英語教育、いつから始めるー③テストで損をしたくないなら

ん。なんかこのタイトル、自分でもちょっと気が進みません。まあ、気を取り直して…

外国語はラーメンと同じ。それぞれに好みがあります。全員が博多ラーメンを好きなわけではありません。明日から喜多方ラーメン以外は販売禁止、なんてことになったら暴動が起きるでしょう。

ラーメンが多様なように、学校で学べる外国語ももっと多様であってほしいものです。

でも、今日明日に学校がラーメン博物館になるとは思えません。

そこで、3つほどおすすめを紹介します。アドバイスは本当は個別にお伝えすべきものですが、「個別化」の部分は皆さんそれぞれにお好きなようにおやりください。

1.いま、夢中になれるものを

いまは学校の授業、教科書の他に映画、音楽といろいろなメディアに触れられます。これ素敵!と思えるものを見つけてください。私は高校時代にカーペンターズCD12枚分と大学時代に映画「いまを生きる」まるごと覚えてしまいました。覚えようと思ったわけではなく、あんまり好きだったので自然と覚えてしまったのです。結果的にテスト勉強はあんまりせずにすみました。英語圏の作品は趣味が合わない…?英語圏といってもアメリカ、インド、アイルランドは随分違うもの。ディズニーは嫌いでもボリウッドやケルト音楽は楽しめるかもしれませんよ。それでも気が進まなかったら…

2.勝手に好みの外国語を学ぶ

学校が情報伝達の中心だった時代はとっくに終わっています。いまは自分がその気にさえなればびっくりするような情報も手に入る。学校はそういう発見を持ち寄る場です。たとえば、「もののけ姫」ブルーレイには日本語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フィンランド語、韓国語
ドイツ語、広東語、北京語が入っています。これを片っ端から少しずつ聞いて、「お、なんだか聞き心地が良い~。これ、好き。」と思える言語を探してみては?こっそり独学して学校で披露するとクラスのみんながびっくりするはずです。こういうの、ちょっと気分いいんですよね。

で、ほかの言語にチャレンジした後、英語に戻ってくると「なんだー、こんなに自分はわかってるんだ」と気が楽になるんです。

3.岩波新書・ジュニア新書を読む

「大学入試の英語長文が苦手だ」という高校生の声をよく聞きます。でも、細かく分けてみると、英語の長文が苦手なのではありません。日本語でもろくに知らない話題なのです。そりゃ英語で読んでもチンプンカンプン。まず日本語でものを知らないと話になりません。中学に入ったら、まずは岩波ジュニア新書を片っ端から読んではいかが。新書は他にもいろいろあるので、好みのものでよいと思います。ただ、現代政治関係ではあまりにセンセーショナルで真偽疑わしく、おしゃべり調のものは私は敬遠してますけど。

テストで損をしない…といいながら、結構正統派のことしか書けませんでした。学びって個別の体験。自分で自分の面倒を見る覚悟のある人が伸びるように思います。

通訳道場★横浜CATS 第5期

 

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英語教育、いつから始める?ー②

あら、英語を始めるベストタイミングを教えてくれるのかしら?
そして、うちの子も英語がちゃんとできるようになってグローバルに活躍できるようになるのね?

この先の投稿はそう思われた方々のご期待に添うものではございません。貴重なお時間無駄になさいませんように。

国民全員が英語を必修するのは異常

体育、音楽、美術ではさまざまなジャンルに触れます。

もし体育でサッカーだけが全員必修になったら?
音楽でヴァイオリンだけが全員必修になったら?
美術で彫刻だけが全員必修になったら?

バスケやピアノ、水彩に向いている人たちが伸び損ねますよね。

いまの日本の英語教育はそうなっている、ということです。

「いやいや、誰もが英文学者を目指すわけではない。日常会話程度ができれば世界が広がり、仕事にも役立つ」という人がいます。

そんなことはありません。

不可測、不規則極まる日常会話を目指して学ぶのは遠回りもいいところ。よく使うフレーズを覚えても覚えたフレーズに振り回されるだけ。あくまでもきちんと聴け、読めなくてはおぼつかないのです。外国語の日常会話はパン屑。パン屑が欲しかったらパンを焼くしかありません。

