千葉の〇〇学園、面白すぎます。

こんにちは。通訳藝術道場の冠木友紀子です。

千葉の○○学園…この学校名をきいたら、皆さん「え、あのすごく勉強する学校でしょ」と思うことでしょう。

まあ、それもそうなんですが、それだけでもないんです。

学外からいろんな大人を招いて、土曜講演会やゼミを開いたり、生徒が学外で発表して受賞したり。とにかく風通しがいいんです。

私も某「出前授業チーム」に招いていただいたのがきっかけで、この学校にご縁ができました。今は思いっきりわがままに楽しんでいます(経緯は割愛)。

夏の3日間朝から晩までのワークショップで1学期分ゼミを担当したとみなしてくださるのですから、自由です。ありがたい。(毎週90分のゼミに横浜から千葉に通うのは大変すぎます。)

今年も3日間、あっという間に過ぎました。そして、高校生の素晴らしいストーリーテリングに感服しました。

何をやっていたかというと…英語で話芸です。

正直、初日は焦りました。

だって、大喜利なんか朝飯前。立川志の輔さんの有名な小噺「ハイジャック」のオチもみんな見事に当てちゃうし…。

(ハイジャック概略:「おい、この飛行機はハイジャックした。おとなしく言うことを聴け。メキシコへ行け。」「バカか」「なんだと!メキシコへ行け」「〇〇〇〇」←ここを創作)

2日分のお話の素材が1日で尽きてしまう!小噺を増やしてもなんだか退屈だし、落語は一朝一夕では嘘くさいし…

ここで生徒諸君に相談すると、物語をアレンジして語ってみたい、という声が。

そこで「ロバを売りに行く親子」を提案しました。Doorways to the Soulに収録されている英語版です。

selective focus photography of gray donkey eating grass
Photo by Felix Mittermeier on Pexels.com

先刻ご承知かもしれませんが…ロバを売りたい親子はいまいち自信がなく、市場に着くまでにいろいろな人々の無責任な助言に翻弄され、ロバには逃げられるというお話です。

まず私が語り、少しずつ生徒諸君に語りに参加してもらい、だいたい渡せたところで今度は登場人物気分グラフ。少人数グループで気分グラフを互いに見せ合うことで、知らないうちに物語を語ることになります。

その後、インタビューもしました。登場人物(ロバ含む)役とマスコミ役にわかれてロールプレイです。ロバ役の男子生徒君、最高でした。少しの単語でも使い方次第で大爆笑になるんです!いい味出してました。

さて、ここで新たなミッション。「ハッピーエンドにお話を変える。」

どのアイデアも素晴らしかったのですが、これには皆一瞬静まりかえりました。

簡単に日本語で書きますと…

「市場に着くと、ロバコレクターのお金持ちから引き合いがありました。けれど突然、ロバが涙を流し悲しい鳴き声をあげはじめたのです。広場の隅のおんぼろ動物園に、赤ん坊のころ別れたお父さんロバを見つけたからです。ひとりぼっちになったお父さんはいっそう老けて見えました。農夫はロバが親子水入らずで暮らせるよう動物園にロバを寄付しようと決意します。周りの人たちは金持ちにロバを売れ、金持ちが寄付すればいい、と忠告します。今度ばかりは農夫も毅然と答えました。「寄付したいのは私の意志だ。売ってお金をもらったら、あとは買い主の思うままだ。お金をもらうより、いまは意志を実行したい。」人々は恥じ入り、感激しました。めいめい農夫に贈りものを持ち寄りました。おかげで農夫の奥さんも喜んだとさ。」

これを思いついた高校生は、2日間でこの部分だけでなく冒頭から全部英語で覚え、みんなの前で語ったのです。みんなも英語のうまいへた、正しい、間違っている、というものさしから自由になって、心できいていました。

心で生み出すものは心にしみいる。心のスイッチが入ると、頭だけで覚えられる限界の何倍ものことばが、あっというまに身につく。

そんなことを、みんな身をもって示してくれました。

この学校には9月初めに立川志の春さんが2回目のご登場です。もちろん行きますとも。

伝説の検定外教科書プログレス旧版で通訳養成の準備…のはずが、「育ちのよい英語」を教えられる先生が育っています。→英語の土台徹底リノベ講座

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【英詩講座レポート⑤】一見ちゃらい詩こそ侮れない!”Grasshopper Green” by George Cooper

