ネット検索時代、頭の中に知識は不要?

今日、ネットを検索すればたくさんの情報が得られます。ならば頭はスッカラカンでよいでしょうか。知識を覚えることは旧弊で無意味でしょうか。

「そんなはずはない。でも『もう覚えなくていい』という若いもんをうまく説得できなくて。」という方に”Urban Myths on Learning and Education”共著者のひとり、オランダ・オープンユニヴァーシティのポール・キルシュナー教授(教育学)が味方します。

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what we already know determines what we see and understand, and not the other way around. It is our prior knowledge and experiences that determine how we see and interpret the world around us. It is also our prior knowledge and experiences that determine how successfully we are able to search for, find, select and process the information available on the World Wide Web.

すでに何を知っているかが我々が見るもの、理解することを規定する。逆はない。先立つ知識と経験が周囲の世界をどう見て解釈するかを規定する。どれほどうまくネット上の情報を検索し、見つけ、選び、処理できるかを決めるのも先立つ知識と経験だ。

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ベテランの教育関係者は、若い学生たちが器用にスマホをいじってひっきりなしに検索している様子を見て、すっかり情報リテラシーがあるものと思い込みがちです。ところが…

…much research has shown that effectively solving information problem is for most students, a real problem. According to Miller and Barlett, effective Internet use requires distinguishing good information from bad. They noted that learners not only have problems finding the information that they are actually seeking but also often trust the first thing they see, making them prone to “the pitfalls of ignorance, falsehoods cons and scams”(p.35).

多くの研究が示しているのは、情報がらみの問題に効果的に処するなどということはほとんどの学生にとってそれこそ本当に問題であるということだ。ミラーとバーレットによれば、ネットを効果的に利用するには良い情報と悪い情報を見分けることが不可欠だ。彼らはこうも指摘している。学習者の問題は本当に求める情報が見つかるかどうかだけではなく、往々にして最初に目に入ったもの信じ、『無知、欺瞞、いんちき、ぺてんの落とし穴』に陥りがちだということだ。

お次は学生の珍宿題。でもかわいいものです。

The mistaken beliefs that (1) the teaching/acquisition of knowledge is no longer necessary, and (2) learners are digitally literate and capable of solving information problems lead to them writing essays on Baconian science with texts about the twentieth century British artist Francis Bacon…

こちらが勘違いして(1)知識の教授や獲得はもう要らない(2)学習者はデジタルリテラシーがあり、情報に関する問題を解決できる、などと思い込んでいるから、学生がフランシス・ベーコンの自然学について小論を書くのに、20世紀英国の芸術家フランシス・ベーコンについての文献を参考するような羽目になる。

students-1177711_640大学ならば教員が「君、それはベーコン違いだ」と気づきます。でも社会に出てからはそうはいきません。

We actually need more knowledge to learn and apply the skills we need in our knowledge society. And the skills that we need also need to be learned! 

実のところ、この知識社会で必要とされるスキルを習得し適用するにはさらなる知識が必要なのだ。そうした必要なスキルも習得しなくてはならないのだ!

まったく当たり前のことですが、ネットの情報空間が無限だとしても、自分が使えるのは自分の器のサイズぶんに限るということです。

近所のご長老がいつも言っています。「教わるときはなんとなく聴くんじゃなくて、頭の中にしっかり入れなさい。自分の頭の中に入ったものは人に盗まれないよ。」

そう、オンラインのものは電気が切れたら見られない。
本は盗まれるかもしれない。
自分の中にあるものは誰も盗めない。

さて、情報を知識としてとり入れるとき、偽りでないか、剽窃でないか、プロパガンダでないか、吟味することが不可欠です。この習慣は高校、大学で鍛えられるのが普通ですが…日本はめっぽう弱い。海外では問題となったセラピー、メソッドが日本に忍び込むこともしばしばだと聞きます。無理もないのですが。

次回はそのあたりのことを。最近、まとめサイトへの疑惑が話題になりましたしね。

 

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お手本の英語音声よりこだわって欲しいのは…

留学帰りのもと同級生の英語を聴いておおっ!と思ったことはありませんか。発音が見違えるようにかっこよくなったのに、本人はなんともないような顔。そう、あれはかっこよくなったというより自然になったのです。だから楽。それが耳、カラダのなせるわざ。 

あれれ?日本で日々刻苦勉励したのに…どうも…それはあなたの認知力の問題ではありません。日本にいる限り、物理環境から生理的影響をうけます。それをアタマでカバーしようとする人もいますが、I am much too lazy to do so. Let Nature be your teacher.