また、寺沢拓敬さんの「『日本人と英語』の社会学」にはリーマンショック以降、日本人が英語を使う機会は減り、年収とも関係ないことがデータで示されています。

「あとで役に立つ」「~のためになる」という間違った未来志向の下心では群れのイワシに留まります。

ドナルド・キーンさんがそんな下心で日本文学に近づいたでしょうか。源氏物語が読めたときのキーンさんの驚きと感激が彼を牽引したのではないでしょうか。

身土不二というけれど、言土不二。言語には風土の匂いが色濃く残っています。ひとそれぞれに好みがあるはず。ラーメンだって好みがあるでしょう。

フランスなどは英語必修はもっと短くて、ドイツ語、スペイン語を必修選択できる時間が長くとられています。

私の友人には大学時代にロシア語、フランス語に出会って夢中になり、いまでは通訳、大学の先生をしている人たちがいます。

それぞれのタイミングで出会い、チャンスをしっかりつかんだのです。

ひとりひとりのお子さんにその力があるはずです。

とはいえ、英語は試験科目でもありますよね。そこを無駄なく切り抜ける方法はまたあらためて。外国語を今の大多数の大学ような形で試験科目にするなんて、民間試験を導入しようがしまいが私は大反対なんですけど。

これを書いたあまのじゃくな同時通訳トレーナーのプロフィール

 

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英語教育、いつから始める?ー①

親御さんには悩ましいテーマですよね。不安を煽られたくはないけれど、お子さんにはより幸せな未来を準備したい。あのときやっぱりあれをやっておけば、と後悔したくない。ごもっともです。

ご参考までに日本では見落とされがちな点を1つご紹介します。

シナプスの刈り込み

幼い子どもはなんでもみごとに吸収します。だから小さい頃から習わせたいと思いがち。

でも歯が生えかわるころと、思春期に入るころの2度、「吸収したけどあんまり続けて使っていない」シナプスが大掃除されます。だから、小さい頃のネイティブの子どもみたいな発音はどこへ…となるのです。(発音にそこまでこだわる必要もありませんし。)大人にNOが言えない小さな子どももちゃんと内側で自分なりの選択を自ずと行っているのです。

中高生になるともうシナプス大掃除は起きません。その代わり、NOをはっきり意思表示するようになります。逆に親や先生が辞めろと言っても、自分でやると決めたらやる力も強くなります。

私はさまざまな年代の英語学習者に出会ってきました。なかでも爆発的に伸びていたのは中学で優れた指導者に出会い、憧れを掻き立てられ、莫大な量のインプットを「勝手」にした人たちです。

日本では臨界期仮説に煽られた人も多いようですが…人間は生涯学び、選び続けていく生き物。タイムリミットを恐れなくてもいいと思うんですけどね。

優れた指導者に会えるかどうかわからないから小さい頃から?
いえいえ、指導者は先生に限りません。映画でも小説でも歌でもいいんです。

(本当はね、そもそも国民全員で英語やっていること自体もったいないと思ってます。)

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なぜ医療・農業・教育の通訳を???

持続可能な医療と農業と教育の通訳をしています、と言うとよく言われます。

「え??全然違う分野では…?」
「それって、たまたまクライアントさんの分野に興味持っちゃったの?」

ごもっともです。

でも…両方NOです。

この3つの分野、いかにもそれぞれ独自の堅気の商売でしょう?
でも人間だけがひどく必要としていると思いませんか?

健康でいたい、死にたくない…
ひもじい思いはしたくない…
周りよりバカではこまる…

そんな不安がこの3分野をきりのない発展に駆り立てたのかもしれません。

その根源には
「○○ができない、~を持たない自分はだめだ」
「~さえあれば自分は完璧なのに」
という条件付きの自分付き合いがあるのかもしれません。

でも、その発想は幻想できりがありません。
とかげのしっぽ切りのように敵を切り続け、やせ細る。
やがて環境までも搾取で疲弊させる。

この3分野、昔はバラバラではなかったのだと思うのです。

修道院、お寺など、世界各地で精神的な支え(目に見えぬ世界を指し示す人々)を軸に、支え合い、ゆるやかに牽制しあっていたのだと思うのです。

20世紀はじめ、シュタイナー博士にアドバイスを求めた
医師、農家、教員の人たちは、かつての「精神的支え」が失われつつある中、
新な「支え」を模索していたのではないでしょうか。

わたしも今日の「節制の支え」「自己受容」「memento mori」を
キーワードに歩みます。

バイオマスの通訳をするのもそんな思いからです。

プロフィール

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なぜ通訳「道場」?

学ぶ場にも名前はさまざま。学校、教室、アカデミー、スクール。

私が通訳を学ぶ場を「道場」と名づけたのは武道を思ってのことです。

たとえば、いま刀を武器として使う人はめったにいません。戊辰戦争でも主な道具はすでに火器だったといいます。

では刀はもう要らないのでしょうか?