こんにちは!通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

GWの最中、しかも週末だというのに、無粋にも「シュタイナー学校の先生のための英詩講座、第5回」を開きました。それくらい、英詩を皆さんと読むひとときは、深い喜びに満たされるんです。「楽しい」「わくわく」なんて言葉では表せないほどです。この喜びが「いまを生きる」のキーティング先生を支えてもいたのでしょう。

それにしても、おおつきあいくださった先生方、ありがとうございます。ご家族のみなさま、すみません。

さて、この講座の準備のごく一部をお裾分けいたします。

今回の詩は「Grasshopper Green」。

Waldorf Book of Poetryには作者名が書かれていませんが、アメリカのGeorge Cooper(1840ー1927)であることがわかっています。

(スマホの縦画面では改行が見にくいかもしれません。)

Grasshopper Green by George Cooper

Grasshopper Green is a comical chap; 
He lives on the best of fare. 
Bright little trousers, jacket and cap, 
These are his summer wear. 
Out in the meadow he loves to go, 
Playing away in the sun; 
It’s hopperty, skipperty, high and low--- 
Summer’s the time for fun.

Grasshopper Green has a quaint little house:
It’s under the hedgerow gay.
Grandmother Spider, as still as a mouse,
Watches him over the way.
Gladly he’s calling the children, I know,
Out in the beautiful sun;
It’s hopperty, skipperty, high and low---
Summer’s the time for fun

青々バッタはおかしな輩、
もっぱら食べるは大御馳走。
派手な短パン、上着に帽子
これが夏のお召し物。
おもての茂みがお気に入り
遊びまくって日向ぼこ。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

青々バッタのイカした庵は
楽しい生垣、その下に。
蜘蛛の婆さん、鼠のようにじっとして
ずっと見守る、やっこさんを。
ご機嫌上々やっこさん、子どもら呼び出す
まことにみごとな日向へと。
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。
(訳 冠木友紀子 )

ふむ。

まあ、韻はふんでますね。

Hopperty, Skippertyの強弱弱のパターンが詩全体に通っていて、バッタの動きそのものを反映しているのね…

でも、別に深遠な謎は感じない…

AllinghamGravesの詩はよかった…妖精のことを描いているのに、詩人は妖精と目を合わせないし、言葉も交わさない。それが人間と妖精の距離。すぐ近くにいるのに、別の世界を作っている。人間の常識を超えた異界だから。

なのに!これじゃまるでディズニー。擬人化し放題。まあ、アメリカの方がこの詩をもとに作ったアニメもYouTubeにごっそりあるし。アメリカってそんなもんかしら…

第2連は…あら?突然the childrenって誰?

蜘蛛の婆さんが見守るというのものんきな情景。蜘蛛さん、もうおばあちゃんだから、動けないのかしら。

と思ったところで、Waldorf Book of Poetryでとりあげられているこの詩は、全3連中、元の第2連が抜けた版であることを発見。第1連と第3連だけでもバッタの幸せな「衣食住」というピースは揃うのですが、もとの第2連が気になります。

Grasshopper Green has a dozen wee boys,
And, soon as their legs grow strong,
All of them join in his frolicsome joys,
Humming his merry song.
Under the leaves in a happy row,
Soon as the day has begun,
It's hopperty, skipperty, high and low:
Summer's the time for fun!

青々バッタは十二の子福、
脚が丈夫に育つやいなや
倅揃って親父と遊ぶ、
親父の歌に鼻歌合わせ。
草葉の下に楽しく並び
朝まだきから
ぴょんぴょんはねてあちこちへ
夏はゆかいな季節だな。

ほほう、the childrenはここにでてきたa wee dozen boysのことのようです。いきなりtheはぎょっとしました。途中を端折るとこういうところが辻褄合わなくなるのです。