ではどうしましょう。 

自分の声を聴くことです。「お客様の声」というように、声はひとの心、ひととなりそのもの。声は身体という楽器を通して響きます。頭と口だけの舌先三寸は「まこと/真言」でない。

着替えることも、人と取り換えることもできない、アイデンティティそのものである声。

人は自分の声がとても気になるのです。

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以前も紹介しましたが、イギリスのコリン・レイン博士は元聾学校の先生。聾のある生徒たちの観察から、通常学級の子どもたちにも通用するシステムを70年代に作り上げました。

そのシステムではお手本をリピートするだけではなく、リピートした自分の声を録音、聴き、気に入るまで聴いて録りなおすのです。相手は機械ですから何度繰り返しても文句を言いません。自分で素敵、と思えたら先にすすみます。終わるころには皆ご機嫌です。そりゃそうでしょう。

これがセルフモニターの力。単独アクティブラーニングです。単独、が大事です。

最近、面白い論文を見つけました。ボローニャ大学心理学部のカンディーニ教授グループが自分の声への認知を研究したものです。

実験はシンプル。同じフレーズを自分の声+親しい人の声or知らない人の声で続けて聞きます。問いを2パターン用意します。「二つとも自分ですか?」「二つとも同じですか?」

後者の方が答えの精度が高いのだそうです。他者の声を、そうとわからないまま「自分かも?」とアタマで考え出すと混乱するのですね。

レイン先生の調査レポート集。
レイン先生の調査レポート集。

レイン先生だったらこの録音を聴いている被験者の唇に注目したことでしょう。人間は自分の声を聴いているときは、おのずと唇がわずかに動くことが多いそうです。カラダはわかっているんですよ。

録音はスマホでもICレコーダーでもできます。語学専用機器で少しずつリピートしては録音、を繰り返すならこちらがおすすめです。エデック社のSDリピーター。とにかく堅牢で、気が散りません。FBなんか見られません。ワンツール、ワンミッションです。

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録音が目的ではありませんから、リアルタイムでセルフモニターできるとなお便利。握りこぶしを口に近づけてマイク代わりにしてもよいでしょう。帽子をかぶってもいいですね。英語子音の高周波をサポートできるツールはなおよいです。

人間は自分が発する声と言葉がとても気になるのです。「間違ってもいいから言ってごらん」なんて不自然で失礼。だいたい、間違っているかどうかなんてわかりません。 

まず憧れるに足るモデルでべらぼうにインプット、そしてべらぼうに模倣を。

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学習優位感覚、MI。思わぬ使い方に提唱者が困惑

生徒はお行儀よく座って先生のお話を聞き、板書を写す…そんな授業は情報そのものに稀少価値があった昔のやり方。現代にふさわしい方法はないか…向上心豊かな教育関係者の心をとらえたのが学習スタイル(学習優位感覚)と多重知能理論(MI)。どちらもアタマだけでは学べないことを強調し、学び手ひとりひとりの多様性、可能性に光をあてる視点です。ところが勘違いした実践も多く、当の提唱者自身が当惑しているというのです。

アタマだけでは学べない

そもそも学びとは新しい情報を外から取り入れ、体験とすり合わせ、取捨選択し、自分になじませていくこと。学びの種である新しい情報はいきなり頭には入れません。頭という奥座敷に入るにはまず感覚器官という玄関から入らねばなりません。学びは身体に始まるのです

学習優位感覚(学習スタイル)とは

学習スタイル説にはさまざまなモデルがあり、提唱者もさまざまです。今日よく話題に上るのがVAKモデル。人間の学びには感覚の中でもVision視覚・Audtition聴覚・Kinaesthesia体感覚(触覚・運動感覚)が大きな役割を果たし、場面によって優先的に使う感覚があるという説です。例えば私は通訳するときは聴覚を主に使いますが、車を運転するときは視覚、体感覚を優先的に使う、というふうにです。

この視点には私も教員時代に大いに助けられました。先生たちは聴覚をよく使う人が多いそうですが、私もそうだったのです。ベストを尽くたつもりでも自分と似た生徒たちに有利な授業をしてしまう。視覚や体感覚を使いたい生徒たちが置いてきぼりになってしまう。この子たちが飽きて「自分は集中力がないんだ。頭が悪いんだ」と思い込むとしたら、原因は誰?そこで視覚、聴覚、体感覚をバラエティ豊かに使うアクティビティを揃えたのです。

おかげでもともと大嫌いだった所謂「教案」とは永遠におさらばできました。ふさわしいアクティビティをぱっと選ぶには、その時、その場で生徒のしぐさ、表情をひたすら観察、瞬時に判断しなくてはなりません。これは気が抜けませんでした。でも楽しかった!