いえ、そんなことはありません。新たな位置付けで役割を果たしています。もはや人を殺める実戦の道具ではなく、心と身体を調える道具として生き続けています。

将来、自動通訳、翻訳で大方の用事は済むようになるかもしれません。

それでも、外国語学習、通訳養成を「心の道」として求める人たちの役に立ちたいと願っています。

通訳道場★横浜CATS

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無駄な力が入っている新人にこれを言ってもしょうがない

「力入ってるよ、力抜いて、楽にね~」
「はい!」
緊張して一生懸命な新人に先輩が声をかける。音楽でも、スポーツでも、通訳でもよくある場面です。この「はい!」の次の1回はなんとか意識的に力を抜けることもありますが、その次は見事に元通り。

なぜでしょう。

こりゃ老眼には厳しい…

力が入っている、というのは「頭コントロール」状態です。カラダで気をつけるポイント、たとえばトマティスの骨導発声でいえば、重心の位置、胸郭の広がり、後頭部の角度、耳と目の角度…19も気をつけるポイントがあるといいます。これをアタマで指令、監督していると忙しくて、しかもバラバラ。ばらけないように身体は力を入れる。バラバラなからだをまとめるのに力が必要なのです。力が入るのは、指令に応えるための身体の精いっぱいの応答なのです。無駄ではありません。

ここで先輩が「力抜いてー」といっても、外部からの指令がひとつ増えるだけ。気をつけポイントがひとつ増えるだけ。しかも自分と矛盾する。

じゃあ、どうすれば?

頭コントロール、身体バラバラの状態で1000回でも10000回でも練習すればよいのです。

身体に動きがしみこみ、頭の指令がいらなくなり、自動化するとおのずと力が抜けます。おのずと、です。

頭のコントロールを言葉や意識で身体に譲り渡すことはできません。それがcorporeality身体的リアリティということです。

私ならなんと言うでしょう?

「力入ってるね。(これは言わなくてもいいと思っているけど、気づきを促すため)まあ、10000回やってごらん。」

10000回はなかなかできませんが、そう言われると100回くらいはちゃらいものです。体感の変化を実感するには充分です。

ことばの世界の美しさ、奥深さに目をみはる【通訳道場★横浜CATS】 

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子どもに「将来の夢」を職業で答えさせるのに違和感があるなら

小学校のクラス文集でよく見かける「将来の夢」。

弁護士…公務員…学校の先生。

職業で答えさせることに違和感を覚えたことはありませんか。

子どもたちが大人になるころ、保護者、先生の世代が知っている職業はもうなくなっているかもしれません。 

でも「ユーチューバー」なんて答えられると今度は大人がぽかんとしてしまう。

ご自身が子どもの頃はいかがでした?

私は幼稚園の頃に「ケーキ屋さん」「お花屋さん」と答えたのを覚えています。いや、答えそのものより違和感をはっきり覚えています。嘘じゃないけれど、なんか違う。我ながらガラじゃない。でも憧れの役者、歌手、武士なんて答えたらめんどうなことになりそう…。

ふと思い浮かんだのは、身近な「魔法使い」みたいな大人たち。

ケーキ屋さんすごい…どろんこみたいな生地があっという間にきれいなケーキに…。

お花屋さんすごい…お花って組み合わせで雰囲気ががらっと変わる。

自分でケーキを焼きたかったわけではありません。
お花を売りたかったわけではありません。

自分の手で変化を起こし、思いがけない新たな美しさを生み出す。そうして人に驚き、喜んでもらう仕事を素敵と思っていたのです。振り返ってみると、幼い憧れの中にいまの通訳につながるものを感じます。

子どもに「将来の職業」を訊くなら、「なぜ」をもう一歩掘り下げてみてはいかがでしょう。

子どもに「将来の自分の職業」を訊く代わりに「身近な魔法使いは誰?」を訊いてみてはいかがでしょう。

人間、生きていること自体すでに労働であるという考えもあります。

Carpe diem. Seize the day.
今を生きよ。

ママの気がかりお聞かせください。
安心・自信・希望をお持ち帰りいただきます。
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10日 子どもの英語が心配なママのための不安一掃セミナー

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通訳口調にハマらないためには〇〇を

同時通訳をしていると口が忙しい?

もしかして通訳は標準語の「ですます調」で訳すものと思っていませんか? 