もとの第2連、バッタの息子たちは父から学び、父と共に歌い、育っていきます。なんとものどかな風景です。

ふと、ここで正反対の風景が頭をよぎりました。父は仕事、息子たちは学校。父から息子たちが学ぶことはなく、共に楽しむこともない。戦争になれば皆兵隊にとられていく。

それに比べたら、もとの第2連は平和そのものです。

第3連の蜘蛛の婆さんとも、食うもの、食われるもの、という関係ではありません。そういえば、似たような風景が…

そう、イザヤ書11章「エッサイの根より…」で始まる究極の平和の風景です。

狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
(イザヤ書 11章)

この詩はバッタのおおいに結構な日常を描きつつ、じわじわと平和への願いをこめていると言えそうです。

ここからは野暮な調べものです。詩を一言一言じっくり読むことと、調べもののバランスが崩れるほど、野暮なことはありません。そのことを肝に銘じた上で…

クーパーはNY下町のthe Boweryザ・バウワリに生まれます。今は安宿、安居酒屋街のようですが、1840年の頃は緑豊かな遊び場に恵まれていたようです。

13歳のころに実学志向な親の意向で大規模な学校に転校させられます。この学校がどうも合わなかったようで、当時から休み時間に忍び出た校庭で出会った生き物を主題に詩を作り、心なぐさめて過ごしました。(バッタの父子とはだいぶ違います!)

その後も法律を学ぶべし、という親の方針に従い、弁護士事務所に弟子入り、みずからも資格を得ますが、出世欲とは無縁だったようです。この間もあちこちの文芸雑誌に投稿、掲載されます。

そして南北戦争(1861-65)中、クーパーが作詩、14歳年上のスティーブン・C.・ フォスターが作曲し「戦時歌謡」を量産、ヒットを飛ばします。

もう、ゲティスバーグの戦いで撃たれた太鼓兵の少年が、かけつけた母の胸で息絶える歌などは劇的で、日本の「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌」を思わせます。

ところが、1863年1月、ザ・バウワリの安宿を転々としていたフォスターは熱を出してホテルで寝込みます。その数日後、メイドから連絡を受けたクーパーが駆けつけると、フォスターは床に広がる血の海に横たわっていました。

その時のことをクーパーはこう書いています。
“He lay there on the floor, naked, suffering horribly. He had wonderful big brown eyes, and they looked up at me with an appeal I can never forget. He whispered, ‘I’m done for.'”
「フォスターは床に横たわっていた。裸のままでひどく苦しんでいた。その見事な茶色の大きな瞳で私を見上げた。あの訴えるような眼差しを忘れられようか。そして彼はささやいた。『もうだめだ。』」

3日間の加療も空しく、フォスターは37歳で世を去りました。クーパーがフォスターの親族にその死を伝えた電報がこちらです。

(Western Union社サイトより)

フォスターの死が、親族が公表した通り、高熱で倒れた拍子に陶器の洗面台に頭と首をぶつけ切り傷を負ったためなのか、そうでないのかは諸説あり謎のままです。

フォスターとクーパーの関係についても芸能レポートなみに諸説あります。

左がフォスター、右がクーパー

ただ、私は南北戦争を背景に一世を風靡したフォスターとクーパー、そして彼らの蜜月時代の突然の衝撃的な終わりが、この詩の第2連と対照をなしているように感じられるのです。

フォスターは職業作曲家として音楽で身を立て、彗星のごとく現れ、消えてゆきました。

一方、クーパーは作詩を稼業とはしませんでした。「『イーリアス』のような立派な詩よりも、子どもがひとりでも喜ぶような詩を書きたい」と周囲に語り、書き続け、87歳で天寿をまっとうしたそうです。

野暮な調べものでございました。詩を読む前に作者のことをいろいろ調べるのはかえって楽しみを台無しにするように思われます。あくまでも詩を何度も読み、唱え、覚え、口をついて出てくるようになじむ。そして、ふと、何かが気にかかる。調べものはそれからです。そうして、自分の小さな好き嫌いの枠が壊れてゆくように思います。

第6回 シュタイナー学校の先生のための英詩講座 単発参加もOKです。
次回は“Duck’s Ditty” by Kenneth Grahame を読みましょう。

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それは食品ロスじゃなくてfood wasteだ

こんにちは。持続可能な未来のための通訳者、通訳藝術道場主宰の冠木友紀子です。

日本でも「食品ロス」が話題です。政府広報によると年間600万トンを超えるそうですが、あまりの量に10tトラック1700台分、なんて言われてもさらにクラクラしてしまいます。

ここでちょっと気になるのがこの「ロス」。英語の綴りは”loss”。lostからの逆成語で13世紀初出とあります。

まあ日本語では「ペットロス」「朝ドラロス」のように、自分の力ではどうにもできない喪失を嘆く気分によく使いますね。

ん?ちょっと待って。

冷蔵庫の中にショウガを入れたのを忘れてミイラにした本人がどの面さげてショウガロス?

