんな気持ちを感じました。」

―そう。人が何かを表現するとき、心が動いていないことなんてめったにない。文章の用向きによってはそれをあからさまに安易に表現するのがはばかられる場合もある。そういうときは文体、レトリック、語順の構造にしのばせる。そして自分の頭の中にある風景がちゃんと蘇るように仕込む。このたった2文で著者が一番気にしているのはなんのことだと思う?

「2文の最後の『患者さんの存在そのものの本質が置いてきぼりになっている』でしょうか」

―私もそう思う。たった2文だから大したことないようだけれど、これが1200ページ積もったらどうなるか…だいぶ読みやすさに差がつくでしょう?

気をつけることはシンプルです。まず構造の通りに読む。返り読み英文和訳で内容を確かめるという人もいるけれど、必ずもとの構造に戻ること。

ご参考までにもとのドイツ語を。構造的には英語といっしょ。もう英独蘭語なんて群馬、栃木、茨城弁みたいなものです。フランス?あれは青森。日本はミニチュアヨーロッパ。

Dieses Lehrbuh der Inneren Medizin wendet sich an Kolleginnen und Kollegen, an Studierende der Medizin und Interessierte der anderen therapeutischen Berufsgruppen, die -wie der Autor selbst- nach einer Heilkunst mit einem leiblich-seelich-geistigen Menschenverstaendnis suchen. Gegenwaertig dominiert im aerztlichen Alltag ein patholophysiologisch orientiertes Krankheitsverstaendnis, in dem das Wesen des erkrankten Menschen nicht vorkommt.
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I love you は「私はあなたを愛しています」?―翻訳をめぐる思い込み退治します

「翻訳頼まれたのだけど大変。」

―おや、また何が?

「英語を読むとわかるんだけど、日本語が出てこなくて。」

ーどれどれ。

This textbook of internal medicine is aimed at colleagues, medical students and other therapeutic professionals, who, like the author himself, are looking for a healing art with an understanding of man’s body, soul and mind. Presently medical practice is dominated by a pathophysiologically oriented understanding of disease, in which the essence of sick people is not captured.

この内科学のテキストは著者と同じように人間の身体、心、精神の理解を伴う治癒のわざを探している同僚、医学生、諸療法のプロをねらっている。今日の医療実践は、病むひとびとの本質は捉えられていない、病態生理学寄りの疾病理解に支配されている。

ははあ。よくあるタイプの訳文。これで通用しているのもいくらでもあるけどね。訳文は読みにくいもの、と世間もあきらめちゃってるみたいだし。

でもあなたは気に入らないのでしょう。そのセンスは大したもの。きっと心の中でちゃんと音読、イメージ変換をやっているのだと思うよ。それでうまくいかないから気持ち悪い。 

あはは。「ねらっている」「支配されている」は辞書依存。ここは自分で考え直して。

私から今回は1点だけ、でも根本的なことを指摘します。

語順入れ替え訳だと…ニアミス、接触、墜落?

英語と日本語は語順が違う、という19世紀みたいな思い込みから自由になって。

I love youを「私はあなたを愛しています」と訳して「おお、日本語と英語は語順が違う」なんて言ってない?

「私はあなたを愛しています」なんて言いますかね。そんなこという人と付き合いたいですかね。こんなこと言われたら「へえ、そうですか。で、それが何か?」って返したくならない?

英語の主語に「は」「が」をつければ日本語の主語になると思ってない?

だいたい日本語と西洋言語では「主語」「述語」の概念が同じではありまでん。また、主語、述語、という概念がちょっと古い。それに学校で習う英文法は英語にとっても無理であるラテン文法の影響も残っている。

言葉もひとももっと自由。言葉の向こうには人がいる。

これは私の感覚なんだけれど…人はインスピレーションを受けてイメージが湧いた順に口を開く。先に思いついたことを後まわしにして、後から思い浮かんだことを先に言うなんて面倒くさいことをするほどひねくれてはいない。

だから「テーマ→謎かけ→答え」「旧情報→新情報」の順で語られること多い。ためしてガッテンだって「はい、テーマです!」って言ってからクイズでしょ?

 I love youをイメージ順どおりに辿ると、loveの花束をぐっとyouに差し出すしぐさが見える。「おれ好きなんだ、お前が。」でいいじゃない。この「お前が」は「が」がついてますけど、主語ですかね?

語順いじりは最低限で。さもないと紙芝居がめちゃくちゃになります。ABC,CDE,EFGと続いていたお話がACB,CED,EGFとなったら…頭が船酔いします。

ただ、別のお話を勝手に造るのは犯罪です。防犯には英語そのものの構造感覚、文法に基づいて語と語の関係を正確無比に把握すること。

では、がんばりたまえ。

本当はね、通訳と翻訳はひとつのことよ。

 

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通訳レポート:オランダ「精神科医療にシュタイナーの風」

精神病ってなんだかこわい、家族がなったら恥ずかしい…
そう思ったことはありませんか。
え、自分は100%精神疾患フリーのつもり?