多重知能理論(Multiple Intelligences)とは

ハワード・ガードナー教授(ハーバード大学大学院)が提唱する新しい知能モデルです。ある日、知的障がいがあって話すことも歩くことも難しい少年が、教授の研究室から車いすをスイスイ動かして出て行きました。その後姿がきっかけのひとつとなり、ガードナー教授はIQのように単一の尺度で人間の知能を測る方法を疑うようになりました。2004年発行の”Frames of Mind”新刊の章立てには6つの知能が見えます(本文では7つ扱っている)。
Linguistic Intelligence(言語の知能)
Musical Intelligence(音楽の知能)
Logical-Mathematical intelligence(論理と数学の知能),
Spatial Intelligence(空間の知能)
Bodily Kinesthetic Intelligence(身体と運動の知能)
The Personal Intellingences(人間的知能)
よく見かけるのはこれらをさらに8つに分けたフレームワークです。
今日では9つ、12、とさらに細かくわけた説もあります!

提唱者が困っている?!

学習優位感覚もMIも先生が自分を客観視し、生徒を観察する目を磨くのに役立ちます。しかし以前から学習優位感覚は科学的な根拠が脆いと指摘されていました。科学的に証明されていなくてもうまくいく方法はあるものです。そういう方法に手を出すときは節度、うしろめたさを忘れてはなりません。
案の定、最近おかしなことになっているようです。学習優位感覚とMIを混同する人、血液型のように固定的にとらえる人、他人を安易にタイプ分けし、コミュニケーションを操作しようとする人が後を絶たないのです。

そもそも感覚は身体に属するもの。教師が観察するならともかく、生徒が自分で意識しすぎても不自然です。

Urban Myths about Learning and Education「仮題 学習と教育をめぐる都市伝説」 (by De Bruyckere, Kirshnerm, Hulshof/ Elsvier, 2015)では逆効果に警鐘を鳴らしています。

“Frequently, as Clark later explained, so-called mathemathantic effects are found; that is, teaching kills learning when instructional methods match a preferred but unproductive learning style.”
「よくあることだが、クラークが後述する通りいわゆるマテマタンティック(学習の死)効果がみとめられた。教えたばかりに学びが死んでしまったのだ。教え方を、お気に入りだが非生産的な学習スタイルにぴったり合わせたがために。」
「MIと学習スタイルは同じですか?」という問いには20年以上も前にガードナー教授が困惑しています。
“Without doubt, some of the distinctions made in the theory of multiple intelligence resemble those made by educators who speak of different learning styles. Many of them speak of spatial or linguistic styles, for example. But MI theory begins from a different point and ends up at a differnt place from most schemes that emphasize stylistic approaches.”(p.44 Multiple Intelligences theory in Practice /Basic Books)
「間違いなくMIの区分のなかには教育関係者が提唱しているさまざまな学習スタイルに似ているものもある。たとえば彼らの多くが空間タイプ、言語タイプと言っている。しかしMI理論の出発点も到達点も、それらの矢鱈に『スタイル』でアプローチするスキームとは殆ど異なっている。」

学びに魔法はいらない

私も「なんだか変」と思った覚えがあります。初対面の方と喫茶店で待ち合わせて間もなくのこと。「君、擬音語が多いね。話し方も噺家みたいで面白い。きっと聴覚優位だ。僕、分かるんだ。」そしてあからさまに私のしぐさをまねたり、抑揚までそっくりにおうむ返ししたりし始めたのです。私がどう応じたかはご想像にお任せします。

学習スタイルは血液型や星座のように固定的なものではありません。学びの近道や人心操作を可能にする魔法の道具でもありません。学習優位感覚も多重知能理論も、教える者が学び手の内なる多様性を尊び、学び手が自分の豊かさに気づくツールなのではないでしょうか。