そういえば、10年来通訳として参加している食品工学の学会ではfood waste を頻繁に使っていました。

たとえば、アフリカでは畑の作物を鉄道で都市部に運搬する。気温は高く、貨車は揺れ、作物の包装が不十分なので、都市に到着するころには積み荷の8割が食べられない状態。インフラやシステムの欠陥が原因で、人間がどうソフトな手を打っても、心がけてもどうしようもない。

これと、アメリカの家庭がいろいろと買い込みすぎて、1年でなん万円分もトマトを冷蔵庫でだめにするのと、まるで同じ?

後者は小さな工夫で改善できるのではないでしょうか?

この学会の集まりでは家庭で食品が無駄になることをいかに防ぐかをテーマにしていたので、一貫してfood wasteと言っていました。食べ物を無駄にする張本人は自分たちなのだ、自分たちの行動は変えられるんだ、という呼びかけもなされました。

ペットロスや朝ドラロス、ウェイトロスみたいに食品ロスなんていうのはちょっと甘いと思います。

植物や動物を誕生の時から人間の食物にすべく育て(←私はそもそもコレが嫌なのです。狩猟採集生活が理想)、それで食べないなんてとんだ罰当たり。

まあ、ふつうに何も感じずに訳せばfood wasteは「食品廃棄物」や「廃棄食品」あたりでいいのでしょうが、腹が立ってしょうがない。莫迦殺生くらい言ってやりたいもんです。

まあ、急な事情で、ということもあるでしょう。それでも堆肥囲いでもあれば新たな役目を果たせます。

日本の「始末」な台所仕事はどこへ行ったのでしょう。プンプン!

気を取り直して、
シュタイナー学校の先生のための英詩講座はこちらです。

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本質は周縁に?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

こうするのが当たり前ですよ、と言われても、腑に落ちないことはありませんでしたか。アタマではそういうもんだろうと納得しようとしても、ハラにしっくりこない。王様の身なりは素晴らしい、とみんなが言っても、裸に見えるような。

私は「こういうものですよ」という決められた枠からはみ出した部分が気になって仕方ないのです。

本質は周縁を含めて考えないといけない、いや、むしろ人が決めた枠の外にあるのでは、とさえ思うのです。

「学校教育」の枠に収まらない、家族や地域の人たちから学ぶ生活の知恵…

間引きと化成肥料、殺虫剤、除草剤づけの家庭菜園ではわからない植物の本来の力。

薬剤療法メインの通常医療からは「エビデンスがない」と鼻で笑われる、身近な健康法

「キリスト教会」に収まらないキリストの言葉…

その領域を何と呼んだらよいでしょう。精霊の領域?

わかっています。枠からはみ出たものにこだわっていては、枠の中で主役を演じることはできない。

ウェールズの海岸を一人舞うカモメ

でも、枠からはみ出たものは「無き者」にされたままでいるわけがないと思っています。

私の通訳道場も、従来の通訳養成では登場しないワイルドな精霊たちが喜び踊っているようです。

こんな自分の心の構えにあらためて気づかされたのはルドルフ・シュタイナーの
「普遍人間学」講座。導き手は言語造形の諏訪耕志先生です。

ストーリーを生かしたプレ通訳道場、まもなくリリースです。
こちら、通訳道場サイトです。

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HomeとHouseの違いは?