私はそうは思わない。自分はいろいろ持っているけど、たまたまバランスがとれているだけ。え、崩れてます?あ…。

どんな病であれ再び歩き出す力は、人に大切にされることで自分の内から湧き上がる。だから心病む人こそ大盛りサービスで大事にされてほしい。

シュタイナーのアントロポゾフィー医療を学び実践する医師の友人たち。この方たちは天で待ち合わせをしてきた兄弟姉妹の気がします。なかでも精神科医の姉妹たちの献身ぶりには脱帽。以前から日本の精神医療の「当然」がどんなに「自然」でないかを切々と語ってはおいででしたが…なんと昨年来、オランダで活躍するケン・タナカ医師を招いて講演会を開いておられます。お仕事、ご家庭、講演会企画、運営…。変えたい、と本気で腹を決めた人には1日は48時間なようで。

オランダ育ちのケン先生は英語のほうが講演はお楽、というので私は通訳をお引き受けしています。

ケン先生はベルナルド・リーフェグッド(Bernard Lievegoed リーヴァフッドとも)の名を冠したリーフェグッド・クリニックの精神科ディレクター。リーフェグッドはアントロポゾフィーを軸として組織開発、自分史ワーク(バイオグラフィーワーク)など時代のニーズに向き合う取り組みを先駆けた方。

このクリニックでの取り組みも「考えてみればおかしな常識」から自由です。まずクリニックである以前にコミュニティ。お医者さんも患者さんもお互いを「メンバー」と捉えます。だから初診でお医者さんは開口一番「さて、あなたはこのコミュニティにどんなことならおやりになれそうですか?」だから受け身に薬を飲み続けることはありません。言葉によらないセラピーを体で味わいながら、コミュニティに必要な仕事に取り組みます。

3週間ほど前のこと。大阪でも講演会がありました。「7月の東京の時とは内容をだいぶ変えたんですよ。」とケン先生はにっこり。今度は現場のエピソードをたっぷり増やしておいででした。

印象的なエピソードをひとつ。

50代のある男性は長年うつに苦しんでいました。いくつもの病院を経てリーフェグッドにたどり着いたそう。

リーフェグッドではスタッフが患者さんのしぐさ、表情を模倣して、自分の身体をとおしてその人の世界に想像をめぐらせます。「共感的(心寄せて)観察」と言います。

この方はいつも前のめりで机に伏すような姿勢。皆で模倣して、どんな職業が思い浮かぶかやってみると…あるスタッフが声を挙げました。「あ、ブラッド・メルドーみたい!」なんと有名なジャズピアニスト。ではジャズピアニストに大切な資質は何だろう…繊細で、精確であること。これが彼が求めているもの。(薬でなく!)それが身につく活動に取り組むことになりました。ジャズピアノそのものではありません。この方の場合は木工。 やがてこの方は木工、裁縫で一目置かれるようになり、人に教えるまでになりました。

「共感的観察」ではその人の心の声に集中する。投薬は最後の手段に過ぎません。

ここで「うつも治りました」となるとありがちなハッピーエンド。それもいいけれど、人と人の間に居場所を得られたことのほうが大事な気がするのです。

人は人の間で病み、人の間で癒える。病はひとりのものではない。そう思います。

大阪も、通訳冥利につきる至福のひとときでした。お聞きした瞬間、透明にしておいたはずの心が感動。日本語でこだまする機会を与えられていて…目の前に日本語を待ってくれている方たちが沢山いらっしゃる。

ありがとうございました。

オランダ見学ツアーに関心がおありの方、問合せフォームからご連絡ください。時期、日数等ケン先生とも相談しながら決めましょう。

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シュタイナー医療講演「身体の神秘・鳴り響く音楽」と”中心をもつこと”

痛みには鎮痛剤。発熱には解熱剤。ウィルスには抗ウイルス薬。細菌には抗生物質。 悪いところは切除。食べられなくなったら胃ろう。

確かに必要なときもある。でもいつもこれでいいの?と思ったことはありませんか。

症候を「敵」のように見なして「やっつける」のをよしとする発想は次々と敵を生むだけ。しかも相手も強大になる。次々と新しい薬が必要になる。これでは人間は自然の一部であるはずなのに、自らの「とき」がわからなくなる。症候との付き合い方を自分で決められなくなる。不安に追われる生き方になる。

シュタイナーのアントロポゾフィー医療は通訳として私が最も優先する分野。

「感謝」と観察に基づく「哲学」があふれているから。古代の叡智が尊ばれているから。何も憎まず、病をも「大切な経験、メッセージをありがとう」と受け止めるから。その成果は身体的な症候の解消にとどまらず、もっと深い喜びに繋がっているから。

昨日開かれたシュタイナー医学入門連続講座の最終回は超満員。講師の山本忍先生はいつもご自分のみずみずしい言葉で驚きの洞察を語ってくださるので大人気。

講演は「身体の神秘・鳴り響く音楽」というタイトルどおりの壮大なもの。 通常の科学でも知られている魚類から人間への心臓の進化に人間の知性を読み取ったり、手足の骨の数の意味を読み解いたり…すみずみまで感謝と哲学が響いていました。

そして印象的だったのは「中心を決める」ということ。

忍先生にとってアントロポゾフィー医療は「中心」なのだそうです。

ホリスティックセラピーを自称する手法は星の数ほど。シュタイナー関係でも次から次へといろいろなメソッドに手をだすのを見かけます。でも違和感がありました。だいたいどれも半端。半端だからあれこれ手を出す。資格ビジネスにはまる。欲深い人が集まる。困る。

忍先生もいろいろご存知だけれど決定的に違う。 それが中心があるかないか、ということ。

先生は一度、長年続けてこられたその他のセラピーをすべて捨て、アントロポゾフィー医療を究める覚悟をなさったそうです。そして問いを投げては信じて待ち、答えが与えられる、をじっくり繰り返し、やがてアントロポゾフィー医療が中心として定まったそう。 するといったん捨てたものも収まるべき位置に再び収まったとのこと。決して並列的にではなく。

この道は内的な道。

私の中心は…アントロポゾフィー通訳法と言いたいところだけど、それはまだありません。なのでアントロポゾフィーを土台に少しずつ創っているところ。

あなたがどうしても残したい一つは何でしょう?
どうかあなたの旅路も守られていますように。

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