語り手の英語は話し言葉としていろいろな表情がある。なのに書き言葉のような標準日本語で訳すことはありません。

え、きちんとしたい?

 でも通訳者のあなたが言うのに忙しかったら、スクリプトもなしに初めて聞く人はもっと忙しい。きちんとどころではありません。

 話し言葉でカジュアルになるのが怖い?

 やみくもにカジュアルに、と言っているのではありません。衣ばかりの安物の海老天のような日本語から自由になってください。そもそもその衣はもとの英語にはないでしょう。

たとえば、俳句歳時記を音読してください。

 足すことも引くこともいらない言葉の世界にふれましょう。

 「えー、古池がありまして、蛙というものが飛び込みますと、音がするのであります。」なんて書いてないでしょ?

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そのアクティブラーニング、大丈夫?

久しぶりに再会した母校の先生は不気味なほど30年前とお変わりなく。なぜかこちらばかり大変貌。

「最近あちこちでアクティブラーニングっていうけどねえ。あなたたちほっといたって勝手にアクティブで少しは大人しくしてもらいたかったわよ。」

え、先生、そりゃ無理ですよ。まあだいたい日本の学校教育トレンドは私たちの30年遅れですから、構わずいきましょう。おっしゃるとおりラーニングはそもそもアクティブ。アクティブラーニングに驚いているのは日中韓くらいらしいです。

そういえばこんなことがありました。こないだ研究授業に招かれた学校、授業の前半はひたすら講義だったんですけど、突然「アクティブラーニングやります」と号令がかかって、生徒たちがグループを作ってワイワイやりだしたんです。でも何か違うんです。ワイワイやっているけれど寝てたところを起こされてやらされているみたいで。

そこでアクティブっていっても内的、外的にわけて考えたらどうかと思ったんです。

①の内外パッシブの極端な例はつまらない講義きいて居眠りしている状態。
②の内パッシブ 外アクティブはワイワイやっているけど形だけ。
たぶんあの授業では①から②に移動したんでしょう。

成果を上げているアクティブは③の内外ともにアクティブですよね。

でもこのごろ④の内アクティブ 外パッシブが過小評価されていると思うんです。

そういえば、覚えています。
中1の理科1時間目。オパーリン博士とコアセルベートを語る先生の熱さ。で、宿題はなんとそのストーリーを漫画に描いてくる!
ピューリタン革命を4か月にわたって熱く語る世界史の先生。私の頭のなかは17世紀イングランドの大河ドラマでした。時代考証はめちゃくちゃでしたけど。もうずっとピューリタン革命語っててください、と思いました。フランス革命は自分で調べるからいいです、って。

先生がた、本気のストーリーテラーでしたね!(大人しくない!!)熱くて面白い語りで聴くことを鍛えられました。

学びは内的にいつもアクティブ。ただし外的にはアクティブとパッシブを行き来する。この動きが大事なんでしょうね。生きているものは動く。

これ、ダイナミックラーニングと呼びたいんですけどね。先生、どうでしょう?

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学習優位感覚、MI。思わぬ使い方に提唱者が困惑

生徒はお行儀よく座って先生のお話を聞き、板書を写す…そんな授業は情報そのものに稀少価値があった昔のやり方。現代にふさわしい方法はないか…向上心豊かな教育関係者の心をとらえたのが学習スタイル(学習優位感覚)と多重知能理論(MI)。どちらもアタマだけでは学べないことを強調し、学び手ひとりひとりの多様性、可能性に光をあてる視点です。ところが勘違いした実践も多く、当の提唱者自身が当惑しているというのです。

アタマだけでは学べない

そもそも学びとは新しい情報を外から取り入れ、体験とすり合わせ、取捨選択し、自分になじませていくこと。学びの種である新しい情報はいきなり頭には入れません。頭という奥座敷に入るにはまず感覚器官という玄関から入らねばなりません。学びは身体に始まるのです

学習優位感覚(学習スタイル)とは

学習スタイル説にはさまざまなモデルがあり、提唱者もさまざまです。今日よく話題に上るのがVAKモデル。人間の学びには感覚の中でもVision視覚・Audtition聴覚・Kinaesthesia体感覚(触覚・運動感覚)が大きな役割を果たし、場面によって優先的に使う感覚があるという説です。例えば私は通訳するときは聴覚を主に使いますが、車を運転するときは視覚、体感覚を優先的に使う、というふうにです。