こんにちは!持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

Stay home とStay at homeの違いについて昨日ブログに書いたら、こんどはhomeとhouseについてコメントをいただきました。

よく学校で習いますね、
home;居場所、故郷、本拠地 つまり心のあるところ
house;住宅

今は確かにそうです。だから野球場やサッカー場が家の形をしてなくても本拠地はホームと言いますね。「埴生の宿Home Sweet Home」なんていう歌もありいます。ちなみにマイホームは和製英語です。(そうそう、ホームではなくホーウムのほうが実際の音に近いです。日本人は二重母音を長母音に変えるよろしくない癖があります。)

織田裕二さんが犬に扮装したCMで、「ハウス!」と命令されて入りうシーンがありました。 織田ワンちゃんはご主人と過ごせるリビングが「ホーウム」。でもなにか悪さをしたと誤解されたようです。「ハウス」で寂しい思いをしながら反省せよ、とのこと。

なんかかわいい!

とはいえ、houseもはじめから物質的な住宅ばかりを差していたわけではありません。古英語husは「神の家」を意味していたんです。意味の変遷は興味深いです。人間の意識の変化が表れます。

さて、住宅展示場で見かける様々なハウスメーカーはどう名乗っているでしょう。ある住宅公園の場合、ホーム派はタマホーム、三井ホームなど7社。ハウス派は積水ハウスなど2社。ホーム派が多数派です。家というモノを作っているのではなく、人が憩う心の故郷を作るんだ、という気概なのでしょうね。

ん?へーベルハウスHebel HausにセキスイハイムHeim?

これはミススペルではなく、ドイツ語です。いかにもそれぞれhouse, homeに似ていますね。

ただ、Hausは物質的な住宅のみでなく、心の本拠地も意味します。Zuhauseなんていう言葉もあるくらいです。
‘ Ich habe ein schoenes Zuhause. ‘「私には美しい故郷がある。」
英語のhouseが落としてきたニュアンスが残っているようです。

さて、日本語でhomeとhouseは何と言いましょう。「家」の読みは「うち、いえ」ですが、「いえ」の語源は?他には?我が家、おらほ?

外国語を学ぶのは日本語と再会する機会にもなります。外国語が鏡となり、普段、いかに何となく日本語を使っているか思い知るのです。

日本語との再会なし、英語が話せればかっこいい、グローバルなんて思っていると、敗戦国の愚民、根無し草になりますよ。

通訳道場★横浜CATS 朝稽古盛況です。

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Stay homeとStay at homeの違いは?

持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

昨日、通訳でとてもお世話になった方からメッセージをいただきました。 「stay home とstay at homeはどう違うのですか?」

そうそう!それ、私も皆さんどう感じているか、あるいはそれどころでないのか気になっていました。そこでこのブログでお目にかけることにします。

イギリスとアメリカの違い

おや?と思ったのは、先日退院したジョンソン首相がStay home. Save lives.と言ったとき。イギリスではstay AT homeが多く、イギリス政府のサイトもオクスフォード系の辞典の例文も私が見た限りのものはstay at homeです。

イギリス政府の公式サイトはStay AT Home

ただ、イギリスの方が古くてアメリカが後で省略したかどうかはOxford English Dictionaryという20巻を超える、家に収まらない辞書で確かめねばなりません。アメリカに古い形が残っていることも多いのです。新参者ほど正統、保守のふりをしたがることがありますからねえ。ラーメンや餃子ののれん分け屋号にも見かけます。

音を調える

イギリス政府のサイトは見出しで「Stay at home」と使っています。おや?save livesがない。そう、save livesと調子を合わせるためにat を省略しているのでしょう。後ろにWork with love.かなんかあったら、Stay AT homeのほうが調子がいい感じがします。単語も自分だけの正しさを主張するのではなく、フレーズ全体としてのバランス、調和を大事にするんですね。文字のない言語はあっても、音声のない言語はありません。言語は人間が声で奏でる歌ですから。

どうも、save livesがないときにStay homeとすると、私のようなイギリスびいきにはなんだか忘れ物をしたような感じがします。

狙われる前置詞、狙われない前置詞

それにしてもこういう場合、どの前置詞も犠牲になるんでしょうか?そんなことはありません。stay in bedのinを省略したらすごく変です。布団にくるまっているイメージが吹っ飛びます。おそらく、犠牲になる前置詞は抽象度が高く、具体性が低いもの、イメージがわきにくいものでしょう。まさにatがそうです。atのあとにくる名詞は点(0次元)と捉えられますから。具体的なモノではなく、その性質や機能を表します。たとえばat schoolといえば学校に行っている、という居場所ではなく学生だ(家にいてもいい)という身分を表します。