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外国語学習でスタートダッシュする大人の脳の特徴とは

臨界期より神経可塑性

かつて臨界期「仮説」がいつのまにか臨界期「理論」として語られたことがありました。子どもの将来を案じるお父さんお母さんの不安を煽るには恰好のキーワードだったのでしょう。ことに音楽、英語教育界ではうんざりするほどでした。
確かにどの学習にも最適期はあります。窓が全部開いていて、どの窓からでも中に入れるような時期です。この時期はあまり教え方、学び方を工夫しなくても容易に吸収できます。(定着はまた別の問題です!!)
ただ、最適期を過ぎたからといって窓が全部閉まるわけではありません。どこかに必ず開いている窓はあるのです。一度閉まった窓が開いたり、開いていたのが閉まったり…私たちの内なる自然が時に適って最善な窓の開け閉めをしてくれます。これを神経可塑性(neuro plasticity)といいます。プラスティックというと固い感じがしますが、温度を変えても形を変えにくい石や木と比べたら、変わりやすいでしょう?
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大人でも第二言語は学べる、でも個人差はなぜ

ということは…理論的には成人でも外国語の習得は可能です。英語をやり直そうとしている大人には朗報です。けれど、どう見てもあまりに個人差が大きい。無心に模倣を楽しむ無邪気なひと、変身願望の強い演技派のひとはすぐに話せるようになる…でもその背景がもっと客観的に解明されないと、また「臨界期お化け」が復活してしまう。それに大人であればこそ、不当な自己嫌悪に陥るのでは…。
そこで見つけたのがワシントン大学のプラット教授を中心とした研究グループの最新論文。 “Resting-state qEEG predicts rate of second language learning in adults”(Brain&Language、2016)「安静時定量EEGにより成人の第2言語習得速度を予測」とあります。(要約を読みたい方はこちら、Science Directで
“..understanding the nature of individual differences in second language acquisition is critial for both reseach on second language acquisition and also more generally for research o human learning and neural plasticity.”
「第2言語習得における個人差の性質を理解することは、第2言語習得の研究のみならず、より広い意味において人間の学習と神経可塑性の研究にきわめて重要である」「これから見出されることは産学両方に広く応用できるはずだ」ともしています。
さて、これまでの研究事情をさっとおさらいしますと…
第二言語習得に関する研究は音声処理に関するものが目立ちました。しかし音声処理能力の差で第二言語運用力の差を説明することはできませんでした。そこで一般的な認知能力、たとえば潜在学習、手続き学習やワーキングメモリ容量と第二言語習得を関連付けたらどうか、という声が高まったのです。
面白いことに母語とこれらの認知能力との相関関係は認められましたが、第二言語習得との関連はいまだ明らかとはいえません。
なんだかわからないことだらけです…
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ワシントン大学でアメリカの若いもんがフランス語を…

そこでプラット教授たちは、いかにもアメリカンな若者…アメリカ英語しか話せない、中学に入るまで外国語に触れたことがない、学校で習った外国語も忘れてしまった、という面々を16名集めました。そしてフランス語プログラムを8週間にわたって1回30分、16回行ったのです。なんと、進みが速い人はゆっくりな人の倍ほどのスピードでプログラムを終えました。この人たちの安静時の脳波を調べると、顕著な違いがありました。進みの早い人たちは安静時でも右側頭葉に低いβ波が強く出ているというのです。
だからといって「ほらやっぱり右脳だ」とするのは早とちり。
This is not to say that the RH plays a bigger role in L2 learning than does the LH. In fact, a recent reveiw of structural changes assoiated with L2 learning were bilaterally distributed, and that changes in LH density were most frequently associated with L2 (Li, Legault & Litcofsky, 2014)
第二言語を学ぶことで脳にも灰白質が密になるという構造的な変化が生じます。ただし、これは左右両方に生じ、しかも左脳の変化の方が第二言語学習との関連が大きいということです。
じゃあとにかく右脳からβ派を出してやろう!とするのも早とちり。
双子の研究から、脳波のプロファイルは先天的であることもわかっています。

じゃあ、どうすれば

身体にいいらしいと報じられると、納豆が、チョコレートが、エゴマオイルがいっぺんに売り切れ、生産者が振り回される。増産体制を整えるころにはブームもおしまい。あなたはこんなことを自分の脳にやってみたいですか?まさか。
この実験の全体像を再確認します。期間は8週間、全員が同じプログラムを使っています。つまり、その後どれだけ学び続けて、どんな方法を試してどこまで到達したかは不明です。

私は英語を学びなおす大人を思って何度もこの論文を読みました。そしてくみ取ったことはとてもシンプルです。

「第二言語習得(しなおし)のスタートダッシュに現れる差は先天的な性質に因る。この時期に周りと比べて落ち込んだり、やる気をなくしたりしてはもったいない。自分を信じて、開いている窓が見つかるまで歩きなさい。」

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小中学生のことを思うとなおさら、外野はお静かにと願います。
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