この視点には私も教員時代に大いに助けられました。先生たちは聴覚をよく使う人が多いそうですが、私もそうだったのです。ベストを尽くたつもりでも自分と似た生徒たちに有利な授業をしてしまう。視覚や体感覚を使いたい生徒たちが置いてきぼりになってしまう。この子たちが飽きて「自分は集中力がないんだ。頭が悪いんだ」と思い込むとしたら、原因は誰?そこで視覚、聴覚、体感覚をバラエティ豊かに使うアクティビティを揃えたのです。

おかげでもともと大嫌いだった所謂「教案」とは永遠におさらばできました。ふさわしいアクティビティをぱっと選ぶには、その時、その場で生徒のしぐさ、表情をひたすら観察、瞬時に判断しなくてはなりません。これは気が抜けませんでした。でも楽しかった!

多重知能理論(Multiple Intelligences)とは

ハワード・ガードナー教授(ハーバード大学大学院)が提唱する新しい知能モデルです。ある日、知的障がいがあって話すことも歩くことも難しい少年が、教授の研究室から車いすをスイスイ動かして出て行きました。その後姿がきっかけのひとつとなり、ガードナー教授はIQのように単一の尺度で人間の知能を測る方法を疑うようになりました。2004年発行の”Frames of Mind”新刊の章立てには6つの知能が見えます(本文では7つ扱っている)。
Linguistic Intelligence(言語の知能)
Musical Intelligence(音楽の知能)
Logical-Mathematical intelligence(論理と数学の知能),
Spatial Intelligence(空間の知能)
Bodily Kinesthetic Intelligence(身体と運動の知能)
The Personal Intellingences(人間的知能)
よく見かけるのはこれらをさらに8つに分けたフレームワークです。
今日では9つ、12、とさらに細かくわけた説もあります!

提唱者が困っている?!

学習優位感覚もMIも先生が自分を客観視し、生徒を観察する目を磨くのに役立ちます。しかし以前から学習優位感覚は科学的な根拠が脆いと指摘されていました。科学的に証明されていなくてもうまくいく方法はあるものです。そういう方法に手を出すときは節度、うしろめたさを忘れてはなりません。
案の定、最近おかしなことになっているようです。学習優位感覚とMIを混同する人、血液型のように固定的にとらえる人、他人を安易にタイプ分けし、コミュニケーションを操作しようとする人が後を絶たないのです。

そもそも感覚は身体に属するもの。教師が観察するならともかく、生徒が自分で意識しすぎても不自然です。

Urban Myths about Learning and Education「仮題 学習と教育をめぐる都市伝説」 (by De Bruyckere, Kirshnerm, Hulshof/ Elsvier, 2015)では逆効果に警鐘を鳴らしています。

“Frequently, as Clark later explained, so-called mathemathantic effects are found; that is, teaching kills learning when instructional methods match a preferred but unproductive learning style.”
「よくあることだが、クラークが後述する通りいわゆるマテマタンティック(学習の死)効果がみとめられた。教えたばかりに学びが死んでしまったのだ。教え方を、お気に入りだが非生産的な学習スタイルにぴったり合わせたがために。」
「MIと学習スタイルは同じですか?」という問いには20年以上も前にガードナー教授が困惑しています。
“Without doubt, some of the distinctions made in the theory of multiple intelligence resemble those made by educators who speak of different learning styles. Many of them speak of spatial or linguistic styles, for example. But MI theory begins from a different point and ends up at a differnt place from most schemes that emphasize stylistic approaches.”(p.44 Multiple Intelligences theory in Practice /Basic Books)
「間違いなくMIの区分のなかには教育関係者が提唱しているさまざまな学習スタイルに似ているものもある。たとえば彼らの多くが空間タイプ、言語タイプと言っている。しかしMI理論の出発点も到達点も、それらの矢鱈に『スタイル』でアプローチするスキームとは殆ど異なっている。」

学びに魔法はいらない

私も「なんだか変」と思った覚えがあります。初対面の方と喫茶店で待ち合わせて間もなくのこと。「君、擬音語が多いね。話し方も噺家みたいで面白い。きっと聴覚優位だ。僕、分かるんだ。」そしてあからさまに私のしぐさをまねたり、抑揚までそっくりにおうむ返ししたりし始めたのです。私がどう応じたかはご想像にお任せします。

学習スタイルは血液型や星座のように固定的なものではありません。学びの近道や人心操作を可能にする魔法の道具でもありません。学習優位感覚も多重知能理論も、教える者が学び手の内なる多様性を尊び、学び手が自分の豊かさに気づくツールなのではないでしょうか。

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