ちなみにhomeは古英語ham(村落、家)が元。これに「小さい」ことを表すlet(カツレツのレツです)をつけたhamletは教会も学校ない小さな集落のことです。あのデンマークの王子様を思いますが、あの方はシェイクスピアが夭逝した息子、ハムネットにちなんで名づけたとか。

皆さま、くれぐれも‘Stay home. Save lives. 日本はもっぱらat抜きステイホームですが、間違ってもよそ様でホームステイは今はいけません。

通訳道場★横浜CATS 朝稽古盛況です

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新型コロナ休校、英語学習コレはいらない!

休校は延びるばかり。家で学ぶお子さんの様子が気になりますね。

ついつい無理強いしがちだけれど実は逆効果な声掛けがあります。もう、今からやめちゃえ!

それは…「声に出して言いなさい」「発音練習をしなさい!」

今はひたすら「聴きやすい英語を聞くチャンス」です。

日本のほとんどの中高生が英語を英語として処理するための言語中枢を分化せず、日本語として処理しながら「勉強」を続けています。つまりタイヤがパンクしたまま長い道を走っています。

英語を英語として処理するにはまず目安として3か月以内に100時間くらいネイティブ(自分の好きな英語)を聞くことです。

このとき、はりきってリピート練習などすると自分の日本語発音の出力がが入力のじゃまになります。

まずはひたすら受け取ることです。いまはチャンス。好きな語り、声をさがしてひたすら聴きましょう。

どうしても自分で話してみたいという学生諸君は、自分の部屋に籠りたまえ。外国語の学びは心の旅。赤子にもどる恥ずかしい道のり。決して親の前でほめられたりけなされたりして進むものではありません。

第5期 オンライン通訳道場 相談会お申込み受付中

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言語が変われば性格変わるというけれど

持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子です。

言語は人柄。話す言語によって性格が変わるそうで、こんな研究もあります。確かに英語がある程度身についてくると、こう言い人います。
「私、英語話すと性格変わるの。オープンでポジティブというか自己主張しやすいのよね。」
「そうなんだ…」
英語が苦手なお友達はそう相槌を打つのみ。

何度かこういう場面に出くわしました。そのたび、なんだかいやだなあ、と違和感を覚えました。

何がいやだったのでしょう?ううむ…たぶん…英語話せる人の口調に、「日本語しか話せないあなたが持っていないものを私は持ってるの」と言わんばかりのトーンを感じたのでしょう。そんなつもりじゃないかもしれませんが、英語が苦手な人の方は、そう言われたと感じたような顔つきでした。この図のように。

左は日本語のみ、右は日英バイリンガルさん。

私はこんな風に感じたことはありません。

そして、外国語を習得するとは上のような整数の「足し算」ではなく「割り算」、分数ではないかと思うのです。

ちょっと自分を振り返ってみます。

日本語を話していた子どもの頃から、相手によって自分の声や言葉が変わることが気になっていました。クラスのバカ男子と祖母に同じ話し方をするはずがありません。

言語そのものの違いというより、その言語を使う集団の影響を強く受けた気がします。

英語を習いたての頃は、相手に合わせる、相手の声の個性を聞く余裕なんかありません。誰に対しても同じ話し方でした。

それが、考える前にしゃべってる状態になると、細かく割れてきて…めそめそしがちなインド人の友人の泣き言につき合う時と、押しの強いユダヤ人の先生と議論するときは同じ英語でもまるで気分、態度、言葉遣いが違いました。

まだドイツ語でのご縁は少ないので、このくらい。

外国語を学んで、人の持たない何かを持った気になるとしたら…なんだかちょっと私には違うと思うのです。

足し算ではなく細かく割れてくる。

そのほうが言語中枢の分化などの神経科学にも合うように思います。

足し算発想は直線的経済成長モデルと通じませんか?割り算の方が自由、和に通じるように思います。

私が外国語、文学の達人と尊敬する方々は日本語にも外国語にも感覚が細やかで人に優しく、地に足の着いた方たちです。私もそうありたいのですが!

休校中 中高生限定オンライン無料通訳道場 ビデオ期間限定一般公開中

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字幕なしで英語映画を見るには

こんにちは。持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。

字幕なしで映画が見たいという皆さん。日本語の字幕を読みながら英語聞いてませんか?それじゃいつまで無理。聴覚と視覚の科学から見て無理です。

次の順が理に適っていておススメ。近道でも遠回りでもありません。時間はちょっとかかるので短いビデオでどうぞ。

①先に日本語字幕だけ読んで「イメージ化」する。お耳がお留守になっても気にしない。
②英語字幕にして読む。お耳がお留守になってもまだ気にしない。
③英語字幕を読みながら、聴き取ろうとする。
④再生速度を1.5-2倍にして、2分くらい(人によるけど)聴く。わけわからなくてOK.
⑤いつもの速度で再生。びっくりするほど聴き取れます。

めんどくさい?手間惜しみは己に負ける遠回り。外国語学習は心の道です。

私はドイツ語での通訳に備えて、英語字幕とドイツ語音声で上の方法を実践しています。英語でもドイツ語でも

下のビデオはスーフィーのとんち話の人気者、ナスルディンのお話です。②から始められる方は英語字幕を出してごらんください。日本語字幕は自動翻訳でちょっと変ですが、歯車印で自動翻訳を日本語にすれば出てきます。まあ、お手元にお気に入りのDVDがあれば、そちらでどうぞ。

休校中の日本の中高生のための期間限定オンライン無料通訳道場はこちら

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福島の中高生を地元密着通訳ボランティアに

新型コロナによる急な休校。中高生の皆さんびっくりですね。
そこで中高生限定無料オンライン通訳道場を7回分用意しました。そもそも少人数ですが、その半数を福島県枠にしています。

なぜ?

福島での通訳は福島地元の言葉が話せる人がいい。地元の人がいつも通りに自然に話せるよう、通訳も地元の言葉で話せるといいのです。

地元の言葉は免疫でもあります。

実はこんなことがありました。

震災後、身内の用事で浜通りに出かけたときのこと。

ドイツ人らしいジャーナリストの方が日本人通訳をつれて地元の人に英語でインタビューをしています。盗み聞きするつもりはなかったのですが、気になる。

相馬中村神社の狛犬 2011年7月 相馬野馬追にて

ジャーナリスト「Do you think people still stay here because they cannot evacuate?」
通訳「 ここに残っている人たちは避難できない人たちだと思いますか?」
地元のおじさん「あー、そういう人もいっがもわがんないです。」(微妙に丁寧)
通訳「Yes, I think that’s right.」

ええええー!それじゃ「そういうことだと思います」になっちゃう。

地元の人が緊張しているのは明らかでした。通訳をしていた若い女性の日本語は標準語、英語はアメリカ英語。通訳養成を経ていない自己流であるのも明らかでした。

これか…

私にも福島に取材に行きたいという海外ジャーナリストからの通訳打診が頻繁に来ていました。条件は「実費以外は無償ボランティアで。プロでなくていい。英語が話せればいい。」

それって、通訳者にも福島にも失礼でしょう。そう言って断りました。

ああ、これなのか…

暫くするとドイツ在住の友人がFBで「福島に住んでいる人たちは本当は避難したいけれどできない人たちだ。福島は住むところではない」というドイツの記事をシェアしているのを見かけました。

あのとき見かけたドイツ人かどうかはわかりませんが。

友人は「日本にいると日本のことがわからないでしょう」のようなコメントもつけていました。

ご立派なドイツからのありがたいご託宣、と日本在住の友人たちも浮き足だったのです。

何度バカにされたら気が済む?日本辺境コンプレックスここに極まれり。どいつもこいつも本当にバカか?

以来、私は福島の免疫として中高生に地元密着ボランティアになってほしいと願ってきました。

新型コロナウィルスによる休校を機会として活かします。

福島のみんな、来らっせ!(いや、みんな来たら困るんだけんじょも)

中高生3月限定無料オンライン通訳道場はこちら

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